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2007年12月 8日 (土)

やさしい廃墟

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陽の昇り始めた早朝、海の近くの廃墟を目指しました。
しかし出発点、いわゆる自宅は、内陸に位置するため海の見えるところまでいくのにも時間がかかります。実家が畜産業なので、小さい頃から海まで行くことは、そうそうありませんでした。3~5年に一度といった程度でしょう。

だから、海には敏感なのかもしれません。
以前、札幌にいた頃は、街中にいても海の香りを感じることがあり、海の近くとはいえ「おやっ?」と思うことがありました。
 海から遥か遠い内陸でも海を感じることがあります。十数年前に近くの国道付近で、あからさまに海の香りに驚いたことがあります。しかも辺りには鯖が打ち上げられています。
「えっ?」 その潮の香りは、トラックが落としていった積荷によるもので歩道で猫が嬉しがっていましたが…

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 同じ道を海を目指して走ると景色は、地域特有の平原風景から山間の風景に変わります。
そこまで行くとドライブ中に休憩できるところが極端に減るため、その手前の田園地帯で休憩でもしようかという気持になりました。

Dscf1906  この辺りはコンビニはあっても24時間営業ではありません。早い時間だと開店時間ではないこともややあるので適当な場所が合わないとついつい走り続けてしまいますが、途中、こんな文字が目に入りました。

『皆様 お休み下さい』 ちょっと寄ってみましょう…
お休みくださいといっても扉は建物の歪みと戸車の錆びつきで開けることはできない。
 若干、不法投棄の現場にされてしまっているようです。

Dscf1907Dscf1910  見るからに掘っ立て小屋のようで、古い写真で見た戦後のバラックの感じ。ここは、近隣農家が経営していた農産物即売場でした。夏から秋にかけて店を開けて、トウモロコシの収穫期には、食欲を誘う「ゆでトウキビ」の香りが風に乗ってやってきます。
 こういうところの店は豪快でハーフサイズという売り方はしません。大きいのが丸一本、でも一本ままは、つらいなぁ…

 まだ車の免許をとって間もない頃、長距離を走ってみようとこの辺りまで来ました。
もう、初秋の頃なので、夏野菜と秋野菜の初物が一緒にならんでいた頃でした。
 今は「道の駅」付近で即売場などの営業や「無人市」と呼ばれる小さな小屋に野菜を並べて料金箱を置いておくような簡易的な店もありますが、まだそういったものがさほど見られない頃は、このような即売所とドライブインの中間のようなイメージのお店がたまに見かけられました。

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Dscf1914  小さな店や小さなドライブインが、さほど交通量が多いわけでもない幹線道脇にあって充分営業できたのは時代的な背景もあったのでしょう。現代は急ぎ足になりすぎました。
 同じような即売所が増えて、オアシス的な道の駅も整備され、古い店は蜃気楼のように姿を消していきます。
 小さかろうが、ちょっと赴きにかけていようが、ここで食べたトウモロコシは、宝石のように輝いていた。

この大きさで150円? うーん半分でいいんだけど…
おばちゃんは熱さを感じないのか、さもあらん表情で大きなゆでトウキビを1本摑むとボリンとふたつに折って片方はラップでくるんで袋に入れてくれた。
「芯まで食べるわけじゃないからね。大丈夫、食べきれるサ」

結局1本食べてしまった。

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実りの季節、抜けるような青空の下は黄色のハーモニカの練習会場でした。

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コメント

こんばんは。
最近は廃墟に厳しくされてます、先日の廃屋では床を豪快にぶち抜きとても痛い思いをしました。
私は太平洋の荒波育ちで海を毎日見ていました、札幌のいとこが小学5年まで海を見たことがないことを聞いたときは冗談かと思いました。
そんな私も丸井デパートに初めて行ったのは小学6年のときです。

投稿: カナブン | 2007年12月 9日 (日) 18時35分

小さい頃の海の思い出は、強烈で瓶に海水を詰めて記念に持って帰ったほどです。
浜をはだしでかけていたとき、急に足に電気が走ったようになってそのまま転んだら大き釣り針が足の親指を貫通していたことがありました。その時は針の頭を切って抜きました。あれは山彦の無くした釣り針だったのか?

投稿: ねこん | 2007年12月 9日 (日) 21時51分

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