2011年4月18日 (月)

丸く小さな廃墟の話

Maru

 帯広の東5条の根室本線にある踏切から、札内川鉄橋にかけての一帯は自殺の名所である。根室本線が開通して以来ここで命を絶った数はかなりのものだが、その他にこの鉄橋が帯広と札内市街を結ぶ最短距離であることから事故にあって死んだ人も少なくない。
 こうした条件がそろうと、おそかれはやかれ怪談の名所ともなるわけだが、ここも帯広の怪談名所のひとつである。

Tekkyou

 ここに現れる幽霊はザクザクと砂利を踏む足音で姿は見えないのだが『幽霊には足がない』という定説をくつがえしているところに特徴がある。
 戦後もいろいろなうわさが立ったが、一番はなやかだったのは昭和10年頃だったそうだ。近所のひとの話によると終電車が通り過ぎ、本当の真夜中ころになると根室本線の上をザックザックと通り過ぎていく足音が聞こえるという。そして1人が通り過ぎてしまうと、また1人が、そしてときには5人10人と一定の間隔をおいて足音の聞こえてくる夜があるという。そしてそのほとんどの足音が帯広のほうへ向かってあるいていゆくというのだ。

Bluered  そのころ。帯広に来て間もない恋人同士が、何も知らずに別れを惜しみ終電車のすぎたあとの根室本線の上を鉄橋へ向かって歩いていた。
星の一つもなく、雨がやって来そうな暑い夜だった。
と、こんな夜ふけなのに札内川の鉄橋の方から誰かが、ザックザックと歩いてくるのだ。

『だれだろういまごろ』

 暑くなっているところへ水をさされたような不快さを感じながら、2人が口をつぐんだとたん足音は鉄道の砂利の上からそばの草原にそれ消えてしまった。

『気持がわるいわ』

 女の方が男によりそったとき、また別の足音がザックザックと近づいてくるのだ。そして今度も2、30メートル前までくると草原にそれて消えていった。
足音がそれると、またつぎの足音がザックザックと近づいてくる。
若い2人は、きびすを返すと一目散にいまきた道をかけ出していた。

 そのうちにこれと同じ足音を聞いたという風来坊も出てきたりして、夜ここを通る人はほとんどなくなった。そしてそれから間もなく『きっとここで死んだ連中が、行くところへ行きつけず帯広のネオンが恋しくなって出かけてくるのだろう』と、もっともらしく言いだす者が増えはじめていた。
 『とかち奇談』 より 「足のある幽霊の列」 (渡辺 洪 著  天地人出版企画社 昭和54年発行)

Kawamo  

現在も運行されている根室本線は、十勝の中心都市「帯広」と隣町、「幕別町」の間を流れる清流「札内川」を渡る。
そこを渡る鉄橋が、このお話の舞台です。

今も徒歩で川を渡るには、数㌔上流か、下流の橋を渡らなければならない。
当時は、下流の橋1本。帯広の街からほろ酔いで帰宅する隣町の人は、手っ取り早く鉄橋を渡ろうとしたこともあったのでしょう。

Katamari  幽霊話が、実際のことか、事故を戒めるための都市伝説か、それも今となっては測ることはできません。
 現在の鉄橋も当時のものではなく、レンガ積みの橋脚だったようですが、すぐ脇にコンクリート製のものに立て替えられ、話の真意を知っていたであろう初代橋脚は引退、
解体されたようでしたが、その後川原に変った感じの玉石が散乱することとなります。やけに目立つ真っ赤な石。塊によってはレンガ積みの目地まで残っている。

この怪談話を知るまでは、上流にレンガ製の建物でもあったのかと思っていましたが、どうやらそれが橋脚の名残のようです。
 以前は、鉄橋の近くにそのときの土台らしきものも見えていたけれど、今年の春は、まだ川の中のようでした。

Rever

レンガのひとつひとつが固まって大きな力になる。
それは既にレンガではなく、大きな力を持つ柱。
その柱が、再びバラバラになったとき、始めのレンガに戻ったかというと…
決してそうではなく、存在意義とともに自分さえも見失っているかのようだ。

だけどギザギザになったその身も
年月は丸く変えていくもののようだ。

そう考えると
人の作るものは、人の鑑でもあるように思えました。

Brick

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2009年5月17日 (日)

鮮やかな地獄

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●へ

Dscf8661いつも元気な●は
最近、どこか弱気が見える
2年前はまだまだいけいけだったョネ!
もうあの時から10年くらいたったような●に
最近はそう思います

母は心配はしていません!(何事も経験)
あなたを信じているから
まだまだ地獄があるんだョ!

母もあなた以上に年(歳)の分、地獄を見たし
体験もしてきました。
みんな体験または経験をしているのです。
それ以上の人々もたくさんいるのです。
まだまだ●は幸福だと思うョ!
母の声を聞きたくなったらいつでもTEL下さい!…

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戦後並とも言われる景気の低迷。
失業率6%台も間近と言われています。
新卒者の就職内定取り消しや自宅待機。
とりあえずの就職内定率を誇る学校もその内訳には微妙な感が…

Dscf8670 『仕事があるだけましだよー』

『ボーナスでるだけマシと思わなきゃ』

『時代は変わったんだよ…』

戦いを忘れた群れが四列縦隊で進む様
うつろな目 うつろな子どもの目 うつろな芽生え
リアルと見分けの付かない敵に無制限な銃を向けてうつろに撃ちまくる。
『あっ!民間人だった』 減点…

Dscf8666 時間を縮める機械 時間を省略する機械 時間を先に進める機械
何も変わらないようでいながら人は機械の一部になって機械に奉仕してるみたいだ。

気難しい機械 気難しい自分 気難しい夢
それでも手放しがたい恍惚の桃源郷。

ショボいユートピア ダサいフロンティア マイブームなサンクチュアリ
ひとりだけの夢 ひとりだけの居場所 ひとりだけの応接間
ホラごらん…居酒屋のウリだって『隠れ家の雰囲気』だってさ。

Dscf8672人生に借りがあるのか 貸しがあるのか
手の届くものが取れないみたいで 実はてを出してもいない
心の傷だけが生きている証明のような気がして、癒えた傷の痛みさえ懐かしくて懐かしくて…ただ懐かしくて

でも案ずることはありません。
時代の良し悪しに関係なく、何時もたわわの実りを得る人もいれば、空の器をただ眺めるだけの人もいるのです。
自分も含めて、みんなキリギリスなのかアリンコなのかさえも判りません。
いくら時代が良くても世を儚みたくなる人はいたのです。
始まりから極論 そして弁解

実りは餅撒きのごとく手が届いた人のところへ
そして痛みは皆に公平に分配。
傷つけられる覚えの無い人まで平等に

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広い空 新緑芽吹く広大な北の台地。
北海道らしい風景の中に北海道の象徴らしくサイロと牛舎がポツーンとたたずむ。

いるはずのものは居らず 住んでいるべき人も忘却の彼方。
ただ そこに営みがあった証明だけが現代遺跡のようにそこに存在するだけ。
さても その大地の同胞(はらから)にブルーの不似合いな袋が大量に置かれてる…。

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『また、不法投棄か…』

Dscf8665 近頃は、ごみ排出も有料化の市町村もほとんど。
それほどに地域財政も逼迫しているわけ。でも処理費用は行政との折半(税金)です。
分別もルール化しているから指定外物の混入は回収されません。
だからといって他所の町に置くのは筋違いですよ。
でも よくもまぁ こんなところまで……?

違う…ごみじゃない
きれいにたたんだ衣類 子どものオモチャ 布団や日用品…
不要になったというよりも 手身近な荷物入れにしたような感じ。

束ねられた書簡はライフラインの支払い催促通知と供給停止勧告。
それら全てが仮にここへ置かれたのか 用を無くしたのかは計れません。

地獄 生き地獄にいた
それが自ずからはまり込んだ地獄なのか すべからず堕ちてしまったところなのか…
とりあえず逃げ出した道行の途中がここであったことには違いありません。

Dscf8664地獄と天国が絶えず交差するこの世。
まだまだ捨てたのもじゃないと…思うけれど
この有様を前にして何す術も その力さえも ましてや救う手立ても そして行方さえもわからない自分には
ただ静かに涙するほかに なにもできません。

空の財布の中に 母からのせいいっぱいの励ましが記された言伝が残されていて…

地獄と称された大地に春は芽吹き 雲が青空を流れていく
あまりにも美しい地獄絵図は 昔からそうであったように
未来にかけて地上の出来事に無関心です。
寛大に残酷に実り 癒し続けていく

春の香りは “甘く危険な香り”…なのかな

地獄から何とか抜け出せていられればね。
それだけは祈ります。

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救済が流行とは無縁なものであり続けますように

生意気言ってすいません

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2007年12月23日 (日)

骨董 元気会

  「3丁目の夕日」の続編が評判です。
昭和最後の年から20年の年月が流れようとしていますが、既に時代は「昭和」を懐かしんでいます。
静かながらも世の中はレトロブームで、混沌とした平成の世に、つい前時代に想いをめぐらせてしまうのでしょうか。
昭和風居酒屋。昭和グッズを扱う店。戦後の高度経済成長期において良くも悪くも色々なものが生まれてきました。
戦争も全共闘も南沙織もたのきんトリオもエリック・クラプトンもテクノミュージックもスターウォーズも口裂け女もツチノコも思いつくものすべてが詰まったパンドラボックス。それが「昭和」なのです。

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Dscf4580 昭和がこんなにまで愛されている背景は、今現在、目にするものの多くが昭和を出発点としているからでしょうか。
悲惨な戦争期、それを外して昭和を語れませんが、戦後の闇市・バラックの頃から高度経済成長期を迎え、石炭増産、オイルショック、発展の夢と世紀末の不安感。メンコとファミリーコンピューター。昭和のキーワードを思いつくだけでもいかに激しい時代だったかが感じられます。
平成生まれの世代が成人を迎えようとする今、昭和の残した大量の遺跡に何を思うのでしょう。

その昭和の過程、まだ庶民の娯楽がせいぜい近郊の海・山・川だけだったような頃、この山岳地帯の迫る奥地は、がむしゃらに働き続けた世代の保養地として賑わっていました。
現在は、地域の観光ガイドには載るものの訪れる人も少なくなったようです。キャンプ場も不便な奥地より張り芝で電源設備もある公園のようなオートキャンプ場が栄えて、この地のバンガローも多くが朽ちだしています。キャンプ情報誌などで、ここはやたらと熊が出るような紹介をしているのも問題ですけど。

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かつて、このあたりは開拓の鍬が入ってから多くのいくつかの集落を併合して村となりました。時代が昭和に入り、近隣村と共に帯広市へ合併になりました。
日高の山々が眼前にそびえるこの地域も現在は、離農が相次ぎ、古いサイロが遺跡のように点在。
その反面、近年になってからドロップアウト組が第二の人生の地として、半自給自足の生活を楽しむ小さな住宅も増えてちょっとした集落があります。

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この地域の古くからまとまった集落を形成していた地域にこの家があります。
看板(?)を出したのは、時代は平成に入っていましたが、もう一昔前のことで街のタウン誌で見かけて行ってみました。
「骨董と食事?」なんだか奇妙です。今でこそアンティークレストランなるものもありますが同じ意味でも言葉自体で印象が変わります。(蛇足ですが「古本と大判焼き」という店もありました)

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Dscf4576外観はどう見ても今時の民家。それも比較的新しめで和とも洋とも言い切れない…
外壁には、古い日本酒の看板や手書きの文字。普通の玄関横にペプシ(ビン用)の自販機が置いてあるのが違和感を誘います。
「まぁ、ここが入口なんだろうな…」ドアを開くと明らかに今時の住宅の玄関。ランドセルとかグローブが放り出してあってもおかしくないような感じです。

何やら紐が下がっていて
『紐を引いてお待ちください。店主がすぐ参ります』とあります。

ガランガランと鐘の音が響いて、奥から『いらっしゃいませ!』と威勢の良い声。

現われたのは…丁度、今のマイク真木の髪と髭を黒く染めて、作務衣を着せた感じの人。
通された6畳ほどの和室は3方が天井まで骨董品で囲まれて先客のいた居間は、壁全面に大量のホーロー看板やゼンマイ式柱時計が並び、それぞれが微妙にずれた時を刻んでいます。

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『今日は仕込みをしていなかったもので、ザルうどんだけで申し訳ないのですが…』

申し訳というより、脅迫っぽい強い口調に『あっ、それでいいです…』と、つい…

『かしこまりましたご主人様!(メイド喫茶か?雰囲気は冥途)

ガサの大きいラジオや蓄音機、おすし屋さんのカウンタにあるようなガラスケースの中にはたくさんの時計。本棚にあるのは、古いアサヒグラフとかノラクロ。

『それは自由に見ていただいてかまわんであります。』

Dscf4582今度は軍隊調。 あがってきたザルうどんは、ホントのザルに入ったものでコシがあってツルツルのいい感じ。
手の空いた主は、先客(地元の人かな?)と談笑中。

「ずいぶん古いものを集めているんですね」
「古いものが好きなんですよ」

「エビスを置いているんですね」
「私はエビス以外認めません」

いっやーヘタに何か聞かなくて良かった…会話下手ですね。
それだけが問題ではないのでしょうが…
メニューによると、ここでは毎週土曜日限定の『元気会』という宴会企画がありました。

『19時~元気がでるまで』
日本酒とエビス飲み放題。屋外メニューと五右衛門風呂。予約制。うーんどういう内容だったんだろう。
現在、庭には五右衛門風呂が残っていますが辺りは雑草の伸びるままに放置されています。あれから20年近い年月も経っていますから…

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近所で農作業中の御宅へ主の所在を確認すると、『しばらく見ていないですね…』
家の周りの雑草や無用なところへ根を下ろした白樺の木の高さから考えても長いこと放置しているようです。大好きな昭和の残影を残して何処へ出かけているのか…

Dscf4589 過ぎた時代の思い出は甘く切ないものです。
その時代をリアルに過ごしていた頃は、辛いことも厳しいこともたくさんあったはずなのに…
そんな動乱も思い出にしてしまうほど、人の心は寛容なようです。

近い将来、「平成回顧」なんて時代もくるのでしょうか。
平成を象徴するものは何なのか?
今のところ思いつくのは「昭和」の模倣です。

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2007年8月 8日 (水)

夢破れて山●荘 千秋楽

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Fushin こうして長きに渡り紹介してきました『山●荘』。
事実と虚実。夢と挫折。光と影…いろいろなことが錯綜しているこの地でした。
霊的なものは、所詮『信じる・信じない』にしか行き着かないと思います。
事実もこの地に暮らす人たちにとってすでに曖昧な記憶となっているようです。
でも確かにここに「山●荘」は存在していました。

 地域の厄介者・心霊スポット・廃墟の聖地・サバイバルゲームゾーン・廃棄物捨て場、そして不審者情報多発地域…
 これらの肩書きはすべて廃墟化後に付けられたものです。
 静かに終の日を待ち続ける館に心があるならば、何を思うでしょう。

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「祝福に包まれた誕生の日」 「人々の喜びに満ちた笑顔」 「駐車場いっぱいの車に取り囲まれた日々」 「事故」 「衰退」 「再出発」 「閉店後のテーブルに静かに座るオーナー」 「そしてみんないなくなった」 「珍客の来訪」 「荒っぽい連中」 「大きな傷」 「終の予感」「共に暮らした子ども達」

Note

そう、ここには子どもの暮らしがありました。従業員の子と思われる二人姉妹がいたようです。今でもここでのことは覚えているのかな…

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『夢のテーマパーク』と『殺人ドライブイン』
その両極端な名の中から見えるのは、潮のようにうねり、激しく引いていった人の心。

 学習ノートの『花の観察』に使われた花々は山●荘の庭に咲き乱れていた花なのでしょう。
この『山●荘』をバックに少女が目を丸くして花を覗き込んでいる光景が浮かびます。
大きな100点花マルは、この子が目をキラキラさせた光に満ちた日々を想像させます。

夢の跡 ここには確かに夢があったんです。

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2007年8月 7日 (火)

夢破れて山●荘 ⑥

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さて、2階に登ってみようと試みます。上まで『コ』の字形に据えられた階段ですが、裏手崩壊の影響をまともに受けているため、目の間にするとかなり怯みます。
 最初の踊り場までの横板は全て無くなっています。下に落ちている様でもなく、側板は原形のまま残っていることから崩壊とは別に侵入防止のため意図的に外されていたのかもしれません。その上の踊り場の床もずれて傾いています。

Dscf5601このシーンを始めて見たのであればたぶん、登るのはあきらめていたでしょうが、我が師匠から『バランス感覚を鍛えて高みを目指せ!』とのお言葉もありました。
 壁際から行くと次の段が遠くなるので敢えて向かって左の側板から…
 板厚およそ60㎜。よろけたらアウト。装備の緩み等チェックをしてゆっくり登りだす。

 こんなに傾いているのが嘘のように揺れもきしみもありません。これはスムーズに行ける…と、思ったら上の1段は『虫食い』。なんとか床の無い踊り場を抜けると次の段は大きく傾いています。ここは手すりもあり、意外と頑丈なので2階まで到達できました。

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Dscf5590  上は、客室になっていて外観や1階から想像できなかったほど全体が斜めになっています。ちょうど正面から見た三角部分の奥辺りです。置人不明の花束が供えられていた場所もこの辺らしい。この辺りの床からちょうど宴会場の上部に当たる奥へは雨漏りにより床板の腐食が進み、明らかに抜けそうです。梁の位置を確認できないためこの奥は断念します。この奥がおそらく客室らしいのですが。
 正面の三画部分の部屋は特等室のようで広さと窓から見える田園風景が素晴らしい。現役時もこの風景が見られたことでしょう。これはいい季節に来ました。夜中に来るにはもったいない。
 隣の部屋は客室ではなく遊戯室のようです。中央の掘りごたつ状の部分にあるのは自動麻雀卓の成れの果て。外はテラスに通じて浴場の屋根が見えます。意外に屋根板が飛んでいました。続く客室は畳部屋です。ここからも田んぼが一望できます。山を背にして緩やかに低くなる地形で視界が遠くまで広がります。

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 ここの経営が思わしくなくなった原因は前を走る道が接合する国道の整備により交通の多くが流れたこと、利用者のニーズに付帯施設が合わなくなってきたこと、地元シェアの伸び悩みがありました。取材では実際行ったことは無いという方もいたので…
 こういったところが衰退に向かう原因は第3セクターにしても一般施設にしても地元シェアやリピーターが付かなければほとんどだめになります。さもなければニーズとリニューアルのいたちごっこなのでしょうが。

 現役時は知りえませんが『山●荘』後の『香●館』はがんばったのではないでしょうか。
ただ施設が巨大であるが故、経営縮小にも限界があり、呼び物であるべき温泉も維持費の莫大なお荷物となってしまった…

『夢のテーマパーク』はこの地に生まれてからおよそ20年で『夢の跡』になりました。
それでも皮肉なことは没してなお訪れる人の耐えないことです。少なくとも客ではない人達の…

(次回、完結)
 

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2007年8月 6日 (月)

夢破れて山●荘 ⑤

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 それではDVDでは紹介されなかった危険地帯へ入ってみましょう。
ここに撮影時深入りしなかったのは、物理的に危険があったからでしょう。
さすがのストーリーテラーも物理的恐怖は苦手と見えますが…

 それにしても床の没落が多い建物です。おそらく鉱泉の漏水が床下に入り込んでいたのでしょう。浴場付近が最もひどくてロビーへ向かう回廊の途中まで及んでいます。
 両側の部屋はさほど影響していないので基礎の枠組みの形に浸水していったのでしょう。

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Dscf5585  しかし、ここでまた奇妙な感があるのは、建物の基礎に感じたことです 
 山沿いのこの地でしかも回りは水田地帯。
地中に浸透する雨水の排水が決して良いと言える地域ではないのではと思いました。簡単に水が抜けてしまう地盤であれば稲作には向かない。ましてや暗渠排水など入ってはいないでしょう。(対して水はけが良すぎる地盤はザルと呼ばれ、稲作は向かない)
 当然地中に含まれる水の量が多くなりがちで、地盤は緩みやすい。
 その地盤に対し、この『山●荘』は基礎に違和感があります。これだけの建物なのに基礎が低く、布基礎(主に一般住宅に取られる工法。難しいので興味のある方は調べてみてください。)らしい。奥の大広間に外から入るのに簡単にひとまたぎというのは、明らかに基礎も低く、床下換気も悪く、厚さも建物に合わない気がしました。それは地盤に対して有効な基礎工法ではなかったように感じます。地盤の強度などにより工法は変わりますが、ある部分から建物全体が大きく傾いているのは、基礎の沈み込みと思われ、ここには適切な工法ではなかったのでは? しかし、70年代初頭の建築常識と現在は必ずしも一致はできません。少なくともいまだに立っていられるのですから

 別棟の半焼していた棟は別としてもロビー奥の崩壊は単に積雪による倒壊ではなく、基礎の沈み込みによって剥がれるように倒壊したのではないでしょうか。築年数がそれなりとはいえ、壊れ方は尋常ではありません。 近年になって欠陥住宅ということが聞かれるようになりましたが手抜き工事とは別に技術の伴わない工事があります。例えば、2階建ての住宅しか建てたことの無い業者は技術的に3階建ては可能(1階増やすだけという考えから)ですが強度計算からすると各階の柱や基礎の構造は変わって然るべきなのです。そのようにここが最適な方法による建築だったとは言い切れません。ここより古い建物が壊れず立っている現実からすると。

 いずれにしても既に時効でしょう。(そこまで追求するほどプロでもないし…)

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 大広間に至っては、大地震の跡のような状況です。ここまでは漏水の影響は無いのでフロントの崩壊時に柱の根太(ねた)がひっぱられた結果ではないかと思われます。奥のステージ部分は無傷ですし…
 壊れ方の割にいまだにこの形を保っていられるのは構造的に無理のかかった部分が剥がれたというのが妥当ではないでしょうか。いずれにしても雨風が容赦なく吹き込む形になってしまった以上、崩壊が早まるのは間違いありませんが…

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 さて、噂の階段より上ですね。どうやって登ろうか思いましたが…

(つづく)

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2007年8月 5日 (日)

夢破れて山●荘 ④

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 近頃、レンタル屋さんで1本のDVDを見かけました。
稲川淳二氏出演の『真相 恐怖の現場 5』。この中で『殺人ドライブイン』という名で紹介されているのがこの物件です。殺人があったところという意味ではなく、数人の死がここであったとされることからつけられたようです。

 内容は正面(三角屋根の下)を見て、「建物の建て方がおかしい、墓地の作り方のようだ」「入口に十字架が見える」と評価。
 建物背面の回廊から物置、従業員住宅部分を数箇所調査。「全ての部屋に何かいる」
 疑惑の浴室。「ここが一番きている」

 浴場で怪談話をひとつ紹介した後、動向の女性タレントを浴場に残して稲川氏は脱衣所の外付近からモニターで観察しながら心霊現象をリサーチしていくという内容です。(2階と宴会場は別の危険があるため取材していないようです)

 真相と評価は特に触れませんが、この「ルイドロ」を脇に鑑賞していただきますと面白さが倍になるかもしれませんね。
 小物の場所がほとんど一致しているので、同時期に取材していると思われます。
今回は、登場するシーンと同じPHをアップしているので暗がりで見えずらかったものがよく見られると思います。

TOPの画像は、死んだ子の靴ではないかとされたもの。従業員の子どもで二人姉妹がいたことを確認しています。小学生だったので、この靴は昔のものかもしれません。

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雑草と苔に覆われた部屋。箱庭のようです。小上がりになっているので入浴者の休憩室だったのでは?
ここに裸の男の霊(自殺した初代オーナーとされるが未確認)がいたとされています。

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 子どもがいた部屋。左側は大きな棚を据えてあり、備品・帳簿類などがあることから物置のようです。

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 最初に浴場を仰ぎ見た脱衣所(男)。床が完全に没しているため、女湯側より入ります。ここに至る回廊もかなり床がゆがんでいるため、誰かが戸板や壁板を剥がして壁代わりに敷いてあるので歩くことはできました。水場が近く、床下も送湯パイプが走っているため、漏水で腐食したのでしょう。凹んだ床を板がどんどん続いていくのは不思議な光景です。

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 ネット上でもかなりの頻度で出てくるこの物件。
悪意に満ちた霊の巣窟  鬼の住処 自殺の発展場 崩れかかった栄華の跡 サバイバルゲームゾーン 倒産物件 土地の厄介もの 不審者多発地帯 不法投棄 そして夢のテーマパーク…

 様々な罵詈雑言の仮面を付けられながらも、かろうじて佇む『山●荘』。
誰かのアルバムの中では、ここでの楽しかった思い出が生きていることでしょう。
 本当はそれだけで良かったのでしょうが…     
(つづく)

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2007年8月 4日 (土)

夢破れて山●荘 ③

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Dscf5562  建物・浴槽・柱など八角形の構成によって作られた浴室。ここが建てられたときは風水学を知っていたのかは定かではありません。
 八角形は、風水学で言う陰と陽、すなわち宇宙観をあらわします。陽を円形とするならば陰は四角。八角形はその中間にあるとされています。
 八卦では八方位を東、北東、北、北西、南東、南、南西、西で吉凶を説明しますが、八角形はその8つの方向に広がる形だといえます。つまり八角形は宇宙の形なのです。

Dscf5557  古来、風呂とトイレは不浄とされ、住居とは別に設けられていましたが現在は、全て同じ屋根の下にあります。家の中心線に水場やトイレを作らなければならない場合、家相的には特別な配慮(鬼門札など)が必要だそうです。
 もし、八角形の住宅を作った場合、家は鬼門に対し柔軟に対処できるそうです。実用的かどうかは別として…

Dscf5558 八角形は風水では運を安定し、かつ、上げることができるとされて風水鏡など八角形を形どったものを身近に置くと良いそうです。
 この温泉には、『日中薬膳研究所』という側面があり、風水のルールを浴場に持ち込むのは当然であったことでしょう。

 でも、この運気の高い浴室で不幸な事故があったそうです。入浴客が持病の発作を起こしたとか子どもが溺れたとか話は錯綜しますが何らかの事故はあったのは間違いないようです。その後も人の生き死にに関する事件が続いたそうですが、その信憑性よりも現地に残る痕跡から推察していきたいと思います。

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Dscf5621  この薬膳研究所としての側面は、冷鉱泉であるため、維持に費用がかさむことから付加価値として導入されたのかもしれません。しかし、世間で取りざたされるほどこの『山●荘』は半壊しているとはいえ、悪意に満ちた、あるいは彷徨える霊たちが寄り集まる禁断の建造物なのでしょうか。

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Kaiyaku  埋められた浴槽は、謎のひとつに数えられています。維持費の関係で閉鎖して植え込みにされたというお話です。災いとは縁遠い場所であったはずなのに廃墟化したことが噂を助長させてしまったのかもしれません。

 経営の悪化が限界に来たとき、経営者は身の回りを簡単に整理すると、ここを捨ててどこかへ行ってしまったようです。
 今や生きている者の気配は全く無いこの旅館にまだ人のいる気配がありました。

Syokan

 郵便配達の悲しい性。幽霊屋敷と名高い旅館の厨房には今も郵便物が届いています。

(つづく)

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2007年8月 3日 (金)

夢破れて山●荘 ②

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 この一帯は稲作が中心で回りは、ほとんどが水田です。『ルイン・ドロップ』エリアにはほとんど見られない風景です。
 まだ、植え付けからさほど経っていないようで車を走らせていると水田がキラキラ光って海沿いを走っているような錯覚がします。
 夜はカエルがたくさん鳴く中、空と地にふたつの月が見えたりしていい感じなんでしょうね。

Dscf5528  『山●荘』がオープンした当時のことは、資料として見つかりませんでしたが町で最初の本格的温泉リゾートで最初の数年間は町内外から多くの人が訪れました。
 施設にも釣り堀、ボート、クレー射撃場を備えて『夢のレジャーランド』が形成されていきます。その頃は駐車場も足りないほどで、かといって周囲は山と水田のため路上駐車もかなり連なったそうです。何よりも建物の外観がおとぎの国風であることから誘われるように人が集まりました。
 泉質は「含酸塩化土類食塩泉」 リウマチ・神経痛に効能が深いそうです。

 当時の宿泊関連を図書館で調べてみると初期の記述は出ませんでしたが、1981年の宿泊は1泊2食 4,500円 12室50名の規模でした。(北海道じてん1981年版/山と旅社)
 同じガイドブックの1984年版では、1泊2食 5,800円 13室80名と規模と料金がアップします。

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 ここで奇妙な記述が出てきます。『源泉温度10℃ 浴用加熱』 これは…?冷鉱泉?

Dscf5530  施設内背面に大きなボイラー室が存在します。これは浴用ボイラーであったようですが、最初から源泉温度が低いのであれば湯治場として栄えなかったと思います。さらに開業後数年でオイルショックを経験しているので、維持費のかかる経営はできなかったはずです。

 そこで考えられるのオイルショック後の『温泉の枯渇』『代替の鉱泉』です。「ぬるかった」という話もあったので慣れないうえ、季節によって変動する温度管理がうまくいかなかったようです。
 この頃、北海道内の各町においても町の活性化としてあちこちで温泉目当ての試験ボーリングが行われ、温度の低い鉱泉であっても財政の豊かな時代にあり、加熱利用の温泉施設が作られ初めました。現在のように「源泉かけながし」が重宝がられる時代には考えられないことかもしれません。
 ともかく、裕福な時代、豊かなところは大きなものを。そうではないところも、それなりに安易な泡球を作り出していきました。いくつかは成功して、いくつかは大きすぎたり細かすぎたりして消えてしまいました。かりそめの異国、偏った理想…

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 「山●荘」も経営内容の方向を見直す時がきたようです。

(つづく)

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2007年8月 2日 (木)

夢破れて山●荘 ①

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仕事の帰り、久しぶりにレンタルビデオ屋さんに寄ってみた。
季節がら、ホラーや怪談物が企画コーナーとして並んでいます。
こういうものには種類があってフィクション・実話再現・ドキュメントなど…人気シリーズもあって、つかの間の異世界が目の前に再現されます。
 気になるものが1本●川●二氏の新刊DVDが目に付きました。
全国の最恐心霊スポットを自ら現地に赴き紹介するというシリーズ。
場所は、●●町。

『あれ?ここは、この前行ってきたよ』 現地を具体的に紹介しているようです。
何やら、ここは非公式に最恐心霊スポットの指定をうけているようですね。

KouhouKusatsu 『ルイン・ドロップ』アクセス1万記念夏企画で今回は、建設当時、観光の目玉の無い町に決定打として誕生することになる『山●荘』を紹介します。
 またの名を『●名館』。一帯の温泉を称して『二●温泉』と呼ばれます。
 地域の期待を受けながらその地域の厄介者とされてしまった背景には何があったのでしょうか?

 心霊解釈は本家に任せるとして、ここでは『ルイドロ』的におこなった調査、そして後日の資料収集に基づいて検証してみます。何分、現地調査も話の片寄りがあるため100%の真実ではないのかもしれません。

 1971年3月20日発行の町開拓史によると炭鉱の近いこの地区は、夕張炭鉱への登り口でもあり、炭山への野菜の供給源として農業が栄えました。
 明治38年(1898)この近くにも炭鉱が開坑されて、馬車軌道が整備されます。温泉は早くから発見され、数件の宿が開かれました。怪我に絶妙の効能があるとのことから湯治場として栄えます。しかし、当初は10名程の宿泊しか受けられない規模の地味な経営であったようです。それでも効果の評判から当時客は絶えなかったそうです。
 炭鉱の近くにあった温泉はその後、経営者が変わったり、施設の改修を経て地域にそして工夫に愛されました。

 時代は昭和になり43年(1968)、二●温泉観光㈱が設立。源泉が幹線道路から離れていることからパイプ輸送によりこの鉱泉を現地区に通して巨大な温泉施設が誕生することになります。町史にも『夢のテーマパーク』の記述が残っています。
 ただし、その編纂時点では、まだ建築途中であったため、まだその全容は町民の知るところではありませんでした。

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最恐伝説の真意はどうなのでしょうか? 

なぜ、急速に寂れていったのか?

それは、温泉にヒントがあったようです。

(つづく)
 

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