水中メガネ ②
Kのいう『ひみつ基地』の中は、こんな感じ。
ちょっとした小さな棚や小物が固めてあるほかは、ほとんど何もないガラーンとした部屋。さほど痛んでいるわけでもなく、今、家具を運んでくれば何の違和感もない。むしろ、私の部屋よりも新しいくらいだ。
元々はもっと古い家だったのかも知れないけど、中を直してそれほど使っていない感じがする。
「俺の部屋は2階にあるから 好きな部屋使っていいぜ」
使っていいったって…人の家じゃない。
誰もいないのは解っているけど、猫みたいに小さくなりながら進む。ドアの向こうには広い部屋があって、奥に畳の部屋が続く。右側にはキッチン。大まかな造りは私の家にちょっと似ている。
ここにソファーを置いて、テレビがあそこ。
テーブルはここで、その横にお城みたいな模様のある食器棚。
なんだかこの家が賑やかだった頃が見えてくるみたいだ…
この家を『ひとりぼっち』にしたのは、よほどの訳があるのだろう…
「おい!上にこいよ」 階段の途中からKがこっちを覗き込んで言った。
「ここが隊長の部屋さ。」
なるほどね。マンガがたくさんある。ここの子の部屋だったんだろう。さっきの部屋はガランとしたいたのにここは本やビデオテープがたくさんあって何もかもそのままにしていったみたい。カーテンが閉まっているから全体がオレンジ色だ。
閉め切りの部屋の中は行き場のない生ぬるい空気が閉じ込められて膨らんでいる。
パチン パチン
スイッチを見つけて入れてみたけど明かりは点かなかった。
「点くわけねーだろ。空家なんだから…水だって出ねーんだぞ」
Kはカーテンと窓を開けながら、しょうがねぇなーという風な顔をした。
空家っていうのは、死んだ家なんだろうか? 明かりも点かないと命がなくなったみたいな気がするけど外の光が差し込むこの家の中にそんな感じはしない。
ただ、何かを待ち続けているように感じる。それがKや私だったとは思えないけど…
Kは我が物顔でベッドにドカッと飛び乗ると近くのマンガをとってパラパラと読み始めた。
隊長といってものんびりしている。かといってすることもないので私もKの足元に座ってマンガをとってみた。
少し時間が経ち、背中に汗が伝うのを感じた。
「暑い…」
窓は開いていたけど、少しの風も入ってこない。暑さに耐えられなくなってきた…。
「ほかの部屋も見てきていい?」
「あぁ いいよ」
マンガから目を離さないまま答えてる。暑くないのだろうか
他の部屋は、家具が少しとか古新聞が積まれているだけで面白いものはない。
このまま2階に戻ってもちょっとつまらない…広い部屋だからポーズの予習でもしてみようか…
…バレエは1年生の時に友達の発表会のパンフレットやアルバムを見たら、いても立ってもいられずママに頼んでみた。
「お願い!」
「うーん…どうかな…パパに相談してみないと…」
当のパパは、私を説得しようと試みていたが、始めることしか頭にない私は、頑として折れない。それどころか「許してもらえるまで、ご飯は食べない!」と言い放って部屋に閉じこもった。パパは、あっさり根負けして許してくれた。今思えば毎週、車で片道1時間半は、かかるスクールへ送り迎えしてもらっているのは、申し訳なかったと思う。
クラスの子は4歳から始めていて3年生からの私は初レッスンの日は不安で、どうなることかと思った。小さい子がストレッチの時に上体を信じられないくらい曲げるのを見て驚いた。驚いたというより大それたことを決めてしまったと思った。
「大丈夫 バレエは、この年頃からのスタートでも充分身につけることができます。むしろ飲み込みが早いと思いますよ」
そんな先生の言葉に張り切って今では、基本ポーズも「ポール・ドゥ・ブラ(腕運び)」も自分で見るかぎり、鏡の中では様になった気がする。
発表会が楽しみ…ここのスクールでは、短縮版だけれど本格的な演目をするそうだ。
Kに話したら見に来てくれるだろうか?
気がつくと靴下の底が真っ黒になっていた。広さは申し分ないけれど少し掃除しなくちゃ。
次は予備のシューズを持ってこよう…
ドンドンドンドン…
Kがけたたましく降りてきた。
「いやー暑くてたまんねぇ! 川にいってこよう!」
砂利の道を自転車で進む。Kはお構い無しで体を左右にゆすりながら立ちこぎで走っていく。背負っているバッグが必死にKの背中にしがみついているみたい。
私も遅れまいと必死でペダルを踏む。砂利道の振動と暑さで少し頭がクラクラしてきた。
いったいどこまで行くんだろう?
それをKに聞こうとした瞬間、道を外れて藪の中へ入っていった。
私もあわてて止まり、その藪の奥を覗き込むとKが自転車を笹の上に乱暴に倒していた。
「こっちだよ 自転車はこの辺に置いときな」
今度は、藪の中をひたすら歩く。でも日陰なのでさっきよりは楽になった。
やがて藪を抜けて明るいところに出た。
キラキラ輝く水面が見える。その手前に大きなコンクリートの塊が何本も立っている。
「あれ なあに?」
「よく知んないけど、ここに汽車が走ってたんだってよ。その橋の跡だって兄ちゃんが言ってた」
「そりゃそうさ。父さんも知らない頃らしいから。じいちゃんは知ってるよ。貨物用の小さいやつが走ったんだってさ」
Kが飛び乗ったコンクリートの台も同じものが横倒しになったみたいだ。
ふーん そんなのがここを走っていたのか…
気がつくと、Kはそそくさと服を脱ぎ始めた。
「そうさ 暑いもん 良く来てるよ」
「私、水着もってきてないよ…」
「俺も持ってきてないよ いっつもくるわけじゃないしさ…このコンクリートの向こう側がえぐれていて深いんだ。いきなり飛び込むなよ。」
Kは、お尻まで陽に焼けているところをみるとここに度々来ているみたいだ。Kは、自分のバッグから水中メガネを取り出して顔につけると一気に川へ飛び込んだ。
(水中メガネは持っているんだ…)
「うーっ! 気持いーっ!」
Kは泳ぎがとてもうまい。1年生の初めてのプール学習のときも勝手にプールの深いほうにザブン!と飛び込んで泳ぎだし、先生に怒られていた。結局その時間はプールの隅に立たされてプールで遊んでいるみんなを恨めしそうに見ていた。
「さぁ 覚えているときから泳げてたよ」
Kのパパは泳ぎの得意な人で、指導員の資格もあるらしい。
そんな家だから泳げるのも当たり前なんだろう。
今のプール学習は、もうビート板も使わなくなってみんなそこそこ泳ぐようになってきたけどKに言わせると私も含めて「溺れているようにしか見えない」そうだ。
しかし、今日泳ぐことになるとは思わなかった。
Kはこっちで頭を出したと思ったら、次はいつの間にか向こう側へ行っている。
水の中でどう進んでいるのか水面が光って見えない。
「どうしたの? 早くこいよ! 隊長命令だぞ!」
こんなときに隊長風か…
うーん…考えるの面倒くさ! もういいや!! 私も水に入ることにした。
誰もいない(K以外)と分かっていても回りを気にしながら裸になるとコンクリートの縁から水に入った。
「冷たい!」
でもむしろ気持いいくらいだ。上からは分からなかったけど水は、かなり深い。私の胸近くまでの深さがある。
Kはどこ?
ザバーッ!と音がしてすぐ近くにKが出てきて驚いた。
「おーっ やっと来たな なっ!気持いいだろ?」
「…うん」 とその時、足に何かが触れた感じが…。
「いやだ!なんかいる!」
「魚だろ! なんていうか知らないけど、下にたくさんいるよ 潜ったら見えるぜ」
「私、メガネないし…」
「そっか ちょっと待ってな!」
Kはコンクリートの上のバッグからきれいなブルーの水中メガネを取り出して私に渡した。
「これ、俺が使ってた奴だけど バンドがもうキツイからやるよ!」
宝石みたいで、きれいなブルー 手渡された水中メガネを付けてみる。
「見てみろよ なんだか俺たち そっくりだよなー」
指差した水面を覗き込むと白い歯を出してニッと笑ったKと、ポカンと口を開けた私…
水中メガネをつけたふたりは、そっくりな顔。
背中を照りつける夏の太陽と足をくすぐる川の冷たい流れ
周りを緑とお墓みたいな大きな石に囲まれた箱庭の中、この世にいるのはふたりだけのような気がして、それが何となく嬉しい気がした…
「うん…私、男の子みたいだね」
「潜って見てみな すごくきれいだよ」
鼻をつまんで息を止めて潜ってみる…メガネをしているのについ、目をつぶってしまう。
水の中でゆっくり目を開けるとブルーの世界で小さな魚が生きた宝石みたいにキラキラ輝いている。
「きれい…」そう思ったけど、もう息が続かない。
立ち上がって髪と顔についた水を拭っているとKが言った
「言ったとおり凄いだろ?」
「うん! 凄くきれい!」 Kの笑顔もまぶしかった。
はしゃいで散々水をかけあった。メガネのバンドで髪を押さえていたから、誰かが遠くから見ていても男の子がふたりいるようにしか見えなかっただろう。
そのあと、コンクリートの上で体を乾かした。さっきまで暑くて憎らしかった太陽の陽射しがとても気持いい。
その夜、お風呂に入ると体がヒリヒリ。日焼けしてしまったらしい。
その痛みが、夢じゃないって言っている。
今日は凄い冒険だった…
(つづく)
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コメント
ここでは初めまして?ここに続き道が去年はなくなってました・・・どうやら怪しい人たちが泳いでいたから?
投稿: K・T | 2008年2月 3日 (日) 10時07分
おやおや K・Tさん インフルは根治しましたか?
怪しい人たちとは、もしかしてパソに予防接種していなかったのですか?
体がシフォンですよ。お互い
投稿: ねこん | 2008年2月 3日 (日) 13時20分