忘れられた大きなもの
はじめて来た海 この海
向こう側のことは知らない いつもこちら側にいるから
向こう側のことを想うよりも その ただただ大きい海をじっと見ていた。
大きいからココロを呑まれたのじゃなくて
同等の塩分濃度を持つという体内の海が
意識とは別に呼応していたような気がする。
ちんまりと可愛い 大木の一部だった枝
ギザギザにトンガってたのに 砂に洗われて優しくなったガラスの欠片
骨みたいに真っ白に変色した貝殻
クチャクチャにいじけた塊になった海藻
みーんな海を旅してきたんだよ。
長い短いはあるんだろうけど…
海に向かって両側が山に挟まれている風な景色のこの浜は、視界をさえぎるものなど、ほとんどないから前も後も景色が大きい。
前は海 後は湖。
その湖は、湖と言うより湿原の一部である沼です。
海と沼の間が数メートルの微妙な砂山で途切れていて、かろうじてお互いのプライドを保っている。
その均整の保たれているところを道(橋)が通っている。
大雨で沼側が急激に増水してくると、線路や道路の保安上その砂山を切って、放流することもあるそうです。
海側の中ほどに海産物加工所やドライブイン等が砦みたいに固まった界隈があって蛸や干し物を軒に並べているのが道からも見えた。
道の反対側には、ここもまた食事処兼業の貸しボート屋がある。
海に連れて行ってもらえたのは3~5年に1度くらいだったから子どもには、さして面白くないような場所だけど動物園以上に楽しかったよ。
海に足を入れたり海水の塩っ辛さを確かめたのも
ポケットいっぱいに貝殻やビーチグラスを詰め込んだのも
ボートに乗って漕いでみたのも
カニとか帆立とかがたくさん乗ったラーメンを初めて食べたのも
隠れようも無いような空の下で焼肉なんてのも
み-んな、ここが初めて
子どもの頃の話だけどね…
大人になって 自分でハンドルを握るようになり、再び訪れてみたくなった…。
多くの古いものや 新しいもの達が、現れては消えていく世の中で砦は、かろうじて呼吸をしていた。
わずかな数の暖簾しか下がらず、多くの店は乾ききって自ら最後の変貌を開始している。
何か、思い出の骨片でもないかと浜を歩いてみた。
時代はガラスビンからペットボトルへの変化して久しく、もう波に洗われたビーチグラスを見つけるのも難しい。そのかわり、波乗りの上手いペットボトルが小山になっている。
『そういえば、道の向こう側でボートに乗ったことがあったよ…』
道の向こう側の小屋みたいな店は、今も変わらずそこにあって、今でもお客さんを待っているようだけど、主が商売をやめてからもすでに長い年月が経って、かつてはあったそこへ降りる道もなくなっている。
車が絶え間なく行きかう道をどうにか渡って近くへ─。
『貸しボート』といってもボートなど何処にも見えない。海へ出たのか沼へ出たのかわからない漁船が緑にまみれている。
船の名から、このあたりで使われていたものには間違いないようだ。
おかしなもので、ボートに乗った記憶は、あるのだけれども店の記憶は全くない。
それほどに自分で操れる船に乗ったのが印象的だったんだろうか?
最も近所の子とオールを1本づつ受け持っても上手く漕げなくてグルグル回ってたけど…
それでも余裕のVサインで笑っている写真がアルバムにあるよ。
貸しボート屋さんだと思っていたら、中の厨房や小上がりのある様子から食事も出していたようです。
もっとも建物が小さいから広い場所ではないけれど、窓から湖(沼)を望む食堂。
ボートはどこまで行けたのかなぁ…どっちにしても非力で無理だったろうけどさ。
この辺りは古い土地の人々の言葉で『カラス』を指すという。
『カラス』というと縁起が悪そうだけど、黒光りする上等な着物を羽織るその姿から昔の人は、神として見ていた。
その神が船で来た人をこの浜へ導いたという。
また、神(自然)からの施しだけで生きてきた狩猟民族の彼らは、神々の手違いでしばらく苦しんだことがあった。
神々は、あわててこの浜に大きな鯨を届けたという。
その時、人々が嬉しさのあまり舞い踊った踊りが現在も郷土芸能として伝わっている。
相変わらず上の道では、ゴムで弾き飛ばしたみたいに車がかっ飛んで行く。
どこへ行くんだろうね。
どこへ…
道が良くなって 車も良くなって
見たいテレビ番組も予約録画しておけばOK
ご飯も家へ戻る頃には、おいしく炊き上がっている。
お風呂もボタンひとつで良い湯加減。
朝ごはんの洗い物も自動で完了してくれる。
洗濯乾燥も手間要らず。
ついでに『たたみ』もしてくれないかなぁ…
でも、みんな時間がない。時間が足りない。
あの頃と今の時間の進み方が同じとは思えない。
ここより、ずーっと最先端で新しい娯楽施設がこの地上から完全に姿を消してもここが残り続けるのは単に後始末の問題じゃなくて、
時間の温度差というか、時の包容力というか、そういうことがあるのだと思うよ。
想い出は廃れてしまったの?
いいや… 海も 空も 湖も昔のままだったよ。
変わったのは、その間に少し挟まっているものだけ。
変わらないものは、とても大きくて
そして、ただただ大きいばかりで
向こう側のことどころか、こちら側のことさえも
意に介しないかのように不変です…
神々は、人を導いた土地から不在になったのか…
神は、決してその御業に無関心などではなくて
見捨てようとしているのは、人の方です。
このボートハウスは『北海道廃墟椿』内の「ボートハウスの宝石」で詳しく触れられています。
合わせて御覧ください。
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コメント
先輩ポンが行った湖は、バルタン湖ですね。
今年こそタコカニラーメンを食べたいですね。
投稿: カナブン | 2009年3月 9日 (月) 23時08分
時期により切らしてるけどね。
やたら行くのでサービスしてもらえます。
投稿: ねこん | 2009年3月 9日 (月) 23時31分