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2010年8月29日 (日)

バラスト

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果てしなく続く道を走ってる。

「果てしない」は言いすぎだ。見通す先が見えないからといっても果てがないなんてありえない。

しかし、こう景色の変化が乏しいと、それほど走ってもいないのにこのままずーっと続いていくようなんだ。それで「果てしない」感じがする。

「果てしない」とか「永遠」とかいうものは実はつまらないものなのかもしれない。
いまだ「永久」を超越できないのにその空しさをを知り、嘆くのも妙なものだ。

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カーラジオの声も、ほとんどノイズに変ってきたので消してやった。
それにしても今年は春から暑い。
最高気温はともかく路面の温度がどのくらいまで上がったのか気になるんだよ。

こんな日は水分補給はマメにしようと峠前のコンビニで500mlのPETを2本購入したのに既に残り1本で、中身も3分の1。

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Dscf7923 道は、市街地を離れるとズーッと山間をなぞり、人里は畑らしきところは見えるものの、景色から人家の類は、ほとんど見えなくなった。
すれ違う車も少なく、人の足跡を示すのは、山間を併走する鉄路と、今走っている舗装路面くらいしかない。
それでも時折、線路か道路の保安作業の一団に出会うので、不安になるほど奥地ではないようだ。

落ち着きのない線路は、道の上を横切ったり、下をくぐったり、山を突き抜けたりしているうちに遠のいていった。
山も道から離れていったので、ようやく人里へと達するのかと思う。しかし景色は、ただ原野が続いていく。
それも単に原野ではなく、拓かれた土地が人の世話を受けたのも久しく、元の原野に成り果ててしまったかのようです。
時折、老朽化で倒壊した家や乗降客などいなさそうなバス停、赤土色の農耕具が目に入ることがあった。
ここは、すでに人が見捨ててしまった土地なのか…

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この集落の開拓は古く、明治41(1908)年にさかのぼる。ちょうど青森─函館間の連絡線が運航開始した年だそうだ。
近くの川で砂金も採取された記録もあるが、期間・採取地域が限定されてそれほど盛んに採取されていなかったらしい。

Dscf7916 やがて、大戦・戦後になり戦後引揚者の入植が激増。
しかし、舗装化がすすんだ現在では想像もつかないが、この辺り極度に交通の便が悪く、それが一帯を孤立化させる一大要因でした。

水道(簡易)や電気がようやく引かれたのも昭和40年に入ってからという。
ずっと道を併走してきた鉄路が敷設されるまでは、交通機関からも遠く、数箇所駅逓が設けられて流通を担う。

でも半孤立化の集落は農業生産品を出荷する術がないので、生産するのは自家用の栽培がほとんどで、現金収入の要は林業が主の半農半労暮らしぶりであったらしい。
ようやくここに石勝線が開通したものの、すでに離農者が続出していたことから、当初計画されていた駅は信号所になり、それが異常に信号所の多い地帯になった要因であるそうだ。

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いまや原野に姿を変えた農耕地は、既に開拓の記憶も失ってしまったように山と変らない顔をしている。
ここは、すでに非居住地帯になってしまったようだった…
しかし、この先の山間には大きな2棟のタワー型ホテルのある一大リゾート地帯がある。
そこまで行くと店やペンションもあり、そこまで到達すると緑色の砂漠を通り抜けてオアシスにたどり着いた気分にすらなるだろう。
すぐ近くには高速道のICも完成している。

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空のブルーと大地のグリーンの原色に目が犯され過ぎたころ、路肩に違和感のある中間色が目に入った。
この場所には不似合いなパーキング。…というより砂利を無造作に敷き詰めた場所。
砂利を敷いただけで圧鎮していないようで、重機のわだちや敷きムラが激しい。
工事用重機の待機場所の感じで、普通乗用車ではあまり入りたくない場所だった。
そんな場所に敢えて入ったのは、その脇に小さな木造住宅が半分砂利に埋もれるように立っていたから…
良い感じの廃屋を見つけたというより、やっと家の形をしたものがあるところまで走ってきたという気分。
大半の家屋は既に雪の重みで潰れて原野に埋もれてしまったのだろうか?

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非居住地帯というのは結構見かけるが、大抵は住居が残っていて離農して街へ移った住人が夏場のみ自家用農作のため一時居住している。
しかし、この辺りはそれすらも通り越してしまったかのように思えた。
その家が埋もれているように見えたのは車道と同じ高さに積み上げられたバラスト(砂利)のためであったらしい。
近くに寄ってみるとギリギリの線で埋もれずに済んでいたようです。しかも屋根近くに窓も見えるので2階建てのようだ。
老壁は黒ずんで木目も深く際立っていた。
このように壁が炭のごとく黒ずんでいるのは、耐水・防水のために塗ったクレオソートで染められ、陽射しで焼けたからなのだろう。
鉱物油の香りは消し飛んでいる。

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Dscf7896 波打った床の方々から熊笹が顔を覗かせ、奥の壁は既に崩壊して家の中で一番明るい部屋と化していた。
外観と違って中は荒れ放題。まるで竜巻に襲われたかのようだ。それに匹敵するほどに冬は気象の荒れるところなのかもしれない。
木造とはいってもそれなりに石油ストーブや家財道具の感じからすると数十年前まで暮らしが営まれていたかもしれない。

こういった離農で過疎の進むところで生まれ育ち、学校で「故郷の未来」なんてテーマで絵を描くと、必ず山よりもそびえ立つ高層ビルと縦横無尽に走る高速道、そしてレジャーを楽しむ家族が描かれることが多い。
その全ての要素を手に入れたこの土地は、それでも理想の未来だろうか…
肝心の人が去ってしまって。

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それでも、これが北海道らしい裏風景。

誰もが試されて 誰も負け犬などではない。
ほんの少しタイミングがずれれば、何処とて同じだったと思う。

だからそこはただ、そうなるべくしてそういう景色であるのだろう

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ただひとつ
人里が自然に無償で受け入れられる景色の中で
どうしても不似合いなのがバラストなのです

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