メルシィ
人は火とそして、酒に集う生き物です。飲まない方からすれば語弊のある言い方ですが
オリンピックの聖火、花火、大晦日の神社に灯る松明など、集いのある場所には火があり、感動と歓喜を呼び起こします。
今は電気に替わるところも増えましたが、囲炉裏や食卓の鍋料理とか焼肉など、団らんの場にも火の役割は単に暖を取り、熱を加えるものだけでは、ありません。
同じように生活に身近なところにあって突出しているのが『酒』。
神事にも酒は供えられ、本来は禁酒の戒めのあったお坊様も『般若湯』と称して飲んでいた時代もあったそうです。水が身を磨き清めるように『酒』は心を磨く水と例えられます。
もちろん過ぎたるは、及ばざるが如し…
酒の集いは火と同じであるかのように感じるのは『内なる火』だからなのでしょうか。
心の棘を落とし、無垢に戻す妙薬。文明無縁の種族にさえ『酒』はあるようです。
心を無垢にするがゆえ晒すべきではない、か弱きところまでが露出してしまい、悲しみ・憎しみ・後悔などがカウンターに散らばります。そんな心の彷徨いを語るのが、とかく酒と係わる演歌の心なのかもしれません。
どんな小さな町へ行っても酒場の1軒2軒は見かけられます。居酒屋・炉辺・バー・スナックなど、またはそれらの小さな店が寄り集まってアーケードを形成した『●●小路』といった所も多々あるようです。
昔見た西部劇の中にも砂漠の中にあるような場末の町でも酒場だけはあったようです(演出上のことで実際にはあったかどうかはわかりません)。
このスナックは中心市街地から離れた集落に座した店です。現在も他の酒場はありますが、ここは過疎により集客が落ち込んだのか店側の都合か閉められて久しいようです。
店の名は『メルシー』。フレンチな感じは何処やら…入口の形が凱旋門チックだからなのでしょうか。いやいやそれだと強引すぎますね。
中は、既に備品などは出されているようで酒場の面影は、残っていません。小さなミラーボールが古ぼけてフロアーの角にぶら下がっています。下がひな壇状になっているのでカラオケスタンドがあったのでしょう。寂れた室内はロートレックの絵のようでその意味ではフレンチなのかもしれないです。
職場の飲み会でこんなひな壇でカラオケをしたことがありますが、その途中フォーマルな一団がやってきて何を唄っても踊りだす(社交ダンス)という機会に恵まれ、いたたまれなかったことがありました。
室内が寂しすぎるので建物周辺を見て回ると裏に備品らしかったものが無残に放置されているのを発見。場末は、唯一のオアシスであったことでしょうが今は静かに風に吹かれるだけ…
灯された火はやがて燃え盛り、やがて消えゆく…
そしてまた、どこかに小さな火が灯されて…
その小さな灯火のようなドラマが静かに揺らめく
人間様が生きている 夢か現か幻か…
生まれて死んでまた生まれ 回り灯篭の絵のように…
そんな歌が昔あった
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コメント
ありがとうございます、ねこんさん!(いきなり何
気になってましたがいつも素通りでした。
中は寂しいんですね。外観は素晴らしいです。
投稿: haru | 2007年10月 4日 (木) 19時26分
そんなにみんな知っていたの?
ねこんは初見でしたが
投稿: ねこん | 2007年10月 4日 (木) 20時06分