雛が翔ぶ ②
小さい頃街にあったパチンコ屋さんは、こんな感じでした。
もっとも、そのお店は手打の台が30程で椅子も無く、時間つぶしに小銭で打つと言う程度のところだったようです。
現在のようにデジタルの電動式が出てからは、 玉もお金も大量に動くようになりました。
お金を借りてまで行ったりで、『パチンコ依存症』なんて言葉も聞かれます。
光と音と絵が豪華絢爛。今のパチンコ世代には、たまらない懐かしのマンガネタの台など、有名どころは出尽くしたかのようです。
行く先は『CR私は慎吾』とか『デジハネアンパンマン』とか『デジパチ王家の紋章』なんてものも出てくるのでしょうかね… (出たら200円くらいなら試してみたい)
店自体も全面禁煙店や託児ルーム付きなんてところも増えてきて、どんどん快適になっています。いずれ、自分の台以外の音は聞こえないとかいうことにもなりかねませんね。それだけ技術も発達しているのになぜか玉は無くならない。玉もデジタル化してカード登録すればいいのにと思いますが、あの重量感(達成感)を外すわけにはいかないそうです。ギャンブル趣味のないねこんには、理解しずらい世界です。
さて、この廃墟ですが店内中央の目立たないところに階段を発見。建物外観でも2階があることは確認していましたが、店内が暗いため手間取りました。
手すりの無い階段を慎重に上がるとそこは昭和の雰囲気が色濃い空間です。部屋数は少ないのですが、横綱大鵬の絵皿(手作り?)もありました。当時は『巨人・大鵬・玉子焼き』という子どもに人気の三種の神器を表すような言葉もありました。
ふと気がつくと2階のあちらこちらに文庫本やガラクタに混じって雛人形が転がっていました。ということは、ここには女の子がいたことになります。
初節句から毎年見てきたであろう、この人形たちは、置いていかれたのが誰かに荒らされた様子です。市街地中心部にあるのですから、小学生の遊び場になっていたのかもしれません。奥の部屋の中央には、さほど年期の入っていないベッドが置かれ、敷布団が獣に荒らされたかのように中の綿が散らばっていました。
ベッドの中途半端な位置、障子をはずしてある様子から引越しの状況が垣間見えます。
リズムをこよなく愛するドラマー従業員。町勢の陰りと同業者の狭間で迷走した両親。そして、ここを去る年まで桃の節句を祝ってもらっていた女の子。彼女の耳にはパチンコの騒音も子守歌だったのかもしれないですね。
静かに老いていく街。事情は複雑に絡み合い、さして得策も無いまま音も無く消えていくのでしょうか。
町のHPなどを見ると町政、その他にストレスが向けられているようですが、1本の大木のごとき共同体であった街は、変わり行く過程で、こぼれ種のように自由に芽をふくものや幸に恵まれず干からびるもの、鳥についばまれたり、風に飛ばされたりするものなど、その礎は同じでも分散して小さくなっていくようです…。
雛人形があちこちに散らばっているのは、無人の闇の中、翔ぶがごとく舞い踊った跡なのかもしれません。
その舞いは、街が好景気で栄えた過去か、それとも不透明な未来なのか? 人形(ひとがた)には愛玩具の他に人の身代わりになるという側面があります。
多くのものを背負わされ過ぎた彼らには、全て見えているのかもしれないですね。
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