初恋のひと
そよかぜみたいにしのぶ あの人はもう
私の事など みんな忘れたかしら…
自分のルーツはどこだろう…
北海道に生まれたけれど数代前のご先祖様は北海道の人じゃない
最果ての地での旗揚げ
開拓使に入ったりして一念発起の旅。
今風に言うならフロンティアスピリッツ?
この地に夢を馳せてか、またはやむなくという事情もあったかもしれない。
いまでこそ飛行機で数時間、さらに車で数時間。
それにしたって、その日のうちに到着できる旅。
でも蝦夷地が未曾有の資源の宝庫だった頃には、そうそうできた旅ではない。この地に渡ったご先祖様のほとんどは、故郷に戻ることのかなわない片道切符の旅になっただろう。
時折、自分の北海道以前のルーツをたどって家系図を完成させた人が新聞に載っていたりする。個人の出来事だけど、それほど難しい作業ということなんだろう。
時が重なるごとに難しくなっていく過去の検索作業。
なにもそこまで調べようとは思わないけれど、やはり自分の生まれる前の過去は気になる。
経験したことなら記憶の中には残っているんだ。
ただ、それを証明する物は自分のことでも意外に失われていて、1冊のアルバムだけが時の断片を知らせる。
ほとんど塗り替えて ほとんど作り変えられた。
幸いかな、ひとり立ちするまでは家にいたし農業という家業の都合、故郷は今でもそこにある。
そうではない、例えば引越しの多かった家の事情や離農などで故郷を離れた場合は、記憶を紐解くときに何を想うのか…
家は記憶する
壁が黒ずむごとに 風が窓ガラスをカタカタ鳴らすごとに
主が「家族」の冠である『家』をおいてその地を去ったあとも再び迎え入れるかのように「思い出」を内包して立ち続けるのか
自らの終の日まで…
在りし日の庭の風景は緑が大げさになり家よりも低かった木々はうっそうと自己主張する中、家は相変わらず存在し続けた。
変わったのは、この地におよそ不似合いな舗装道路だけ─
「どこへ 行っちゃったの?」
「いつ 帰ってくるの?」
そんな家に自分が招かれうるかは分からないけれど、あえて訪れてみる。
家は意外と容易く記憶の断片を語りだした。
それは自分の記憶とは異なるものだけど、他人の記憶に浸っているような気分になる。
ちょうど人の心に入り込んだような─そんな感じ
こういう感覚は歴史的建造物からでも得られないと思う。
自分からあまりにもかけ離れてるからかな…
見上げると壁に一際鮮やかな背景の往年のアイドルの写真が…
雑誌から丁寧に切り抜いて、別な台紙に貼り付けてあり手が込んでいる。
止めてあったステープラーの歯は既に錆びついて虫みたいになってた。
なんていう人かな?
「あー…たしか小川知子だよ」
画像を見せた人が知っていて、へーっ…ていうか良く知らない。そっち方面が疎いので…
詳しい芸能活動やディスコグラフィーは他所の方が詳しいので触れませんが、ここはその時代を残したまま30年以上の時を超えてきたんだと思うと
状況を残したまま地の上に在るタイムカプセルのようです。無造作に伸びていった木立が陽をさえぎって昔の色もさほど褪せさせることなく。
ここは時代の差はあるとはいえ、当時の若者の部屋の様相。
夢を馳せた部屋 憧れが目くるめく六畳間。
アイドル 車 音楽─ 夢は部屋の形いっぱいに広がるんだ。
故郷に帰ることのない引越しは、したことがないからわからないけど、
思い出すことはあるのだろうか?
この家のこと この部屋のこと おぼろげな日々のこと…
家は想うだろうか こんなことを 帰ってこない家族のことを
そよかぜみたいにしのぶ あの人はもう
私の事など みんな忘れたかしら…
(詩/有馬美恵子 歌/小川知子 『初恋のひと』より)
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コメント
いいですねぇ(^^
昔、母方の実家がこんな感じだったのを思い出します。
屋内配線が針金2本で、碍子で固定されてました。
4人組の男性は「モンキーズ」なかぁ。
60年代以前だと、生まれる前になるので、
さすがにわからないですね(W
なつかしい風景で、和みました。
ありがとう(^^
投稿: Show-G | 2008年8月29日 (金) 15時34分
北海道の旧家は、結構同じ形のものも多いですね。
でも、中にはこんなミラクルワールドが当たり前のように今でも存在しています。
自分の時代じゃないのに『懐かしさ』を感じるのは、我々が『人』であることにほかなりません。
そんな人のセンサーが恐怖感あるいはノスタルジーそして悲壮感などを垣間見させるのかもしれません。
家、あるいは家にあるモノに対する気持で家はいろいろなものを見せてくれるのだと思います。
投稿: ねこん | 2008年8月29日 (金) 19時12分