「ぱだん ぱだん」の学校
そんなことはないと言われても、本来そうあってしかるべきです。
幼稚園や保育所では、まだ早い─ 中学校以上は大人になり過ぎる─自分の考え方、すなわち自我と言うのがほぼ完成して、情報にも翻弄されすぎなくて、
多感で創造力もあるし、大人芸(画力・文章力)でも持たせれば最高の画家であり、前代未聞の詩人にもなれるでしょう。
大事なこと 大切なこと 大好きなこと カッコイイこと… そしてその反対のこと…いろんなことが光のように心に差し込んでくる。
蒔いた種が発芽するみたいな些細な事でも感動できる、ただ心が真っ直ぐな頃。 そう、こころのあり様に真っ直ぐになれるからです。 学校はひとつの社会です。
でも、そこが現代社会の縮図であってはいけない。
算数が苦手でどうにもならなかったけど、いじめられたこともあったけれど、小学校は楽しかった。どこが?と聞かれても答えようもなく楽しかった。
この町の外れにある湖の近くにそれぞれは離れていますが、背に山を抱いたふたつの廃校がありました。
ナギサが目的の学校と勘違いして訪れた始めの学校は、地域特有の山々に囲まれた狭長な地形で、近くの市街地から数キロ走り、緩やかな坂を越えると右手に見えてくる学び舎です。一見「ここは学校?」と見まごうほどでした。
大正2年頃から開拓の鍬が入れられ、戦後の緊急開拓期には18戸が入植してきましたが通学区である学校は遠く子ども達の通学、特に冬期間は困難で年間60~80日の欠席も余儀なくされる子もいたほどの環境であったそうです。
後に学校設立期成会が結成され、国庫補助により昭和28年落成された戦後誕生の学校です。もとより戸数の少ない地区であるため、児童数も少なく2学級。(当然、複合学級と思われます)
歴史も浅いことから輩出した卒業生の数も少なかったことでしょう。町史で見られる在りし日の学び舎は、見まごうことない学校の姿ですが、農機具庫等に再利用された姿は、すっかり変わり果ててしまったようです。
残された子ども達の図画が、主の元へ返されることなく散らばる物悲しい光景。でも、それがあるからこそ、ここが子どもの場所であったことを語ります。
ここにいたふたりは共に人生を全うして懐かしき日を取り戻し、永遠に終わることのないカクレンボをしています。そんな絵をここで見てみました。
もうしなくなって久しいのですが、メンバーがいれば今でもやってみたいですね。かくれんぼ…
次にナギサが向った学校は現在、幹線道も整備されて開けた印象も受けますが、最寄の市街地から15㎞。隣町との町界までもわずか5㎞という町の端に位置する学び舎です。 主要交通機関がバスのみという地域で、それすらも赤字路線として常に存続が危ぶまれていて、前出の学校と共に僻地級3級校の指定でした。
閉校後は、一時期郷土資料館として使われていたようで作り置きの棚や展示品分類票がありますが、現在は全て搬出されて今は未利用の状態です。
卒業記念の協同絵画や誰かの図画、物置に積まれた机や椅子。そういった遺物が解凍されることのない記憶を闇に封じ込めているかのようでした。
往年は、学校樹もふんだんに植えられていたようですが、数本の松が残るのみ。
校門も幹線整備の盛土のため、半分ほど埋まっています。
それでも町史に書かれた生徒たちが植樹した桜の木は学校の裏に残り、春には満開の花を咲かすことでしょう。もっとも再訪した頃は、この地まで桜前線は、まだ来ていませんでしたけど…
これらの学校の歴史が閉じられた背景は、少子化ではなく基幹産業である林業の衰退や就農人口の減少などであり、昭和下半期の統廃合の多い時代にあって閉校記念碑や記念誌の類が残されるのは稀だったようです。
かつては、校庭に立っていたと思われるモニュメントが敷石替わりに体育館の中で半ば捨てられるように寂しく横たわっていました…。
現在、両校とも農機具庫などで個人あるいは地域常会の管理にあります。
「ぱだん ぱだん」及びカテゴリ「ナギサ・フライト」の内容は廃墟を舞台とした創作であり、現地で実際に霊が存在するという根拠は全くありません。
でも、ナギサのモデルになった子は、存在します。
いいえ… してました とするべきですね。
その子もずーっと小学3年生。
きっと風になってどこかを飛んでるんだろうな…。
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コメント
そういえば天井にくっついてる東西南北の丸いやつ、これはやっぱ学校の物なんですね。
私も牛色の廃校で見つけたのですが、牛関係の品物かと思ってました。
投稿: カナブン | 2008年6月 3日 (火) 22時09分
投稿: ねこん | 2008年6月 4日 (水) 00時24分
ぱだんぱだん 安心して読めました。
いやっ、いつも安心できないってわけじゃなくて(汗
私はハッピーエンドじゃないと泣くのでw
なぎさちゃんは、体は小学三年生のままですけど
心の成長は著しいですね。
で、「ぱだん」ってなんですか?
投稿: haru | 2008年6月 5日 (木) 02時03分
「ぱだん」というのはエディット・ピアフの「パダン・パダン」という歌から引用しました。いつも自分に付きまとって何かをさせるものの音として書かれています。具体的にかかれてはいませんが、心臓の音(心の音)とされています。
ナギサの時間は9歳で止まっていますが、時間的には13歳という設定にしていますにゃん。
サラッと同級生が中学生になっているのを目撃する下りをそれとなーく書いてました。
投稿: ねこん | 2008年6月 5日 (木) 08時29分