いまさら いまさら…
『全部食べれないと昼休み遊べれないからね!』
うつむいて見下ろす下に
憎らしいほど嫌いなものの入った傷だらけの銀の器─
小学生の頃
『食育』なんて言葉も無くて給食を残さず食べるのが常識というか絶対条件。
「給食委員」という大義名分で恐ろしい顔で腕組みしている子が前に立ってた。
『どうして こう嫌いなものばかり入ってるんだろ…』
どうやって食べるかというより、あと何分耐えれば開放されるんだろう…
そればかり考えてた…
今は、そんなことないらしい。
アレルギーとかいろいろ問題があるらしくてね。
『好きなものなんか出やしない…』
『はは…それもそうですね…』
後ろの道を挟んだ反対側にボロボロの小屋がふたつ。
そこに駅がある
北海道ちほく高原鉄道 ふるさと銀河線 西一線駅
西一線地区に設けられた駅だから『にしいっせん』。
特に縁もない名前。特徴もない…
あるとしたら駅でありながら、いくら待っても電車が来ないこと。
『いやぁ~っ走ってる時にたくさん来れば、今でも汽車見れたっしょ』
近くにあるからそのうち乗ってみようとは思ってたんですけどね…
レールは、とっくに車輪の触れる面まですっかり赤く錆付いていた。
このころ、沿線の踏み切り部分は、既に撤去されて単管パイプの柵が施されていた。
近隣諸国の近代化による鉄需要拡大で、レールが破格に現金化できることから地区行政は財源確保のため、にわかに撤去にのりだした。
麗しきメーテルの横顔を描いた車両が走った軌道では、レール並みにボロボロの重機が路盤石をガタガタと踏み潰していた。
『このあたりのレールも外してくんでしょうね。駅は残すんでしょうか?』
『あんなん残したってしょうないしょ!』
老婦人は、もう話したくないかというようにバス停へ向かっていく。
1910年(明43)網走線 池田─淕別(現・陸別)間開業
1911年(明44)網走線 淕別─野付牛(現・北見)間開業
1912年(大元)網走線 池田─網走間を網走本線と改称
1961年(昭36)北見以降を分離 池田─北見間を「池北線」と改称
1989年(平元)北海道ちほく高原鉄道㈱設立。
JR池北線 池田─北見間廃止
北海道ちほく高原鉄道 ふるさと銀河線開業
1991年(平3)JR根室本線 帯広池田間に乗り入れ開始
2005年(平17)ふるさと銀河線廃止決定
2006年(平18)4月21日 廃止 バスに転換
駅近くの道に真新しいバス待合室が並ぶ。
全てが終わったようだけど
軌道は、にわかにざわめきだした。
動かないレールが動きだし
犬釘も散らばった
枕木は寄り添い大きな塊になる
軌道の規則正しいルールも全て御破算
1本に繋がれてた仲間とももう会うことはない
ボロボロの駅待合
何か面影まとって大きくため息をつく
「ボクモ スグ ユクヨ」
なんとなく残して なんとも思わなかった時代─
あのころは それが当たり前みたいだったけど
なにかを残そうなんて もう無理なのかもね…。
相変わらずガラガラの代替バスが静かにやってくる。
老婦人は、まるでこの土地最後の生き残りみたい。
バスが静かに走り去って、残り物好きがひとり残された。
線路は行き来する人もない
バラ撒きの砂利道に変わり果てていく─
全て無駄なく取り払われて有効に利用される。
適切に 偽りもなく 取りこぼしもないように…
路線最長の鉄橋 これも近々跡形も無く消える。
棘のある老婦人の言葉は
「無関心」とか「あきらめ」ではなく
ただ ただ無念です…という感触だった。
彼女にとって この鉄路は
通院するための足というだけでなく
時代を生きてきた友であったのだろう。
カタタン カタタン…
レールを食む車輪の音は、もう取り戻せない
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