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2007年12月19日 (水)

霧が晴れたら ①

霧には、色々な顔がある。
朝の木立の中、鳥のさえずりを伴って夏の朝の光を和らげるやさしい霧。
運転中の闇の中、ライトの光を溜め込んでそれ自体が生き物であるかのように車にまとわり付く不穏な霧。
通りなれた道の向こうに今まで行ったことの無いファンタジックな光景を連想させる霧。
霧の向こうには何があるのだろう…

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Dscf1949 市街地から遠く離れたところにそのログハウスはあります。
本来、ログハウスは素材に恵まれていますが、製材の設備のないところで家を組む、簡易的な建築です。
 現在はその技術も発達して、ログビルド専門の業者や一般向けのログハウス入門書もかなりの数が書店に並んでいます。

基本的なサドルノッチという組み方は、チェーンソーの熟練とログビルドの経験が必要ですが内装の手間がない分、熟練者には短期間で棟上できる技法です。
部屋の大きさは原木の長さでほぼ決まってきますが、長尺で太さの一定なものは、国内では手に入りにくく高価なため、ほとんどが輸入材を使用します。

Dscf1955 原木、すなわち丸太をそのまま使用するために材のねじれやヒビ(材の乾燥の行程で外側と中心に近いほうの伸縮率の差からひびが入る。丸太のまま使用する場合、や床柱では、あらかじめ背割りと言って1か所切り込みを入れて見えない側にかくすように施工する)がどうしても発生し、ひどい場合は材自体が曲がっていくこともあります。
材の完全乾燥は難しいので施工中や施工期間、あるいはその後に組んだログの隙間をこーキング剤(充填剤)を使って埋めるので、常に自己メンテナンスをこころがけなければなりません。小口(丸太の切り口)から材の腐敗も始まるため日頃の点検も必要になります。
ただし、壁自体を組み込むため在来工法(柱建築)や2×4工法よりも耐震構造に優れているといえるでしょう。

現在は、セルフビルドをより簡潔にするため溝が入った半製品化したものや完全にキット化したものも輸入などで扱われています。

今回の物件は、ログハウスがブームになった頃が背景としてあります。
一般的としても、ここはかなり大きい。
ログ材の輸入も本格化して、長尺ものが手に入りやすくなったことからこの大きさのものが可能になりました。

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Dscf1959_2 自動車免許証を取得して初めて一人で遠乗りのドライブのとき、ここの存在を始めて知りました。当時は建築中で、まだ屋根が葺かれていない頃で、この先に友人がいたことから何度か横目に見ていたのですが、なかなか完成しない。
たぶんセルフビルドだったようです。

ドライブインとして始められたこのレストランは、建物のみならず、大きな池など造園にも力が入っていて谷間のわずかな平地にカントリースタイルの癒しの空間を演出していたようです。

家族構成は、夫婦と小さい男の子が一人の3人家族らしい…。
場所は、町界の山間で市街からも遠く離れたところです。
周囲は畑になる所も少なく、時折民家もしばらく離れたところに点在。
そのため、回りに競合店がないのは良いのですが、この店の認知にも問題でした。

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Dscf1958 手前の市街地を通過すると、それまでの田園風景は一変して山道に入ります。その手前にラーメン店が1件。そのあとは、飲食店があるような雰囲気は、めっきりなくなり、カーブの連続などから店の存在も確認しずらく、道沿いの駐車スペースのため店本体が奥まり、気づいたときには通り過ぎてしまったという状況に陥ってしまいそうです。

しかし、道からは分からなかった広がりがここにはありました。
大きな池、照明装置も備えて店の庭にしては広大な風景が、食事中の窓辺から見ることができたことでしょう。
あるいは、キャンプ場としての側面もあったのかもしれませんね。

自然実あふれながら、それが弱点にもなってしまった要因は、他にもあったのかもしれません。
この路線、国道でありながら管内には『道の駅』は1か所もありません。
管内をほぼ縦断しながら、前後の支庁にあるだけで現段階では各市町に構想があるものの実現至っていないようです。
『道の駅』が各地で誕生してから、『道の駅マニア』なるものも出現し、ロードマップ上でもその位置は大きく表示されます。程度に差はあるものの、『駅』というよりもオアシス的要因が強いため、飲食店・物産展が軒を並べだします。
その地図上での特別扱いとも取れる表記が、これらのドライブインに脅威となりました。
現実この先には、『道の駅』に到着するまでの間に廃墟銀座とも取れるくらい廃業ドライブインが累々とその姿を晒しています。
霧の晴れた朝、少し悲しげな表情の木造ロボットの中では、どんな暮しと団欒があったのか…
ドアには、消えかかった文字の書かれた張り紙「ロングハウス ●×▲■◎(判読不能)」。
朝日が差し込む室内はガランとして木の香りすらどこかへ行ってしまったようでした。

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ドライバーは『道の駅』を目指す。
そこまでは目もくれないでひたすら走っていく。
北海道 のんびりしているのは風景だけで、みんな必死に走り続けている。

時代は変わったんだよ…      でも、そんな暮しを望んでいた?
北海道…いや、日本の余暇は疲れるようだ。

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コメント

オモチャが置き去りにされていると、何だかとても心配してしまいますよね。

投稿: アツシ | 2007年12月20日 (木) 02時28分

アツシ様 こんにちは
確かに子どものものは、妙にきになります。
抱き人形、夏休みの宿題帳、学校で描いた絵、三輪車…

ここにいた子は、物置にミルク缶も大量にあることから乳児期からここで数年を過ごしたようです。テーブルの回りをジュニアカーで縦横無尽に走り回っていたことでしょう。

その頃の記憶は、まだ覚えているには早いのかな…

投稿: ねこん | 2007年12月20日 (木) 11時19分

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