ハカセ
「博士」の読みには「はかせ」と「はくし」 ふたつある。
PCの変換では、どちらでも可能。
それぞれの意味に違いはあるのだろうか?
調べると「はかせ」は、古いどちらかといえば俗的な呼び方で、
「はくし」が本来正式な読み方になるのだそうだ。
でも、元から「はかせ」と読ませるものもあり、どちらが正しいというものでもないらしい。
博士には博士号を持っていて、その筋の(主に科学・化学・医学など)の専門家というイメージがします。
それとは別に“ハカセ”とは呼ばれていますが、専門家の代名詞として、公式ではない博士があるようです。
例えば地元で“漬物博士”と呼ばれているお婆ちゃんや“詩吟博士”の名を欲しいままにするおじいちゃんなど。
そこには「権威」よりも「尊敬」の気持ちがあるように思えます。
そうするとマニアもまた、ある意味では「博士」でありえるかもしれない。
『ハカセ』の名を見かけた。
そこに『博士』は意外でしたが、確かに『ハカセ』がいたらしい。
どの分野の専門だったか、この場所から察するのは難しいのですが、宿だったようです。
北海道の真っ只中。視界の90%が空。そう思えるほど空。
それなのに生きていく日々、いつのまにか足元ばかり見ている。
人が、世界や宇宙に舞台を広げても地上のものであることは変わらない。
口を開けっ放しで見上げるような高い建物も、遙かに高い空に比べれば、地上にへばりつく小さな突起に過ぎないのだ。
そして私たちは突起に翻弄される。
突起でしかない高い山の頂に感動や畏怖を感じるのは、人が己の大きさを知り、物事を見失っているわけではないということなのだろう。
人は突起の先端を目指し始める。想像力を駆使して。
想像力は飛べないものを飛ばし、宇宙へも行かせる。
想像力が届くならば宇宙の果てもいずれ必ず見えてくるだろう。
日常の当たり前のようにあるものも、かつては未知なものからが出発点です。
それを解明し、私たちにわかりやすく、身近なものにするのが、すなわち『博士』なんだ。
たぶんそう。そう思う。
ハカセはどこへ行ってしまったのだろう。
宿主が博士だったのか、博士のいた家が宿になったのかもわからない。
小さな一軒家風の…たぶん民宿。
壁のあちこちに落書き…というよりも寄せ書き風の書き込みがたくさんある。
日付からは時代が平成に変わる前あたり。
「とほ宿」とか「ライダー宿」の類だったのでしょう。
“観光”ではなく純粋に“旅”を楽しみたいならそういった宿は良いところです。宿泊料も安いし。
でも、1人が好きな人やスケジュールが混んでいる人には向かないかもしれない。
夕食後の会話のひと時が意外と膨らんで、気が付くと陽が昇りかけいる。そこからとりあえず仮眠のつもりが寝過ごしてしまいます。
ハカセはどこへ?
ハカセは、きっと研究の旅に出たのでしょう。
ハカセもまた旅人 旅人もまた研究者です。
ハカセは、行き場に迷ったものをまとめる専門家です。
だから「ハカセ」と呼ばれるのです。
親愛を込めて。
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