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2008年4月14日 (月)

ラマンチャの兄妹

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Dscf6056 「風が鳴き 空が怒る 空忍ハリケンレッド!」

「えーっ またぁ? あたしキュアホワイトがいい!」

「プリキュアなんて女ふたりじゃねーか! ハリケンブルーにしろよ」

「やだなー…いっつも…」

「じゃあ もうやめるぞぉ!!」

「わかったって!! もう! 『水が舞い 波が踊る 水忍ハリケンブルー…』」

Dscf6078 「人も知らず 世も知らず…」

「イエローはどうすんのさぁ!」

「ふたりしかいないのにできねぇよ!! うるっさいなぁ! もうやめる!」

「だからプリキュアがいいって言ってんのに… もーっ!すぐイジけて!」

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丘の上 勇者ドン・キホーテとその従者サンチョ・パンサがそんなふたりを静かに見下ろしていた。

Dscf6057 騎士道物語を読みふけりすぎたために現実と虚構がわからなくなったラマンチャの男は自ら『ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ』と名乗り、虚構の旅に出た。
やがて出会った酒場の女アルドンサに恋するが彼女は自分の境遇から狂言と相手にしない。
しかし、あくまでも自分に淑女として接してくるドン・キホーテに心が動き始めた頃、虚構の旅に出た彼を追ってきた主治医に連れ戻されて現実にもどされていった。

Dscf6058 アルドンサは彼を探し、サンチョ・パンサの助けもあって、やっとの想いで彼に出会うが、既に彼は「ドン・キホーテ」では無い。
思わず口ずさむ彼の唄っていた「見果てぬ夢」が彼の中の『ドン・キホーテ』を甦らせ、サンチョ・パンサを従えて声高らかに騎士道を歌い上げる。だが、彼は既に命尽きる宿命だった…

昔見た映画、ピーター・オトゥール主演の『ラ・マンチャの男』はこんな話だったと思う。ミュージカル映画はあまり見ないけれど、これと『チキチキ・バンバン』は好きな映画から外せない。

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Dscf6064 ある意味 子どもの頃は、男の子でも女の子でも「ドン・キホーテ」か「ハックル・ベリー」だと思う。例えが古いがゴーレッドとキュアドリームでもいい。
ともかく自分を何の抵抗もなくヒーローと自分を同一視できる。
いわゆる「なりきり」というやつですね。
ただ根底になるものは前出のふたつの物語に行き着くと私は思います。
ヒーローになりきる、なりきろうと夢を馳せる物語。
外国のお話ですから反論もあるでしょうけど…
ひとつのキャラクターとして捉えなければ両者共ヒーローになりきるという意味では接点があると思います。

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丘の上に立つ2基のサイロ
赤茶けた鉄兜を被ったノッポとズングリを見上げて自分はこれを「ラ・マンチャの男」と重ねた…それだけのことです。

先の兄妹には冒頭ような会話があったのでしょうか?
それはなんとも言えませんが丘の上に建ち四方広がる大地の中でのびのび育ち、どんな夢・想いを通わせていたのか…

今や廃墟となって住宅も解体されてかつての生活は見えませんが、この兄妹には普通の兄妹とは少し違った結びつきがあったのです。

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二卵生双生児 一卵性とは少々異なりますが、いわゆる双子
見えない心の繋がりは 同じ母の兄妹も及ばないほど深いという。
同じ愛を受け、同じ時間を同じように見つめてきたふたりなのだから…

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Dscf6077 兄妹を見守り続けてきたドン・キホーテは従者と共にここで立ち続ける
今も「見果てぬ夢」に想いを馳せて。

誰もが見ることをやめてしまう夢のために

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コメント

サイロも素晴らしいけど、何もない背景も素晴らしいですね。
背景がサイロを“人”にしています。

投稿: カナブン | 2008年4月14日 (月) 20時27分

そういうのがわかるのが、やはり師匠です。
それを飛躍させてしまうのがねこんです。

投稿: ねこん | 2008年4月14日 (月) 20時43分

はじめまして。
お二人のやり取りに入るのは、大変、勇気がいるというのか、恐縮してしまうのですが、
今回、思い切って書き込みしてしまいました。

かねてより、廃墟画像をもとに、素敵なドラマを作ってしまう
先生のセンスはスゴイと思っておりました。
こういう風景のところで、暮しておられることで感覚が研ぎ澄まされるのでしょうか。

投稿: yamanashi | 2008年4月14日 (月) 22時30分

yamanashi様:コメントたいへんありがとうございます。
そんな先生とか大それた呼ばれ方をされるほどの者ではありません。
たいした読書家でもありませんし…
ただ、こういうことに少しはセンスがあるんだなーって気づかされたのがネット上でコラムをかいたことがあったからでした。
頭の中にあることを言葉にするのがヘタな変わりに文字にする力がほんの少しあっただけだと思います。
苦労とが読めば他愛の無い文章だと思いますし、ダラダラしたものが受けいられるか?という気持もありました。
廃墟は私にとってそんなインスピレーションを与えてくれる場所なのだと思います。
大きな箱物にも憧れはありますが、小さいながらも営みがあった廃屋の方に心惹かれます。

だから廃墟に対しては「観察者」であるよりも「共感者」でありたいと思います。

こんな私でも「ルイドロ」を始める前は「怖いからいきたくない」主義者でした。
そんな田舎育ちで微力ではありますが「廃墟ジャンル」の可能性みたいなものは広げてみたいと考えます。

これは、なにも私だけの能力ではなくyamanashi様にもその感性は充分にあると思いますよ。

私は見ているだけじゃなく自分でやらずにはいられなかった…そんな感じです。

また、意外な廃墟表現の方向は考えておりますのでご愛好のほどよろしくお願いいたします。

                  ねこん

投稿: ねこん | 2008年4月15日 (火) 00時02分

たまに背の低い子見ますよね。
あれってどうして?埋まった?まっさかー。

投稿: haru | 2008年4月15日 (火) 23時55分

元々、乳牛は農閑期の副収入として1~2頭を飼育したのが始まりです。その頃は戸別にビン詰め配達などしていたそうです。だからサイロも小さくて充分だったのですね。
現在は専業も多いですが、規模も拡大しているので農産・畜産の両立は難しいようです。
コンクリートは酸に弱いので、古いサイロの中をのぞくと下の方は崩壊が始まっているのも少なくありません。当時は鉄筋も入れていなかったので自家製ではあまり高いものが作れなかったこともあるでしょう。
昔は、サイロ専用の弱冠Rのかかったブロックが販売されていましたが今は全滅しました。
遊休サイロは、北海道の産業遺跡なわけですね。

投稿: ねこん | 2008年4月16日 (水) 08時44分

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