0の丘∞の空⑥ 約束
本当の体じゃないと聞かされたけどさ、この手には確かに血が通ってる気がする。 いろいろ悩んだけどさ、いざ自分の体を手に入れると嬉しくて思わず笑みがこぼれてきた。
もっと真面目に考えなくちゃいけないんだ!
でも、嬉しい…うれしいよ!
「うれしいです!…でも、あんまり久しぶりだから…重いです。体がなんだか…」
「慣れるのにちょっと時間がかかるかもしれないね。でも、くれぐれも時間はオーバーしないようにね」
「はい…でも、その時間ってどうしたら分かるんですか?」
「爪を時々、気をつけて見ていればいいよ。今はヒトと同じピンク色だろうけど、時間が経つにつれて緑色になってく。あきらかに緑色だってくらいに色が鮮やかになったらその体から出られることができる。そうなったらすぐに内側から突き破って外に出なきゃいけない。その体は、元の光の粒になってすぐに消える。だけど、もし爪が茶色に変わってチョコレートみたいな色になると仮の体から出られなくなり、そのまま石みたいに縮んで閉じ込められることになるよ。僕みたいにね」
大丈夫かな? 私、すぐポカンとするからなぁ…いやいや!そんなこと言ってられないよ。でも…この人はどうして失敗したの?
「あのー」 「なんだい?」
「どうして…そんな風に?」
「僕はたくさんの約束事を破ったからこうなったんだよ。だから仕方がない…」
「聞かせてください」
「…そうだね。話しておいてもいいかな…」
僕は妻と生まれたばかりの娘の3人家族でね。機械の修理が仕事で車であちこちを行き来してたんだ。月に数回しか家に帰られないこともあったんだけど娘の成長を見るのが楽しみでね。赤ちゃんの頃はホントに大きくなるのが早いんだよ。帰るたびビックリしたなぁ…
それがある日の帰り道で、居眠り運転の車と正面衝突する事故でそのまま死んでしまった。始めは自分がどうなったのか分からなくて、家に戻って驚いたよ。僕の葬式の準備の最中さ。奥の部屋に変わり果てた僕が寝かされてて…
あまりのことに、ただオロオロして妻や同僚にも僕がここにいることを教えようとしたけど…ダメだった。もう僕の声は誰にも届かなかったんだ。
何も知らない娘の寝顔だけが救いだったけど葬儀も終わり、僕の体は灰になった。思ったよ…もう全て終わったんだなぁって。通夜の夜、娘を抱いた妻が涙ながらに「お願い!帰って来て!」って叫んでたのが心に痛かったよ。
せめてずっと側にいようと思ってた。だけど、娘がやっと壁をつたって歩き始めて転んで額を少し切ったのをすぐ前で見ていながら何もできなかったことで思った。何もできない僕はもうここにいるべきじゃないってことに…
全てを忘れるためにあても無く出て、そこで思いがけず出会ったのが、あの石炭さ。
飛びついたね。その話!ダメだと言われたら燃やしてやるって脅かそうと思ったくらいさ。彼は「いいさ!別に。」と軽く教えてくれたけど、変身前後を人に見られないように気をつけることと時間に限りがあることを教えられたよ。そのときの僕にそれが重大な問題には、考えられなかったけど夢のような方法だと感じてた…
ところがだよ。喜び勇んで自分の家へ飛び込むように帰ってみたら歓迎どころか恐怖の的さ。「出てって!」と言われた。
当然だよね。僕の『死』は現実のものだったんだから。
僕は、つい軽率な考えに走ったんだよ。
それで行く当てのない僕は、ここへ戻ってきた。でも自分がこのまま存在している意味はもう無かったと思う。
彼(石炭)は「第二の人生さ。楽しめばいいよ」と言ってたけど、そんな気力もなかった。ただ丘に来る鳥達を眺めたり、気晴らしにクマの奴をからかったりしてたよ。時間切れ寸前に腕を噛ませといて「ポーン」とはじけて消える…
クマのやつの悔しそうな顔ったらなかったね。
「えーっ嫌だ…」
そのうち、そんなことにも空しくなってきた頃にうっかりやっちゃったんだよ。爪の色が変色してチョコボールみたいだった。もう遅かったんだ。そして、そのまま…こうなった。でも、どうでもいいやと思う。こうして何も考えずに転がってるのも悪いこっちゃない。
たまにイタズラに来る奴らに踏まれたり転がされたりはしたけど…
「いや、それほどのことじゃないよ」
「でも、このままでいいんですか?お嬢さんのこと見守ってあげることもしないで…」
探ったポケットの底に…あった!ハッカ飴
「…今さらね。辛いだけだよ」
「私がお譲さんだったら、わからなくてもいいから側にいて欲しいです。何もかも捨てても思い出はどこまでも付いてきますよ」
「……もう遅いよ。ここからは出られない」
「遅くないです!私がやってみます!」
「ダメだ!それは自然との約束を破ることになる!甘くないんだ!」
「自然がそんな仕打ちするなんて私は認めない!」
私は、自分に変なところがあることに気が付いていた─
─何か不思議な力が私にあること─
─私のポケットには、いつもなぜか『ハッカ飴』があること─
ずーっとそれが『意味すること』を考えていた。
そして試してもみたし、練習もした。だからこのくらいの石なら…
ハッカ飴が口の中で融け出すと、なにか新しい力が湧きあがるのを感じる。
頭の中でイメージする。この石を砕くことを想像する。
その想いは、掌から糸のようにかすかでハッカのように透き通った光の筋を放つとスーッと音も無く、染み込むように石の中へ消えていく…
これでいい何度もやってみたとおりだ。うまくいけばたぶん…
石はゴトゴトと音を立てて揺れだす。
ドーン!
「わっ!ビックリした!!」 石は、大きな音とともに粉々に破裂。同時に光の粒も飛び散った。土埃が舞い上がり、辺りはよく見えなくなる。窓から建物のどこかにいた鳥さんたちがあわてて飛び去っていくのが見えた。
「だ…大丈夫ですか?!」 自分でやっておきながら、あまりのことに驚いた。
石の欠片もない!私、やりすぎた?丸ごと吹き飛ばしちゃったのかな…
やがて埃が静まっていくと、石があった場所に白い影が浮かび上がってきた。
「すいません!ごめんなさい!やりすぎました!」
「いや!やっぱり君の言ったとおりかもしれない。僕は自分の境遇に悲観してやるべきことをしなかったんだ。それに気づいたときは、もう遅いんだと思ってたよ。…だから返ってありがとう!」
「いえ!いいんです。私こそ…ありがとうございました」
「僕は、家族の元へ行くことにする。僕の娘の将来を見届けるために。君はこれからどうするの?君のご両親はどうしてる?」
「わからないです。私のせいでどこかへ行ってしまって…ともかく旅を続けます。いつか会えるかも知れないから…それに今はいろんな経験ができるので楽しいんです」
「そうか…頑張ってね。それと君の手に入れた力…できれば、それで誰かを幸せにしてあげて欲しいな」
「はい!そうします。それじゃあ失礼します」
ペコッと頭を下げると、建物を後にした。
丘に吹き上がってくる風の中から遠くへ行けそうなのを探す。
「あーっそうだ!言い忘れてたよー。その体でいるときは、風に乗ったりとかできないよ!普通の人と一緒だから。時間までは体から出られないんだからねー。もっとも普通の人が死んじゃうほどの怪我でもすれば体のほうが分解するけどー」
「えぇえーっっ?!」 それぇ…キツイなぁ…
「とりあえず歩いて行きます。アハハハ…」
無限の空が急に遠く感じた。
あのクマ…出てこなきゃいいな…
かつて炭鉱として栄えた街跡の丘に佇む建物は、人にとって失ってしまった過去の象徴なのでした。
このふた棟も屍のような朽ちた体を晒してやがて無に返っていくことでしょう。
でも無は単に「ゼロ」ではないのです。
「ゼロ」は始まりのことでもあるのです。
そこから見渡す景色はどこまでも無限。今までも、この先もずっと…
人生はやり直せないというけれど大自然の一部と考えれば「ゼロ」に還るものではなく「無限」の一部なんだ。…そう思います。
だから、ここは始まりの場所 そういうことにしておきましょう
Youtube「0の丘∞の空」 遊佐未森
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