旅立ちの朝
母親は愛情の象徴です。それも無償の愛情。でも空気のごとく包まれて、いつしか当たり前のように感じることを忘れていきます。
子は愛を一指に受けたくて甘えていたのに、大人に近づくごとにうっとおしく思ってしまうものですね…。
母は、愛情の存在であると共に「送り出すもの」。
この像の名は「平和の像」といいます。平和は飛び立つ鳩であり、母は、旅立たせるまでの存在に過ぎない。
飛び立つ空と舞い降りる先に何があろうと、母は送り出さなければなりません。
それが、母の宿命だからです。
懐かしい場所。当時、ここにその像はありませんでしたが、高校卒業まで暮らした町で敷地内に図書館があるため、いつも目にしていた風景です。
後に立つ木々は昔、男の子達が「クワガタムシ探し」と称して散々根元をほじくっていたものです。数が減っているようなので、やり過ぎだったのでしょう。いくら郡部でも街中までクワガタムシが来るとは思えませんでしたが…
しばらく離れている間に街は、アートな感じに変わってきました。
古いものと新しいものが混在していた街並み。商店の陳列品が歩道まで所狭しと並べられた風景も現在通りの整備とそれをきっかけにした退店。商店の世代交代。景観整備のために古いものは解体するなどの措置のために様変わりしました。
この像は、地元の名士の方が、母の天寿全うに際して町に寄進したものです。
美術・芸術に感銘の深い方で、経営するホテル内に美術館も設け、最近も市街地に美術館を開設しました。
経営基盤に基づく派手なパフォーマンスとも取られますが、この彫刻の建立など地味とも思えるところに想いの本質が見えるような気がします。
彫刻は、作家のねらいのほかにスポンサーの考えも重要なのかもしれません。
人通りの少ない初秋の朝、かすんでいた空も揚々青空が広がりだしてきました。
母親は、風を読んで旅立ちを告げます。今まで羽ばたくだけで飛ぶことをとがめられていた子ども達は、自由の喜びに無我夢中で振り返ることなく飛び立ちました。
“母はそれを喜ばしく送り出せたでしょうか?”
それを言っては、いけないのかもしれません。
母は送り出すと共に静かに待ち続けるのです。
子ども達が見てきた空の向こうの事を話しに来る日を…
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント