夏草の線路 ②
夏草に埋もれた線路は 低く陽炎揺らして
七色にさざめく小さな風をはじくよ…
「おばさーん こんにちはー あれ? あはははははは…」
Yとの再会は当然のごとく、そしていきなりだった。
遅い朝飯の最中、ボサボサの頭で。しかも母さんが衣装箱から引っ張り出してきた高校の指定ジャージという格好だったから…でも指さして笑われるとは、かなりムッとした。
「なんだよ! 感動の再会にそれかよ! デリカシーねぇな!」
「ごめんごめん でも似合ってるよね~ そのカッコ! うん!まだ高校生で通るよ!」
Nホテルのネームを付けた制服姿のYは、かなり大人びて見えた。当然、化粧も覚えているから、なおのことだ。 それにしても歯の治療跡が見えるほどの大口を開けて笑うところは、やっぱりまだ、大人になりきれてないというか…昔のままだよな。
「あらあらYちゃん いつもご苦労様」
「こんにちは おばさん回覧です。 それと両親が昨日うちに寄って山菜を置いていったんですよ 『持っていってくれ』って…」
「まぁ~すいませんね いつも… 寄ってくれればいいのにね~」
「退職して、やりたいことがたくさんあるらしく、せっかちになったんですよ。それに…ここの畑のものをお土産にしているみたいで後ろめたいんだと思いますよ」
「いやいや助かりますよ わっち(私)も近頃じゃ足腰がゆるくないから助かってます よろしく言っておいてくださいね」
「はい! それじゃ仕事中なんで失礼します。 あっМ君いつまでいるの?」
「夕べ来たんですよ 電話も入れんで… 1週間休みを取ったとかでね」
「木曜あたりに帰ろうと思うけど…」
「そうなんだ 私も明日から代休分と3日あるのさ! 久しぶりだから、かまってくれる?」
パリパリッ
「んー? 別にいいよ」 沢庵をくわえながら答えた。
「まぁー愛想ない子だねぇ…」
「いいんです 変わりなくて… それじゃ失礼しました」
そう言うと母さんに頭を下げて、小走りで戻っていった…
「いつまでご飯食べてるんさ 沢庵ばっかり…」
気がついたら一鉢、空にしていた。
翌朝の9時にYが来た。昨日の制服姿とは一変して薄いブルーのキャミソールに同色のカーディガン。白のレースっぽいスカート…やっぱり女の人は着るものでイメージがえらい変わるよな…
「えへへ…おしゃれしてみた! 似合う?」
「うーん… でもスニーカーみたいのが変だよな…」
「いやぁ~ そのくらい見落としなさいよ デリカシーないねぇ! 私、パンプスで運転できないもん」
彼女の車で帯広方面へ向かった。帰りに街で給油してきたいとの事なので。
元はこの温泉街にも給油所があったのだが、現在は閉鎖されている。それで上士幌の街から層雲峡までの間は給油所が一切なくなってしまった。 時折、峠でガス欠で救援を呼ぶ輩も多いらしく、街を過ぎるあたりには、先に給油所がないことを知らせる看板も見かける。
温泉に暮らす人たちも給油は街まで出てこなくてはならなくなった。
ガソリンを入れるためにガソリンを使うみたいな妙なことがあるのがここの現状だ。
トンネルを越えてから間もなく黒石平というあたりに差しかかっている。
「あれ? ここに電力館があったよね」
いつもは黙々と走っていたが助手席に座っていて初めて気がついた。
「いつごろだったかなぁ… なくなっちゃったよ」
発電所に隣接した電力博物館があったのだが、観覧者の減少からかなくなってしまったようだ。この発電所が作られたころは宿舎や学校が多く立つ場所だったらしいが、唯一の建物もなくなってしまった。往時を知る痕跡は知る人も少ない、小学校跡を記す碑だけになってしまった。
こんな場所での上下車も無かろうに…今はバス停だけが無意味に残っている。山肌にも士幌線の橋脚やトンネルが見え隠れするのだが緑の多い季節にはそれらもほとんどが隠されている。
その筋のマニアにはこたえられない場所だがあそこへは簡単には行けないだろう…。
こうしてボーっと風景を眺めているとバス通学の頃を思い出す。
帰り道、この辺まで来ると顔見知りでもなければ車内には残っていない。
だから同じ小学校出の連中だけが車内に残り、さながらスクールバスのようだった。
Yが同じバスに乗るようになったのは、高校に進学した数ヵ月後からだった。
親が開発局の仕事で移り住んでいてきたと後で聞いている。
始めは、見慣れた面々の中で小さくなって座っていて、皆 「誰だ?」 とけん制していたところを最初に話しかけたのが自分。
それから卒業までの間、いつしか『付き合う』ようになっていた。
「札幌では、どんな仕事?」
「ツアー旅行の企画を作る所さ。近頃は団体の景勝地めぐりより、オプション重視の個人旅行が多くなったからね。マイナー的な旅の需要が増えてさ」
「ふーん じゃ 同業みたいなものなんだね」
「まぁ 無関係じゃないな。 こないだも旧士幌線跡巡りのツアー物の新企画が入ったところだよ」
実際、近頃は変わったツアー物も多い。日本有数のガン検診を導入した病院をメインに組み入れたガン検診ツアーやファームステイ、ラフティングなどのネイチャートリップ、廃線や廃鉱を巡る旅など体験できるメニューの需要は多彩だ。
ものによっては短命で終わる企画も多いので、いかにペイさせるかが難しい。
ここ、上士幌町も近年『イムノリゾート(免疫保養地)構想』を立ち上げて『スギ花粉リゾリートツアー』も展開。アレルギー(主にスギ花粉)患者をターゲットに『健康・環境・観光』を3本柱に好環境で食を見直し、ストレスを和らげて免疫力を改善しようとのふれこみだ。
『源泉かけながし宣言』を発布した当糠平温泉郷もこれに協賛している。
ただ、それが地域活性化の起爆剤になったかというと時勢の動きからも効果が即してくるには、まだ時間がかかるのかもしれない…。
「へーっ期待しているよ 私ら休みばっかりも考えものだからさ」
「そっちもかなり厳しかったのかい?」
「うん… それでも今年のスキーシーズンはそこそこの入りだったよ。 ツアー団体は減っているんだけど、個人やスキー合宿はそこそこ入っていたから。 おかげでシーズンオフまで休めなかったけどね。 私 これでもホテルの顔だからさぁー」
「へーっ 眉唾ーっ」
「いやー ひっどいねー」
変わんないなぁ こいつ…
運転しているのが不似合いな感じもする。
バス待ちやバスの中でもこんな「上げ足とり」な会話が多かった。
起伏の激しい山道を抜けるとすぐ、なだらかな平野が広がる。ここまで来ると大規模な牧場風景が広がり、正に十勝らしい風景になってくる。
その間を真っ直ぐ南下する道はよほど速度オーバーが多いのか今はオービスも据えられるようになった。
この日は、帯広まで行き、買い物に付き合った。
記憶にある街の風景はすっかり変わってしまっていた。
違和感を感じたのは、昼間からシャッターの下りた店が目立つようになって『貸』とか『売』の看板が目に付くようになっていたこと。
ここだけに限ったことではないのだが『日本一住みやすい街:札幌』と比べると衰退というのは隠せないような気がする。
帰りは、運転を交代した。
1日取り止めもない昔話に花を咲かせて、何年かぶりにしゃべり疲れたと感じたほど。
会話が途切れたと思ったらYは、いつのまにか横でウトウトしている。
あそこに住んでいたらちょっとした買い物も一日仕事だな…
高校卒業してから自分は札幌へ進学したが、Yは片親の親父さんに気を使って地元のTホテルへ就職した。これも親父さんの交際関係に寄るものだったそうだ。
お互い、離れてからは手紙のやり取りをしていた。下宿暮しで電話の独占もできなかったから。学校や仕事の話、けなしたり、励ましたり、会話みたいに行き来していたのだけど、忙しさにかまけて少しずつ回数が減っていつのまにかうやむやにしてしまった。たぶん俺のほうから…
今まで帰省しても会わなかったのは、そんな後ろめたさを感じていたからかもしれない。
「淋しいよー 淋しいよー」
そんな文字を読んでも何もできなかったから…
だから家で見つけられた時は、正直バツが悪かったな…
こいつのペースに乗せられてしまったけどさ。
とりあえずモヤモヤした気持ちは握りつぶしてポケットの奥へねじ込んでおこう。
ボー…
また、あの耳鳴りだ。気がするというよりも聞こえているようだ。側にいる人は何も感じないから自分だけなんだ…
「どしたの?」
「えっ寝てたんじゃないの」
「うん ちょっとウトウトしてた…」
耳をさすりながら
「近頃、耳鳴りがどうもさ…」
「え? どんな感じ?」
「なんていうか…『ブーン』とか『ボー』っていう感じの音が聞こえるみたいだな」
「へーっ そうなんだ…」
そう言いつつ… こいつ笑ってるよ!
なんだか 意味ありげに…
(つづく)
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