ルナ・シーの筆感
ねこんの住む北海道の道東は冬季間、冬型高気圧が安定するために比較的晴天が続きやすいところです。季節の変わり目にその気圧配置が変わると大雪に見舞われたりするすることも数度ありますが、今年の1月は記録的な晴天続きだったそうです。
それゆえに冷え込み、特に朝は放射冷却現象も働いて尋常ではありません。
公式には-15℃~18℃といったところですが、家の露天気温計は-25℃~30℃。
物件探しもしっかり防寒対策をしたうえで挑むのですが見えない触感が肌を刺激してきます。突き刺すというよりも重さをかけてくるみたいに…
ただし、この季節の透き通るような空気感は例えようもありません。刺激的に彩られた夏の早朝を柔らかく見せる霞と双璧をなすシャープな感覚。
異空間への入口を思わせます。
この時間は、自分の感覚も洗練されていくようで、やみくもに探すときよりも好物件との出会いは多い気がします。
カーラジオは、深夜番組からいつのまにか聖なる時間へ入っていました。
「次は ●●市の ●●さんからのリクエスト 『聞け、イスラエルよ、我らの神、主は唯一の主なり』 です」
うーん コル・ニドレイ(贖罪日の祈祷歌)かな… 朝には似合うよね…
道は、だだっ広い平野から起伏の豊かな土地へ入り、木々は刺々しく樹氷の鎧を装う。
通りかかった高台の木立の間に小屋が見えた。起伏の激しい土地には耕作適地もあまり無く、見渡す限りのところに他の家も見あたらない。
ラジオの祈りはいよいよ佳境に差し掛かかる。
急斜面になかば獣道と化した取り付け道らしきものを見つけて上っていくと高台の上は思ったよりも広く開けて道側の大きな小屋と住宅がひと棟づつ。和の家であってもこんな銀世界に佇む姿はどこか聖なる雰囲気がしてきました。
廃屋は、頑なに窓やドアを板かトタンで厳重に目張りしているものも多いけど、分節操に玄関や勝手口が開かれているところも見かける。ここもそんな感じ。それは誰かが訪れていたということなのだろうか?
ソファーや冷蔵庫、ポット。決して古いとは言い切れない家具と不似合いなジュークボックス、そして店舗用と思えるコーヒーの販促棚。なんとも奇妙な光景。
障子には訪問者のものらしいサインが見える。「どこからきたの?」
意外なほど奥の部屋が明るい。屋根がすっかりほころびた青空天井は床の間に聖なる清めの雪を積もらせていた。
家は朽ちていくのではなく、こうして少しづつ土に帰っていくんだ。金属は赤茶けて、壁や柱は黒ずんだ緑に、それぞれの変貌を遂げながら同じ土へと還っていく
終わるものも始まるものも刹那の出来事なんだねーって思います。
ここの主は、「書」の道に志すものがあったようで、その筆になるものがいくつか残されています。「向春に想いが…う…読めない…」達筆すぎるわけでもないですが、読めないですよ。
額の方は「月を眺めて故郷を偲ぶ」 故郷はどこだったのでしょうか?おそらく道外出身で戦後開拓で入ってきた方か? でも世代的に合わないね。だとしたら親の記憶から端を発することなのか…
そこそこに財をなしながら、故郷の地を再び踏むことは叶わなかったのか、帰るには故郷も変わり果ててしまったか、それは定かではありません。
苦しい時代、月を見上げて同じ月が見えている故郷を想っていたときのことを詠んでいるのでしょう。 そこには誰を残してきたのか…小さな小さな島国なのに想いを結ぶには月を介しなければならなかった悲しい時代のお話。それが子に伝えられ、「書」のテーマになることもあるのでしょう。
「北海道で一旗あげたら、必ず迎えにくるよ…」
月(ルナ)だけが見上げるもの達の全てを知っているのでしょう…祈りも願いも、果たせなかった恋なんかも。
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