「おっ Mちゃんお帰り 待ってたよ」 Yと家の前で別れて家へ入ると近所の民宿のおじさんが来ていた。
「どうも おひさしぶりっす 何か…?」
「お母さんともちょっと話してたんだけどさ…Mちゃん観光の仕事してるんだってね」
なんか妙な雰囲気…下心ありそうな感じだよな。
「普通のサラリーマンですよ 仕事の話すか?」
「うん そのことなんだけど…何となく聞いててくれてたと思うけど、Mちゃん こっち戻って糠平と町を助けてもらえんかな」
そらきたよ きたきた… たしかに前にもおふくろがそんな話をしてた。
「いやぁ そんな器じゃないですよ…それに…糠平も上士幌も充分やってますよ」
「でもなぁ 材料そろっていても、それを扱うソフトっていうのがさ… 関連会社とも話し合ってんだけど しっくりこないところもあって こう、何つうかさ 現場と中央を知ってる人の力が欲しいなってのがあるんだよ」
「はぁ…」
「うちらも旅館はプロだと思ってるけど 客が来ての商売だからね 人の足を向かせる努力ってのがもう少しな…」
「責任重大ですよね…」
「ちょっと考えてみてくんないかなぁ…」
「はい…」
嫌だよなぁ…当てにされてもなぁ…
その後は、世間話や昔話で飲んでいたけど正直ギスギスしてた。
どうも眠れない。
しかたないので昔読んだ本をパラパラ…と間に写真が1枚。
学祭のときのだ。Yとふたりの学校ジャージ姿。フェイスペイントまでしてるけどなんのマネだっけ? とにかく世間のゴチャゴチャしたものを考えなくてよかった頃か…この半年後には別々になったんだな。
「じゃ また明日ね」
あいつ何考えてんだろ?
こんな山奥の秘湯地暮らしといっても今は付き合っている奴でもいるんだろうに… 普通じゃ今時期みんな仕事だから暇なんだろけどさ…
俺も何考えてんだろ?
木曜には札幌の暮しに戻るんだから元の何もなかった時間に帰るんだ。何か忘れたような気もしながら今まで過ごしてきたんだから…
いつの間にか明るくなってきた。夏の朝は早い。キャンプシーズンがくれば、ここの朝も一時の賑わいで、ここの窓からでもテント村が見えるだろう。
おや…? あそこを歩ってるのはYじゃないかな? こんな早くから何やってんだ?
けどチョコチョコした歩き方で何となくわかる。鉄道資料館の方へ行くのか?
夏とはいっても朝は寒い。ここだとなおさらだ。白い息を吐きながら、あいつの行った先をたどった。
資料館の辺りは元士幌線糠平駅があったところで駅舎自体は今は解体されている。かつての軌道跡に一定の区間レールが敷かれ、客車が1両往年の情景を偲ばせる。ここは遊歩道として簡単な維持整備で糠平川を越えるアーチ橋までを辿ることができる。
狭い街なので人目をさけるようにYと良くここを歩いた。バスにでも乗らなけりゃどこへも行けなかったから… アーチ橋下の川原でたいしてすることも無く、ダム湖に向って石を投げてた… 願い事でもするみたいに。
「タウシュベツへ行きたいね 幻の橋を見にさー」
「いいよ 今度行くよ…」
でも自転車だから、行かなかった。
バスもあったんだけど あの辺にはバス停もなく本数も少ないし、途中までバスで行っても林道の奥深くだから、本当に行こうとは思っていなかったな…
それで…あいつ、どこへ行った?
遊歩道は、そこそこ距離があって橋がこんなに遠かったかと思うほどだ。
何とか橋の上まで来たけれど見つからない。
いいや あとで聞けば。
ひょいと橋の下を除きこむと…
「あ… いたよ…」 向こうも橋を見上げてて目が合った。
ただし、カメラのファインダー越しで。
「びっくりしたよぉー! どしたの?」
「ゆうべ 寝られんかった… ●●荘の親父さんがきてさー」
「あー その話ちょっとおばさんに聞いたよ」
「で…どう思う?」
「いいじゃん? そしたら またいっしょにいられるし」
それってマジで言ってんのか? 少なくとも5年は空白だったのに。
こういうのを小悪魔ってのかな… 25にもなったらそうは言わないか。
「そんで 何やってんの?」
「写真だよ カメラ持ってるしょー」
大きなデジ1眼がこいつには何だか不似合いに感じる。
「へーっ いつから」
「2年くらいかなー その前は見るだけだったんだけどさ せっかく来てるのにもったいなくて…覚えるの大変だったさ」
「だろーね」
「いっやー ムカつく!」 そう言いながらも笑ってる。
道を引き返しながら話をした。
「昔、よく来たよねー ここ…どこかっていうと、ここばっかりでさ…」
「もう飽きただろ」
「ううん 飽きないよ 大好きだからー このまま変わらないでいてくれたらって思う」
「…(なに)?」
「今は、車があるから幌加とか三股なんかも。去年だったか撮ってたら川向こうに熊が出て逃げた!」
「危ないなぁ 逃げると追うんだぜ 熊は」
「そうだよね でも冷静になんかなれないよ!」
それはそうだ。
「朝、まだでしょ? うちに寄って」
「いやー 眩しいな…」
部屋の中じゅう白一色。オフホワイトって程ではないけど天井から床まで全面「白」
「父さんの退職で公宅を出ることになって…探したんだ ここ。レンタルルームに改装したところらしいんだけど需要がなかったんだって。白いのは私がふた月かけて塗ったんだよ」
どうりで、目が痛くなるほど白いんだ。
「色々撮っているの?」
「うん アーチ橋は大体。トンネルも行くけどほとんど塞いであるし、怖いから入らないよ あとは風景とか気球とか…」
コーヒーマグを手渡しながら熱く語ってくる。
いつものひょうひょうとした性格と違うところが見えた。
「タウシュベツの橋も?」
「…いや… まだ行ってない…」
「えっなんで? あそこ有名じゃない」
「うん…そうなんだよね…そう…」
「…?」
朝食を食べながら話をした。
「どの辺まで撮りに行ってんの?」
「士幌線だけだよ 今は 士幌駅までかなぁ…行ったの 今だに方向オンチだからさ。新得から戻るつもりで然別湖目指してたくらいだから 仕方ないからそのまま走ったけど湖畔の狭い道の対向車が怖くてさーすごく時間かかった」
それは重症だ ナビでもないと。
運転免許をとって、もう4年。Tホテルが廃業した後らしい。
ここからの自動車学校通いは遠いので、えらく面倒だったようだ。
高校卒業が近づくころになると就職組の希望者には、まとめて送迎バスが出るけどその時は利用してなかった。
「Mちゃんさー 向こう(札幌)で付き合っている人いるの?」
「いや いないよ Yこそどうなのさ」 なんだ?いきなり…
「私はこんな場所だからねー 職場もそんな札幌みたいに出会いなんてないから」
「でも おふくろの話では、この辺でもロマンスなことあったそうだよ。ホテルだってお客さんは来るんだろうに」
「バッカじゃないの! 客室に用もないのに『こんにちはー』っていけるわけないじゃん!」
「ふーん ホントかなー」
「ホ・ン・ト!勘ぐって何さ!」
フォークをこっちに突き刺すようなそぶりをして苦笑い
「なんで タウシュベツには行ってなかったのさ?」
「そうだよ… お願い、今日連れてって!」
「別に…いいけど?」
なんか妙だな…?
家に戻って自分の車で出発した。
「めがね橋かい ガス欠に気をつけなよ。 父さんの車じゃあそこまでは行けんからね」
何だかんだ言っても自分も行った事はない。仕事上の素材写真では散々見ていたけど現地がどこかも正直知らない。
「林道の入口はわかるよ 今は表示もあるから」
幌加駅跡より手前にその林道はある。タウシュべツ橋梁は4㎞先との表示もあった。
林道といっても車の行き来も多いらしく、砂利敷きの道とはいえ、状態は良い。
「えーっ ドキドキしてきたよ…」
大げさだなぁ たかが廃線跡じゃない…課長も言ってたな「ロマン」とか。
本来、タウシュベツ川河口にかかる橋梁は減水期の冬場は、その全体を現し、増水する6月ころから徐々に湖面に沈みだし、10月あたりには完全に没する。
こうなったのも廃線後に大量の発破作業を伴うダム工事で誕生した糠平湖がそうさせているわけで、ここだけではなく十勝ダムや金山ダムなども学校や最寄の集落を湖底に沈めている。糠平でも温泉旅館がその煽りで廃業している。
そんな季節で見え隠れするところが「幻の橋」たる所以なのだが、この状況から橋を保存することは不可能なのだと思われる。
カスカスのお菓子細工のような感じのこの橋もいつか完全に崩れ落ちてしまうんだろう。
旧国鉄上士幌線のこの辺りの橋は、アーチ形がほとんど。元より山の景観を損なわないものをという考え方がここにはあったそうだ。
骨材の砂利も現地調達ということで、この橋のように白っぽいものが存在する。
以外に遠く感じた4㎞先の深い木立の脇に駐車場があった。
そこから湖に向かって整備されているとは言いがたい(むしろ趣がある)川底のような道が森の間にぽっかりと開いている。湖畔までは、そこそこ歩きそうだ。
「去年は、雪も雨も少なかったからずっと見えていたんだって」
それも地球温暖化と関係あるんだろうか?
少なくとも気候が何かの影響を受けてはいるようだ。
「どうしよう 緊張してきた…」
ホントに来てなかったのかい。どうしてまた…熊がトラウマになってるのか?
森を抜けるとタウシュベツ橋梁が現われた。まっすぐこっちを向いていて、今歩いてきたところが軌道跡だったのだろうか。
角が取れてボロボロに風化して鉄骨も剥き出しになっている。その白い姿は橋と言うよりも大きな生き物…恐竜の骨みたいだ。 河口にゆったり横たわる巨大な恐竜の背骨。
「すごいねー この橋 優雅に走るんだろうね」
「走るって?」
「そう 何か来るんだよ 向こうからこっちに… こっちから向こうにも…」
「ロマンチックだな」 ちょっと吹き出しそうだった。真顔で言うもんだから…
「あーッ バカにしてるしょ? ホントなんだよ」
何を言うやら そんな夢見る頃じゃあるまいし…
ボーッ
え? また聞こえた 今度は、すごくはっきりと…
思わず回りを見渡した。 耳鳴り…? じゃないような…
「聞こえたの? 汽笛」
「えっ? 汽笛?」 たしかに汽笛みたいだった。
「前に手紙に書いてた『見えない汽車』をわたしが走らせたからだよ…」
「汽車?」
そうだ そんなことを書いた覚えがあった…
僕の事 思うとき
目を閉じて汽車を走らせて
聞こえない汽笛を聞くから
でもそれは、なんとなく思いつきで…
「だから…ずーっと走らせたんだ 私… 昨日も」
満天の星空の下、透き通るように白い汽車がこの橋を飛ぶように渡る様を想像した
湖畔に悠々と立っている橋の袂で続く沈黙
「聞こえていたな ずっと前から…」
「やっぱり聞こえてたんだねー ありがとうタウッシュー!」
「なんだ?それ」
「約束だったから、ひとりでここにこないって決めてたんだ だから橋が叶えてくれたんだよ」
そうだ 約束した8年は経っているけど…
「ありがとう 約束叶えてくれて…」
「写真…撮んないの?」
「んー…今日はいいやー 何だか…」
手持ち無沙汰で、ついポケットの中で握りつぶして石ころになってた気持を橋の向こうへ思いっきり投げた。
「─ どしたの?」
「捨てたんだ ここに捨てるものをさ…」
不思議そうな顔してたYが笑った
(つづく)
最近のコメント