チョコレート・スフィンクス考
「水中メガネ」と「夏草の線路」
くどいかなぁ…と思いつつ 評価は別としてこれはやっておきたいなーっとのことでした。
あまりにも長文なので「飽きられないか?」という心配も持っていましたが思いがけずアクセス数も上がりまして、読んでいただいた方には感謝いたします。
意外とこういうの神経も疲れるものですよ。感情移入するんですね、書いてて…
特に「水中メガネ」に関しましては、想い深い体験談のメールを下さいました方がいらっしゃいました。
今回は、その方に送ります。
当初、思いつく限りメールで返信しましたが、その後は音沙汰も無いのである程度吹っ切れたのだとお察しします。
必要以上深く干渉するのも無作法と思いましたが、答は見つかりましたでしょうか。
ねこんが借り物の着想で書いた「水中メガネ」は、そんな貴方への手紙だったと思っていただくのは、むしろこちらも望むことです。
こんな北海道の片田舎のボロ猫が心の封印を解いたのであれば、それは誤解であっても謝罪すべきかもしれません。
ただ 過去は過去として 未来の足枷になってはいけない…と、思います。
拝見しました貴方の現在を読んで、昔読んだ本を思い出しました。
劇画ですが、伊藤重夫という人の描いた「チョコレートスフィンクス考」といいます。
そこから貴方のたどるべき答えが読み取れたわけではありませんでしたが…
そちらの専門古書店では見つかると思います。
面白みがあるかどうかは、別ですけどそんな印象を持ちました。
だからどうした…ですが。
少なくとも貴方が「ルイドロ」に入ってこられたことは、封印された過去を解こうとしていたのだとも取れます。
これだけは考えてください
いくら廃れても人も廃墟も決して捨てたもんじゃないということを…
近い将来、心の闇が消えて貴方様に幸あらんことをお祈りします。
ねこん
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コメント
何故か、こういう風な話は苦手なのに二作とも読んでしまいました、受験と勉強が全てだった過去に後悔やら嫌悪感やらが湧き出るのですが、ただひたすらに羨ましい。
無いよりはあった方がいいけれども、失った方が気づかない事よりも良い・・・・・・と、思います。
人の中にある何かが、多分にこういったものを本質的に求めるのでしょう。そういったものが恋しい故、記憶の残滓を探しに廃墟を訪ねるだと確認させられました。
二作の途中で書くのも何やら無粋な気が致しましたので一段落したあたりで書きこみさせていただきました。一言「瑞々しい」、面白かった、と言いたい次第です。長文失礼致しました。
投稿: deadman | 2008年2月28日 (木) 21時56分
廃墟は決して抜け殻ではなく、時を写す鏡のようにも思えます。
そこを訪れたときに感じる過ぎたる日々の痕跡から読み取ることは、真実とは異なるのかもしれませんが、誰しもそこで何らかの見えないビジョンを感じ取っているのだと思います。
そうでなければこれほどに「廃墟」がブームになることは無かったと思います。
廃墟以上に人生には同じものはひとつもありません。
家族であってもです。
小さい頃の願望で「別な人間になってみたい」と考えたことがありましたが、それはすなわち人の心の中を見て見たいというのと同じです。
「廃墟」へ行く事は、他人の記憶の中へ入って行くのに等しいことなのかもしれません。
その感覚に浸ることができるのなら、500円位の菓子折り持参も惜しくない気がします。
「水中メガネ」は恋に気がつく入口で
「夏草の線路」は出口に来たと錯覚した恋です。
青春にとってそのどちらもが一番重要で切ないものです。
dead man様にも無縁なものではなかったことでしょう。
その感覚が人生において最も重要な心の琴線なのです。
その意味において言うならば、ねこんも「昔は良かった」と思うのかもしれません。
投稿: ねこん | 2008年2月28日 (木) 22時25分