けっこん しようね
行く道も戻る道も、かつて学校があった痕跡や暮しの亡骸が点在する土地。
かつては、たくさんの農家が田畑を耕して家畜を養っていたことでしょうが、町勢資料を見ると驚くような営農戸数激減地帯。
現在は大規模育成牧場(いわゆるメガファーム)があるほかは、離農してほかに生業を求めた家が数軒。あとは静かな自給自足の暮しを楽しむ人々がいるだけです。
この地域を貫く道にはロマンチックな名が付けられていますが、起伏にとんで景観の素晴らしい風景とうらはらに寂しい現実が雪の重みでパタパタと崩れ落ち、追憶の骨格を晒していました。
戦後の帰農軍人の団体が入ったことで形成された集落に学校が作られたのは昭和26年のこと。入植は早くも予想に反して学童数は少なかったようです。
その後子どもの数も徐々に増加。昭和29年に新校舎落成。
しかし昭和41年には併置中学校とともに閉校。かつての面影は欠けた校門とグラウンドの痕跡のみ。この手前と先の学校も現在は閉校し他の施設などに転用されています。
この辺りには、子どもはいないのか?
どれだけ僻地と言われていても夏休みとかには、どこかへ向って自転車で走る子の姿をみかけたものですが、今はどんな所の子でも家の中でゲームに嵩じているようです。
そうは言っても、ねこんもゲームと無縁の世代ではありません。今の子どもほどシニカルではありませんでしたが…
そんなことを思いながら、かすかな春の気配はすれども人の気配は少ない道。高台を辿る道の脇、道から少し下がった場所に赤茶けた錆色を反射する屋根が見えました。
雑木に埋もれかかったそこは、ちょうど高台の張り出した所にあり、夏場の草や葉が茂る頃なら人目につくことは全くないであろう場所です。
かつて、引きこみ道であったであろうあたりを確かめながら歩いて降りていくと家畜舎の跡。
ブロック作りのため、時代遅れというほど古い感じもしませんが、比較的飼育頭数の少なそうな建物。
穴の空いた輸送缶が転がっていて、これで牛乳の搬出をしていたころなのでしょう。
70年代中期頃からバルククーラーという低温槽設備が普及し始めたので、その辺の時代のボーダーラインに位置していたと思います。
使い古した衣類 ほぐれた藁の山 打設したコンクリートの床に残る足跡…
当たり前のように残る暮らしと人の跡。そして給餌槽の牛が舐め削ったコンクリートの凹み……?
視線の先に意外な一角がありました。
小さな子供用の椅子が2脚。どうやら「ままごと」で遊んだ痕跡ですね。
手前の椅子の脇にある台がキッチンでしょうか…大きな鍋も据えられている。
かき集めてきた食器は不ぞろいですが、テーブルとおぼしき板の上の湯のみ茶碗(?)は揃いのようです。
奥の錆びついたオイル缶がパパの書斎か職場そのものをあらわすのかもしれません。
「ままごと」はひとりでは成立しない。暮らしが中心だから。
そしてパパが帰ってくるところから始まる。家業がなんであってもパパは通勤している人なんだね。
子どものベッドはないから、まだ新婚の家庭なのかな?
でも、ここで遊んでいた子たちはどこから来たんだろう?高台からずっと離れたところに家が見えるから、そっちから来ていたのかな。
少なくともここの家の子ではないように思います。廃墟化後の痕跡らしいので…
ここで愛の暮らしのシュミレーションが繰り返されながら、こんな会話もあったのかもしれません…
ねえ! おとなになったら けっこんしようね
うん! けっこんしようね おにいちゃん
まだ、世界が家から高台までだったころ…
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コメント
単発のエピソードもいいですね。
ここまで残留物があると想像の幅が広がります。廃屋の中から「家財道具」を揃えたんでしょうね・・・。
投稿: アツシ | 2008年3月12日 (水) 02時09分
アイテムは現地調達らしく時代を感じます。ここで遊んだ子どもにとって、大きな鍋はカルチャーショックだったと思いますが…
現場の残留品から推測すると、12年程前の「ままごと」だったようです。(お菓子の袋)
投稿: ねこん | 2008年3月12日 (水) 08時49分