洞窟学園 ①
今回の学び舎は、今までの学校とは異なります。
ここは、専門学校(あるいは専修学校)で専門科目のエキスパートを育成。
この手の学校は、業種別の専門知識を取得できますが、卒業しても実際の就職には専門大学と違い、高卒とカウントされることが多いようです。反面、現場とのつながりが多いため、就職は比較的有利といえます。(全ての専科共通ではありません)
学校の前身は、被服系の教室。大元は名門私立校で、その傘下として、専門課程にコンピュータ科を導入し、新たに開校されました。
当時、コンピュータは最先端でありながら、まだアップル社の画期的デスクトップ型コンピュータ・マッキントッシュが普及する以前で、コンピューターを使っているのは、よほど最先端を意識した人か業種で携わる識者程度の頃だったと思えます。
モニタ上に○を1個置くにもC言語をタカタカ打ち込んで、ひとつ間違えればもうだめ!みたいな… 今のようにパソコンに詳しくなくても取り合えず使い出せるお手軽なアイテムという時代ではありませんでした。
ねこんが始めて使ったMacでも、HDは最大で2GB程度の時代(Adobe イラストレーターがバージョン3.x程度で円も直線の集合体でしかありませんでした。)です。当時は、バックアップ先の無いコンピュータ(毎回起動時に使用ソフトをインストールし、終了時必ずバックアップを取る式のもの:5インチFD使用)もまだ通用していました。
ここは、それ以前の時代であったわけです。
近郊の大学では現在、卒論もパソコン必需ですが、以前は複雑な計算を処理する場合、情報処理会社の大型コンピュータを借りて1日から数日かけて証明式を作り上げるということが当たり前でした。今は、同計算を初歩的なパソコンでも短時間で完了できる作業です。その変革期のひとつ手前に位置していたのがこの学校です。
結果的に時代が早すぎたのか(地域で)変革の速度に対応仕切れなかったのか、短命になってしまったようです。それでも、この道を志した者達が集う学び舎には違いなかったことでしょう。校舎は、街のほぼ中心部に位置し、周囲から目立つ高層校舎(場所の中では)は、通うものにとってそれだけでもステータスを感じるところでありました。
さて、現在この校舎はどうなったかというと閉校して寂れてからというもの、何処もが同じであるかのように『心霊話』がまことしやかに流れました。ただ、あまりにも話に信憑性が無い上、都市伝説としても内容がバラバラに異なりすぎるために『肝試し』の名の下の『荒らし』の標的にはならなかったようです。
ところが、普通ではない現象(動き)が近年内部で起こり、学び舎を必要以上に辱めることになります。当時、ある事件が背景にあったため、止むをえなかったようですが、その後の状況は、外からうかがい知る事のできない無残な真実です。
(つづく)
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コメント
パソコンだなんて、ルイドロには似合わないとても近代的な物件ですね。
先輩はまさかWユーザーになったわけじゃないでしょうね、私はMですよ。
最後はルイドロームな展開になることを期待します。
投稿: カナブン | 2007年11月 5日 (月) 19時23分
ねこんは両刀使いです。でも、ショートカットコマンドが混乱します。
マシン内部に関してはMの方がなんとかできますよ。
この学校では、FM-Vの初期型が主流のようでした。
投稿: ねこん | 2007年11月 5日 (月) 21時29分