案山子と炒飯
北海道の十勝。芽室町西部の農村風景が続く通り。
この道、じつは信じられないほどの交通量、それも尋常でないスピードの対向車とひっきりなしにすれ違う。昼も夜も…
幅員も普通の郊外の町道レベルしかなく、歩道は昭和51年に閉校となった学校があった辺りにしか設けられていない。広くて直線が続くというわけでもないになぜこんなに飛ばす車両が多いのか。
食料自給率の低い日本において、驚くべきことに十勝の食料自給率(カロリーベース:平成18年度)は1100%という話です。その西部に位置する芽室町は『スイートコーン』の作付面積が808ha。収穫量が9,770tで、作付・収穫共に日本一の出荷を誇っています。その反面、就農者人口の減少。少子高齢化による後継者不足
は深刻で地区農村青年部も部員の減少から近隣地区と合併を余儀なくされている例もあるようです。農業を取り巻く情勢も安定したものではなく、家と畑を守りたい気持と厳しい経営を後継者に任せるべきかという気持の葛藤の話も多聞にあります。
所々に生産者の遺跡が点在するのが目に入り、それを合わせても家の数は決して多くはないように思える。でも古い地図を見ると、その土地にはびっしりと名前が書き込まれていて一戸辺りどれほどの土地を持てたのかと思うほど。
豊かながらもどこかしら寂しい雰囲気があるのは、描き上げた絵を塗りつぶしてしまうかのような激しい季節の変化のせいか、大地の広さのあまり心がぽっかり抜け出してしまったからなのか…
この風景の中を車種を問わずたくさんの車が通過するようになったのは、ずいぶん前からです。小型・中型はもとより、大型車の通行料が多い。それも工事関係車両などではなく、貨物車両が特に多いのです。
何ゆえ、この道にそれほどの交通量があるのかというと、町の中央部を横断する国道38号線を迂回するようにこの道が外側(山側)にあり、日勝峠まで続いていました。
一見、近道?と思いますが、距離的にはさほど差は無く、速度制限やオービスなどのある国道より速度を上げられる分だけ急ぐ人には都合がいいということがこの交通量の理由のようです。ただ者の速度でもないので、警察の測定も頻繁に行われているようですが、常時見張るというものでも無く、歯止めにはならないようです。
道なりに停車して風景でも撮ろうと降りてみても、道の前後に気をつけなければ非常に危ないのがこの通りの印象。
この危ない通りに10年程前から『ただ者』ではない集団が通りの左右に立ち始めました。その数およそ60人。
その始まりに位置するところに看板があります。
『かかし街道』
そう、道の両側に点々と立ちつくす彼らは『案山子』。
でもその役目は害鳥から作物を守るという本来の目的ではなかったようです。
それにしてもたくさんいるんだなぁ…
ビュンビュン追い越していく車を避けながら撮り続けていっても「まだある!」 「あっ!あそこにも」
その案山子たちも、農夫姿だけではなく子ども・婦人・老人など様々。
中に、手の込んだ一団がありました。
ここのお宅は、陶芸と篆刻の工房「太情庵(どんかち)」で、案山子は流木を加工した手の込んだものです。その姿は、群を抜いてユーモラス。
畑の中なのに漁師なんかいたりして…
なんでもこの『かかし街道』は今年限りと聞きましたが…
「うちの前の連中はこのまま続けていくけどね。街道を始めた人たちももう歳だからねぇ。準備とか下草刈りとか、しんどくなったみたいでね。」
そうですか…残念ですね。
「でも、青年部の人達が引き継いでいくって話も出てきてるんですよ」
そうかぁ。ただ消えていくんじゃないんですね。
『かかし街道』だけじゃない。
この街では今年度から特産品のスイートコーンでご当地メニューを提案し、『コーン炒飯』プロジェクトを立ち上げ、ご当地メニューの発信を始めた。
ただ時勢や環境に流されるだけじゃなく、小さくてもいいから何か始めてみようという動きが出てきた。
それは何もここだけの話じゃなくて、そういう動きはどこの町にもあると思います。
『なにか始めてみよう』 その気持が、混沌とした世に光を指し示す指標になるのかもしれない。少なくとも何もしないでいるより前進しているよ。
さて、そのコーン炒飯、味はいかがなものでしょうか?
噂では「あんな感じかなぁ…」という風にも聞きますが…
それは機会があったならどうぞ。味は噂で伝わりません。
ただ…この炒飯は夢と情熱のかくし味がふんだんに香る。
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コメント
かかし街道ですか。
今回、38号を清水町に向かって走ったのですが、近くにそんな道があるとは知りませんでした。
“豊かながらもどこかしら寂しい雰囲気があるのは・・・”については、北海道を旅していて良く感じます。
十勝の広大な農地風景は、ホントにすごいものだと圧倒されますが、ときどき見かける離農家の廃屋を見るにつけ、止む無くそこを離れなければならなくなってしまった人々の気持ちが思い起こされ、切なくなります。
でも、ゴチャゴチャとした日常を過ごしていると、そんな荒涼たる景色の中に自分の身を置きたくなって、毎年、北海道に渡ってしまいます。
投稿: yamanashi | 2008年8月11日 (月) 21時49分
yamanashi様
この路は業者と走り屋が良く通る道です。
峠からここへ入った途端、レース場に変貌するような雰囲気があります。決して見通しが言い訳ではないので…
こんな路は道内あちこちにありますが、北海道の恥ずべき裏事情かもしれないです。
北海道開拓は戦前戦後、ムダに人を入れすぎて、せっかくきても開墾できる土地ももらえず、今でも秘境みたいな山奥をあてがわれたり、土地も手に入らなかった人もいたそうです。
思いざし半ばで土地を離れた人を調べると(過去の転入出記録)10年ほど頑張って故郷に戻っている例が多いようです。
やはり、冬の北海道が辛かったのでしょうか…
投稿: ねこん | 2008年8月12日 (火) 06時16分