ひとりじゃないの
私はナギサ 風に乗って青空を旅する幽霊。
どうにもこの辺りはイジワルな風が多いのか海に行こうとしているのになかなかたどり着けない。
昨日なんか高いところから海が見えていたのに風に引き戻されて、また山の方へ戻ってしまった。
「ホントにもぉー」
「何を怒ってるんだい?」
家が話しかけてきた。
あちこち痛んで、骨ばかりになった屋根から白々と明けて空が見えている。
風は昨日と同じで山の方に向かって吹いているようなので、また足止めかと思ってうんざりする…
昨日も数え切れないくらい風を乗り換えたけれど、進んでいるような、いないような…
必死(幽霊だけど)になっても仕方がないので、この家に夕べから泊まっていた。
幽霊といっても私もやっぱり人だから、夜は何かにぶつかるのが怖くて飛ばないし、屋根のあるところで休みたい。
もちろん、生きてる人のいるところには行けないし、崩れているとか汚れているとか…そういうのは幽霊の私に関係ない。
「風が…言うこと聞いてくれないんです。海に行きたいんだけど…」
「海?そこのテレビで見たことがあったなぁ。わしも行ったことはないけどね…でも今ごろは、南からくる温かい風が多いから風に言うこと聞かせるのは難しいだろうね。故郷を目指す鮭みたいなもんだわ」
「そうですか…やっぱり。もう少し明るくなったら、海の方へ向かう車に乗せてもらおうと思うんですけど…海に向かう車って、この前の道、通りますか?」
「うーむ…車のことまでは分からないな…でも南の方から、この辺とは香りの違う車が通るから左の方へ向かう車なら行くんじゃなかろうかね」
「はい、そうしてみます…」
南の風が穴の開いた屋根から吹き込んできて私をからかうように剥がれかかった屋根の鉄板をカラカラ鳴らしている。
「いや…別になんともないさな。冬の北風が悪さして…わしも歳だから、やられ放題だよ。それでもご主人が帰ってくるまではなぁ…」
「ええっ?」
屋根にこんな大穴が開いて部屋の中に木も生えてきてるのに家の人が帰ってくるんだろうか?
もし、そうでもこの有様を見たら、たぶん入りもしないで帰ってしまうと思うけど…
「そうとも!だからストーブもテレビもちゃーんと置いていってる。ここの子の大事なオモチャもな。だから家族が帰ってくる日までわしは、ここから消えるわけにはいかないよ」
「もう40年近くなるかなぁ…」
「えぇっ40年」
それって私が生きていた頃どころか、私を生んだママさえ生まれていたかどうかってほど昔じゃない…
「そうさな!出発の日、わらしっ子は泣いて嫌がったが、父親の『すぐ帰ってこられるから!』の言葉についていったのさ。わしもそう思っている」
「でも…40年って…」
「何が?」
「いえ…別に…」
こういうところに来るのはカメラを持ってる人くらいなんだろうけど…
もう、ここに住んでいた人は帰ってこないと思う。その子も今じゃすっかり大人なんだろうし、この家のことも覚えていないのかも…。
でも、お家に時間は関係ないんだろうな…少なくともこのお家は。
たぶん、お家は捨てられちゃったんだろう。
始めはそういうつもりじゃなかったんだろうけど、事情があって引っ越したんだと思う。
私の家の隣に越してきたカズくん一家がそうだったみたいに…
私もカズ君に忘れられるのかな…このお家みたいに。
そう考えるとウルウルしてきた…体のない私。幽霊のわたし…
「おやおや?どうしたのかな?何があったか知らないが…」
「いいえ!なんでもないです。私のお家のこと思い出して」
私のいた家もあの嵐の夜、屋根に大きな穴が開いて陽の光が入ってきた。
自分が、死んじゃって幽霊になったと気がついてから、明るいところに出ると蒸発しちゃうと思ったから太陽が怖かったなぁ…それで気がついたら何年も経ってた。
屋根が壊れなかったら、まだずっと家にいたのかもしれないね。
どうしてるかなぁ…私の家。「行っておいで」と送り出してくれたけど心配になってきた。
あれからどれくらい経ったんだろう…
「まあ、あせっても仕方ないさ。のんびりやんなさい。風もいつかは言うことをきくものさ」
「はい!そうですね」
陽が昇ってきたようで、部屋の中にも光が射しこみはじめてきた。
押入れの中にひときわ眩い光が射しこんで、きれいな女の人の顔が浮かんできた。
「ああ…あれは『白雪姫』だよ」
「白雪姫って…あれはお話のひとじゃ…」
「ワシにはよく分からないが家の者は、そう言っていたな」
白雪姫ってホントにいた人だったの?
でもホントに美しい人…お話のことじゃなくてホントにいたかもしれない。
「その白雪姫がいるからワシもひとりじゃないって思えたのさ。いつも慰めてくれているよ…」
ゴーッ…
前の道を大きなトラックが走り抜けて行った。
朝がようやく動き始めたようだね…私もそろそろ行こう。
風は…穏やかな朝だけど、風はまだ気むずかしいらしい。
「そうかい…ひさしぶりに楽しい夜だったよ」
「ちょっと…ここで着替えていっていいですか?」
「別にかまわないよ。なんなら目をつぶっていようか?」
「かまわないです…でも見たことは秘密にしてください」
「はい、わかりましたよ…」
「ほお…こいつはたまげたな…」
「私の特技なんです。短い時間しか持たないんですけど…ホントにナイショですよ」
「もちろん!約束だからね…あんたもどこかのお姫様みたいだな」
「いいえーっ言いすぎですよ。それじゃさよなら。お元気で…」
「はい、さようなら。元気でね」
家の前のササをかき分けて表に出た。
足にササが絡まって進み辛い。こういう時は、体を持つというのも面倒なことだと思う。
家のすぐ前に横たわる道の脇に立ってこっちに向かってくる車を待った。
たしか…向こうにいく車に乗せてもらえば海の方へ行けるんだ。
前にこうして道端で走ってくる車をジーッと見つめていたら乗せてくれたことがあったから、またそうしてみよう…あ…来た来た…
プシーッ…
大きなトラックが止まって、ずっと上の方にある車の窓から男の人の顔が覗いた。
「どうしたの?ヒッチハイクかい?」
「あの…海まで行きますか?」
「海?…まあ海沿いには行くよ」
「お願いします!」
乗り込んで両手で大きなドアを バンッ
と閉めるとトラックは、ゆっくり動き始めた。
このところ、仮の体も使っていなかったのでちょっとくたびれる。
軽くため息をついて外を見ると窓のところの鏡にさっきの家が写ってどんどん小さくなっていくのが見えた。
「旅行してる人?」
「え…はい!ずっと、ひとり旅してます」
「ふーん…それにしちゃ身軽だね」
「はい!風に乗れちゃうくらいですから…」
「ええっ?面白いこと言うね。ハハハ…」
男の人は、大きなハンドルを握りながら笑ってた。
そりゃあ、そうだよね。
もうすぐだ、海…海。
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コメント
光が差し込まない押入れ(?)に光が注ぐ光景は
なんだか不思議な感じがしますね。
最後の方のナギサは誰なのでしょうか?
投稿: アリス | 2009年5月12日 (火) 20時45分
投稿: ねこん | 2009年5月12日 (火) 21時37分
実に味わい深く、絵になる廃屋です。住んでみたいです。
こんどは「アリス」を出演させてはどうでしょう
投稿: カナブン | 2009年5月14日 (木) 20時37分
家からスタートしたら師匠の方が先にこの家に着きますよ。
ウオーホルの家から近いかな?
投稿: ねこん | 2009年5月14日 (木) 22時48分