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2008年10月 3日 (金)

眠れるリストランテ

この場を借りてお知らせ:
約2年間何とか頑張って、ご愛顧いただいてきました「ルイン・ドロップ」ですが、このたびマイノーパが著しく不調に陥り、なんでかと調べると『Cドライブ』の空き容量が1%以下という前代未聞のメタボリックに犯されていました。

数か月間、使わないプログラムを捨て続けてごまかしを続けるも、これではデフラグもできないため、大手術を敢行してみました。
でもしかし、使っていてもPCの知識の疎さで難航。3日間投げ気味…。
機嫌を損ねるノーパをウクレレでなだめつつ、なんとか完了。
やれやれ…難しいものですね。基本めんどくさがりーな自分が悪いのか…

まぁ そんな毎日です…

Art_top

街を外れて北へ向かい走る。 もちろん車で…
やはり乗り物は便利ですね。 夕べ「とほ宿」で知り合った人も言ってた。

「乗り物は人間の偉大な発明だと思うよ」

Dscf3827 それは言えてる。 それだけが偉大だとは言い切れないけど…
こんなボロボロの車でも おおよそ自力では無理なところへも行ける。
とくに この広い北海道、車でも無いと通勤も困る時勢です。

ある意味「車がないと不便」というのは間違いかもしれない。
開拓期の蝦夷地の交通手段は、自分で歩くか馬を使うかしかない。
後に鉄路網も広がっていったそうだけれど、線路路盤は自動車道より施工・維持が楽だったのだと何かで読んだことがある。
それほどに人馬の道はひどかったらしい。
戦後のモータリゼーションの普及は、車道整備にも拍車をかけてどんどん広がる。
それが結果として鉄路の存続に影響して線路は少しづつ消えていった。

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Dscf3832 自家用車の保有率も上がっていき、一家に2台3台もざらというようになって、廃止した鉄路線の代替として走っていた路線バスにも影響をきたして、バス路線すら廃止の風潮もある昨今です。
いまや車、そして運転免許証がなければ北海道の暮らしは成り立たないというのが正直なところかもしれません。

どこまでも続く舗装された快適な道。
でもそれは、地域財政の困窮する現在、維持管理が負担になっているようだ。
Dscf3836 郊外を走ると誰も歩かない歩道のヒビの間からニョキニョキと雑草が茂るのを見ることすら珍しくなくない。
地方交付税に頼りきった暮らしは、その仕送りが減らされていくごとに影を落としていく。
かつて町のキャッチフレーズみたいな感じで「道の舗装率 日本一の町」なんてのも聞いたことがあったけど、今は失笑ものでしかないらしいのか聞かれなくなりました。

「ガソリン高い!」と言っても乗らないわけにいかない。今さらね…
車はドンドンかっ飛んでいく。
1台分でも前に出ないとならないというかのように…

Dscf3856

Sky 心の通わない密室がすれ違う
プライバシーが前に割り込んでくる
個人の自由が不必要に後ろに寄ってくる

道端に夢がそよいでいても
空に希望が浮かんでいても
死角にときめきが潜んでいても

それにまったく気がつかないみたいに
道をなぞって行く。
まぁいいや 彼らとは行き先も辿る先も違うのだから…

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Dscf3837 左右に続いていた田園風景はやがて雑多になって、すでに人里を離れたようだ。
もう国立公園に入っているんだろう。
このあたりは北海道東部にある国立公園で、1934年12 月4日に大雪山国立公園、日光国立公園、中部山岳国立公園、阿蘇国立公園(現・阿蘇くじゅう国立公園)とともに指定された、北海道で最も歴史のある国立公園だそうです。
とは言え、後の指定であることで、それ以前からあったような民家は廃屋となっても木立の奥にその姿を残しています。
徐々に緑は深くなり、樹海の様相をかもし出してきたころ…

「あっ?あぁっ?」

Dscf3857 通り過ぎた道で視界に何かよぎった…
対向車や後続車を気にしながら木立に塗りつぶされそうな道をUターン。
変わった形の大きな建物。
急がない道中でも うっかり見落とすほど雑木でカモフラージュした姿がそこに。

「店? レストラン…?」

看板の痕跡があるのでドライブインだったようです。
国立公園内にいいのかなぁ…と思ったけど、もともと私有地なのか、何らかの条件を満たせば営業できる取り決めでもあるかな?というとこでしょう。詳しいことわからないけど…。

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Dscf3841 見渡す限り緑に囲まれた中で鮮やかなブルーとレッドが目を引く。
形も宇宙ステーションのようで珍しい。
時代は未来志向のPOPなデザインが良しとなってた頃みたいです。

小さい頃、読んでた本では21世紀の生活の場は、もはや宇宙であり
宇宙時代の夢あふれる可能性がきらびやかな夢絵巻で語られていました。
いざ、21世紀になってみたけど…うーん どうなのかなぁ…
偉い人とかお金のある人しか行ってないようですね。
海水から無尽蔵に作られるクリーンな水素エネルギー とか
スペースコロニーの小学校の無重力運動会 なんて
いつになることやら…
とりあえず、自動車社会が延々続いているようです。

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自家用車が普及して 道が整備されると呼応するように「ドライブイン」が増えていきました。
国道や道道だけではなく、流通などを担って交通量の多いところは、どこにでもっていうくらいに。峠道の入口前後には、それらが集落のように点在する風景もよく見られましたが、いつしかそんな商売にも陰りが出てきたようです。

道も川のように何かの拍子に流れが変わっていくようです。
流れが大きくなれば 勢いは増していき、淀みを作ることもない。
流れ自体が変わってしまったり
流れることすら少なくなったり…

高速道路 観光地の衰退 価値観・嗜好の変化 原油価格高騰
いろいろあるね いろいろ…

Dscf3842 ここもそんな風に流れを相手にしていたんだろうけど
流れは ひたすら前に進むことしか見えなくなったようです。
緑の大海原に居を構えて、「道の駅」以前の道のオアシスとして、旅人あるいは仕事の移動中の人たちに憩いと安らぎと暖かい食事でもてなしていたことでしょう。
土地の時間は画一化されすぎたのかもしれないよ。
急ぐことは何かを犠牲にしている。

歩くこと 自転車 オートバイ 車 電車 飛行機
何かを見落として 何かを見失っていく

北海道観光のことが、こう呼ばれていたそうです。

自然一流

食事二流

サービス三流

Dscf3860 確かに一流と比べればそうなのかもしれない。
でも「観光」と「旅」は違うと思う。
そうでなければ、「ユースホステル」や「とほ宿」が成り立つわけがない。
売りが無いから「アットホーム」な雰囲気を売りにしてるみたいな言われ方もしているけど、この一流の自然を道外に知らしめたのは、「旅人」たちだ。
彼らは損得ではなくて、思うままを人に伝えたに過ぎない。

この大地にせわしない旅は似つかわしくない。
人は立ち止まり 行き詰ることで何かを発見してきたんだから。
生き急ぐ必要なんて無いよ。
自分のペースがいい…

Dscf3855

眠れるリストランテ
誰かの思い出の中で
プレートのミートパスタがパチパチと音を立ててる…。

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コメント

廃墟って淋しい感じがしますよね。時間が経てばたつほど・・それを人様に見てもらうことによってその廃墟も自分の存在をわかってもらえたら
嬉しいんじゃないかと私は思いますが・・・

投稿: あかね | 2008年10月12日 (日) 16時28分

あかねさま 始めまして
小旅行から帰ってきたところです。

ブームが背景にある『廃墟』ですが、この世界も画像など洗練されて、機材的・技術的に入り込む余地はありません。
その程度の腕で、それも良し程度の考えなので…

それよりもソフト的にこの『廃墟』を見つめていきたいです。
存在意義を失い、残りの時間を崩れ落ちるだけに費やすものたちに“有終の美”を飾れればいいなぁと思います。
しかして、物言わぬものたち。
独りよがりなのかもしれませんが…

投稿: ねこん | 2008年10月13日 (月) 20時34分

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