HONOKA
廃墟に行ってきます─
普通─ こんなこと言ってると変わり者。
確かに人の家のゴミ箱あさっているみたいなことかもしれないね。
「今度の休みも『廃墟』かい?」
「いいとこあったら教えてくださいよ」
会話は成立してるけど どことなくシニカルだね
強く地味でいることに飽きて 脆く鮮やかに赤茶けた階段
骨を氷柱みたい溶かし出して 風になろうとするコンクリート
老人のように しわを浮かせて反り返る板壁
何ゆえに こんなものたちに魅力を感じ、癒されるのか
考えているようで、考えたことがない わかっているようで、わかっていない
いわゆる『骨董趣味』と似たものだろうか?
でも、この取り残された思い出たちは 骨董にはなりえない
骨董というと 手軽な和骨董とか古布とかが静かにブームが続いていて骨董市とか骨董入門みたいな本をチラ見することが多い。買わないけど。
以前、図書館で読んだ骨董の本で、あるお店へのインタビューがあった。
「このお店で一番のものを見せてください」
主が出したものは、これ以上ないというくらいに潰されたコーラの空き缶を納めた額。
のみの市で若者が並べて売ってたそうだ。
その若者いわく、
「自分が美しいと思うものを選んで並べています」
主はその潰れ缶を300円で購入。それが店一番の宝。
骨董の価値観と異なるものがそこにある。
「こんにちはー すいません あのサイロ撮らせてくださいませんか?」
「あー? いいけど あんなボロ撮ってどうするの?」
「この家いいですねー 中、見ていいですか」
「こんな 火にくべるしか能のないもの見るってかい?」
そう言いつつ 向こうの顔は、ほころんでいたりする。
永久に表に出ることはないであろう歴史を聞かされたりもする。
歴史はあるのに歴史的価値は認められないものたち
その古が開封されるとき現われるのは「愛」の記憶だ。
…言い過ぎだって? そうかもしれないね。
でも考えてごらん。小さい頃からずーっと何気なく見ていたあの角にあった古い小屋が、ある日なくなったら 君の心に穴が空くよ。
それは、愛着があったということ。
愛がないと目的地に到着できない。
廃墟に行ってきます。
なぜかって?
「好きです」 それだけでいい。
LOVEだろうと LIKEだろうと「好き」に変わりはないよ
得られるものがあるなら、ホントのところ「廃墟」というのは、ふさわしくない冠だ。
なにも大げさで存在感のあるものじゃなくていいから、そういうものを見つけたい。
「廃」と書いて「愛」と読め!
なんちって
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コメント
洞窟学園そ卒業アルバム見ました。
すばらしい大物物件です、解体とはもったいない。
ルイドロで見れたことを幸福に感じます、お疲れさまでした。
実は師匠も外観だけは見ています。
投稿: カナブン | 2008年5月16日 (金) 07時56分
惜しんでいるのは、我々だけでしょうけどね。
意外と微妙なチャンスにはめぐまれるので「一期一会」の気持ちです。
投稿: ねこん | 2008年5月16日 (金) 08時28分