ケミストリーが出る学校 ①
出たんです…ここに。 なにが? ケミストリーが…
もう随分前のことになりますが、この学び舎(当時存校中)がユニクロのCFの舞台になりました。更に当時から人気急上昇中のケミストリーが出演したとあって、放映前から話題で持ちきりになりました。
CM中で、平成15年閉校とのテロップも流れて、少なくとも地元では一層の悲壮感を持って心に突き刺さってくる切ないCMでした。
その後予定通り、この学校は平成15年3月に残った19名の子ども達を送り出して91年の校史に幕を下ろしました。
決して風格のある木造校舎ではない、昭和32年完成のブロック造りの平屋建て校舎。
裏にある中学校校舎の名残(体育館)のほうが風格もあります。この地区(ブロック)には他に4つの小学校がありましたが、現在すべてが閉校。市街地西の小学校へ編入されました。
現在、その学校廊下には、この学校を含めた全ての編入校の校旗が飾られています。
それでも、全校生300人に満たない規模です。これも少子化のためでしょうか。
明治44年、ここから南西に位置する小学校の出張教授所として基礎が築かれたこの学校は、昭和7年に近郊の尋常小学校と合併して、尋常高等小学校として創立しました。
現在の校舎になってから、ブロック地区合同行事、集合学習の会場としても利用され、複式学習研究会会場としても使われました。
教育に関しては昭和39年よりリンクを造成してスピードスケート学習を取り入れ、土井選手など傑出した人材も排出しました。
昭和17年には在校生192人にも上りましたが、相次ぐ離農の影響もあって減り続け、新入学生のない年もありました。周辺校と同じように歴史に幕を閉じなければならなかった学び舎の憂愁の美を飾ったのが先のコマーシャルでの起用だったのでしょう。
閉校になって数年の校舎も校庭では、錆付くことも知らなかった校庭の遊具たちが今では、子ども達の遺跡のように雑草に取り囲まれています。グランドもいつしかトラックの跡すらわからなく消えていくのでしょう。 高速道路インターが近くにある地区ですが、JA以外には商店も無く農業従事者を除くと近郊へ通勤する会社員と思われます。
閉校してから3年後にここへ訪れました。子ども達のいなくなった学び舎は生きがいをなくしたように閉校の日から老けだします。でも、違う様子がありました。「ケミストリーがいるのか?」まさか… 車がたくさん止まっていて妙に活気があります。
「二次利用かな…?」と思いましたが来た手前、断って見せてもらおうと正面へ行くと…
『祥栄の里』とあります。地域交流館(いわゆるコミセン)のようですね。玄関を入ると奥から人が出てきて『ようこそ、どうぞあがってください!』妙に元気な方がお出迎え。
【えっ?ユースホステルか民宿だったかな…まいったな、泊まる気は無いぞ…】と思いましたが、勢いに乗せられて上がってしまいました…
【おや?ここは何?!】
そこは、ホテルでも民宿でも地域館でもないところでした。
(つづく)
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コメント
ちょw最後の写真w次回が気になりますw
最初、違う学校と間違えました。
投稿: haru | 2007年10月14日 (日) 00時13分
あれは、エイリアンですね。他にも色々あります。廃材から作られていますがお見事ですよ。
投稿: ねこん | 2007年10月15日 (月) 17時33分