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2007年11月19日 (月)

屋根裏の散歩者 ③

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いきなり放送コードに引っかかりそうなコピーです。
ジャニーズのフォーリーブスの面々。

 男性アイドルグループの先駆者で、 1966年10月結成、1968年9月5日『オリビアの調べ』でレコードデビュー、1978年8月31日解散。
 美少年達がステージで歌い踊るという、現在まで続く男性アイドルのスタイルを確立したグループです。 ステージ上でバック転を披露した最初のアイドルグループでもあるそうです。 ビジュアル性と高いパフォーマンスで若い女性ファンから支持を受け、トップスターとしてテレピ・舞台を中心に活躍。当時としては息の長い1970年代を代表する男性アイドルグループでした。
解散から24年を経た2002年に再結成を果たし、2007年現在も活動中である。
(えっ?)

 ドラマでレギュラー出演することは、さほどなく『俺は男だ!(1971)』『小さなスーパーマン ガンバロン(1977)』などにゲスト出演。歌はあまり記憶にありませんがビートルズの『オブラディ・オブラダ』のカバーを聞いたことがありますね。ほかは『♪ニッチもサッチもどうにもブルドック ハイ!』っていう歌しか覚えていません。恥ずかしながら…
 メンバーは数名入れ替えになっているそうです。

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 お約束のペナントです。「弟子屈」と「知床」 昔、弟子屈のことを「でしくつ」と読んで大恥じをかいたのも今では良い思い出です。「大谷地」のことは「おおたにち」と読みました。地名は難しいです。近所に「白人」と書いて「ちろっと」と読む地域があって、一度「偏見」ととられないか?と町議会で質疑されたことがあります。
 北海道はアイヌ語を当て字にした地名が多いので、難解なものが多くあります。 こうして見るとやっぱり旗ですね。フエルトなどでできているようで、たなびかせるものでは無いようです。観光お土産には適当ですが今はあまり見かけないそうです。今はむしろ、地名入りミニ提灯や「まりもっこり」がメジャーでしょう。北海道に来てね!

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Dscf6030  主は事情があって住み慣れた地を離れました。
そのことに関しては、関与することはできません。

 人も消えて、牛も消えて、家もサイロも過疎のモニュメントとしてその姿をさらします。
 近くには、この家の女の子が通ったであろう小学校もまた、大きな閉校記念碑を据えて静かに沈黙しています。
 ここには先のカオリン鉱山住宅から通う子もいたそうです。

 思い出の地、思い出の学び舎、毎日過ごした家。
この家に成長した女の子が再び訪れることは無いのでしょうか…

 思い出の日々。いつも肌身離さず抱いていた人形は、屋根裏部屋で静かに眠っています。成長した女の子がここに来ることがあって、今一度人形を抱き上げることがあったら朽ちかけた人形もなんだか救われるような気がします。

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それは今さら叶わぬことなのかもしれません。
寂しいけれど…過去は決別されたようです。

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2007年11月18日 (日)

屋根裏の散歩者 ②

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古釘とタヌキ
錆びた釘に美を感じることがある。 人の手によって作られた釘は自然の摂理によって簡単に異質なものに変わります。 自然が作った色。 これを人工的に再現すると結構な手間がかかります。
古釘は小さなタヌキと相まってシュールなシーンを作り出します。

カメラは魔法の機械。人が認識できない一刹那を見事に切り取ります。たとえそれが動かないものだったとしても… フレームに切り取られた空間は、カメラの見事なマジックです。
自分は、ただシャッターを押しただけ…

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Dscf6008  人が出入りした様子はありませんが妙に荒れています。
単に引き払うときにこの状態にしていったのかもしれません。畳が腐らないように押入れに上げていったというのが真相のようです。
 窓も玄関も施錠も板張りもないので、完全に家と決別したようです。いつか戻ることを考えて置いていったものをキチンと整理している家も多いのですが…(そのつもりで結局放置になることが多い)

 家に残るいくつかのパーツがこの家に女の子がいたことを物語ります。人形がいくつか、少女向けの漫画や読み物…男の子の跡が見られないので、跡取りのいないことが離農の直接原因でしょう。

 それも自然の摂理。でも、人は現在がずーっと続いていくような気がして今の積み重ねと浪費の上で年老いていきます。そして終の日に何もなしえなかったことに悔やむのでしょうか?それとも『我が人生に悔い無し』と静かに逝くのか… それが一番理想です。

 でも、ねこんは、まだ探し物が見つからないような気がするのです。こうして『夢の跡巡り』しているのは、心的に探し続けているのかもしれません。
 そんな旅の中、廃屋は人の営みが色濃いので感慨深い気持になります。遠野物語の【マヨヒガ】に似たイメージを持つのも、そんな心の琴線に触れる素材が多いからなのです。そんな素材が2階にありました。

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素晴らしくデザイン的な時計です。数字の一部は省略されていますが、この方がデザイン的にすっきりしています。位置によってデフォルメされた感じが機能よりも美を追求しているようです。壊れていなければ付加価値のつく代物です。

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 横溝正史や江戸川乱歩の文庫、他にもミステリー、推理小説がふんだんに残されています。角川文庫全盛期の斬新なカバーデザインの時代です。映画界進出で映画とのタイアップ戦略で爆発的に業績が伸びていたようです。角川春樹氏が時代を引っ張っていたといっても過言ではありません。

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時代がえらく前後します。官製はがきが『5円!』。今の十分の一ですね。サイロから時代は、さほど古そうではなかったのですが、郊外の農家などは、市街地のようにゴミや廃品収集はこなかったので(不定期で業者が空き瓶や鉛摘出用に廃バッテリーを収集にまわることがありました)、物置や屋根裏の広さに物を言わせて置きっぱなしがレトロ化するようです。身内の家に20年前の『冒険王』や『マーガレット』が普通にあったことがあります。(現在から見ると40年前。さすがに今はないでしょう。)

いやー廃屋って、ホントに面白いものですね。水野晴郎風)

(つづく)

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2007年11月17日 (土)

屋根裏の散歩者 ①

廃墟や廃屋がいくら美しいと感じていても、始めて入るときは緊張が走ります。
中に何がいるのか…とか、見てはいけないものが…などとは考えないけれど、建物の構造が脆くなっていたり、スズメバチやらヘビがいたり、思わぬ穴があったり…
また、こんな風に人形が朽ちかけて横たわっていたりするとちょっとドッキリ

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Dscf6035 かつて、この近くではカオリンという鉱物が産出される鉱山がありました。
 戦前には金鉱として、戦中は水銀の採掘。戦後はカオリンやゼオライトを産出していたそうです。現在は鉱山は残っていますが採掘は休止されています。
 ゼオライトとは結晶の中に微細孔を持つアルミノ珪酸塩の総称で、日本名は沸石(ふっせき)と呼ばれ、内部に水が含まれているため加熱すると沸騰しているように見えることから、ギリシャ語のZEO(沸騰する)とLITHOS(石)を合わせてZeoliteと名付けられました。吸着剤や園芸用土の添加剤(保水力と通気性向上のため)として利用されています。
 一方、カオリンは別名カオリナイトと呼ばれ、触った感じはぬるぬるしています。高熱に耐える磁器や上質のアート紙の添加剤などの材料にされる。この成分が多いほど高温に耐える磁器の材料となります。吸水性が高い。

 どちらも、現在は輸入品のほうが安価になり、あるいは工業生産品などの登場で採算性の合わないため、この鉱山のものが良質であったにも係わらず、産出は減っていきました。

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Dscf5999  この地域は、何も鉱山としてだけ賑わったわけではなく、古くから開拓に従事した人々の賑わいもありました。ところが山に近い一帯は、地中の岩盤が浅かったために深い耕作はできず、畑作には向かない地域も多かったようです。
 そのため、牧畜業が発展していきました。そんな1軒がこの家だったのです。サイロの建材から割合近年までは、営農が行われていたように感じられますが、後継者の問題等で離農止む無しとなったのでしょう。

 サイロは、およそ昭和50年~60年代頃で飼育頭数は成牛で50~70頭レベルでしょう。牛舎自体は、あまり原形が残っていませんが、もっと早い時代に大きいものを建設。サイロ建築前後は、まだ用が足りたため増床もしくは別棟で対処していたようです。現在は解体途中のためか無残な姿。

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Dscf6005  かつての住宅・牛舎・サイロなどを結ぶ家の往来もすっかり雑草に覆われてしまい、進むことが困難です。離農してからの年月の経過を感じます。
葉の表面がトゲトゲしていて衣服にまとわりついたり、服の上から肌を刺したりと悩まされます。どうにか住宅の前まで行くと… 意外とオープンな入口。ここも積雪で倒壊していた様子です。
 本来の玄関口は隣になり、酪農雑誌や文庫本、新書などの古本が詰まれています。 生き物・自然相手の自営業にしては結構な読書家だったようですね。

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Dscf6004  崩れてオープンになったところは、元台所だったようです。近くに排水浸透枡があって踏み抜いてはいけないので要注意。(※郡部など上下水道の設備が無いところは、上水道は地下水の電動ポンプ汲み上げ、下水は地下に浸透処理するマンホールを埋めてありました。浸透力が落ちると新たに掘り直すことがあります。現在は地下水を汚染するため、あまり使われていません。)
 どうにか中へ入ってみると、結構歴史の厚さを感じさせる造りです。            (つづく)

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2007年11月15日 (木)

フルート

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そもそも、人類の音楽の歴史の上で最初の笛は縦笛だったのでしょうか?それとも横笛だったのでしょうか? 楽器の演者は、しばしば絵や彫刻のモチーフに用いられます。それが『笛』の場合横笛が大半で縦笛というのはあまり見かけられません。

Dscf8320  縦笛のポーズはシンメトリー。横笛のポーズはアン・シンメトリー。左右対称が一番安定しているにもかかわらず、絵画の分野(デザイン的なものは除く)では、画面全体が左右どちらかに片寄った構図をしています。
 それが風景だった場合、片寄らせることで遠近感に変化が出て広い空間が演出できるように感じます。

 しかし、彫刻に於いては造られた対象が空間を演出しなければならないためにアンシンメトリーなポーズが多くなっているようです。かつ、正面よりのポーズよりも片側に寄ったポーズの方が性格的なものも見えてくるようです。

Dscf8325  人の体は完全ではないにしても左右対称。でも自然の摂理からすると必ず対照的なもうひとつの存在があります。
『大人と子ども』『若者と老人』『光と闇』『山と谷』『にゃんことわんこ(?)』…
そして種の基本である『男と女』。対照的であり半対照的(相反するという意味ではなく)。

 フルートを吹くの少女は、遠くを見つめている。縦笛(リコーダーなど)だとうつむきかげんのところですが、横笛であることは手元、即ち自分の目先(現在)ではなく遠く(未来)を見ていることになります。

 その笛の音は今を讃えているのか、未来への夢と希望を奏でているのか、それは少女であることが物語っています。
 輝ける未来のある少女。そして女性は愛と平和の象徴。その視線の先に明るい未来以外になにがありましょうか。

こういう文を作っていて、ちょっと思った。
オカリナは、縦笛?横笛?

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2007年11月13日 (火)

洞窟学園 ⑤

Hakai 最上階へ上がる前、それ以前に外からの様子で奇妙なところがあります。
最上階の他に建物の全長の三分の一ほどの階(屋上続き)があり、そこの壁が壊されている様子…
ボイラーか何かをクレーン搬出した際の跡と思っていました。

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近年に大掛かりな建物の調査が行われていたようです。

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Dscf7246_2 Dscf7232  某建設設計事務所が関与したとされている鉄筋不足などの耐震強度偽装問題、いわゆる手抜き工事の事件が表面化し、全国の同建築設計事務所が設計施工した物件が調査され、問題のあるホテル・マンションなどでも同様の問題が露見。営業停止や住み慣れた所を離れなければならないなどのニュースが連日報道されました。
 更に無関係の物件でも鉄筋の数、基礎体に木材などの端材が混入、シャブコン(またはシャバコン)と呼ばれる水増ししたコンクリートの使用他基本構造に適合しない建築物が調査の結果判明。

 私たちが、その調査過程を目にする機会はあまりありませんが、この学校のようにこういった形で調査はなされていたのでしょう。ただ、ここは未利用ということでその程度が破壊的だったようです。
 全国的に構造調査が行われた旨のニュースは伝わりますが、どこがどの程度調べられたのか、調べた後はどうするのか(鉄筋を壁裏レーダーなどを使わず目視レベルで確認すれば当然壁に穴は空くし)ということは伝わらないものです。
 調査結果問題無しとされてもこのままで良しとは、決してならないでしょう。

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 いくつも大穴を開けられたままの屋上、そこから当然雨が侵入。調査はともかくこのまま放置では建物の崩壊が加速していくのでは? 現に雨水は1階にまで渡っています…。

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Dscf7267 事件は何となく沈静化…何となく風化。
調査は必要なことだったのでしょうが、いわれのない残酷な仕打ちをしてしまったような印象です。
各階に大量に滴り落ちるのは、雨水なんかではなく学び舎の悲痛の涙のようでした…。

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2007年11月11日 (日)

洞窟学園 ④

滴り落ちる涼しげな水音とは裏腹のジトッとした空気の中、教室は水没しているというよりも融解が進んでいるかのようです。
ヌルヌルの床も次の瞬間には、溶けたチーズのように踏み出した足を沈み込ませてしまうのではないかと思うほど物の状態が変わってしまっているような…そんな現場の印象です。

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Dscf7233  しばらく人など入り込んではいなかっただろうと思っていましたが所々に落書きや破壊などの跡も見られます。街中のため、そんな輩も当然いたのでしょう。それにしても穴だらけの壁が後付けらしく質素な造りです。
 前身が被服校だった名残が廊下にありました。数体のマネキンがひっそり片隅に立てられています。
 被服科とパソコン科がどのように分けられていたのかはわかりませんが、校名自体はコンプ系なので被服科は夜学だったのかもしれません。

Dscf7205  上に行くほど傷みが激しい校舎は、時々軋むような音も響きます。
 学校が閉鎖された経緯は何だったのでしょう。調べてみた限りでは、地元名門私立校の被服科夜間別科のような形で運営されたものにコンピュータ系を含め拡大したことになっていますが、設立期や閉鎖時期に関しての資料は今のところ見つかっていません。それでも資格取得専修学校としては、ネット上で今でも名前を見ることができました。

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Dscf7219  最上階、4階には、講堂があります。卓球台もあって何となく学校らしい感じのところです。学校朝礼その他に使われていたのでしょう。奥には和室もあって被服科の付帯の授業に使われていたのか、資料などもありました。あるいは、被服のほかに作法なども授業にもりこまれていたのかもしれません。

Dscf7225  ねこんはこの学校より後の世代ですが、当時でもコンピューター系の専修学校は、札幌あたりでもさほど無く(古くから始めているところもありました)、後に経理系が情報処理としてコンピュータを導入してから飛躍的に専門科が増えていったように思います。
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Dscf7214  現在は、情報処理に留まらず、美術・音楽・建築他あらゆる分野に必要不可欠になり、大学の卒論以前に研究にも、そして入学の願書受付からインターネットは無くてはならないものになりました。
 そもそも、ねこんの家にもパソがあるくらいですからよほどの時代なのですね。

 結果的に時代はそうなったとしても、この地のこの学校に於いては時代に即しなかったのか、技術を取得しても就職先でそれを発揮できるところは、少なくとも地元では皆無と思わざろう得ないでしょう。

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 この物件、放置されてから学校樹や雑草も伸び放題。校舎も徐々に寂れていったため、いつしか心霊のまことしやかな話も聞かれました。マーキングしている心霊サイトもあるようです。周りは市街中心部に近いところですが商店よりも住宅の多く、夜は静かであるため不気味さがあることは確かに否めません。

 校舎裏にあるのは、かなり時代のある名門幼稚園。園児達は、日当たりをさえぎる無機質な壁に何を思うのか…

次回は、『学び舎の屈辱』とされる真実について… (つづく)

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2007年11月10日 (土)

洞窟学園 ③

 小学校などと違って、専修学校は異質な感じがします。なぜだろうと考えてみると専門教科が突出するため、学校という器の個性に欠けるからなのでしょうか?
 自分が出た専修学校に通っている当時は思いませんでしたが、『母校』というより『出身校』の印象があります。2年制のため学校に対して愛情が沸いていなかったのかもしれません。

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 各階、東から、小さな準備室兼倉庫があり、小教室がひとつ、通常教室がふたつならび、両側に階段、西の壁際にトイレ…というのが基本構造です。

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Dscf7209  3階へ上がると湿気は更に増して、カビ臭というよりも湿地帯のような匂いがしてきます。
4階建てですが壁の裏側では、よほどの侵食・崩壊が進んでいるらしくて教室の中も雨漏りというレベルではなく、浸水の感じです。まるで陽の当たる洞窟という表現がぴったりかもしれません。でも洞窟にこれほどの蒸し暑さは無いでしょう。ジットリ汗ばんできます。

 外からは伺うことのできない別世界。外からは想像できない状況と言うべきですが…

 床の状況が読めないので、下手に教室の中には入れません。木造、畳の民家であれば、床の歪みで柱や根太の位置を読むことができますが、鉄骨モルタル建築だと意外な腐食が壁の裏で進んでいるのかもしれません。
 上の階から滴り落ちる漏水は、滴るというより降り注いでいるようで思わず天井は無いのかと見上げてしまいます。

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 こんな状態になったのは、自然な風化や崩壊ではありません。
恐らく、あるひとつの事件が係わっているのかもしれませんが、経緯はともかく結果がこの悲惨な状況を作ってしまいました。

(つづく)

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2007年11月 9日 (金)

洞窟学園 ②

1階に入るとおよそ学校らしくない状況です。ホテルの備品らしきものが大量に山積みされています。ここは、学校ロビーだったようですが、うず高く積み上げられたマットレスやソファー・冷蔵庫など…
 もしかするとホテルではなく、寮の備品であったのかもしれません。

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 明け方まで降り続いた雨は、数時間経ってもアスファルトを湿らせたまま。節度なく伸び放題になってしまった校庭の木々も緑が鮮やかに輝いていました。その木々に囲まれて、なおかつぎっしり詰め込まれた物で薄暗いロビーには、級友たちの集いの面影も無いほどかわりはてています。

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 外からは伺えませんが建物が激しく崩壊しているようで、奥の廊下は、雨水が浸水して水溜りができています。数階建ての建物なので1階まで雨水が侵入してくるのは考えにくく、地盤沈下か何かで基礎の破損箇所から侵入してくる水が1階を汚損させているようです。
 非常にカビ臭く、床のタイルもヌルヌルするので転んでしまうと大変切ないです。

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 職員室らしき場所。学校の大きさから見ると小さな職員室です。専門学校は外講師も多いことがあるので、充分な広さなのかもしれませんが現代建築にしては、らしくない造り。
 激しい湿気のため天井も剥がれて、どこからか滴り落ちる水がストーブの煙突にあたり「タン…タン…タン…」と無音の時が止まった空間に切れ目を入れています。

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 奥に階段を見つけました。上階は光が充分に入るようで暗闇に慣れた目を刺激します。ところが階段を登りきったあたりから突然空気が変わります。まるで温室のような…
 ムッとした空気の中を進むと湿気で苔だらけのようになった廊下です。窓が閉められたままなので夏場の陽射しが建物全体を温室のように高湿度にしていて、建物の廊下を勧めている…そんな感じでしょうか。廊下の奥から「ピチョン…ピチョン」と雨だれのような音。まるで洞窟の中にいるようなそんな雰囲気です。湿気が強いため生暖かいというよりも蒸し暑い。今年の夏も暑かったせいか日中の屋内の温度上昇は、ただものではないのですね。

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 教室のひとつに入ってみると教室らしく机や椅子があります。専修学校のためクラス人数はさほど多くしていないのか20名程度の机の数。教壇の上には黒板ではなく、ホワイトボードが据えられて、けっこう近代的です。あるいは簡素なのか…

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 隣の教室は実習室で、パソコンが数台。大半は運び出してしまったのか数台だけが残されています。壁には授業で作ったプリンタ印字の絵が張り出されています。決してレベルが高いといえるものではありません。現在見ると落書きレベルの作品ばかりですが、当時のマシン能力やソフト、プリンタの性能などを考えると、この程度でもかなり面倒な作業には違いなかったことでしょう。

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まだ、時代的に情報処理系というよりパソコン教室だったのでしょう。
あまり古い型のパソコンのことは詳しくありませんが、残されているテキストによると使用機種は【QUEEN(FM16βシリーズ:テラ)日本語ワードプロセッサ】とあります。
文字の網掛けの仕方とかプリントの仕方程度を数回かけて習っていたようですが、近隣社会にパソコンが入り込む以前の地域には早すぎたハイテク授業には違いなかったのかもしれません
。    (つづく)

【おわびとお願い】
先週末より、体の不調とネット環境の不調で更新が滞ったことをお詫び申し上げます。
何分、解熱剤が切れるとぐったりの状況でした。ゆっくり休んで、合間に更新を…と入力をしていましたが、当家のネット環境がPM7時前後からAM8時前後に回線にノイズが入り込み、ネットどころか電話も使えない状況になります(通話不能でノイズがブチブチ入る。スカパーも同一回線に繋いでいますが、それぞれを外しても改善しませんでした。使用TA:Aterm IT31L回線不調になるとACTランプ点滅、リセット他も改善なし、)。携帯で家に電話すると家の電話機が故障の恐れがありますとアナウンスが流れますが、日中は全く問題はありません。
 結構ローカルのため、ISDNを利用していますが、故障依頼をして診断しても日中は全く異常なし(TA・保安機・増幅器・ケーブルを含みます)。特定の時間帯に何かが回線に干渉していると思われますが、いまだ直接原因を特定できません。近所になにか干渉するものがあるのかな?

 経験のある方がいましたらご助言お願いします。

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2007年11月 4日 (日)

洞窟学園 ①

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Dscf7295 今回の学び舎は、今までの学校とは異なります。
ここは、専門学校(あるいは専修学校)で専門科目のエキスパートを育成。
 この手の学校は、業種別の専門知識を取得できますが、卒業しても実際の就職には専門大学と違い、高卒とカウントされることが多いようです。反面、現場とのつながりが多いため、就職は比較的有利といえます。(全ての専科共通ではありません)

Dscf7299  学校の前身は、被服系の教室。大元は名門私立校で、その傘下として、専門課程にコンピュータ科を導入し、新たに開校されました。
 当時、コンピュータは最先端でありながら、まだアップル社の画期的デスクトップ型コンピュータ・マッキントッシュが普及する以前で、コンピューターを使っているのは、よほど最先端を意識した人か業種で携わる識者程度の頃だったと思えます。
 モニタ上に○を1個置くにもC言語をタカタカ打ち込んで、ひとつ間違えればもうだめ!みたいな… 今のようにパソコンに詳しくなくても取り合えず使い出せるお手軽なアイテムという時代ではありませんでした。
 ねこんが始めて使ったMacでも、HDは最大で2GB程度の時代(Adobe イラストレーターがバージョン3.x程度で円も直線の集合体でしかありませんでした。)です。当時は、バックアップ先の無いコンピュータ(毎回起動時に使用ソフトをインストールし、終了時必ずバックアップを取る式のもの:5インチFD使用)もまだ通用していました。

 ここは、それ以前の時代であったわけです。

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Dscf7296  近郊の大学では現在、卒論もパソコン必需ですが、以前は複雑な計算を処理する場合、情報処理会社の大型コンピュータを借りて1日から数日かけて証明式を作り上げるということが当たり前でした。今は、同計算を初歩的なパソコンでも短時間で完了できる作業です。その変革期のひとつ手前に位置していたのがこの学校です。

Dscf7291 結果的に時代が早すぎたのか(地域で)変革の速度に対応仕切れなかったのか、短命になってしまったようです。それでも、この道を志した者達が集う学び舎には違いなかったことでしょう。校舎は、街のほぼ中心部に位置し、周囲から目立つ高層校舎(場所の中では)は、通うものにとってそれだけでもステータスを感じるところでありました。

 さて、現在この校舎はどうなったかというと閉校して寂れてからというもの、何処もが同じであるかのように『心霊話』がまことしやかに流れました。ただ、あまりにも話に信憑性が無い上、都市伝説としても内容がバラバラに異なりすぎるために『肝試し』の名の下の『荒らし』の標的にはならなかったようです。

 ところが、普通ではない現象(動き)が近年内部で起こり、学び舎を必要以上に辱めることになります。当時、ある事件が背景にあったため、止むをえなかったようですが、その後の状況は、外からうかがい知る事のできない無残な真実です。

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(つづく)

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2007年11月 1日 (木)

小麦畑の天文台

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『あれーっ? このへんだったよねー…』
用事でこちら方面に来たときに、冬に一度訪れた廃校に寄って行こうと思いました。
ところが、土地勘が薄いためか以前訪れたときと景色が変わったり、帰り道だったため本線の反対から 入ろうとしたので、見当違いのところに入り込んだようです。

Dscf1356  目印の神社がまったく見当たらない。というより、変に開けている…。入るところを間違えたかな?
 ところが、近くに旧国鉄広尾線の駅跡を示す記念碑があり、その駅名が最寄りの地名だったためにグールグル回ることになりました。グーグルアースでも見ておけばこんなことにはなりませんでしょうに…

Dscf1358 結果、最初から見ておけば良いのに地図を引っぱり出す…いまだ合併町村のないロードマップを引っぱり出して場所を調べると、この先の本町で曲がる所を手前の宅地で曲がっていたのでした。
 しかし、この地図も古いですね。高速道路がほとんどないく、今は廃墟になったところも現役でピンピンしている。どうして、こんな地図をいまだに使っているのかというと、単にものぐさで「現地に行けば何とかなるだろう」「カーナビって焼肉?(極端)」の楽観主義だからです。
 基本構造は、神経質っぽいのですが、用途に合わせて横着者になってしまうようです。

 そんな性格が幸いして、こういった物件に出会えることが多々あります。
 秋蒔き小麦が発芽して幼苗に育った畑の真ん中に廃牧場跡がありました。サイロの外観の痛みからして結構古そうですね。天蓋がドーム型なのがとても珍しいです。大抵はとんがり帽子のものがほとんどですから…

 このまま冬を越す麦畑といっても入るのは気が引けるので、外観観察だけにしておきます。この丸みを出すのは意外と難しいのではないかと思いますが、中を見られる位置までいっていないので推測によると、通常の枠組みの上にモルタルを丁寧に厚塗りして作ったカーブではないかというところです。
 どこか天文台のようにも見える形状です。ジッと見てると「たまごっち」に見えませんか。

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Dscf1355  元の住居跡はなく、サイロと牛舎だけが麦畑の中にヒョコンとあって何とも絵画チックです。
「絵になる風景」に出てくる人の痕跡は往々にして「廃」が登場する機会が多いように思います。
 個展の絵も新築の家より廃屋が登場する割合が多いのは、単にテーマとしての要素より「家」そのものの風格が人を感銘させるのでしょうか。さすれば「廃」というものの意味合いは何なのでしょう… それを探す旅は続きます。(近場で←横着)

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