丸く小さな廃墟の話
帯広の東5条の根室本線にある踏切から、札内川鉄橋にかけての一帯は自殺の名所である。根室本線が開通して以来ここで命を絶った数はかなりのものだが、その他にこの鉄橋が帯広と札内市街を結ぶ最短距離であることから事故にあって死んだ人も少なくない。
こうした条件がそろうと、おそかれはやかれ怪談の名所ともなるわけだが、ここも帯広の怪談名所のひとつである。
ここに現れる幽霊はザクザクと砂利を踏む足音で姿は見えないのだが『幽霊には足がない』という定説をくつがえしているところに特徴がある。
戦後もいろいろなうわさが立ったが、一番はなやかだったのは昭和10年頃だったそうだ。近所のひとの話によると終電車が通り過ぎ、本当の真夜中ころになると根室本線の上をザックザックと通り過ぎていく足音が聞こえるという。そして1人が通り過ぎてしまうと、また1人が、そしてときには5人10人と一定の間隔をおいて足音の聞こえてくる夜があるという。そしてそのほとんどの足音が帯広のほうへ向かってあるいていゆくというのだ。
そのころ。帯広に来て間もない恋人同士が、何も知らずに別れを惜しみ終電車のすぎたあとの根室本線の上を鉄橋へ向かって歩いていた。
星の一つもなく、雨がやって来そうな暑い夜だった。
と、こんな夜ふけなのに札内川の鉄橋の方から誰かが、ザックザックと歩いてくるのだ。
『だれだろういまごろ』
暑くなっているところへ水をさされたような不快さを感じながら、2人が口をつぐんだとたん足音は鉄道の砂利の上からそばの草原にそれ消えてしまった。
『気持がわるいわ』
女の方が男によりそったとき、また別の足音がザックザックと近づいてくるのだ。そして今度も2、30メートル前までくると草原にそれて消えていった。
足音がそれると、またつぎの足音がザックザックと近づいてくる。
若い2人は、きびすを返すと一目散にいまきた道をかけ出していた。
そのうちにこれと同じ足音を聞いたという風来坊も出てきたりして、夜ここを通る人はほとんどなくなった。そしてそれから間もなく『きっとここで死んだ連中が、行くところへ行きつけず帯広のネオンが恋しくなって出かけてくるのだろう』と、もっともらしく言いだす者が増えはじめていた。
『とかち奇談』 より 「足のある幽霊の列」 (渡辺 洪 著 天地人出版企画社 昭和54年発行)
現在も運行されている根室本線は、十勝の中心都市「帯広」と隣町、「幕別町」の間を流れる清流「札内川」を渡る。
そこを渡る鉄橋が、このお話の舞台です。
今も徒歩で川を渡るには、数㌔上流か、下流の橋を渡らなければならない。
当時は、下流の橋1本。帯広の街からほろ酔いで帰宅する隣町の人は、手っ取り早く鉄橋を渡ろうとしたこともあったのでしょう。
幽霊話が、実際のことか、事故を戒めるための都市伝説か、それも今となっては測ることはできません。
現在の鉄橋も当時のものではなく、レンガ積みの橋脚だったようですが、すぐ脇にコンクリート製のものに立て替えられ、話の真意を知っていたであろう初代橋脚は引退、解体されたようでしたが、その後川原に変った感じの玉石が散乱することとなります。やけに目立つ真っ赤な石。塊によってはレンガ積みの目地まで残っている。
この怪談話を知るまでは、上流にレンガ製の建物でもあったのかと思っていましたが、どうやらそれが橋脚の名残のようです。
以前は、鉄橋の近くにそのときの土台らしきものも見えていたけれど、今年の春は、まだ川の中のようでした。
レンガのひとつひとつが固まって大きな力になる。
それは既にレンガではなく、大きな力を持つ柱。
その柱が、再びバラバラになったとき、始めのレンガに戻ったかというと…
決してそうではなく、存在意義とともに自分さえも見失っているかのようだ。
だけどギザギザになったその身も
年月は丸く変えていくもののようだ。
そう考えると
人の作るものは、人の鑑でもあるように思えました。
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