« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年12月30日 (日)

物言わぬ雄弁者の群れ【其ノ一】

“ルイン・ドロップ”年末年始企画Dscf1681

ナニカガ ジット 生キテイル
   アフレルヨウニ 其処ニイル
       
(シゲチャンランド公式写真集より)

人生…人生を語るには、まだまだ青二才に過ぎないが其れを承知で、人生最大の驚きと言うか驚愕に近いこの出来事は、ここに来るまでなかったのかもしれない。

Dscf1812

Dscf1721 数年前のことになります。
遠出のドライブとか、週末一泊旅行で主に札幌方面に行くことが多かったので、道東を走ってみることにしました。
そもそも道東に足を伸ばさなかったのは、小学校の社会見学と称した1泊旅行で要所をほぼ回っていたことと会社の旅行でも数回、一帯を走っていたからです。

さほど遠いところではないのに自分で走るのは、初めてに等しい。
それは、近場にいる友人のようなもので会おうと思えば何時でも会えると思っていて全くいかないのと同じです。

GWの喧騒は、外したかったので6月に有休を当てて出発。生田原町(現在遠軽町と合併)の「チャチャワールド(木工おもちゃの博物館)」へと…
あいにく、「蝦夷梅雨」と呼ばれる時期で日程の間、霧雨に悩まされました。どのみち屋内施設が目的だったのと「おもちゃ」が中心ながら大人気なく楽しめるところです。

初日は、北見市で一泊。翌日阿寒回りで帰ることにしてのったり車を走らせます。
相変わらずの霧雨は、むしろ雨といっても良いほどで近くの植林をまとった山もぼんやりしか見えません。

Dscf1752

Dscf1679 津別町に入り、旧国鉄相生線線終着の「相生駅」、現在は道の駅「あいおい」となっているところで駅舎や客車を見たあと阿寒湖畔へ向かおうと国道を南下。
その途中、霧の中から突如として普通ではない真っ赤な牧場が浮かび上がりました。
この辺りの町のほとんどが林業を主幹産業としていますが、安価な輸入材などによる製材業の低迷で主幹産業とは言えないものになりました。
それでも各町、思考をめぐらせて木工クラフトなどで町の活性化に貢献しています。

Dscf1713 そんな「愛林の里・津別町」にも酪農業は少なからずあり、営農は続けられますが国立公園が近いことと植林地が多いことからエゾシカの出没があり、作物の食害も多いことから畑に隣接する山地との境界にネットフェンスが延々と張られており、畑が隔離されているような印象があります。
農業は自然との闘いであり、其の相手はなにも鹿だけではなく、バッタの大発生によるものそして、霜などの冷害に悩まされます。豊作になったとしても卸価格のダウン。牛乳も卸価格は現在まで低迷を続けています。
戦前戦後に入植した人々もやがて離農していき、かつての10分の1かそれ以下の戸数にまで減少。この辺りを走っていても時折、廃墟と化した酪農家跡が見られます。

霧の中から現われた農場は一際、変わっていました。
牛舎・サイロ・資材庫などすべてがナナカマドの実のような真紅に彩られていて、緑の山や草原に囲まれています。
入口の「シゲチャン・ランド」の文字と牛舎の屋根の「極楽美術館」の文字が目に入り、ちょっと興味を持ちました。

Dscf1754_2

駐車場には数台の車。牧場を取り囲んだ柵には、これでもかと言うほど多種多様な廃物が打ち付けられています。元々ここにあったと思われるものや他所から持ち込んだようなものなど…。
霧雨の中、様子を見に伺うと人の気配の感じられない静かな牧場。チケット売り場なるものはありましたが、誰もいません。建物の間には高い位置に張られたロープには様々な色の裂布が等間隔で結ばれて風にたなびいています。
顔のような「モノ」があちこちに転がってユーモラスで「へっ面白そうだな…」と奥のほうへ進みます。各建物のドアが見えて其の中のひとつを見てみることにしました。ドアがふたつ上には「右手」「左手」。となりの牛舎には「鼻」と筆で書かれています。

「???」とりあえず「左手」を…
「!!!」中には建物同様、赤系色彩でインドの方の派手な祭壇のようなものが高い天井に届かんばかりにうず高く積み上げられていました。

Dscf1697

それを見たとき、直感「ここって…ヤバイところじゃない?」と感じました。
美術館と称した妙な宗教施設。そんな印象と共に自称教組の経営者なんかを想像していました。

其のとき、既に背後の方から砂利を食む靴音が近づきました…
脳裏には、法衣を着てつかみどころのない威厳に満ちたサイババチックな姿が浮かびました。

(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月28日 (金)

白いギターのレクイエム

Dscf3267

母と思われる女性の名だけが刻まれた表札。
およそ似つかわしくない虫かごやおもちゃが残る室内。
そして窓際に残された1冊のバイブル…ここからどんなドラマが思いつきますか?

Dscf3246

Dscf3251Dscf3281 バイブルは「新世界訳」。ものみの塔出版局、いわゆる「エホバの証人」のものです。
その特徴は、原文の文語訳で他宗派で使うもののように文学的解釈の翻訳ではないので正確な翻訳の反面、難解で誤解を受けやすいそうです。

「エホバの証人」というと輸血の拒否や人と競うような競技の不参加、あるいは誕生日・クリスマスなどのお祝いはせず、他宗葬儀は身内であっても参列できないなどの厳しい戒律があることで知られています。
彼らは同じキリスト教であっても他宗派は「バベル」と称して間違った考えを持つ宗派としている。

Dscf3257

Dscf3250Dscf3280 多くを語るというより、カルト視された彼らに関する文献は被害者サイドのものが多く、片寄った評価に陥るので割愛します。今回は宗派の問題ではなく、「信仰自体」に関する事柄です。
畑の中に物置と共にポツンと佇む家。幹線道自体遠く離れているので、近くを流れる川の堤防上の道がこの家への引き込み道のようです。表札はさほど変色しておらず、近年まで居住していたのかと思わせますが、庭は荒れてシャクナゲの枝も歪に曲がりくねっています。時折、土に半分埋もれてボールや宇宙船のようなおもちゃが点々と落ちていました。たぶん、ここには男の子がいたのでしょう。

Dscf3254

表札の名義が一人であることから息子は独立。伴侶は既に先立ち、息子夫婦が孫を連れてくるのを楽しみにしながら日々を暮らす老婆の姿が見えてきます。
この辺りの地域は、開拓記念・郷土史のようなものが発行されていないので実際の家柄は想像の域は出ません。
仏壇や身の回りのある程度のものを携えて家は、残されました。
タンスの中の大部分や寝具などは無いのにテレビの上に飲みかけのジュースのペットボトルが置かれたまま…

Dscf3263

Dscf3255 Dscf3258遺品の中に確かにバイブルはありますが、神棚が祀られている家なので老婆が信心していたとは考えにくいですね。 するとこの家の息子が…?そう考えるとこの家の成り行きが納得できます。
わが子は家を出た後、現在の信心に傾倒して母にも熱心に入信を勧めたが改宗によって祖先や亡き伴侶の供養ができなくなるのなら、それはできない相談…
しかし、老いたる身であることから想いを通しきれず、どこか他所に身を寄せるようになったか、菩提は弔えないという条件で息子のところへ行ったのか…

これもあくまで想像の域です。
自由な世の中。信仰もそれぞれ自由なのですが、自由のしわ寄せは戦後の動乱から自由を与えられた人々が老いていくにしたがって表面化してきたようです。
こんなお話は、ありえることではなく実際に聞くことです。
永代供養も家が続いてこそ…

Dscf3252

奥の部屋に置かれた白いギター。調音など狂いきっていますが、爪弾いて出るその音は調和を失った小さな家からバランスを失った世界へのレクイエムなのです。

Dscf3261 ひとつの時代は去り 次の時代が来る
しかし地はいつまでも変わらない
日は昇り 日は沈み
またもとの上るところに帰っていく
風は南に吹き 巡って北に吹く
巡りめぐって風は吹く
しかしその巡る道に風は帰る

川はみな海に流れ込むが
海は満ちることがない
川は流れ込むところにまた流れる
すべてのことは物憂い

人は語ることさえできない
目は見て 飽きることもなく
耳は聞いて 満ち足りることもない
昔あったものは これからもあり
昔起こったことは これからもまた起こる
日の下には新しいものはひとつもない

          (伝道者の書1の4-9)

Dscf3271

真理は与えられるものか? 自分で見つけるものなのか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年12月26日 (水)

始めにリズムありき…

Dscf2740

Dscf2738 ここは、町の体育館です。
おやー?正面入口にあられもない姿で新体操の練習をしている人がいます…


町の11代町長の町の公共施設・公園・広場などに『芸術作品を設置して街に少しでも芸術的景観を』との発想から始まった都市景観創造促進事業で設置された1作品です。

体育館前に美術品というのも少し場違いな気もします。
この作品の題は『リズム』。題と像に違和感を感じるのは、その姿が女性だからでしょうか?
女性だとメロディという方がそれっぽく、リズムというとどこか男性的な印象ですね。

Dscf2757 でも、美術・芸術品は目に見える部分だけが真理ではないのです。

画面の中の人は外へ視線を向けます。

水墨画の何かをにらむ虎は画面の外に獲物がいます。

孤立している立像は目に見えないパートナーがいるかも…

このポーズを阿波踊りと見るならばリズムで正しいのかもしれませんが人の歴史の中で音楽は、まずリズムから始まったといって過言ではないでしょう。叩く音は一定の周期・間隔をもって流れを作ります。リズムは生命に必ずある心臓の音、脈の音、そして命の音です。
原始的な音楽・民族的なものは、リズムが重要です。

Dscf2756 バリ島の音でガムラン(青銅打楽器)やジェゴク(竹製打楽器)は、異なるリズムの周期をもつグループの集合体でそこに存在しなかった新たなパルスを生み出します。楽器ではなくどちらかと言うと声楽的なケチャも同じ構成に属します。

日本の民謡や盆踊りなどもリズムが重要です。この場合はリズムの合間に『おかず』が入ってきます。民謡の「ソーイソイ」とか「ヤッショーマカショ」や祭り太鼓の「ドーン ドーン ドン タカタッタ」のように太鼓の側を叩くのがそうですね。
お餅つきもリズムです。

リズムはフィジカル。肉体的です。メロディはメンタルな精神的・心情的。
メロディは心を揺さぶり、リズムは魂を揺さぶります。

彫刻は四方八方すべてが鑑賞角度です。向きによって、時間によって、天気によって巧みに表情を変える様は、絵画以上にものを言います。
彫刻は本来、屋内で鑑賞すべきではないのかもしれません。

Dscf2739_2 彫像の裏にはこんな碑文が

リズムは生命の
 鼓動であり
そこから
 美の無限の
  世界が生まれる

そう、始めにリズムありき…
人は誕生する前からリズムを聞いている。

貴方の魂のリズムは覇気に満ちているでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月23日 (日)

骨董 元気会

  「3丁目の夕日」の続編が評判です。
昭和最後の年から20年の年月が流れようとしていますが、既に時代は「昭和」を懐かしんでいます。
静かながらも世の中はレトロブームで、混沌とした平成の世に、つい前時代に想いをめぐらせてしまうのでしょうか。
昭和風居酒屋。昭和グッズを扱う店。戦後の高度経済成長期において良くも悪くも色々なものが生まれてきました。
戦争も全共闘も南沙織もたのきんトリオもエリック・クラプトンもテクノミュージックもスターウォーズも口裂け女もツチノコも思いつくものすべてが詰まったパンドラボックス。それが「昭和」なのです。

Dscf4577

Dscf4580 昭和がこんなにまで愛されている背景は、今現在、目にするものの多くが昭和を出発点としているからでしょうか。
悲惨な戦争期、それを外して昭和を語れませんが、戦後の闇市・バラックの頃から高度経済成長期を迎え、石炭増産、オイルショック、発展の夢と世紀末の不安感。メンコとファミリーコンピューター。昭和のキーワードを思いつくだけでもいかに激しい時代だったかが感じられます。
平成生まれの世代が成人を迎えようとする今、昭和の残した大量の遺跡に何を思うのでしょう。

その昭和の過程、まだ庶民の娯楽がせいぜい近郊の海・山・川だけだったような頃、この山岳地帯の迫る奥地は、がむしゃらに働き続けた世代の保養地として賑わっていました。
現在は、地域の観光ガイドには載るものの訪れる人も少なくなったようです。キャンプ場も不便な奥地より張り芝で電源設備もある公園のようなオートキャンプ場が栄えて、この地のバンガローも多くが朽ちだしています。キャンプ情報誌などで、ここはやたらと熊が出るような紹介をしているのも問題ですけど。

Dscf4579

かつて、このあたりは開拓の鍬が入ってから多くのいくつかの集落を併合して村となりました。時代が昭和に入り、近隣村と共に帯広市へ合併になりました。
日高の山々が眼前にそびえるこの地域も現在は、離農が相次ぎ、古いサイロが遺跡のように点在。
その反面、近年になってからドロップアウト組が第二の人生の地として、半自給自足の生活を楽しむ小さな住宅も増えてちょっとした集落があります。

Dscf4578

この地域の古くからまとまった集落を形成していた地域にこの家があります。
看板(?)を出したのは、時代は平成に入っていましたが、もう一昔前のことで街のタウン誌で見かけて行ってみました。
「骨董と食事?」なんだか奇妙です。今でこそアンティークレストランなるものもありますが同じ意味でも言葉自体で印象が変わります。(蛇足ですが「古本と大判焼き」という店もありました)

Dscf4575

Dscf4576外観はどう見ても今時の民家。それも比較的新しめで和とも洋とも言い切れない…
外壁には、古い日本酒の看板や手書きの文字。普通の玄関横にペプシ(ビン用)の自販機が置いてあるのが違和感を誘います。
「まぁ、ここが入口なんだろうな…」ドアを開くと明らかに今時の住宅の玄関。ランドセルとかグローブが放り出してあってもおかしくないような感じです。

何やら紐が下がっていて
『紐を引いてお待ちください。店主がすぐ参ります』とあります。

ガランガランと鐘の音が響いて、奥から『いらっしゃいませ!』と威勢の良い声。

現われたのは…丁度、今のマイク真木の髪と髭を黒く染めて、作務衣を着せた感じの人。
通された6畳ほどの和室は3方が天井まで骨董品で囲まれて先客のいた居間は、壁全面に大量のホーロー看板やゼンマイ式柱時計が並び、それぞれが微妙にずれた時を刻んでいます。

Dscf4585

『今日は仕込みをしていなかったもので、ザルうどんだけで申し訳ないのですが…』

申し訳というより、脅迫っぽい強い口調に『あっ、それでいいです…』と、つい…

『かしこまりましたご主人様!(メイド喫茶か?雰囲気は冥途)

ガサの大きいラジオや蓄音機、おすし屋さんのカウンタにあるようなガラスケースの中にはたくさんの時計。本棚にあるのは、古いアサヒグラフとかノラクロ。

『それは自由に見ていただいてかまわんであります。』

Dscf4582今度は軍隊調。 あがってきたザルうどんは、ホントのザルに入ったものでコシがあってツルツルのいい感じ。
手の空いた主は、先客(地元の人かな?)と談笑中。

「ずいぶん古いものを集めているんですね」
「古いものが好きなんですよ」

「エビスを置いているんですね」
「私はエビス以外認めません」

いっやーヘタに何か聞かなくて良かった…会話下手ですね。
それだけが問題ではないのでしょうが…
メニューによると、ここでは毎週土曜日限定の『元気会』という宴会企画がありました。

『19時~元気がでるまで』
日本酒とエビス飲み放題。屋外メニューと五右衛門風呂。予約制。うーんどういう内容だったんだろう。
現在、庭には五右衛門風呂が残っていますが辺りは雑草の伸びるままに放置されています。あれから20年近い年月も経っていますから…

Dscf4588

近所で農作業中の御宅へ主の所在を確認すると、『しばらく見ていないですね…』
家の周りの雑草や無用なところへ根を下ろした白樺の木の高さから考えても長いこと放置しているようです。大好きな昭和の残影を残して何処へ出かけているのか…

Dscf4589 過ぎた時代の思い出は甘く切ないものです。
その時代をリアルに過ごしていた頃は、辛いことも厳しいこともたくさんあったはずなのに…
そんな動乱も思い出にしてしまうほど、人の心は寛容なようです。

近い将来、「平成回顧」なんて時代もくるのでしょうか。
平成を象徴するものは何なのか?
今のところ思いつくのは「昭和」の模倣です。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年12月20日 (木)

霧が晴れたら ②

Dscf1927

Dscf1930このドライブインの位置をしめすのは1キロほど手前と店の前の道沿いに立つ看板のみ。
それ以上の努力はしたのか、しなかったのか…

アメリカ映画にはドライブインが舞台になるようなものがたくさんあります。
アクション・ホラー・サスペンス・ロマンスetc‥
そういった映画は、主に道が舞台になり、ドライブインは土地、あるいは国家の縮図にもなっています。

気になったのは、そういう映画に出てくるトラッカーの運転手がランチタイムに普通にビールなんか飲んでいたことですな… お国柄もちょっとしたカルチャーショックです。

Dscf1941

Dscf1932 ドライブインの中は、建物外観の色とは異なり、塗装のない原木の無垢な色のため、明るい雰囲気です。 散らかっているものがなければ廃されたものとは思えないほどです。 現在でも手直し程度で充分再利用は可能。
広い店内に違和感を感じるのは、テーブルや椅子が無いこと。
居住空間と共用していた店のようですが、家具の類もほとんどありません。
商売に陰りが出てから、処分していったのでしょう。建物自体はログですが、テーブル類は、既製品だったかもしれません。

ここがまだビルド時期だった頃から考えると20年近くは経過しています。
その程度前だと、やはり時代はログハウスはブームだったようです。それも店舗としてのものが。
成功したところもあれば、さほど売りも無く建物以上の個性も無いまま、鞍替えや売却していったところも少なくありません。
始めの店が一番特なのかと言えばそうでもなく、小さいログから始めて、増築・棟替え・新築・業務内容・メニューの変更などをへて徐々に大きくしていったところは、今でも繁盛しているようです。

Dscf1922

Dscf1946 ここがうまくいかなかったのは、何となく想像できますが外野の口出しすることではないでしょう。 ここは、外よりも中に工夫をしていったようです。それしかできなかったのでしょう。
ランチメニュー・定食・丼物などボリュームは確かにありますが一般的過ぎて店の個性に欠けていたようです。手作りの煎餅やかりんとうも試していたようですが、その効果があったとはとても…

Dscf1948 それでも、ここを訪れた人の中には、忘れられない何かがあったようです。
ここを訪れた旅行者と思われる手紙や写真などが散乱する紙くずの山の中に見かけられました。
メニューから読み取れないところがあったようです。

道内外からの旅行者でオートバイなどによる一人旅が当時、ピークでした。
その旅人は、長旅でホテル泊するほどの予算は無く、各地市町村提供による簡易宿泊所や個人経営の素泊まり宿(大抵、古い住宅の改造)を利用するのが通例です。それらも相部屋でさえ満室状況で駅泊を試みるも駅員に追っ払われて、線路沿いを手っ取り早く使える駅か何かを探して行き着いたのがこんなドライブインだったのかもしれません。

Dscf1931

大きなログハウスですし、ドライブインだと素泊まりも受けているところも見られるので、ここも素泊まりサービスを始めるのは自然の成り行きだったことでしょう。レストラン内部から壁際の階段をあがった部屋がそんな素泊まり所に使われていた雰囲気です。
一家の子どももそんな旅人達に遊んでもらっていたのかもしれません。

Dscf1936_2 

気ままな旅も期間限定です。
それでも商売は続けなければなりません。
飲食業は、客が来なければ時間がいくら経っても収入には反映しない。
また、食事時間を外れれば波が引くように客足は途絶えてしまいます。

「その日々が限界に来たとき、霧は永遠に開かれました」
夢が霧散していくように散っていって、叶えられた夢は永続されることなく亡骸のような建物を残して静寂に包まれました。
一家はどこへ行ってしまったのか? 彼らは負け犬だったのか?

Dscf1934

そんなことはありません。
どんなに大成しても数年後には落ち込んでしまうかもしれない世の中です。
重要なのは夢を形にできたこと。それだけはいつまでも消えることは無い。
未開封の書簡がひとつ。開ける事はしませんでしたが、道外のある人から…
まだ、ここでの思い出に触れ続けたい人がいたことは確かです。

Dscf1945

Dscf1943 道外からは、近くて遠い北海道。気軽に行ける生活レベルになったとき、時代はむしろ外国の方が行きやすくなっていました。
団体をカバーできる巨大ホテルもその能力を生かしきることなく衰退。
地区行政すらも破産。救済が半ばブームとなっている昨今、果たしてそれは次例にもひきつがれるのでしょうか?

来るべき日。
道に面したこんなドライブインが地域の未来予想図なのかもしれません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年12月19日 (水)

霧が晴れたら ①

霧には、色々な顔がある。
朝の木立の中、鳥のさえずりを伴って夏の朝の光を和らげるやさしい霧。
運転中の闇の中、ライトの光を溜め込んでそれ自体が生き物であるかのように車にまとわり付く不穏な霧。
通りなれた道の向こうに今まで行ったことの無いファンタジックな光景を連想させる霧。
霧の向こうには何があるのだろう…

Dscf1919

Dscf1949 市街地から遠く離れたところにそのログハウスはあります。
本来、ログハウスは素材に恵まれていますが、製材の設備のないところで家を組む、簡易的な建築です。
 現在はその技術も発達して、ログビルド専門の業者や一般向けのログハウス入門書もかなりの数が書店に並んでいます。

基本的なサドルノッチという組み方は、チェーンソーの熟練とログビルドの経験が必要ですが内装の手間がない分、熟練者には短期間で棟上できる技法です。
部屋の大きさは原木の長さでほぼ決まってきますが、長尺で太さの一定なものは、国内では手に入りにくく高価なため、ほとんどが輸入材を使用します。

Dscf1955 原木、すなわち丸太をそのまま使用するために材のねじれやヒビ(材の乾燥の行程で外側と中心に近いほうの伸縮率の差からひびが入る。丸太のまま使用する場合、や床柱では、あらかじめ背割りと言って1か所切り込みを入れて見えない側にかくすように施工する)がどうしても発生し、ひどい場合は材自体が曲がっていくこともあります。
材の完全乾燥は難しいので施工中や施工期間、あるいはその後に組んだログの隙間をこーキング剤(充填剤)を使って埋めるので、常に自己メンテナンスをこころがけなければなりません。小口(丸太の切り口)から材の腐敗も始まるため日頃の点検も必要になります。
ただし、壁自体を組み込むため在来工法(柱建築)や2×4工法よりも耐震構造に優れているといえるでしょう。

現在は、セルフビルドをより簡潔にするため溝が入った半製品化したものや完全にキット化したものも輸入などで扱われています。

今回の物件は、ログハウスがブームになった頃が背景としてあります。
一般的としても、ここはかなり大きい。
ログ材の輸入も本格化して、長尺ものが手に入りやすくなったことからこの大きさのものが可能になりました。

Dscf1951

Dscf1959_2 自動車免許証を取得して初めて一人で遠乗りのドライブのとき、ここの存在を始めて知りました。当時は建築中で、まだ屋根が葺かれていない頃で、この先に友人がいたことから何度か横目に見ていたのですが、なかなか完成しない。
たぶんセルフビルドだったようです。

ドライブインとして始められたこのレストランは、建物のみならず、大きな池など造園にも力が入っていて谷間のわずかな平地にカントリースタイルの癒しの空間を演出していたようです。

家族構成は、夫婦と小さい男の子が一人の3人家族らしい…。
場所は、町界の山間で市街からも遠く離れたところです。
周囲は畑になる所も少なく、時折民家もしばらく離れたところに点在。
そのため、回りに競合店がないのは良いのですが、この店の認知にも問題でした。

Dscf1950

Dscf1958 手前の市街地を通過すると、それまでの田園風景は一変して山道に入ります。その手前にラーメン店が1件。そのあとは、飲食店があるような雰囲気は、めっきりなくなり、カーブの連続などから店の存在も確認しずらく、道沿いの駐車スペースのため店本体が奥まり、気づいたときには通り過ぎてしまったという状況に陥ってしまいそうです。

しかし、道からは分からなかった広がりがここにはありました。
大きな池、照明装置も備えて店の庭にしては広大な風景が、食事中の窓辺から見ることができたことでしょう。
あるいは、キャンプ場としての側面もあったのかもしれませんね。

自然実あふれながら、それが弱点にもなってしまった要因は、他にもあったのかもしれません。
この路線、国道でありながら管内には『道の駅』は1か所もありません。
管内をほぼ縦断しながら、前後の支庁にあるだけで現段階では各市町に構想があるものの実現至っていないようです。
『道の駅』が各地で誕生してから、『道の駅マニア』なるものも出現し、ロードマップ上でもその位置は大きく表示されます。程度に差はあるものの、『駅』というよりもオアシス的要因が強いため、飲食店・物産展が軒を並べだします。
その地図上での特別扱いとも取れる表記が、これらのドライブインに脅威となりました。
現実この先には、『道の駅』に到着するまでの間に廃墟銀座とも取れるくらい廃業ドライブインが累々とその姿を晒しています。
霧の晴れた朝、少し悲しげな表情の木造ロボットの中では、どんな暮しと団欒があったのか…
ドアには、消えかかった文字の書かれた張り紙「ロングハウス ●×▲■◎(判読不能)」。
朝日が差し込む室内はガランとして木の香りすらどこかへ行ってしまったようでした。

Dscf1921

ドライバーは『道の駅』を目指す。
そこまでは目もくれないでひたすら走っていく。
北海道 のんびりしているのは風景だけで、みんな必死に走り続けている。

時代は変わったんだよ…      でも、そんな暮しを望んでいた?
北海道…いや、日本の余暇は疲れるようだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年12月17日 (月)

鋼の鳥 ⑤

Dscf8993

Dscf8992 北海道観光に関して次のような言葉があります。
『自然は一流 料理は二流 サービス三流』 それはどういうことなのでしょうか?
かつて、北海道は過酷な自然環境と海を隔てた土地柄から身近な異国のイメージもありました。
徒歩・ヒッチハイク・自転車・オートバイ… 気ままな一人旅の人々がリアルな北海道の魅力を道外へ伝えてくれました。 北海道を愛してくれました。

時代的にもおいそれと国外へ行けるものではありませんでしたから近場の娯楽、近郊のリゾート、近所のテーマパークが登場しだしそこそこに繁盛していったようです。
それを可能にしたのが公的資金とバブル融資でしたが、それらを当てにしなくとも充分やってこれた施設が蝋燭の灯りのように静かに消えていきました。

Dscf8997

それは、あらかじめ決められた終の時がきたのか、人の心が変っていったのかは、どちらとも言えません。

Dscf9004

ここ数十年は、一時のブームは去ったとはいえ、根強い温泉ブームが続いています。
それは、健康志向や癒しを求める心が背景にあるのでしょうが、小さな・寂れた温泉宿が意外と人気があります。
それは、現世から隔絶された空間に自分を置いてみるという点では、『廃墟ブーム』と似たものがあるのかもしれません。明らかに異なるのは『温泉』という実があり、行先は廃墟などではないということです。

Dscf9045

旅館は観光の看板と名目で経営されていても地域とのつながりが、色濃いものです。
地域の会合・宴会・結婚式・仕出し等の面で関係深くなっているものなのですが、核家族化や町内会の不参加。それ以前に町内会すら形成されない地域。戦後60年は人の心をそんなに変えてしまったのかとの嘆きが聞こえてきそうです。

Dscf9051

人間は火の元に集う生き物です。火を囲み、自然の驚異から身を守ってきました。
特に日本人は火の元に集う週間が多く、囲炉裏や鍋を囲み湯に集うのは、単に生きる術だけではなく共に暖を得ることで心を通わせる習慣が根強いのかもしれません。
寒い季節に鍋が恋しくなるのも、ひとつには心の寂しさなのかもしれないですね。

Dscf9068

豊かになると暮らしもレベルアップしていきますが、何か大事なものを切り捨ててしまったような気もします。

この旅館にも集いの場は浴室のほかに、屋内ゲートボール場(元宴会場?)、いくつかの大部屋と宴会場があります。

ゲートボール場といってもどれほどの利用者がいたかと考えると微妙ですが、ゲートボールが盛んになった時期を考えればしごく自然な考えだったでしょう。
見て回った中ではゲートボールがプレイされていた痕跡は伺えませんでした。

Dscf9055

奥のほうにある大広間へ行くとそれまでの薄暗いイメージと打って変り、室内は曇りの人は言え明るい感じです。
ここまで来ると雑木で見えなかった湖もやや見えてきます。
湖畔の広間で賑やかな宴会が催されたことも多々あったことでしょう。
背景画のあるステージも完備されて、そこに立つと荒れきってしまったこの場でも数列並んだ膳とその両側で笑う人々の顔が浮かんでくるようです。

Dscf8852 今年の北海道は年明けから雪の少ない幕開け。
夏になっても雨は少なく、一時的な断水もあり、ダムの貯水量も記録的ではないかというほど激減していたように思います。
『幻の橋』と呼ばれる糠平湖の旧士幌線タウシュベツ橋梁も今年は、湖に沈まず年間通して見ることができたのに少々複雑な心境です。『こんなことは珍しい…』そんな話を聞きました。

世の中のことなど意に介せずかのように、ここの湖は豊富な水をたたえています。
もう宴会場の歓喜も、大浴場の調子っぱずれな鼻歌も聞こえないのに…

時の止まった旅館の上空を相変わらず鋼の翼が威嚇し続けていた…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月15日 (土)

鋼の鳥 ④

みなさま こんにちは(^-^*)/ 
廃旅館の奥に進むにしたがって正面外観からは想像のできないラビリンスの広がりにかなり興奮でっす。 ズイズイ進んでいくといつの間にか最初のところに出てたりで、ウオッ!!(゚ロ゚屮)屮 ということも…。

Dscf8990

温泉ホテルと言うくらいですから当然浴室に行かなければなりません。
なみなみとお湯が入っていたらいいなーなんて考えながら入ってみました。

Dscf8988

脱衣所。まず男湯の方から入ってみましたが何となく湿気で床が怪しい雰囲気があるので慎重に(-_-;)。 定番色のコインロッカー。でもずいぶん故障中ではないですか。マジックで思いっきり直書きしてるし…
ここだけ見ると寂れた温泉宿のイメージがあるけど、廃墟ではありませんね。
ドアを開けて浴室を拝見。

Dscf8962_2

Σ(゚д゚;) ヌオォ!? 
何? 混浴ですか? 大きな浴室内は中央に楕円形の浴槽がひとつ。その回りにコーナーを使っていくつか別な浴槽が散らばっている造りです。

Dscf8963

実のところは女湯側は角の小さな浴槽だけで、間は風情に欠けるブルーの衝立で仕切られています。その比率は、9:1という圧倒的大差。

「温泉いって来ようぜぃ! ●●まで…」(o^∇^o)ノ

「えーっ?あそこツマンナイ…」(*´ο`*)=3

そんなことも言われかねませんね。これでは…

元々は混浴であったのでしょうが、時代の流れとして分けることにしたようです。
しかし、この衝立は、脱衣所が1段高いというか半階高くなっているので、脱衣所を出たところから向こう側が見えてしまう恐れがありました。
 窓の外は緑に覆われています。綺麗に整理されていれば湖が眼前に広がり、シーズンには白鳥の飛び交う様も見ることができたのでしょう。今となると深い藪のほかは何も見えませんでした。

Dscf8966

よく室内は、他の自然崩壊っぽいところと比べてあからさまに破壊行為の跡が色濃く残っています。洗面器や瓦礫が散乱しているので足元を気にしながら歩いていると…

うぉ!w(*゚o゚*)w

彫像の頭部がゴロンと置いてあります。これはちょっとビビリました。
 これも壊されてしまったのでしょう。もともとの胴体を捜してみるとそれらしきところが女湯の方の浴槽の縁にそれらしき痕跡がみられました。

Dscf8965

魚(?)に跨る胸から下の部分が確認できましたが、ずいぶん惨い仕打ちですね。
ここには、心霊スポットとしての側面もあるらしいのですが、「俺ァ幽霊なんか怖かねいゼィ!」と挑みこんだが、何も出てこないので有り余った若気の至りで湯守の乙女にこんなことをしてしまったのでしょう。

Dscf8967

錆び

Dscf8974

Dscf8964浴室入口の上方に火山の絵があります。コードが下がっているからランプが点いて、沸々と煮えたぎるマグマを演出していたのかな?

この辺の湖の近くには活火山はないから他所の山ですね。ロビーの上に噴火の写真が飾ってあったので有珠山だと思います。

1977年8月7日9:12 1944年以来の再噴火は、翌年にわたり洞爺湖温泉街に大打撃をあたえました。
2000年3月31日の噴火も記憶に新しいです。1977年の噴火写真が洞爺湖の某ホテルから寄贈された形になっているので、ここと何らかの関係が深かったようです。ちなみにその旅館は現役です。`s(・'・;)

Dscf8792

でも、ロマン風呂との関連はあまりないようです。北海道=豊かな自然=自然の驚異=火山=温泉 という図式になるのかな?

Dscf8961 お風呂場に入浴料の表示があるのも変ですね。缶詰の値段が缶の中にあったみたいです。それに記載された家族風呂です。

贅沢にそして大胆にタイルをあしらった内風呂。
400円だそうです。普通の自宅の風呂場みたいですが、今でも家族風呂ってあるのかなぁ

蛇口をひねってみましたが何も出てきませんでした。

Dscf8981

乾ききった浴室内。
かつて、ここもふんだんなお湯が浴槽を満たして、厳寒の冬に氷結した湖を眼前に極楽気分を味わえたことでしょう。

枯渇したのは温泉ではなく人の流れだったようです。
それでも、前支配人から引き継がれた旅館は、息の長い経営だったと言えるでしょう。

バイブラ・寝湯・サウナ・打たせ湯などの充実した温泉もいいんですけどね。

(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月13日 (木)

鋼の鳥 ③

なんでもこのホテルは隣の市で時計店経営者によって、ここに作られたそうだ。
どうりで最初に見た正面入口が、鳩時計っぽいわけです。 でもそれはちょっと考えすぎ…?

Dscf8919

 その時計店と沼の所有者の間にどのような経緯があったかは、私の計るところではないが、何かの訳で最も大きい近くのウトナイ湖を差し置いて、この沼が選ばれた。
 ホテルがこの地に誕生したのが昭和36年5月(1961)。しかし、その7年後の43年(1968年)には既に営業不振に陥り、翌年には地主に売却してしまったそうだ。
 地主は営業を引き継いで、その後20年以上の平成4年まで続け、その年3月に廃業している。
 すると平成5年の水質調査の書類があるのは、ちょっと妙だぞ…

Dscf8921

水質調査書があったことは、転売や賃貸の目的があったのかもしれない。
それにしてもこの施設の傷みの激しさは、どういうことなのか。荒らしが入っていたとはいえどもガラスがわれているわけでも無く、破壊といってもバーが積雪で倒壊したとか、何かを運び出したかのように廊下の突き当たりの壁が丸ごと無くなっているといったところのように自然崩落したと見えるところや何かを運び出した跡に見えるものも多い。

Dscf8926

ホーム・バーが屋根ごと崩落している。
たぶん一番の見所だったのかもしれないこの場所にアットホームな面影は今は見えない。 そもそもアットホームな雰囲気とは何だろうか。民宿の電話広告に『アットホームな…』というコピーをよく見るが、 売りとしては曖昧なもののような気がする。

Dscf8928

このホテルの中で、このバーはロッジの雰囲気もあって一番モダン。
現役のときに一度来て見たかった。ジュークボックスは故障中のまま時を越えている。

Dscf8930

崩落を免れた手前部分は、右が厨房とロビーの方へ向かう。
左側はジンギスカンルームということになっているが、座布団以外に往時を偲ばせるものは無い。両方の部屋の間にある衝立は、厨房があからさまに見えるのを隠すためにあった?

Dscf8934

壁面に並ぶ薪は、壁面飾りとして作られ、実用はない。山小屋の雰囲気を狙ったものだが、畳とはミスマッチな気がする。Dscf8950

閉鎖後に正面に揚げられた看板。現在は割れた窓を塞ぐため、目立たない建物の裏手にある。でもどこからどこまでが裏手なのか、はっきりしないほど内部は入り組んでいる。

(つづく)

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007年12月12日 (水)

鋼の鳥 ②

このホテルの周辺には小さな湖や沼が点在します。
約3000年前頃から始まった勇払低湿原の陸化の過程で海岸砂州や砂丘の発達により、海岸線が閉鎖されて誕生した後背湿地の海跡湖だそうです。
最も大きいウトナイ湖は、渡り鳥の重要な飛来地となっており、1991年ラムサール条約により日本で4番目の『水鳥の生息地として国際的に重要な湿原に関する条約』の登録地になりました。

Dscf8795

Dscf8799 ホテルのある湖は古来、『チライウチト(イトウの群生する沼)』と呼ばれていました。
現在もイトウがいるのかは不明ですが、調査によるとナマズやゲンゴロウブナなど9種の魚類が確認されています。中には63㎝級のソウギョ(1mを越えることもある)が捕獲確認されています。

この沼は、実際には私有地です。現在の正式な名前では所有の林業会社の名前が付けられていますが、一般的にはこの物件の名前から『●●湖』と呼ばれています。
ウトナイ湖がラムサール条約登録とはいえ、付近は10分~15分に1度は、旅客機が上空を通るようなところです。

Dscf8908 付近の航空機騒音年間集計値表によるとこの沼は、『※WECPNL指数:71(平成17年度の値・平成6年度では76)』。
地域類型基準(専ら住居の用に供される地域か否かの判定による)では、WECPNL指数75以下とされるので基準には適合しているようです。
それにしても、やかましい事には変わりありません。
※WECPPNL=加重等価平均感覚騒音レベルのこと。航空機から受ける1日の騒音の総量を基準として、同じ騒音でもより「うるさい」と感じられる夜間・早朝について重み付けを行い、人が受ける騒音の感覚に合うように考えられた航空機騒音の評価単位であり、一般に「うるささ指数」と解釈されます。

特に、ここの沼上空は千歳空港への着陸進入経路であるため、まだ車輪は出していませんが、航空機は低空で通りぬけていきます。
沼には、白鳥も飛来するようですが、湖面が結氷するとここからウトナイ湖へ移動するようです。

Dscf8885

Dscf8873 総面積22ヘクタール、最大水深2m(調査書による。地区史では水深9mの記述もあります。)の沼のほとりに造られた温泉ホテルは、旅館というより温泉施設の様相が大きく、宿泊は主に団体向けであったそうです。
近郊からも比較的行きやすいところだったため、外湯は比較的繁盛していたようですが、新たな掘削により他所の温泉が増えていくと人が離れていったのかもしれません。

ここ20年の間に誕生した温泉施設は、かなりの数に上ります。観光資源としての背景もあるのですが、温泉の基準を満たさない冷鉱泉の部類を追い炊きしてまで強引に営業した施設も多く、現在では維持費がかさむことから地区行政のお荷物になり、公売に出されたり、閉鎖されたりという安易な物件もありました。
 
バブルの背景や地方譲与税交付金・ふるさと創生資金など恩恵はありましたが一村一品運動や地域活性化の盛んな時代において、地方の浪費とは言い切れないものがあります。

Dscf8881

それらの施設乱立が、このホテルの経営に影を落としたのかもしれません。
耳にしたところでは、経営難から営業引継ぎを条件に施設を売り渡しましたが、営業再開の様子が見えないところからもめ事になったようです。しかし、実際に営業再開することなく静かに朽ちていくことになりました。備品・調度品が多いのは、その原因を物語っているようです。

Dscf8956

複雑に入り組んだ館内。増築を重ねた結果の構造ですが、この形になるまでは繁盛し続けていたことでしょう。
 複雑な増築は、新旧にこだわらずあちこちで見かけることはできます。ここも現役だった当時から迷宮的で趣のある気がします。ウロウロしていいのかは別としてね。

(つづく)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年12月10日 (月)

鋼の鳥 ①

普段と環境の違うところへ行くと妙に落ち着かないことがあります。
街の喧騒の中で暮らしているとキャンプ場の静かな夜がかえって気になってしまいます。
ヤン富田という実験的な音楽家(海外ではスティールパン奏者としても知られる)のアルバムで一定の間隔の無音状態を音楽として聞くという試みがありましたが、全くの「無」を意識してしまうことはあるようですね。

Dscf8788

Dscf8790 それとは逆に静かな環境で生活していると些細な音が気になってしまいます。夜寝ていると冷蔵庫のモーター音さえ気になったりします。その反面、夏の暑い夜、窓を開けていると外から聞こえるカエルや虫の音は気にならなかったりするので環境の急激な変化が人によってストレスになりうるということです。

少し晴れ間が覗くも雨粒交じりの初秋。『ルイン・ドロップ』を始めて、早くもこの場所にくることになるとは夢にも思いませんでした。
 よもやメジャーな物件…はて?廃墟でメジャーとは変ですね。廃墟は廃墟です。赤瀬川源平氏風に言うならば現代遺跡。

そこを垣間見てきました。

しかし、終始気になっていたのが飛行機の爆音。大きな空港が近く、ほぼ真上を着陸態勢で入ってくる旅客機のエンジン音は、この辺りで暮らす人には、もう気にならないものになってしまったのでしょうが、ねこんにとっては結構ストレスでした。
もう、前世では爆撃機に追いつめられていたかと思うほどオドオド…
事前に知ってはいたことですからまぁしかたないでしょう。熊に会うよりは、ずっとましですから…

Dscf8787

湖に面するホテル。しかし、雑木がだらしなく伸び放題で建物を囲い込んでいるため湖は見えません。かつてはそぐ側に見えていたのでしょう。その正面に立って2階建ての間口…さらに上に小さな窓が見えますから3階建てでしょうか。思ったよりも小さな間口に正直ビックリ。『観光ホテル』という名には似つかわしくないその様子に先行きが少し不安になってきました…

『ゴーッ』 また1機滑走路を目指す機影が真上を通り過ぎていきます。

Dscf8807

Dscf8796Dscf8802 真っ暗…まではいかないが暗いロビー。窓に板が打ち付けられていることもありますが、決して明るい部屋ではなかったようです。ロビーの雰囲気は、ホテルというより旅館の面持ちです。小さな間口から想像できなかった奥まで続く長い廊下を見て、期待が膨らんできました。床はあちこち抜け落ちているようで波打っています。
『ずいぶん長いこと放置されていたんだろうな…』 そう思いましたが意外な文書を発見。

『温泉の水質試験結果書』
同ホテルが検査依頼して採水検査した年が平成5年。同年閉鎖されたとしても建物がいくら古いとはいえ、14年程度でこれほど朽ちていくものでしょうか?

Dscf8797 以前、別件で閉鎖されてから数年程度の温泉旅館の内部が温水バルブが閉じられておらず、温泉の湿気が管内全体にまわり、火事現場のような状況になったところを見たことがありますが、それと同じことがあったのでは?と想像しました。
 建物が古いとはいえ、このレベルは秘湯の湯治場ではごく普通の光景なので建物の古さが旅館の衰退の原因ではないのでしょう。帳簿では外湯のお客さんは多かったようです。

波打つ床を確かめながら進んだ先に階段がありました。階上には客室、当時宿的な雰囲気ですが温泉好きには、この雰囲気もかえって風情があります。後付けの配管パイプがあちこちに見えているのは、ややいただけませんがそれは目をつぶりましょう。

Dscf8869

各部屋を回っていると布団部屋風のところ…ここに梯子っぽい小さな階段がありました。
外から見えた小さな窓の部屋のようです。屋根裏の倉庫かな?

Dscf8829

Dscf8837 『えーっ!』 何やら凄いことに。部屋の壁には一面に新聞や雑誌が貼り付けられています。
 北海道、特に戦後開拓期には、掘っ立て小屋同然の家が多く、極寒の中ただでさえ薄い壁に断熱防寒の目的で新聞紙を幾重にも貼りこんでいくということが良くあり、そのような家も見かけることがありましたが、ここは少し事情が違うようにも見えます。

丁寧に、しかもしわや曲がりを気にした作業は、ロバート・ラウシェンバーグのコラージュアートを見るようです。防寒目的と言うよりも壁紙的に張りこまれたのかもしれません。

Dscf8811

中にVAN創始者の故・石津謙介氏出演の広告が目に止まりました。
晩年の入院中でも病院着は拒み、肌触りの良いブランドのシャツを身に着けていたそうです。知ったときは既に老人の顔でしたが、若い頃を見たのは初めてです。

こういったものを無造作に貼り潰さず時代を語るPOPな壁面に、この部屋の主はただ者ではないな…と思いました。
(つづく)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年12月 8日 (土)

やさしい廃墟

Dscf1904

陽の昇り始めた早朝、海の近くの廃墟を目指しました。
しかし出発点、いわゆる自宅は、内陸に位置するため海の見えるところまでいくのにも時間がかかります。実家が畜産業なので、小さい頃から海まで行くことは、そうそうありませんでした。3~5年に一度といった程度でしょう。

だから、海には敏感なのかもしれません。
以前、札幌にいた頃は、街中にいても海の香りを感じることがあり、海の近くとはいえ「おやっ?」と思うことがありました。
 海から遥か遠い内陸でも海を感じることがあります。十数年前に近くの国道付近で、あからさまに海の香りに驚いたことがあります。しかも辺りには鯖が打ち上げられています。
「えっ?」 その潮の香りは、トラックが落としていった積荷によるもので歩道で猫が嬉しがっていましたが…

Dscf1905

 同じ道を海を目指して走ると景色は、地域特有の平原風景から山間の風景に変わります。
そこまで行くとドライブ中に休憩できるところが極端に減るため、その手前の田園地帯で休憩でもしようかという気持になりました。

Dscf1906  この辺りはコンビニはあっても24時間営業ではありません。早い時間だと開店時間ではないこともややあるので適当な場所が合わないとついつい走り続けてしまいますが、途中、こんな文字が目に入りました。

『皆様 お休み下さい』 ちょっと寄ってみましょう…
お休みくださいといっても扉は建物の歪みと戸車の錆びつきで開けることはできない。
 若干、不法投棄の現場にされてしまっているようです。

Dscf1907Dscf1910  見るからに掘っ立て小屋のようで、古い写真で見た戦後のバラックの感じ。ここは、近隣農家が経営していた農産物即売場でした。夏から秋にかけて店を開けて、トウモロコシの収穫期には、食欲を誘う「ゆでトウキビ」の香りが風に乗ってやってきます。
 こういうところの店は豪快でハーフサイズという売り方はしません。大きいのが丸一本、でも一本ままは、つらいなぁ…

 まだ車の免許をとって間もない頃、長距離を走ってみようとこの辺りまで来ました。
もう、初秋の頃なので、夏野菜と秋野菜の初物が一緒にならんでいた頃でした。
 今は「道の駅」付近で即売場などの営業や「無人市」と呼ばれる小さな小屋に野菜を並べて料金箱を置いておくような簡易的な店もありますが、まだそういったものがさほど見られない頃は、このような即売所とドライブインの中間のようなイメージのお店がたまに見かけられました。

Dscf1911

Dscf1914  小さな店や小さなドライブインが、さほど交通量が多いわけでもない幹線道脇にあって充分営業できたのは時代的な背景もあったのでしょう。現代は急ぎ足になりすぎました。
 同じような即売所が増えて、オアシス的な道の駅も整備され、古い店は蜃気楼のように姿を消していきます。
 小さかろうが、ちょっと赴きにかけていようが、ここで食べたトウモロコシは、宝石のように輝いていた。

この大きさで150円? うーん半分でいいんだけど…
おばちゃんは熱さを感じないのか、さもあらん表情で大きなゆでトウキビを1本摑むとボリンとふたつに折って片方はラップでくるんで袋に入れてくれた。
「芯まで食べるわけじゃないからね。大丈夫、食べきれるサ」

結局1本食べてしまった。

Dscf1916

実りの季節、抜けるような青空の下は黄色のハーモニカの練習会場でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年12月 7日 (金)

旅立ちの朝

Dscf1067

Dscf1069  母親は愛情の象徴です。それも無償の愛情。でも空気のごとく包まれて、いつしか当たり前のように感じることを忘れていきます。 
 子は愛を一指に受けたくて甘えていたのに、大人に近づくごとにうっとおしく思ってしまうものですね…。
母は、愛情の存在であると共に「送り出すもの」。

 この像の名は「平和の像」といいます。平和は飛び立つ鳩であり、母は、旅立たせるまでの存在に過ぎない。
飛び立つ空と舞い降りる先に何があろうと、母は送り出さなければなりません。
それが、母の宿命だからです。

 懐かしい場所。当時、ここにその像はありませんでしたが、高校卒業まで暮らした町で敷地内に図書館があるため、いつも目にしていた風景です。
 後に立つ木々は昔、男の子達が「クワガタムシ探し」と称して散々根元をほじくっていたものです。数が減っているようなので、やり過ぎだったのでしょう。いくら郡部でも街中までクワガタムシが来るとは思えませんでしたが…

Dscf1072

Dscf1073  しばらく離れている間に街は、アートな感じに変わってきました。
古いものと新しいものが混在していた街並み。商店の陳列品が歩道まで所狭しと並べられた風景も現在通りの整備とそれをきっかけにした退店。商店の世代交代。景観整備のために古いものは解体するなどの措置のために様変わりしました。

Dscf1071  この像は、地元の名士の方が、母の天寿全うに際して町に寄進したものです。
美術・芸術に感銘の深い方で、経営するホテル内に美術館も設け、最近も市街地に美術館を開設しました。
 経営基盤に基づく派手なパフォーマンスとも取られますが、この彫刻の建立など地味とも思えるところに想いの本質が見えるような気がします。
 彫刻は、作家のねらいのほかにスポンサーの考えも重要なのかもしれません。

 人通りの少ない初秋の朝、かすんでいた空も揚々青空が広がりだしてきました。
母親は、風を読んで旅立ちを告げます。今まで羽ばたくだけで飛ぶことをとがめられていた子ども達は、自由の喜びに無我夢中で振り返ることなく飛び立ちました。

“母はそれを喜ばしく送り出せたでしょうか?”

Dscf1074

それを言っては、いけないのかもしれません。
母は送り出すと共に静かに待ち続けるのです。
子ども達が見てきた空の向こうの事を話しに来る日を…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 5日 (水)

水の無いプール

Dscf7479

今回は、そのままのタイトルになってしまいましたが、ずいぶん前に「シェケナ・ベイベー」の内田裕也さんが主演した映画で『水の無いプール』というのがありました。

Dscf7476  男は地下鉄の駅員。家には口やかましい女房。職場の喧噪の中で次第に無気力になっていき、生き方を変えようとするがうまくいかない。仕事帰りに立ち寄った飲み屋で酔っ払いとやくざの喧嘩にまき込まれて手を負傷、噴水で血をながしているとき不思議な少女が近寄って来た。少女は男を水のないプールへ連れていき裸になる。その少女を置きざりにして、男数日前に暴漢から助けた「じゅん」という名の女性の部屋へ忍び込もうとするが気付かれて、戸締りをするように注意して出ていく。
 ある日、男は息子の昆虫採集で使う注射器を見て、あることを思いつく…

Dscf7477

Dscf7497 日本映画お得意の喪失感と軽い不条理が交錯する映画です。
 ここで言う「水の無いプール」は本来のあるべき姿を見失い、心の乾ききった男の象徴なのでしょう。(あるいは、世の中が水の無いプールのようにあるべき姿ではないということか?)
 夏のプールは、季節がら「豆カッパ」と称される子ども達の喧騒で、はち切れんばかりになります。今年の北海道の夏も温暖化の影響からかあちこちのプールはフル回転でした。子ども達の姿の無い学校と対照的な光景です。

Dscf7486

Dscf7482  『こんにちはー』…? 返事の無い来校者出入口から入ってみましたが、職員室が分からない。
 横の部屋を除いてみると3・4年生の女の子が二人おむすびを食べていました。
 『こんにちは 職員室はどこなのかな?』
 『あ…2階のほうです…』つぶして煎餅みたいにしたおむすびを隠すようにしながら女の子が教えてくれた。

 来校者記入簿に記名して所定の来校者札を首から下げて2階へ向かう。白無垢のパイン材で作られた階段は学校には不似合いのような気がしましたが今時の学校は、こうなのかな…。 空港の搭乗ラウンジみたいな2階の一角に職員室がありました。

Dscf7496 Dscf7494

Dscf7512Dscf7507

Dscf7490

『こんにちはーちょっとお伺いしますが…』
『はい?』 教頭先生風の方が給湯室から出てきました。

『あの、ちょうどあそこの窓から見えるところのプールがありますよね。あそこは今、使っていないのですか?』
『あーあれね…この学校のプールでしたが、今は市内の小学校のほとんどが●●の森の方のプール(全天候型)を使うので今は使わなくなったんですよ。私が赴任したときからあんな状態です。』
『実は、差し支えなければあそこの写真を撮りたいんですよ。』
『えー別にかまいませんよ…でも廃墟ですよ。』
『あっかまわないです。壊したりとかしないんで…ありがとうございます。(廃墟だ!廃墟だ!)』

Dscf7503

Dscf7492  半スキップで昼真っから街中の廃墟へ向かう(しかも平日昼休み)。公園の一角にこのプールはあり、界隈は公園を中心に円形に造成された変わった造りの町内です。
 柵を乗り越えないと入れないな…と思っていましたが側面のネットがグチャグチャに壊されているので難なく入ることができました。
 学校プールに入るのは何年ぶりでしょう。小学生の頃、中耳炎常習の前科があったねこんは、親に禁止されて1年生の数回以来プールに入ることはありませんでした。

Dscf7520  街中といってもセミの音が聞こえる炎天下の下、存在意義を失ったプールは、乾ききっていました。ブルーの屋内のあちらこちらで緑が繁殖しています。ステンレス製の昇降梯子はつやつやと輝き続けています。 プールの表面のシート(防水塗装かと思っていましたが)も浮き上がっていました。

このプールは具体的に閉鎖の形にはならず、とかく夏場の気温に左右されて利用できない日が多いことから、温度管理ができてオールシーズン使うことのできるプールが近郊に作られたことにより、その役目が自然消滅的になくなったのでしょう。

Dscf7529  今だに泳ぐことができない。それはなにも中耳炎のせいだけではありません。自分の通った町では高校に一施設。更に離れた学校にもうひとつ。夏場のプール授業は実質3度あるかないかの回数でした。
 泳げないと申しますが、泳ぎをマスターしていないだけで水が怖いわけではありません。
潜りはわりと平気です。

干上がったプールの中には水があるときには、はっきり確認できない色々な線やらマークがあります。 
飛び込み位置の下には、十字架のようなマークが並んでプールが弔いの場のように静まり返えり、夏の青空に負けないスカイブルーがその寂しさをカモフラージュしているかのようです。

Dscf7491

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年12月 1日 (土)

大陸の夢 憂愁の音 【千秋楽】

Dscf9786

この広い庭園の散策も終盤です。
時の止まった空間の中で自分ひとりが動いていると、いつしか自分の時間感覚も曖昧になってくるようです。かれこれ、ここに着いてから3時間ほど経っていました。

Dscf9728  中国庭園と言っても実際の中国とはスケールが格段に落ちるのは否定のできない現実です。テーマパーク創造の発端は、関係者の視察か海外旅行のときの感動が強く、それを再現してみたい。多くの人に見せたいという欲求がそれを叶えさせたのかもしれません。
 バブル云々は、それに加担しただけで時代の恩恵が無ければ現実のものとならなかったでしょうか? 必ずしもそうではなかったと思います。そこに想いが無ければ動きは始まらないのです。「創り上げる」ことが夢でその後のビジョンが曖昧であったことが衰退の原因であったのかもしれません。

Dscf9732  ある意味、経営としての妥協もあったのかもしれませんが現実の模倣は、現実以上のものにならない宿命もあります。いくら現地の素材を使っても「天安門」みたいな物を現地と同スケールで作るとそれだけで終わってしまう恐れもあります。
 そのような妥協がリトルチャイナ的な庭園を誕生させましたが、中国に行ったことのないねこんには充分な施設です。

 五感の肥えた現代人は誰もが批評家のようです。
感想は、評論になり缶ビール1本、ラーメン1杯にも論じてしまいます。野球やゴルフの論議の熱の入れ方も同じようなものがありますね。

Dscf9752

 目の前には、最大のシンボルのタワーがそびえています。そのすぐ手前に鐘楼があります。日本のお寺の鐘楼と違って色彩や造りが派手ですね。
 中の釣鐘も日本のものとは形がかなり異なります。日中友好の記念として寄贈されたもので、時間に関係なく自由に点くことができたようです。本来、鐘を点く行為は、儀式の始まりを知らせるものでしたが、後に時を告げる役割を持ち始め「除夜の鐘」のように実際に儀礼の中心になりました。

Dscf9736

 余談ですが、大きな釣鐘を指1本で動かす方法を聞いたことがありました。そのやり方が【一定間隔で、釣鐘の一点を指で押す】というもの。
 普通のお寺で試してみると住職から『喝』を食らいそうなので、この機会に試してみると…本当だー。 ゆらゆら動き始める釣鐘を見上げてみると頭上にスズメバチの巣。
『おやまぁ なんて贅沢っぽい営巣でしょう』

Dscf9743  五重の塔を目前にして、その大きさに改めて感動します。法隆寺の塔より大きいかな?
1階には『南無阿弥陀仏』や『極楽世界』の表示が見えます。
 ここを極楽世界とするなら土地柄、人々は地獄に殺到して極楽の方が経営難に陥ったことになります。なんて皮肉なことなんでしょうか… 
 中に入るとエレベーターがあります。興をそがれますが施設的にいたしかたないのでしょう。上まで登ると確かに辛い。ここに来るまでも座るのも忘れて歩き通しでしたから。

 上にあがるにつれて庭園の全景が見えてきます。閉鎖されて久しいとは思いがたい景色です。すぐ近くに幹線道がはしっているにも係わらず、喧騒とは程遠い世界でした。
 塔の柵は所々朽ちてきているので、うかつによしかかる事は危険です。

Dscf9791

Dscf9762Dscf9764  塔の内壁、丁度エレベーターや階段のある中央部の外壁には、偉人や仏神像が展示されています。おなじみの七福神や日本の像と異なるポーズの観音様。象に乗っている像などもあります。お馴染みの仏像と違うのはそれぞれの像のほとんどが着色されてタイガーバーム公園の像のようです。
 わりと近場の宿泊施設に大観音像というのがあって、その胎内巡りをしたことがありますが、そこの像も着色されて仏像としては違和感がありました。

 この塔の仏神たちはウインドーケースの中に納められていましたが。閉鎖されてから掃除もマメにされなかったことからガラスは汚れ、中の像も薄らとしか伺うことができません。 一部、ケースが壊されたものがあり、中の像を伺うことができましたが他はガラスクリーナーでもないと見ることはできないようです。残念…
 これらの神仏像は、展示だけではなくエレベーターで上がって巡礼風に参拝しながら降りてくるという趣旨があったのかもしれませんね。ただ、日本のものと姿が異なるので馴染みが浅すぎたかもしれません。

Dscf9768

Dscf9801  『コーン』 先刻から度々気になっていた音がまた…さっきの鐘楼を見下ろしますがあの釣鐘の音とは思えません。あまりにも近くから聞こえたので辺りを探してみると…
 屋根の端に庵のような形の鐘がぶら下がっていました。これが風鈴のように時折、風を拾っていたようです。この音が庭園の息吹を感じさせていたようですが、それは遠い大陸に想いを馳せていたのかもしれません。

 塔の周りは、瓦や陶器の飾りなどがたくさん散らばっています。冬場、塔の上から氷塊が落ちてきて、これらを壊していったのでしょう。放置されたからというより北海道と言う土地柄、予測されたことでしょう。空しく散らばる首に悲しさも覚えました。

Dscf9797_2

Dscf9885  陽も随分傾いてきて、そろそろ現実世界へ戻る時間がきたようです。
静かな園内に乾いたモーター音が聞こえて振り返るとライトプレーンが五重の塔を旋回するのが見えました。それに応えるように塔の鐘が「コーン…ココーン…」と響き、機が離れて夕日の方に向かっていくと、静寂の街へ戻っていきました。

鐘を鳴らしていたのは大陸からの風。
そしてライトプレーンの悪戯。

サイドメニューに「大陸の夢 憂愁の音」フォトアルバムをアップしました。
12月3日

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »