「水中メガネ」の舞台について
『「廃墟系」でこんなのやるのか?』というようなものを7回にわたり連載しました。
最後まで付き合ってくださいましてありがとうございます。
似たようなストーリー仕立ては以前にも試みていましたが、本格的に取り組んでみたいと昔聞いた曲のイメージを『ルイドロ』風に膨らませてみました。
RINK You Tube 『水中メガネ』 歌/草野ムラマサ(スピッツ)
ストーリーのベースはこの歌詞の内容をかたどっていましたが、細かいエピソードは、ねこんの実体験と思っていただいて差し支えありません。
ひみつ基地の空家も裸で泳いだ川も場所は違いますが実際に今でも現存します。(川に関しては水量が激減。空家は現在人が住むようになっています)
お話の中でK君とNさんが訪れた廃校ですが、そこに関して少し触れておきましょう。
閉鎖された温泉の噂を確かめに現地へいきました。
この辺りは昭和の始め頃から金鉱採掘に始まり、後には水銀・カオリン・ゼオライトなどが産出される鉱山に変わっていきました。広域に大々的な試験掘りもされましたが。安価な輸入品や代替品などに押され、昭和45年から採掘はしていないそうです。
もとより岩盤が浅く耕作に向かない土地の多い場所ですが、地熱で高温になった岩盤が地下水に触れやすい地中環境がこの特異な地質を造ったと聞いています。
耕作に向かないとはいえ、酪農業も多く、鉱山関係者の家族の増加からこの地域(セタ・アン:アイヌ語で『狼のいるところ』とされる)に大正11年に創立したこの学校はわずか58年間という校史に似つかわしくない645名の卒業生を送り出しました。
鉱山の最盛期には運動会も地域こぞっての大きな催しだったそうです。
町で2番目に大きな学校であったとの話もそんな背景からも察することができます。
生徒数の増加は鉱山によるところが多かったのでその衰退と共に児童数も激減。
昭和56年をもって閉校とされました。
閉校後の二次利用は、体育館が屋内ゲートボール場として改修されたほかは、閉校時からさほど変わってはいないようです。
鉱山の工夫の減少のほかに地域の離農もまた多かったことから、GB場もさほど使われることもなくなりました。
現在グランドは、防風林からのこぼれ種が芽をふいたのか植林したように木が生長してグランドの存在すら消そうとしています。
校舎も所々が傷み始め、閉校から30年近く経ったことを感じます。
まだ、合理主義に彩られない建築的遊び心が玄関口や内部に見ることができました。
温泉調査の折に偶然見つけて立ち寄ったのがその年の最高気温を出した7月のある日。
玄関口から体育館まで真っ直ぐ通った長い廊下。明るいグリーンに彩られた教室。気温観察記録とその功労表彰状…
卒業制作の『鉛の兵隊』の絵。それを見たときにこの、『水中メガネ』の大筋がイメージできたと思います。
ここがその舞台だと…
残念なのは、第1話の体育館のシーン。この学校、GB場化しているため、人工芝が張られステージがあったと思われる面が壁ごと無く、シートが壁代わりに張られている状態であまりにも雰囲気が無いので、他校の現存する体育館を使いました。
このお話、ベースになる歌と同じく断片的で尻切れなまま終わる予定でしたが、閲覧常連のアツシ様のコメントにより3話以降を書き直して中編化しました。
要望にそえられる〆になったでしょうか?
青春の始まりは、スイッチを切り替えるように急に意識が切り替わったと自分ごとでは記憶しています。
まだ、恋の自覚など全くない頃です。性差など関係なく遊んでいられたのが、ある日いきなり相手を意識してしまう「ぎこちなさ」。
昨日まで当たり前のことだったことが、できなくなる辛さ。
どちらにも向かえない「歯がゆさ」。
それらがギシギシと身に迫っていた時間は、ある意味自分が別のものになっていく恐怖とか嫌悪のような感覚がありました。それを考えなくなるようになった頃、本音とたてまえを覚え、親の期待にそえているような作文を書き出した頃から大人の道を歩んでいたようです。
思えば「恋」を全力で考えていた時間は既に完成された状態で、その前の始まりの頃はサナギに変体し、身動きできずもがいていたのかもしれません。
いまだかつて「昔は良かった」などと思ったことのない性分ですが、細い心の琴線で必死に何かを奏でようとしていたあの頃だけは懐かしく、愛おしく思います。
現在、この学校自体は未利用ですが、隣接する元教員住宅を改修して人が住んでいます。
また、酪農家も隣接しているので、無作法な訪問はご法度です。
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コメント
美しい物語をありがとうございました。
中盤からすでに目がウルウルでございました。
子供の頃、さすがに中には入らなかったですが、
廃屋や廃洋館を見るたびに、「中はどうなっているのだろう」とワクワクしていたものです。
今となっては、交渉話術やずるさを身に付け、
「過疎」とか「老朽化」とか、知識のフィルターを通して廃の中を見ていますが、
子供の頃の純粋な気持ちの時に中に入っていたら
いったい何が見えて何を思っただろうと考えます。
投稿: haru | 2008年2月16日 (土) 01時22分
大変感謝しています。失礼な言い方ですが、大満足です。私はその歌を知らないので、なおさら新鮮な楽しさがありました。
学校というところは、青春の1ページがいくつも集まってできていて、人がいなくなった後もその余韻を感じることができるのですね。
投稿: アツシ | 2008年2月16日 (土) 01時36分
はる様:同じところへ数回行くと前には見えなかったものが見えてきますね。小さい頃のように目線を落とすとその頃に近づくような気がします。壁に書かれた小さな秘密もその高さにほとんどありますね。大人目線では見えないところに…
ファインダー越しばかりじゃなくて、自分の目で場の空気越しにじっくり見ることが良いと思います。
廊下を思いっきり走ってみるのもまた、それを感じるいい手かもしれません。(床の強度を図った上で)
感受性には年齢とか性差は、さほど重要な問題ではないでしょう。
アツシ様:ひねりのないドラマに多くのものを詰め込むことができたので感謝致します。どうしても大人言葉になってしまう所が迷いでもありました。
また、こういう感じのことはやって見たいと思うので、お付き合いください。
投稿: ねこん | 2008年2月16日 (土) 11時15分
こちらでの書き込みは初めてになります。
中盤から淡々と盛り上がる雰囲気が好きでした。
またこんな話が掲載されることを楽しみに待っています。
と・・ところで体育館の写真左右反転でしょうか??
投稿: 井手口 | 2008年2月17日 (日) 20時53分
井手口様 コメント ありがとうございます
この「水中メガネ」は所在地が重要なお話では、なかったので所在を誤魔化すために、ご明察通り左右反転・一部消去・カラー調整などをしております。
登場物件は、それぞれかなりの距離に分散しています。
それに気づいたのは、かなり現場の通だとお見受けします。
投稿: ねこん | 2008年2月17日 (日) 21時41分