« 戦士の休息 ② | トップページ | ティア・ルームへようこそ ② »

2008年1月18日 (金)

ティア・ルームへようこそ ①

アイヌ語で「カラス(特にハシブトガラスを指す)」を意味する土地。
湿地からなる沼と海に挟まれた見通しの良い直線道路。北海道の短いと言われる夏でも人々は母なる海へ向かいます。
しかし、この一帯の海には海水浴場というものはなく(遊泳禁止)、もっぱら磯遊びという意味合いの方が色濃くて…それでも海は素晴らしい。

Pasicle_top

元は海と繋がっていたそうですが上流から流れたり、海からくる砂でいつしか小さな砂丘となり、海と沼は分離しました。今でも沼が増水して線路への影響の恐れがあると、JR保線職員が砂丘を切って海に放流することもあるそうです。

Dscf2058

Dscf2037 ここに海産物市場が発展したような集落があります。市場的な様子はうかがうことができませんが、数軒のドライブインや食堂、海産物即売店、ボート小屋が軒を連ねていました。
ちょっとした海の町。小さい頃に数回、両親と来たことがある思い出の地。そんな感じでここを通るときはつい寄ってしまうところです。
現在は角地の1店舗を除いて他は閉められてしまいましたが、残る店の前では開きホッケが干し台でクルクル回っていて、自家製タコ珍味(美味しい!100gで500円)が天日干しされています。すぐ隣は既に朽ちかけてゴーストタウン化の様子。思い出の場所が次々消えていきます。

Lomo_club その中の特に間口の豪華な1軒。瓦屋根と魚介類の描かれた看板で竜宮殿のような印象です。昔は汚れたトイレしか整備されておらず駐車場といっても砂利敷きの広場、それでも良く大型の観光バスが止まっていました。
現在は、整備された道の向かいにある公園にキャンプ場も整備されていますが、当時はキャンプ場跡を思わせる程度のみすぼらしい水場があったくらいでキャンプ場情報誌でも取り上げる所は少なかったところです。当時はボートハウスも営業していました。
今は閑散として休憩のドライバー以外は目もくれず猛スピードで通過。そのため廃屋の影などでパトカーが待機ということもあるようです。
この道の先をもうしばらく走ると「道の駅」。その煽りがこういった昔からある保養地帯に影響しているそうですが、人の嗜好も変っていきます。その影響のほうが大きいのかもしれません。

Lomo_step

「ようこそ」 と言わんがばかりにドアを開け放った店先。暖簾もかかっていません。
かつてはテーブルが並んでいたでところには誰が残したのか「涙の粒」が散らばっています。何かの飾りの一部なのでしょう。あちらこちらに散らばるティア・ドロップ状の宝石は、今は在りし日を偲ぶ残された「廃墟」の涙です。

Dscf2056

Dscf2052 厨房には在りし日を偲べるものも残っていますが、開け放たれた入口や窓から海風が少しづつ内部を作り変えてきています。
小上がりに掲げられた「かに飯」の飾り暖簾が当時の「売り」だったのでしょう。
奥にはさして居住空間もないのに広い浴室。通い経営だったかもしれないです。

Dscf2054 母なる海 全ての生命は海から生じて、陸に上がる術を手に入れました。それでも母の記憶をとどめるために体内には海水の塩分濃度と同じ体液を持っています。
全身を巡る血が遺伝子レベルで「母なる海」を求めてその身を海辺に立たせる。

でも 人は理想の母を求めるあまりに虚実の海や異国の海へと旅立ちます。
産まれて最初の宮参り。そこがその子の氏子神社になります。
「神社なんてどこも同じだろう」

そう 同じ大地の上ならば
海も同じようにどこまで行ってもひとつの海

(つづく)

|

« 戦士の休息 ② | トップページ | ティア・ルームへようこそ ② »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ティア・ルームへようこそ ①:

« 戦士の休息 ② | トップページ | ティア・ルームへようこそ ② »