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2008年1月31日 (木)

ホロカ ホノカ

旧国鉄士幌線「幌加駅」。そこから徒歩では結構な距離。
辺りに見える建物は開発局の除雪ステーションくらい。
他にタウシュベツ橋梁を含めた旧士幌線の橋梁群と夏場は緑に阻まれて見えにくいトンネルなどが点在しています。

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Dscf4079 幌加駅前を走る三国峠へ至る道を遡ったところに「幌加温泉」への分岐点があります。
雪深い谷間の道を入っていくと道はいきなり湯気を上げて路面が露出。
「こんな山奥にロードヒーティング?」
これは豊富な温泉を集湯パイプを伸ばして道の上の方から路面に流しているためですね。その証拠に路面には緑色の藻が見えます。
ちょうど雨水流しの溝のところで湯が途切れる格好になっているために路面状況が激変しているのです。RVのような車高の高い車なら難なく乗り越えますが、普通の車は慎重に段差を越えましょう。

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湯気の立つ急な斜面を登ると幌加の温泉街。街と言っても宿は2軒。それぞれが谷間の高台部分に砦のように立っています。正面の「鹿の谷温泉旅館」そして洋館風の「幌加温泉」。
四季のはっきりした北海道でもこの辺りでは、里以上に四季の視覚的な差がはっきりしていて、春の芽吹きの色、夏の深緑の緑、秋の紅葉、純白の冬、それぞれの印象がまた格別な景色です。

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Dscf4142 今回は、念願の幌加温泉の方へお邪魔しました。
念願というのは、数度訪れながらいつも主人の仕入れや通院に当たり、留守だったことが多くて無念な思いをしていましたが、大阪の方から1か月程の滞在で湯治客がいたことからそのお湯を楽しむことができました。
…といってもやはり、お留守で隣の「鹿の谷」に入っていると「幌加温泉」宿泊の湯治客が、こちらへ外湯を頂きにきて「主と糠平の町へコーヒーを飲みに行っていたんだよ。もう帰っているよ」と聞き「このチャンス逃すまじ」と雪の上に藻のくっついた緑色の足跡をボテボテつけながらいってみました。

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Dscf4138 念願の洋館風の建物の引き戸を開ける。 ガラガラガラ…
「ごめんくださーい」
「はい はい いらっしゃい」見るからに人のよさそうな主。
「さっき、お留守のようでしたけど向こう(鹿の谷)でここのお客さんとあったんですよ」
「あーちょっと出かけていてね ごめんなさいね」
「外湯をいただきたいんですが」
「はい うちは300円です」 安い。銭湯より安い…

Dscf4140 浴場へ至る廊下は間口に似合わず長い。二階の客室へ至る階段がいい風合いです。
洋館というより古い病院か学校のような印象もある。
温泉の効能書きにも宿の絵が描かれて、固くなりがちな書面が暖かい。
横の壁には文筆家の故山口瞳氏(コピーライター時代の「トリスを飲んでハワイに行こう!」が有名)の手書きエッセイが貼り出されている。

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すでにひと湯こなしてきた体だが入らないともったいない。ましてや千枚田や鍾乳洞に例えられるような浴室だから、なおのこと見ないわけにはいかない。でも片手のタオル、もう片手にカメラというのも異常だ。ドアを開けてみると「…?」話と違うかな?普通の浴槽がひとつ。
どうやら男女どちらも同じ状況ではなかったらしい。
ポカンとしていると窓の外に何かの気配が…

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なんと女湯の窓の外にエゾシカが結集している!そういうふざけたことはシカ同士でやって欲しいところだが、なにやら餌付けでもされているのか何かを貪っていた。
横の壁にノブが壊れて半開きのドアがあり、男湯の方を除いてみる(さっきの湯治のおか客さんはまだ向こうだ。他にはいないだろう)。

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Dscf4121_2 ドアの向こうは正に念願の千枚田!「画像では見たけどこれは凄い!」鍾乳洞の例えもそうだが、テカテカした感じが「エイリアン」の1シーンと言えなくもない。

隅にあるのが食塩泉。手前の大き目のところが硫黄泉。析出物の造形が美しい打たせ湯は、すでに元の湯船の形などわからないくらいになっています。(髪まで濡らすわけにもいかないので打たせ湯は入られず)

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Dscf4125 「すごいなー すごいなー」と言いながらひとりで湯にも入らず撮影。行ったり来たりしていたので浴室内の湯気が濃くなり撮影は終了。ゆっくりお湯を楽しむとしましょう。
うーんいいなー 理屈は何となく知っているから当たり前だけど、地の底からこんなお湯が出てくるのも不思議なものだなー。頭で知っていることと体で感じることには差があるようだ…
そう考えるといろいろなこともそうなんだな。引力も重力も摩擦もその他、人類が歴史の中で解き明かした諸般の現象とその理屈は、教えられて頭で解っているけど体験が伴うと当たり前のことが妙に実感します。

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温泉は、本来大地から無償で渡された「愛」です。その愛に包まれて何だか幸せな気分。そんな愛情のぬくもりに応えるためにも、せめてできる範囲で「地球に優しく」と思った。

でも長湯し過ぎて「愛」に溺れないように…

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2008年1月28日 (月)

がんばれ みはるちゃん

「みはるちゃん」は、小学生だけど学校へは行きません。
学校の近くの横断歩道にいて、みんなの行きと帰りに乱暴な車がいないかどうか見張り続けているのです。

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Dscf3584_2 朝も夜も 雨の日も そしてこんな雪の日も 暑い夏や凍てつく冬さえも…
そんな「みはるちゃん」にみんなは『おはよう!』と言ってくれます。
そうではない子もいましたが多くの子ども達に「みはるちゃん」は愛されていたようです。
みんなのその声に応えられないのは「みはるちゃん」の心の切ない部分でしたが、みんなの笑顔がそれを支えていました。 

みはるちゃんには、片思いの彼がいました。いつも道をはさんだ横断歩道の向こう側に同じような大事な仕事をしている「まもる君」です。
でも、みはるちゃんは、とっても恥ずかしがり屋さんなので一度も「まもる君」に話しかけられませんでした。

Dscf3589 …でした。 そう「まもる君」はどこかへ引っ越してしまったようです。
一度も想いを伝えられないまま、「みはるちゃん」の前から消えてしまいました。
悲しい出来事はそれだけではなく、今度はいつも「みはるちゃん」に声をかけてくれていた子達がもうここへは、こないことになってしまったのです。

「みはるちゃん」 学校がなくなっちゃうんだよ…
毎朝「おはよう!」「さよなら!」を言ってくれる同じ黄色の帽子を被った女の子が教えてくれました。

このあたりには、昔は家がたくさんあったのにいつのまにか数えるほどに減ってしまいました。家が減ってしまうと子ども達も減ってしまうそうです。それで学校が学校であり続けることができなくなってしまったのです。

Dscf3587 「さよなら『みはるちゃん』」
「さよなら…」 黄色い帽子の子も泣いていました。

「みはるちゃん」は泣きません。泣かないのです。
どんなことがあっても泣けないのです。
でも心の中は誰よりも悲しかったのです。

それからずーっと長い日が流れました。
すっかり広々となってしまった街の跡。誰もこない道。
相変わらず「みはるちゃん」を見てスピードを緩めていく車はありましたが、側まできて話しかけてくれる人はいません。「上げた右手もなんだかくたびれてきた…」
意味もなく立ち続けて、とても悲しくなります。

そんなある日、「みはるちゃん」の前に黄色の車が止まった。

「みはるちゃん、こんにちは!」
大人の女の人が笑顔で目の前に来ました。 『はてな?』
おや?ぼんやりとした記憶の中の黄色い帽子の女の子の笑顔とこの大人の人の顔が何だか重なってきた…。

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「みはるちゃん」は今日も元気に立っている。
真っ直ぐつきあげた右手は忘れかけた大事なものに手が届いたような気がして力が入ります。
「わたしも あんなふうに なれるかなぁ」
この間のきれいな女の人を思い出します。

たぶん きっと それは まちがいなく 叶うことでしょう
そのときは「みはるちゃん」も笑顔の素敵な女の子に生まれ変わっているはずです。
がんばりやさんのこの子なのですから…

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2008年1月26日 (土)

にいない

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「にいない」という言葉に何か想い深いものを感じる。
JUDY AND MARY のYUKIがJ&Mの活動休止期に結成していた「アークザラッド」の主題歌などで知られる「NiNa」のアルバムをやたら聞いていたので【ニーナ→にいない】という単純な意識があるような気がする。
『新内』 最初は「しんない」と読んでいたけど「にいない」のほうが暖かい。
なんだか、いい名前だ。

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Dscf1219 旧国鉄狩勝線は、当時の技術の問題から低位置に長いトンネルを造ることができず「登れる所までは何とか登れ」といった感じで新日本八景(昭和2年:毎日新聞社の募集により制定。栃木県の華厳の滝や長崎県の雲仙などとならぶ)のひとつに数えられる「狩勝峠」を走っていました。

最大斜度が狩勝トンネル内でも1000分の25パミール(1㎞間の高低差が25メートル)。
通過中の機関車が逆流してきた煤煙に包まれて機関士が窒息死寸前になることも度々あったようです。(「鉄道員」という映画でそんな下りがあります)
狩勝隧道(トンネル)は延長945mで明治34(1901)年7月に着工しますが固い岩と湧水に阻まれる難工事で完成まで3年半を要したそうです。

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Dscf1244 一方、先の明治37(1904)年には延長124メートルの『新内隧道』が完成。ここから軌道は高さ80mを越える巨大築堤にささえられ、新得町新内駅に入ります。
北海道の東西を結ぶ要線でありながら、狩勝峠の名にふさわしく「北海道の屋根」を越えるこの路線は自然と運転の条件の悪さから昭和41年(1966)に新線に入れ替わり、一部実験線として利用され現在は名実共に使命を終えました。

Dscf1245 現在、同線は有志による「旧狩勝線を楽しむ会」により遺構調査、保存車両の修復、探訪ツアーにより多くの人々に愛され続けています。
囚人やタコと呼ばれた人々の労働によって造られ、開線後も事件や事故、騒動の舞台となった激しいルートも今は、木立に囲まれた癒しの小道であるように静かです。(ただし、熊が頻繁に出没する地帯でもある)

同会主催のツアーに参加してこの「新内隧道」にやってきました。
アーチ部分はレンガ積み、側壁は石組み。入口両側には、切りかけが加えられる壁柱が立ちアーチ部分には要石(かなめいし)をはめられた切石で構成されています。
ものの本では以前から見ていたトンネルですが現地で見ると、その重厚感というか崇高な寺院の遺跡のようです。明治37年製とは思えない。それほど頑丈なものを当時は作ることができたのです。

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中は十数mほど入ったところで埋められて向こう側へ至ることはできませんが、この入口に品のない蓋をされる(安全のため)よりはずっとましです。トンネル内上部は機関車の煤煙跡のような黒ずみも確認できる。

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旧狩勝線を楽しむ会」や鉄路ファンに愛されて静かに余生を過ごすトンネルは木立の続く道(かつての軌道)の奥で浮世の出来事など「さもあらん」というかのごとく大あくびをしているのでした。

※通常トンネル内は立ち入り禁止措置がとられています。
 熊出没地帯でもあるため単独行動は、要注意です。

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2008年1月22日 (火)

アメユジュトテチテケンジャ

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冬 この季節、朽ちかけた民家を訪れて欠け茶碗が転がっていたりすると思い出す詩の一節がある。

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『アメユジュ トテチテ ケンジャ』

宮沢賢治の「永訣の朝」に出てくる言葉です。

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Dscf3127  けふのうちに
 とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
 みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
  (あめゆじゆとてちてけんじゃ)
 うすあかるくいっさう陰惨な雲から
 みぞれはびちよびちよふつてくる
  (あめゆじゆとてちてけんじや)

Dscf3128  青い蓴菜のもやうのついた
 これらふたつのかけた陶椀に  
 おまへがたべるあめゆきをとらうとして
 わたしはまがつたてつぽうだまのやうに
 このくらいみぞれのなかに飛びだした
  (あめゆじゆとてちてけんじゃ)

 Dscf3132 蒼鉛いろの暗い雲から
 みぞれはびちよびちよ沈んでくる
 ああとし子
 死ぬといふいまごろになつて

 わたくしをいつしやうあかるくするために
 こんなさつぱりした雪のひとわんを
 おまへはわたくしにたのんだのだ
 ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
 わたくしもまつすぐにすすんでいくから
  (あめゆじゆとてちてけんじゃ)

Dscf3136  はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
 おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
 そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
 …ふたきれのみかげせきざいに
 みぞれはさびしくたまつてゐる
 わたくしはそのうへにあぶなくたち
 雪と水とのまつしろな二相系をたもち   
Dscf3141  すきとほるつめたい雫にみちた
 このつややかな松のえだから
 わたくしのやさしいいもうとの
 さいごのたべものをもらつていかう
 わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ

 みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
 もうけふおまへはわかれてしまふ
  (Ora Orade Shitori egumo)

Dscf3137  あああのとざされた病室の
 くらいびやうぶやかやのなかに
 やさしくあおじろく燃えてゐる
 わたしのけなげないもうとよ
 この雪はどこをえらばうにも
 あんまりどこもまっしろなのだ
 あんなおそろしいみだれたそらから
 このうつくしい雪がきたのだ
Dscf3148  (うまれでくるたて 
  こんどはこたにわりやのごとばかりで
    
くるしまなあよにうまれてくる)

 おまえがたべるこのふたわんのゆきに
 わたくしはいまこころからいのる
 どうかこれが天上のアイスクリームになって
 おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
 わたしのすべてのさいはひをかけてねがふ

Dscf3151     

Dscf3130_2 「あめゆじゅ」は「雨雪」すなわち天から降り注ぐみぞれ
賢治の最愛の妹であり、同じ信仰の同志でもあった『とし子』は教員をしていましたが病のため25歳という短い生涯でした。

死の床にあってとし子(死期を悟っていた)は末期の水として賢治に『あま雪(みぞれ)をとってきてください』と頼みます。
賢治は悲しみの混乱の果て、それは「とし子」が自分(賢治)のために頼んだと悟ります。
「びちよびちよふってくるみぞれ」が「さつぱりとした雪のひとわん」に変わることから読み取れます。

Ora Orade Shitori egumo 「わたしはわたしひとりで行く」 妹は既に死を悟っていました。妹の最も内面的な覚悟の言葉。賢治を強く突き動かした言葉は、他と区別されローマ字につづられました。

うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる 「今度生まれてきたら、こんな自分のことばかりで苦しまない人間に生まれてくる」 自分の苦しみで終わってしまう人生を振り返り、生まれ変わったら自分のことより他人のために汗を流す生き方をしたいという菩薩道の願いが込められています。

旧式な仮名つかいですが、心の微妙な変化を的確に表現した難しくもない優れた詩のひとつです。

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どうして茶碗一個でここまで掘り下げたかというと、あったんですよ。二階の書棚の農業関係の本の山の中にこの「永訣の朝」の載った本が…
農家かもしれませんが近場に耕作地らしいところもさほどなく、横には林業鉄道の軌道がすぐ走っていた家。ここに人がいた頃は、最寄の学校も「僻地5級」の土地柄。市街への食料買出しもままならなかったと思います。そんな暮らしをあるいは宮沢賢治と照らし合わせていたのでしょう。

「あめゆじゅとてちてけんじゃ」

それは、妹から兄への言葉ではなく、いまや見るものが自分の生き方を問い直すための呪文なのかも知れません。
問い直された心に足りないものは何か…?

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2008年1月19日 (土)

ティア・ルームへようこそ ②

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床に散らばる凍った涙の雫 貼絨毯に血のように浮き出した赤錆

それを覗き見るかのように排気口から侵入する植物のツル

こけ脅されて割れた器 熱くなることもなく老け込んでしまったガスコンロ

忘れられた色紙は かつての栄華をブツブツと呟く

涙の主は階上から海を見て泣いているのか

近くにいながら行ったことのない海 ずっと行くことのない海

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Dscf2041 竜宮風な間口と和風な小上がりには不似合いと思われる階段。
営業中には「土足禁止」となっていたようですが、今は潮風が創作意欲ふんだんに彩をいれている。
そこを上がっていくと吹き抜け部分に涙の主であるシャンデリアがカーテンをまといながら屋根の波の向こうに見える本物の波を見つめています。
潮風がそうしたのか、その身から落ちた雫が涙となって階下の床に散らばっていたのです。その雫も今はほとんど枯れてしまいました。

Syand

Wallnoise_3 2階は、純喫茶風の洋室。カニ飯の後にオレンジ・ペコというようなシャレた一時があったのでしょうか。あたりでこんな洋室を携えているのはここだけです。
ここの隅にベッドでもあれば立派なゲストルームになりそう。
階下の誰が使うのか?といった浴室の存在を考えると意外にそんなことに使われていたのかもしれません。ここには唯一残された椅子が一脚。主は最後の日に静かに座って時代を振り返り、最後の暖簾を下ろしたのでしょう。
すべては既に古になりました。

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Dish奥の部屋(事務所とされている)にギターがありました。
海の見える窓辺でラブソングが奏でられていた様子が目に浮かびます。
昔テレビで見た日活青春映画、それも海の映画には必ずギターが見えました。
「イモを洗う」の例えのように砂地も見えない浜辺の風景にギターはありました。
ギターが俳句の季語に認められることがあれば、それは「夏」にちがいありません。

Dscf3599 この店は他店同様、海産物の地方発送なども受けていたようです。
カニだのホタテだのここの海から上がっていたのか?とも思えますが浜の特権ではなくなった商いは、道行く人たちにとって、もはや魅力的ものでもない。
「あそこはねぇ…もう、何年になるかねぇ…」残る店のおばちゃんは、それ以上多くを語るでもなく自分の心の中にあるものに浸っていました。
機械にくくられてカラカラと回るホッケの開きは、このまま群れになって空の向こうへ飛んでいきそう…背後には潮騒に負けない勢いの車の通過音。

Lomosea

ここは、いつか鳴り物もなく静かに跡形もなく過去になっていくのでしょう。
それまで、あと幾度、この地に立つことがあるのか…
砂浜に打ち上げられた貝殻がいずれ砂粒のひとつに変わるように人の跡も消えていくことでしょう。でもそれは「消滅」ではありません。

母なる海だけがそれを否めることなくじっと見ていきます。はるか昔もそして未来も…

涙もまた小さな海 こころの堤防は実に容易く決壊する

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2008年1月18日 (金)

ティア・ルームへようこそ ①

アイヌ語で「カラス(特にハシブトガラスを指す)」を意味する土地。
湿地からなる沼と海に挟まれた見通しの良い直線道路。北海道の短いと言われる夏でも人々は母なる海へ向かいます。
しかし、この一帯の海には海水浴場というものはなく(遊泳禁止)、もっぱら磯遊びという意味合いの方が色濃くて…それでも海は素晴らしい。

Pasicle_top

元は海と繋がっていたそうですが上流から流れたり、海からくる砂でいつしか小さな砂丘となり、海と沼は分離しました。今でも沼が増水して線路への影響の恐れがあると、JR保線職員が砂丘を切って海に放流することもあるそうです。

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Dscf2037 ここに海産物市場が発展したような集落があります。市場的な様子はうかがうことができませんが、数軒のドライブインや食堂、海産物即売店、ボート小屋が軒を連ねていました。
ちょっとした海の町。小さい頃に数回、両親と来たことがある思い出の地。そんな感じでここを通るときはつい寄ってしまうところです。
現在は角地の1店舗を除いて他は閉められてしまいましたが、残る店の前では開きホッケが干し台でクルクル回っていて、自家製タコ珍味(美味しい!100gで500円)が天日干しされています。すぐ隣は既に朽ちかけてゴーストタウン化の様子。思い出の場所が次々消えていきます。

Lomo_club その中の特に間口の豪華な1軒。瓦屋根と魚介類の描かれた看板で竜宮殿のような印象です。昔は汚れたトイレしか整備されておらず駐車場といっても砂利敷きの広場、それでも良く大型の観光バスが止まっていました。
現在は、整備された道の向かいにある公園にキャンプ場も整備されていますが、当時はキャンプ場跡を思わせる程度のみすぼらしい水場があったくらいでキャンプ場情報誌でも取り上げる所は少なかったところです。当時はボートハウスも営業していました。
今は閑散として休憩のドライバー以外は目もくれず猛スピードで通過。そのため廃屋の影などでパトカーが待機ということもあるようです。
この道の先をもうしばらく走ると「道の駅」。その煽りがこういった昔からある保養地帯に影響しているそうですが、人の嗜好も変っていきます。その影響のほうが大きいのかもしれません。

Lomo_step

「ようこそ」 と言わんがばかりにドアを開け放った店先。暖簾もかかっていません。
かつてはテーブルが並んでいたでところには誰が残したのか「涙の粒」が散らばっています。何かの飾りの一部なのでしょう。あちらこちらに散らばるティア・ドロップ状の宝石は、今は在りし日を偲ぶ残された「廃墟」の涙です。

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Dscf2052 厨房には在りし日を偲べるものも残っていますが、開け放たれた入口や窓から海風が少しづつ内部を作り変えてきています。
小上がりに掲げられた「かに飯」の飾り暖簾が当時の「売り」だったのでしょう。
奥にはさして居住空間もないのに広い浴室。通い経営だったかもしれないです。

Dscf2054 母なる海 全ての生命は海から生じて、陸に上がる術を手に入れました。それでも母の記憶をとどめるために体内には海水の塩分濃度と同じ体液を持っています。
全身を巡る血が遺伝子レベルで「母なる海」を求めてその身を海辺に立たせる。

でも 人は理想の母を求めるあまりに虚実の海や異国の海へと旅立ちます。
産まれて最初の宮参り。そこがその子の氏子神社になります。
「神社なんてどこも同じだろう」

そう 同じ大地の上ならば
海も同じようにどこまで行ってもひとつの海

(つづく)

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2008年1月16日 (水)

戦士の休息 ②

澄み渡ったというよりも塗りこめたような冬の青空の下で学び舎は静かに余生を送っています。収蔵された郷土資料も同じ宿命でここに来ました。2名の軍人もここで静かに休息しています。忘れてはいけない記憶も閉じ込めてしまっては無しも同然。彼らがここを出て再び時代の証言者になる日はくるのでしょうか?

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Dscf2498 ここが閉校になったとき、他にいくつかの学校が共に閉校となり新設校へ統合になりました。
町内に15あった学び舎(中学校は除く。中学校併置校は含む)は、現在4つ。市街地にもとよりある学校は、宅地造成にともなって生徒数は増加。学校もそうですが低学年児童用の学童保育所(放課が早いので一時預かりの目的)は定員オーバーで飽和状態は改善されていないようです。
他の新設校は郡部からのスクールバス通と近隣校区内のみで全校生徒300人以下かそれにも及ばない格差がついています。
適正配置の名の下に閉校が繰り返されてきましたが、弊害もやや出てきているようです。
少子化で児童減少のため存続の危ない学校もあれば、近郊の分譲宅地化で児童数の集中する学校もあります。

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Dscf2489 ここが郷土飼料備蓄庫になったのは閉校からさほど経っていないようです。学校も資料館も郷土資料も教育委員会管轄ですから自然な成り行きなのです。児童の使っていた机は奥の1室にまとめられてはいるものの、さほど壊されもせず現存。
体育館の屋根は錆ですっかり変色はしていますが、まだ雨漏りもなく比較的いい状態で、施設として再利用するなら大げさな手直しがなくても使えるようです。近隣の他校がそのように作りかえられているので実際には難しいのでしょうけど。
木造校舎としては定評もあるのですが…

屋根が錆びつきながらも体育館の中は、かつての威厳を保ったまま集会の日に備、隅の卒業生寄贈のピアノも校歌の伴奏を記憶しているのでしょう。

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Dscf2496 校内の掲示物も閉校時の様子が見えて昭和63年3月のあの日以来、時は動くのを止めてしまいました。
動かない校舎の中、時から捨てられた動かないもの達が集められ、行先もなく沈黙の時間割がずっと続いていきます。

空気の停止した感じは、かび臭いということではなく、閉じ込められていた空気(状態)がこわばって固まってしまったようなものです。

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Dscf2446 ねこんがいた学校も市街地に統合になった過去がありますが実感がなくて、ましてや卒業式とともに閉校式も兼ねていたので、学校がなくなるんだという実感はなかったと記憶します。
見えていたものが見えなくなってから(解体)手遅れの実感がでました。
錆びた屋根は桜との対比でみすぼらしくなってしまったのかもしれませんが、土地の功労者の一人としてねぎらいの気持は持ってあげたいですね。

旅で訪れた学び舎は、すべて母校です。記念碑が墓標になってしまわないように祈ります。『永久』が文字だけになってしまわないように…
『いつか』が『いまさら』に変わらないうちに何かをとどめていきたいです。

Epitaph

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「♪…」 体育館からピアノの音色が聞こえる

    空気が一瞬にして溶きほぐれた感じがした

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                   確かに感じた

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2008年1月15日 (火)

戦士の休息 ①

男は誰も皆 無口な兵士  
笑って死ねる人生 それさえあればいい

戦後60年 相変わらず世は「受験戦争」とか「企業戦士」とか「経営戦略」など暮らしから戦いの遺構は消えない。想いとはかけ離れたレベルで時代は変わっていく。
「時代は変わったんだ」 「生き残るための努力」 キリギリスになった覚えも無いのに強いられるなにか。後ろめたさもないのに迫り来る脅威。
いったい何を見るのか? 見せられるのか…
かつて戦乱の時代、戦場に駆り出された人々は「1銭5厘の命」と揶揄されたことがある。
召集令状1枚(1銭5厘)でいくらでも連れてこれるということだが当時、予科練に来る者達は面と向かってそれを叩き込まれたそうだ。

「いやぁー今日は6万負けてきたよ」 レジ越しに聞きもしないのに笑って戦果の報告をするおじさん。彼も戦士だろうか…

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親父眉ながら端正な顔のラインと筋の通った鼻。いつか流行ったヘンナブラウン系のルージュをさして明らかに女形。目はすっかり狼狽していますが、どこかのおかみさん人形に比べれば血の通った人のようです。でも、かなり脂が浮いているようでテカリが尋常ではありません。

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Dscf2504 彼らが戦士の休息所として来た所は、旧北海道芽室町立明正小学校。
名前の由来は明治の『明』、大正の『正』。ふたつの時代にわたる学校という意味だそうです。
明治45年創立。昭和63年に最後の児童22名を新設校に委ねて77年の決して長いとは言えない校史は幕を下ろしました。それまで送り出した児童数は1308名と郡部にしては破格の人数。広大な平野の下、当時は一帯の戸数がいかに多かったかを物語ります。

Dscf2513 正面入口は意外と小さく、前にポスト(使用不可)があるので何処かの駅舎のようにも見えます。集合煙突の位置が教室間ではなく、真ん中にズーンと立っているのが変わっているかなぁ…錆びかけた緑のトタン屋根の木造校舎。冬の青空とのコントラストが美しい。

現在の姿は、閉校後、他の廃校などに分散収納していた郷土資料をここに集約。近くにある郷土資料博物館の備品庫として町に管理されています。
そんなわけで校内は農具や馬具、開拓時代の生活用品などが分類整理されています。
観覧は事前に町に申請すれば可能なので、お休みの日だったようですが担当の方に中を見せていただきました。Dscf2476

他にも誰かくるのかな? 聞いたところ…
「1年に1度あるか無いかですね。この前は警察が来ました。」
えーっ警察?
「収蔵品に砲弾があって、爆発の危険もあるので処分になったんですよ」
そういえば、ここを見に来る手続きを教えてくれた役場の人も「新聞のことかい?」と言っていたのはそのことなんだ。
「元の出所は分からなかったんですけど、個人で所有していた方も回りまわって譲り受けたものらしかったです。『●●記念』と掘り込みがあったんで数発持っていて配ったんですね」
へーっ何だか怖い。

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「あそこの児童の協同制作の絵がありますよね。あの、真ん中の2年生のところ。先生がおじいさんに殴打されているらしいですが何かあったんでしょうか?」
「僕は街の学校卒なんで分からないです。確かにそうですよね、殴られてる…」
この件は、閉校記念誌か学校文集で調べてみることにしよう。
よほどインパクトのある出来事だったんだろう。修学旅行の思い出と同レベルなんだからよほどの出来事だったのかも。

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「博物館の方とは定期的に展示品の入れ替えしているんですか?」
「そうするべきなんですけどね。収蔵品の年代でダブったりしているものも多いし、閉館してまでの入れ替えは今のところあまりできないんですよ」
ということですが、ここ自体がひとつの郷土資料館であるかのように綺麗に陳列してあるので、このまま通常公開しても…と思いましたが、町の予算としてはそれはできないところらしいです。

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春になれば今も咲き誇る校庭の桜は見事なものです。体育館の屋根板が錆び付いた色で桜の美観が損なわれるから壊してしまえ!という一意見も広報誌の投書にはありました。
まぁ、人の美観はそれぞれですからとやかく言えたものではないんですけどね。そういうことをあっさり言ってしまうのはちと寂しい…

(つづく)

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2008年1月14日 (月)

ダグトリオの森

ダグトリオ

分類:モグラポケモン  タイプ:地面  英語名:Diglet
体長:0.2m  体重:0.8kg  特性:すながくれ/ありじごく

D1ディグダの進化形。モグラの形体だが実際はモグラたたきのモグラに近い。体は筒状で頭が半球。体の下部は土の中だが、その部分は誰も知らない。
地下1メートルの深さを掘り進み、木の根をかじって生きている。穴を掘ることを得意とする。実際のモグラは植物の根を荒らすため害獣とされるが、ディグダが通った後は地面が程よく耕されるため、多くの農家に飼われる益獣である。皮膚が薄いため日光に弱い。

なぜ、数が増えただけなのに進化になるんだろう…
ともかく始めて見た時にポケモンの「ダグトリオ」だなーって思ったんです。

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Dag順番は手前右が長男。その奥の青頭が次男。頭のないのが3男だと思います。
お断りしておきますが、ここはねこんのオリジナル物件ではありません。
マイミクの方の既出なので、敬意を表します。「ウォーッシ!」(←これは気合)

ここへは来た事はありませんでしたが、ここの土地勘はあったので沢沿いのここに牧場があったことは不思議に思いました。なぜならばこの沢の上にも下にも沢沿いに牧場を築くところは皆無だったからです。そこそこ高低差の出る沢で、西日が陰るのも早いこの場で夏場はともかく冬場は辛いところが偲ばれます。(おそらく真冬なら日中に水道管凍結)

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Dscf3992 住宅はもっと高台の上の方にあったでしょうが、今は解体されているようです。
現在残るのはサイロ3兄弟と屋根の落ちた牛舎の痕跡。収容頭数は10頭もない大きさなので、サイロ3本は過剰。別棟の牛舎があったとするのが普通か…?昭和52年の空撮では林はまだ深くはなっていませんが、引き込み道の跡が見えないので既に離農後か?
Dscf3989手前の木立のところには住居のようなものが見えます。平地のようにも見えるけど、沢に向かって傾斜のある土地。

帽子のない3男は、一番ずんぐりして頑丈そうですが、背面に回ると大きな傷がありました。奥の青帽子の次男に比べてブロックの面が大きい。専用ブロックではなく、一般普及型で塀などに使う「間知(けんち)ブロック」と呼ばれる断面に穴が空いているものを使っているようですね。目地も荒いので自分で施工したようですが、基礎に難があって加重に偏りがでたらしい。長い時間をかけての施工の末、使われることなく兄弟達と一緒に立ち続ける。

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いつか、傷心の弟を兄達が支えることもあるでしょう。

「ひとりじゃないんだ…がんばれよ」

ダグトリオは、3匹でひとつ。お互いの繋がりが深いからこそひとつになれる

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2008年1月12日 (土)

あおぞら

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北海道。特にねこんの住んでいる地方は、1年を通すと冬場の方が気候が安定しています。
そのため同じ道内でも雪の多い札幌などと違って、ドカ雪はひとシーズンに1、2回程度でしょうか。冬型高気圧の動き出す1月下旬頃が不安定な時期ですね。
雪は少ないですが冷え込みは尋常ではなく朝、表の温度計を見るとマイナス15℃以下も珍しいことではありません。公式な最低気温よりも下回るんですね。空気もピンと張り詰めてくるので空の青も雲の白も実に気持ちよく輝いています。
そんな初冬のまだ道が乾いている早朝、このドライブインにきました。

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Dscf1968 雪がほとんどないとは言っても霜柱は4・5センチに成長していました。「もうこんな季節なんだなぁ」。 ラジオで聞いた知識ですが霜柱は、ほとんど日本だけのものといって良いそうです。粒子の細かい火山灰土壌で水が良く通る土質のところができやすい。
そんなわけで土壌が火山灰ではない諸外国では具体的に「霜柱」にあたる言葉すら無いそうです。
性質的には、その成長メカニズムは氷というよりも雪に近いらしい。
そんな霜柱の上をザクザク歩くのも久しぶりです。小学生の頃に寒い朝、水溜りの薄氷を踏み割りながら学校へ行ったのを思い出します。

Dscf1969 市街地から少し離れたこのあたりは、「ドライブイン銀座」と言えるほどドライブインが密集しているところです。そのうちの何件かは廃業。数軒が現役。そして廃墟化したところがあります。
この先にある、「道の駅」ができてから、その煽りで閉店したと聞きましたが、さほど近い場所でもないので、それだけが原因とも思えない。少し離れているところも含めると7軒。これだけ店が固まっていれば余力の及ばないところが先に消えていくのも無理の無いことです。1軒は、ライダー用の素泊まり宿に改装されていましたが、夏の北海道を満喫する旅のライダーもめっきり減ってしまいました。そういう簡易風宿もいつのまにか消えていきました。

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Dscf1971 ドライブインにしてはちょっと小粋な名前のここ、購買物件ということになっていますが、駐車場であった場所も背の高い雑草がうっそうとして、舗装であったのかも確認しずらいほど荒れ果てています。店舗入口付近にあったフード部分は建物から剥がれるように崩れ落ち、上方の外壁も強風に持ち去られています。内部は実際の店内部分と居住空間が3間ほど。
厨房らしきところが見当たらないので店舗部分の一角がそれだったようです。飲料販売機のようなものの残骸があるだけでテーブルや厨房用品はありません。
居住空間は不似合いに広い玄関を除くと公宅のようで家族の暮らしには、狭さを感じます。

Dscf1975 一見、狭く見える店内ですが、2階に特別室があります。「大ホール」と上書きがありますが下に見える文字は「DISCO」。ジョン・トラボルタの「サタディーナイト・フィーバー」を思い出します。週末の夜、この空間が色とりどりの照明に照らされてシュールなかけ引きがあったのでしょうか…。

Dscf1976 フロアは、小さなステージとDJルーム(?)のほかは通しの広い空間。ディスコとは程遠いところです。地域の集まりとしては市街地から遠いので主な利用は、キャンペーン回りの演歌歌手のミニ歌謡ショーあたりが実際の活用だったでしょう。
他所の郊外にあるドライブインに聞いたことのない歌手のサイン入りポスターや色紙、ミラーボールやお立ち台があるのを見かけることがあるので、1曲の寿命が長く、売り込みはキャンペーンが信条の演歌界では、こういった場所は重宝されたことでしょう。娯楽の少ない地方では、売り出し中の新人でも比較的人が集まるようです。
このホール室の存在が一帯の他店と異なる特徴です。キャンペーンも毎度毎度あるわけでもないので、モータリゼーションの発展に伴うスピード化が、人の足を留まらせなくなったことで真綿で首を絞められるがごとく衰退していったのでしょう。

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Dscf1973 家族の居間だった部屋。
何も残っていないかに見えた室内の壁に子どもの描いた絵が残っています。

大好きなお母さん。家で一日中誰かのご飯を作っていて、自分のご飯も作っていた。
だから、お母さんはいつもウサギのエプロン姿。
大好きなお母さんの絵は、たぶん「母の日」のプレゼント。

母は、絵をいつも見えるところに貼った…

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どこまでも続く「あおぞら」
ブルーというと憂鬱なイメージなのに空のブルーはさわやかなブルー
地上の喧騒など意に介しないように雲がのんびり流れていく…
夢とか愛とか語りながらリアルが邪魔をする。
誰もそんなことになるのは望んでいないのに…
「あおぞら」を見上げることなく人は俯いていくだけなのだろうか…

大事な絵だからここに貼られたはずなのに残されてしまいました
食事でお腹は満たされるけど ココロが空くのは辛い…

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2008年1月 9日 (水)

ありがとう愛 さようなら恋

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「俺の武器はエアロスミスだ!」と言っていた男がいた。
それは、エアロスミスを語らせたら俺の右に出る奴はいないという自慢話なのかと思っていました。
本当はエアロスミスが彼を男にするのであって、それがなければ不器用な男。
でもそれが、偽りの彼自身なのかというとそうではなく、エアロスミスは自分をさらけ出す必要不可欠な兵器だったのです。男の子はヒーローごっこの中から自分だけの鎧を探しているのかもしれません。

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Dscf4021 高速道路からいつも見えるのに行ったことの無い廃校へ向かいました。
ほぼ、当時のままでまだ、壊されている部分はないようです。
郡部の廃校は、体育館以外は壊してしまうこともよくありますから比較的良い時期に来られたと思います。
隣の教宅に住んでいる人が留守らしく、中も見られそうもないので外見と閉校記念モニュメントを見て、来た道を更に登りました。

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Dscf4049 こっちには来たことがないのですが、見覚えのある風景と廃屋。
(あとではっきりしました。ここは、先客がいたんですねー)
とりあえず、装備はあるので場所にそぐわないスノボスタイルでアクセスを試みます。
年末の大雪でさすがに歩みがしんどい…。先日の雪中行軍探索の筋肉痛もまだ癒えていないので若干キツイ。

土壁の古風な家。

「ごめんくださーい…?」 
返事があったら怖いよ。

Dscf4046玄関先スレスレに木が立っている。こんなところに木は植えないから廃墟後に生えたのでしょう。 ストーブが見える。ここが居間かな?外観に似合わずモダンな室内です。天井板がバラバラ落ちていて見上げると梁なんかが丸見えだ。ついでに流しの棚の下にヘビの置き土産があって引いた…。(冬だから大丈夫)

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Dscf4027  モダンといってもここまでで、あとは和風な間取りです。居間はリフォームされたんですね。土壁と障子の続く家です。隣室には大きな戸棚。この部屋が大きく歪んでいて土壁も崩落し始めていました。でもこのゆがみは往年から始まっていたらしく、建具の狂いを充て木で補正しています。全体の崩壊はここから始まっていくのでしょう…

  その奥にある部屋。小さな机と歪んだ障子最初のふたつ以外の部屋は畳敷き。新聞の日付は「昭和39年1月5日」40年以上前。土壁の家だとこのくらいは経ちますか。
小さな座机の引き出しを引いてみる…小さな宝箱だ。この机を使っていた子の絵(たぶんマジンガーZ)と「マジンガーZ」の箱(本の付録)。

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マジンガーZのアニメ放映が1972年12月3日ですから、この付録は1973年3月(雑誌は月が先行するので)ころのものです。ほかに…とても親に見せられないもの。4年生だ。先の付録は「たのしい幼稚園」のものだから歳が合わないな…物持ちがいいんでしょう。

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障子の壊れ具合は、上から押しつぶされている風で思ったより早く崩壊ははじまるのかもしれません。残る障子も微動だにしないので、かろうじて屋根をささえているのでしょう。
南に面するふた間は畳も崩壊しだして藁まみれのようです。放り込まれた木材で廊下の床板もホウセンカのように弾けだしていました。隅には足踏みミシン。相変わらず家の威厳を主張する床柱。飾り窓が鳥居のような形で面白い。

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Dscf4038 壁に文字を見つけて近づいてみる。

「みかは かつひこが 大すきだ」

相手の家の壁にこれを刻む子もかなり大胆です。
世の中の風潮は、特に告白の特権は女の子に分があるようです。間に人が立つことも多いですが、要領は男より一枚上。
みかちゃんは近所の子でしょうか。

残念なのは、親の都合で二人は、別れ別れになってしまったことです。
大胆な告白は、この家に一家がいたころなのか…そうでなければ悲しいドラマです…。

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どちらにしても相手がここにいてこそ。
どちらにしても…

 アナタガ ココニ イテ 欲シイ…

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2008年1月 8日 (火)

廃墟の秘め事 ②

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この家が廃墟化したのは1970年代前半。
1977年の空撮映像で、既に屋敷回りは草で覆われているのが分かります。

それを裏付けるように残されている住人の痕跡は60年代後半ころから70年代初期。
家自体は古く、防寒用に壁に貼られた新聞の見出しがほとんど今と逆の入れ方(右から左に文字が並ぶ。本来日本では横書きは存在せず、縦組みの1字づつ行替えとする)の昭和20年~30年代初期。昭和27年頃から「左から右へ横書きするのが好ましい」とされてから【基本縦書き 見出しは1文字づつ改行】な表記の命運が尽きたようです。
日当たりに恵まれなかった家は、よほど寒かったらしく奥の部屋は天井までビニールを張り巡らせてあります。たぶん結露も凄かったのでしょう。2間共湿気のため床が既に落ちています。

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Dscf3642 仏間に結構な数が残されている雑誌類。映画雑誌「スクリーン」1968年5月号。40年前のものです。「卒業」とか「イージーライダー」などのアメリカンニューシネマが封切りされた頃のようです。表紙はキャンディス・バーゲン。出演作はあまり思いつきませんが近年では「デンジャラス・ビューティー(2001)」に出ていました。一番新しいところではTVシリーズ「Sex and the City」にゲスト出演していたことも。
代表作もそこそこあるのですが、古い映画になってしまうので近作ではなじみがありません。時代的にはアラン・ドロンやスティーヴ・マックィーンが映画界の前線で活躍していた時代です。ちなみに現在古書店で900円

Dscf3644 「婦人公論」1960~1972年の号。定期購読していたようです。
大正5年創刊。昨年が創刊90周年だったそうです。「自由主義と女権の拡張を目ざす」といのがコンセプトだったそうです。ぱらっと見てみると、結構生々しい特集記事が…こういう雑誌だったんだ…

「?」 近くに散らばる雑誌。これは露骨です。「ルイドロ」にそっちの露骨は出せません。でも、新しすぎる…? この手の雑誌は発行日とかの記入がないんですね。
昔バイトしていた深夜スーパーに月遅れ男性誌3~5冊くらいを1パック2000円位で置いて(そういう業者がいる)ありましたが、おじさんが中を確認するのにパックを破ったり、「これ、バラ売りできんの?」とかよく言われて困りました。
旬じゃなくても買う人はいるんでしょうね。売り場は年中「春」。すぐ横に暖房機があったから頭がなおさらカッカするし…(店長が、立ち読み対策でわざと向けていた)

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Dscf3647部屋の中ほどにストーブ。餅焼き網もありますが、煙突がないので使うと自殺行為です。
回りには、これまた比較的新しめのヤカンや鍋なども。ガスボンベもあるので本格的です。調味料の賞味期限は2003年。
「誰か住んでいた? それも近年…」そう思うと隣部屋で目に入っていたブルーシートが折り目が残ってほつれも退色もなく新しい。押入れの下段を囲むようにしたその中には積まれた布団が数枚あります。辺りに男性ものの下着も散らばっていて「誰か寝泊りしていたようだ…」
でも、溜まり場になっていたわけでもなく、ひとり分の生活跡…

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Dscf3671 市街地からは、かなり奥に入った農村地域の民家もまばらに点在し、見えるところに隣家はない。ここでは浮浪者が住み着く土地ではないし、この下着の柄だとたぶん中・高生だよな…。栗原某氏の「廃墟には高確率でエロ本が落ちている」法則があると話しておられましたが、ここで読みふけるのも倒錯的だなぁ… いくら廃墟好きっていったって寝泊りはねぇ…プチ家出かな?

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…ふと、目に入った丸めてねじった紙。

そっと開いてみると、手紙だ。ここで書いていたのでしょう。
文中に何度も書かれる女の子の名前と「ごめんね」

…! 書きなぐって支離滅裂で、まるで遺書みたいだ。途中で文は途切れてる。

「俺がもっと近くにいられればよかったんだ…」

…そうか、たぶん街の子と付き合っていたんだね。
学校はスクールバスで行けても、恋には辛い場所だったんだね。ここは。
大人の恋は、確かに容易くて君からすると呪うべきものなんだろう。
駅前で待ち合わせて●●へ映画を見に行ったことが書いてある。
それが思い出のデートだったようです。
産まれた家が不運とか、住んでる所が悪いなんて、それで終わる愛ならたいした愛じゃないじゃないか。

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Dscf3674 失恋の挙句、自暴自棄で孤独に浸りたくて、ここに来たのでしょう。
まさか、ここで孤独に朽ち果てようなんてことまで考えていたんじゃ?
廃屋はそんな彼の怒りや涙を黙って見ていて、同じ孤独のものとして彼を癒したのです。そう思いたい。
おおよそ平成●年が涙の年。当時、中学生だとしても今は既に成人なはず。
あれほど恨んでいた大人の恋もできているころ。
あのときの失恋は他愛もない思い出になっているのでしょうか。Dscf3661

家だけが、その孤独を知っている… そして、家だけが孤独に返っていった…

  幾重にもかさなって ほどけない思い出を
  眠れない夜の中 ひとつづつ数えてみたら
  静かな水の底に うつした映画のように
  消えそうなかたち 揺らして沈んでゆくけど

  さよなら やさしい目をしてた あの日のこいびと
  さよなら 守れず残された あの日の約束たちよ

  取り戻せるものと 取り戻せないものとが
  同じように見えるの 手を伸ばせば届きそうに
  何度も呼んだ名前 いくつもの愛の言葉
  スクリーンの上に にじんで 今は読めないの

  駅へ続く道 待ち合わせ 暮れてく街並み
  思い出のむこう 閉じ込めた 風景ほどきにゆこう

  さよなら かえらぬものたちを 心で待ってた
  さよなら はじめに続いてく 夢だと信じていた日
      
(KARAK/水の底の映画 from「サイレント・デイズ」)

恋は麗しく そしてもの悲しい 時限爆弾が破裂したあの日の後遺症は生涯心を惑す…
痛く 切なく 古傷は常に疼き続ける いつかその痛みが癒える日まで

 

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2008年1月 6日 (日)

廃墟の秘め事 ①

20000

新年早々累計アクセス20000突破できました。
これも皆様のおかげと探索にも気合が入ります。
ありがとうございました。
そして今年もよろしくです。

昨年から始めて今月末には一周年になります。
自分で読み返すのも面倒なほど、よくもダラダラと書き連ねたものです。
昨年の文字は『偽』。
ルイドロでは『夢』の跡にこだわってきましたが
今年は『愛』にこだわりたいと思います。
『愛』にも色々あります。男女の愛、親子の愛、師弟愛、自己愛…
廃墟に愛はあるのでしょうか?
それはもちろん人の住処なのですから…

それでは、ご一緒に廃墟を愛しましょう。

今回はこんなところから

「ガキのくせに!」と頬を打たれ 少年達の目が歳をとる
悔しさを握り締めすぎた 拳の中 爪が突き刺さる

                  (中島みゆき/ファイト!から)

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意味不明と言われて 不相応だと決めつけられて
どうすればいいのか分かっていても 飛び立てない籠の鳥

ボサボサ頭の外人が「No future for you ! No future for me !」とアジテーション
なんだか良く分からないけど 恵まれてるのに未来を否定することが時代
女の子には恋と夢 男の子には勝利と友情
欲しいとか 欲しくないとかは別にして 手に取るものは決められてた

UFOやノストラダムスの予言に「やっぱり未来なんてないんだ」と根拠のない袋小路 今だけを考えて他愛もないことに夢を追い続ける

でも たかだか十数年の人生経験 踏み出す先も決められず 読んだ本の数だけ人生観が上塗りされていく

お気に入りの一曲やラジオのDJはとても優しい でも すぐそこにある夢に恐怖を感じて摑めない 
ジレンマで今夜もホロホロ泣き明かす

正直なのは心の底からわきあがる今までとは違う感情
必死に蓋をしてもあふれ出す

待って! 待って! 待って! 待ってよ…
体ごと作り変えてしまう心の時限爆弾は既に動き出していた…

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地域の豊穣を見守るお社の近くにその家は佇む。
奇妙なのは、ほとんどの窓に柵が打たれ、ここは何?と思わせたところ。
単に防犯とか事故防止のためだと思われますが造りは旧家風なのに金属製の柵が窓に打ってあるのは違和感を感じました。

家の正面は東向き。そのため南の陽はほとんど入りません。
西陽が住居裏の窓から入りますが山間という立地のため程なく山の向こうへ没していきます。方角が甘かったので当然冬の寒さが尋常ではなかったようです。

Dscf3631 施主として建て方に無頓着だったのか、住宅用地を効率的に生かすため止む無くこの位置を取ったかのいずれかなのでしょう。
ところで、この家の変わった構造は窓の柵だけではありません。細部にこだわりがありました。
入口に回ると玄関先の壁に飾り彫りを施した木をはめ込んであります。玄人仕事ではないようなので、玄関部分はセルフリフォームで後付けしたのでしょう。

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玄関を入るとまず目に入るのが流し台。箱型のコンクリートにタイルを張った旧家に良くあるタイプですが、ここのものは一際豪華なものです。
内側にもくまなくタイルをあしらい、二段構造。向こう側はカーブを描いて高くなり、水はねが飛び散りにくくなっています。こんなタイプは初めて見ましたね。
カントリー風の家に今でも充分マッチするデザインです。廃屋と共に朽ちていくのは非常に残念な気がします。

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Dscf3633 更に流しの奥にはお風呂があります。これは五右衛門風呂で、大抵の旧家では、母屋からは放した別棟で土盛りしたような台座に釜が据えられるものが多いところ、ここでは母屋の中にあり、流し同様にタイルを細かく施して、五右衛門風呂とは思えない完成度の高いお風呂です。浴室も組み込んだため、若干台所が狭い気もしますが家にとっては充分だったのでしょう。

しかし、旧家は家が大きくてもお風呂やトイレは別棟というのが通常でいくら極寒の北海道とはいえど、例に漏れません。後に住居がモダン化していくに従って屋内に組み込む形になっていきますが、五右衛門風呂は釜戸に火をくべいれて釜の湯を沸かすものですからこの狭い台所付近で、満足な煙抜きの窓も無い状態は類をみませんでした。しかも、お風呂場と台所が一帯という奇妙な景観。実はお風呂ではなく煮炊き用の鍋? まさかそんな…

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それが原因なのか室内。とくに居間は壁や天井が真っ黒に燻されています。
ストーブがあったあたりにも据付のタイル張りストーブ台。直径30センチほどの穴が開いていましたが用途は不明。その下には横長の空間があり、枠取りがあるため囲炉裏があったのかもしれません。でも、茅葺屋ではないので囲炉裏は考えられないかなぁ…

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Dscf3634不思議なところがあって、生業もよく読めない家。
神社が近くにあるので、その類か? と思いましたが表にかろうじて農具を確認、馬耕畑作農家だったようです。

それを感じさせないのは家の中に職業感が無かったからかもしれません。

残る雑誌から1960年代末期までは、ここで暮らしは営まれていたようです。
数十年後、ここには何か変化が起こったようでした。
(つづく)

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2008年1月 5日 (土)

物言わぬ雄弁者の群れ【其ノ五】

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海岸にヨタヨタと転がっていた流木。
畑に棲家を奪われて寝そべるだけの雑木の根。
雪解けのぬかるみで呑気に錆びたトタン板。
実っても誰にも歓迎されない歪な瓢箪(ひょうたん)。
律儀に働いていつのまにか老いぼれた鋸の歯。
夜会の席で幸せそうに抜かれたフランスのシャンパンのコルク。
明け方の酒場で眠たそうに捨てられたメキシコビールの王冠。
カーブもかからないほど擦り減ったゴムのベースボール。
遠足の児童にも引率の先生にも拾ってもらえない地味で華のない貝殻。
最後に飛んだ空を草むらから見上げていた鳥の羽。

ザワザワと群れるキュート。ケラケラと慄えるセンチメンタル。
静止したまま大騒ぎする形、色、気配。果てもなく謳い黙々と氾濫するバラエティ。

(シゲチャンランド公式写真集より)

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廃墟サイトでここを扱うのもいかがなものですが、元廃墟。今は熱い空間。
そこは、異形の見世物小屋ではなく、個性が一人歩きしたサーカス小屋。

Dscf1742_2 廃墟であった農場は、悲しみと喪失感であふれ返っていましたが、今では『あいつら』があふれて、いたるところの物影に隠れています。
夢も喜びも、そしてチャンスも本質は足元に転がっていながら探し続けるのが人なのかもしれません。
手塚治虫氏の『火の鳥』が無限の力を持ちながらたった一つの小さな愛を手に入れられないように…
人が打ち捨てて見向きもしないようなもの達が、ここでは人を感動させ、喜ばせ、泣かせます。誰もが見覚えがあって、暮らしの側にあったもの達。久しぶりに出会ってずいぶん立派になったね…というような驚きと、遠いどこかで無くしてしまい懇情の別れとなったものとの再会のような感激に包まれて、『あいつら』は声なき声で語り返すのです。

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ここですべてを見せてしまうわけにもいかないので紹介しきれない大部分は機会があれば是非行ってみてください。
『あいつら』が貴方を鑑賞し、声なき語りを投げかけてくる様を経験してみてください。

近くには、貴方の反応に「ニッ」と子どものように笑うシゲチャンがいることでしょう。
アートに哲学はさほど重要ではありません。要は体験することです。

《シゲチャンランド》 
北海道網走郡津別町字相生
開館期間:5月1日~10月31日  休館日:毎週 水・木・金曜日
開館時間:10:00~17:00

※館主シゲチャンこと大西重成氏は、カメラ(特にオールド物)が大好きです。その話だと大変盛り上がります。カメラ談義に華を咲かせるのもまた結構です。

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Dscf1834 『廃』は『無』ではない
万物は決して『無』から生じたものでもなく、捨てられても『無』になることはない
朽ち果てても燃え尽きても、それは形をかえて見えなくなっただけです。
それは、我々があの「1000の風」になるように…
このランドの「あいつら」もひとつの形の変わり方。
目に止まる「そいつ」はあなた自身なのかもしれない。

おなじようにドライブのみちすがら見かける「廃」はまだ現役なのです。時代の語り手として…
その語り口から見えてくるのもまた自分自身の姿。
でも明確な答えはなかなか見つからないのです
            

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2008年1月 4日 (金)

物言わぬ雄弁者の群れ【其ノ四】

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Dscf1688_2 目の前にあるものを、あんなに見ようとしたことはない。
見たものはすべて感情となって、流れ込んだ。
シゲチャンランドで過ごした時間が、チクチクと僕を刺し、ペロペロと僕を舐めている。
(シゲチャンランド公式写真集より)

Dscf1696 神とはなんだろうか?そんなことを考えることがありますか?
社や道際に祀られた神々。美術書なかの絵画や彫刻のテーマとして具象化された神々。
そのほか、仏や土着的な精霊など…

宗教家は其の疑問に的確に答えることができるのでしょうが、欲しい答えが押し問答では困ります。
かつて、豊かな幸をもたらす反面、一端荒れ狂うと驚異をもたらす大自然は、神としてあがめられ儀式によってあがめられました。自然はやがて具象化していき、高レベルな人格を伴って人間と同じ姿形となります。そしてすべてを統括する絶対的な存在が登場します。さらにそこから解釈によって分派が作られ、儀式は格式化。より難しく明細もより細かく計算されます。

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胸元に輝くクロスは果たして神が宿っているのでしょうか?
意味も知らないお経で救われるのでしょうか?

Dscf1690 日常的に『それ(敢えて神と呼ばず)』を感じることはないでしょうか。
ちょっとしたラッキー
意外な偶然
思っても見なかった出会い
まさかの大逆転…
  それはある意味『それ』を意識する瞬間です。
ただ、それだけではなく日常とは違う雰囲気・空間・観念などで『それ』を自覚することがあります。

Dscf1786 そして、崇高に扱われる芸術品もまた神の感覚なのかもしれません。
ピンと張り詰めながら淀みのない空気。凛とした時間。それらは作品をより、神聖化させます。
でもそれらとは違う空気は、魔を生み出すのでしょうか。
其の回答は、この『シゲチャンランド』にあるのかもしれません。
大西氏の現出させた数多の『あいつら』には崇高な空気も雰囲気もない。
拝むとご利益があるとか霊感新たかなものがあるという話もありません。

其処にあるのは神でも仏でもないならそこにいるのは誰なのでしょう。
ガラクタや廃棄物で作られた『あいつら』は俗世の我々の姿なのかもしれません。
本来言われるところの神々は『到達できない理想の自分の投影』
ここにいる神々は『現世での自己像』 そう考えます。

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Dscf1776

アナタハ カミヲ 信ジマスカ?

アナタハ 自分ヲ 愛シテイマスカ?

(つづく)

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物言わぬ雄弁者の群れ【其ノ三】

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泣けない目玉は、目玉ではない。
 泣けない目玉は、笑いもできない。

         (シゲチャンランド公式写真集より)

Dscf1724 シゲチャンランド内に点在する建物は、牛舎・サイロ・母屋・資材庫・飼料庫などがありますがそれらには「手」や「鼻」、「口」などの人体パーツの名が付けられています。
現在、広大な敷地内に新たに建てられたものが年々増殖しています。

大西重成氏は、立体造形に表現の主体を移し、それらの仕事をこなすうちに其の膨大な作品群すなわち「あいつら」が誕生しました。
「東京」の暮らしと今後の生涯のステップを考えたとき、一冊の洋書と出会ったそうです。

ハワード・フィンスターの「パラダイス・ガーデン」。
アメリカ・ジョージア州の牧師でフォーク・アーティストでもある彼が、庭にジャンク材で寺院・教会・ボトルタワー・天使の像等が溢れる庭園を創造した写真集です。

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その本との出会いが大西氏に「東京でできないこと」へと熱意を駆り立てました。
その想いがここ北海道の津別町に「シゲチャン・ランド」として現実のものとなりました。
私設美術館ということですが表現もさることながら空間も一つの作品となるこのランドは、美術館というよりも「あいつら」のコミューンの様相を強く感じます。
作品も自由なら展示も「あいつら」が自由に散っている雰囲気で個性的な「あいつら」の生息域に我々が訪れたような気になってきます。

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Dscf1704 作品は素材や表現方法だけではなく、公開する空間演出もまた重要なものだと考えさせられます。
これらの作品の一部が昨年初頭に帯広市美術館の企画で出張(?)してきましたが、見慣れた場所と違って妙に不似合いに思ったものです。

プレゼントには驚きと歓喜が必要です。
この真っ赤なビックリ箱は、常習癖をもよおすような魅力にあふれています。
美術・芸術の小難しい後付理論などいらない。当世流行のリサイクルなんてチャチなものでもない。
まるで始めからそうなるべくして生まれたもののようだから…

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Dscf1689 「鼻」を離れて「目」の館へ。
白が基調の屋内には大きな連中が並んでいました。
壇上に整然と並ぶこの空間は見世物小屋的な雰囲気。
素材も元々生命をもっていた流木や倒木などなので生命感・皮膚感があって、実在する生物のようにリアルな感覚のものがここに並びます。
素材は「収集」というよりも「捕獲」に近いかもしれません。

朽ち跡は体に。焼け焦げは顔に。自在に伸びた根や枝があたかもそういう体であるかのようです。
こういう素材がその辺にいとも簡単に転がっているのでしょうか?

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『あーあれは●●湖で見つけたんだよ』
大西氏の屈託ない語り口は表現者というより悪戯好きな子といったほうがふさわしいような気がしました。

(つづく)

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2008年1月 1日 (火)

物言わぬ雄弁者の群れ【其ノ二】

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赤子はわらい、 老婆はおがむ。
           シゲチャンランド

                (シゲチャンランド公式写真集より)

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そびえ立つ祭壇状のオブジェを見上げていたときに背後の足音に気が付いて脳裏に法衣姿のサイババが浮かびました。
逃げる理由もなく、ましてや入場料もまだ払っていない自分ですから…

Dscf1713 「やぁ、いらっしゃい。」

「あ…こんにちは」 目の前に立っているのはサイババなどではなく、蛍光迷彩ジャケットと特長靴スタイルのアウトドア風の方。宗教家ではありませんが、芸術家とも思えません…

「ちょっとお客さんのお相手をしてたものですから」

「そぅ、入場料がまだでした…」

「お帰りでけっこうですよ。ごゆっくり見て行ってください」 
とても、この祭壇を造った人には見えませんでした。

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Dscf1720 最初の「左手の部屋」で度肝を抜かれてしまいましたが、他の館を見ることに。

「鼻」 と名付けられた館。中はとても暗く、要所に間接照明が置かれています。細竹で作られたカーテンが入口に下げられ外の明かりが侵入するのを防いでいるようです。
柱と梁がむき出しになった屋内はクジラのような大きな生き物の体内にいるような印象があります。
そのあちらこちらに異形の生物がいて、一斉にこちらの様子を伺ってきました。

それらはすべて流木、倒木、廃品などで造られた作品達です。
とくに大げさな細工を施しているわけではないようですが、其の姿は異形でありユーモラス。ごく一部を除いて名前を持たない其のもの達は其の存在が個性であり、名前であるようです。

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作品には空間もまた重要な意味を持つようです。彫刻は屋内と屋外では表情が格段に異なります。
この美術館の館長大西重成(おおにし しげなり)氏は、この町「津別町」出身。

1965年 北海道立津別高等学校卒業と同時に横浜郵便局に入局
1971年

渡米、NYスクール・オブ・ビジュアルアーツに入学

1972年

帰国、東京を拠点にイラストレーションなどの制作活動を開始

1978年

東京アートディレクターズクラブ主催の美術コンペに於いてADC賞を受賞

1979年

Herbie Hancock(ハービー・ハンコック)のレコードジャケットのイラストを手がける

1979年

坂本龍一のレコードジャケットのイラストを手がける(SUMMER NERVES)

1983年

フランス・Temps Futurs社のL'art Medicalに作品が掲載される

1986年

スイス・Wizard&Genus社よりポストカードが全世界で発売される

1988年

カナダのテレビ制作会社、ACCESS NETWORKの教育番組に作品を提供

1989年

PATER'S SHOP AND GALLERY にて「Smiling time」個展

1990年

モスバーガー小冊子「モスモス」の表紙、及び中のイラストを95年まで担当
 (一時は80万部の発行部数を記録)

1993年

フジテレビ「ひらけ!ポンキッキ」のオープニングタイトルを制作

1996年

「シゲチャンランド」開設のため、北海道網走郡津別町字相生に活動拠点を移す

公式サイト:「シゲチャンランド」(「Wild Little Garden へようこそ(seven cats氏主催)」内より 一部割愛)

芸術というより広告アートの世界で主に活躍してきた大西氏ですが、その表現を現在のような廃品・廃物による立体造形に移してから、その作品群を収蔵する私設美術館の構想を模索していたようです。

その拠点を模索しながら見つけたのが故郷である津別町の相生でした。(メキシコ移住もも考えにあったとか)
大西氏は、その作品を「あいつら」と呼びます。それは、正しいのかもしれない。

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この美術館としての空間は、廃酪農場であったところに手を入れて開設されたところで、其の中に納められた「あいつら」は、一般的な美術館のようにもっとも鑑賞しやすい位置・高さに納められたものではなく、頭の上や足元。梁や柱の影、表に逃げ出しているようなものやら…鑑賞に来ていると言うよりもこっちが鑑賞されているような、魑魅魍魎の館に入り込んだような錯覚を覚えます。

ここを訪れる人は、様々な反応をします。

その滑稽な異形のものたちに笑う人
終始、感心と感嘆が交錯する人
神がかったものを感じる人
何かに共鳴して涙を流す人
怖くて泣き出す子
「あいつら」と同化して走りまわっている子…

Dscf1722

「マタ オカシナヤツガ キタヨウダ…」

そんな声が聞こえてくるような気がします。

(つづく)

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