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2007年10月30日 (火)

北の割れ門

夜間のため心霊スポットみたいになってしまいましたが、そーんな言われはありません。 ねんのため…

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Dscf1894  数年前、惜しまれながらも利用客数が思わしくなく止む無く廃線となった第3セクター鉄道『ふるさと銀河線』。
 国営時代は池田町から北見市を結び『池北(ちほく)線』と呼ばれていました。廃線となるところを第3セクター化して存続してきましたが、自家用車の保有率増大の波にもまれて利用客が減少し、キャンペーンで集客を試みますが通年赤字のため、廃止決定となりました。

 一時期は、『銀河鉄道999』の絵をあしらった列車も走らされました。鉄道マニアに愛されながらも地域の利用者の集客はまかなえず、廃線になってしまい、現在は多くの軌道を大地に晒したまま沈黙しました。

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 現在、踏み切りなどは撤去されましただけで、レールや枕木はほぼそのまま残っています。これから先は、沿線のレールなどは、国際的に鉄需要が拡大していることから中国などに転売するべく、業者が買い付けて行くのかもしれません。
 とある街の軌道が入札で2000万円の予想を上回り約8000万で落札されたことから、『ふるさと銀河線』の軌道も中央からの財源が減少する中、このような美味しい話だと沿線の町は当然財源確保に売りに出すでしょう。

廃線にしては綺麗過ぎる駅(現在道の駅)の近くの道をまたがる軌道は、廃線後には安全の面から撤去されました。
橋脚だけの歪な姿がバリ島でみた割れ門のようでした。

門は単に出入り口ではなく、魔の出入りを防ぐ結界でもあります。
この門がこの土地に幸を招き入れる門であって欲しいものです。

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2007年10月28日 (日)

いまだ在学中

以前紹介の『鳥居の中の廃校』と同じ地区にある学び舎です。
あちらは中学校ですが、こちらは小学校になります。
一見、住宅のように感じますが体育館は取り壊され現在残るのは、教室部分のみです。
100名を越える卒業生を輩出した学び舎は面影も無く変わり果ててしまったようですが、ここを支えているのは、かつての生徒たちです。

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Dscf4919 裏手にふた回りほど大きい体育館を備えた本校は、明治42年創立。昭和47年3月に62年の校史に幕を下ろしました。 閉校時の生徒は23名。
 本校の前身は明治41年当時、開拓者が自宅農場の一角に開設した寺子屋的私塾であったそうです。昭和4年頃、入植者が増加して各地域にも特別教授場が設けられ、昭和9年に現時位置に校舎を落成、地域の教育がここに集約。

 現在のように少子化が問題になる以前に北海道内各地で離農者が続出。この地域も昭和33年をピークに戸数減少していきました。
 当時は、まだ農業共済(栽培作物や家畜にかける保険のようなもの)が充実していなかったことと、北海道のような畑に入れる期間の短い寒冷地では、冷害などの自然災害は、たった1度でも営農が危ぶまれるほどの打撃を就農者に与えます。

Dscf4922  信じられない話かも知れませんが、小さい頃に春の作付け完了後に霜注意報が出るとあちこちで夜通し古タイヤを燃やし、夜空を黒煙で曇らせた光景をみたことがありました。(曇りの日には霜が降りないことと同じ理屈かな?)そのくらい天候が明暗を分ける職業を分けてしまう過酷な職業でしたが、現在『ベタ掛けシート』というものが採用され、生育期に霜の影響を受けることもなくなりました。
 それも十数年前からのことなので、それ以前の就農者は意欲を失うほどのことが自然によって過酷にもたらされていたことになります。

 離農者が続出した背景には、そんなカタストロフィーな事項がありました。
現在残る就農者は、その逆境を行きぬいたエリートといっても言い過ぎではありません。
 しかし、離農者が負け犬かというとそうではありません。開拓期から現在まで農業は戸別のものではなく、近隣共同体の結束が深くて単に近所付き合いではない結びつきがあり、離農者もかつてはその一端をになっていたわけです。

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 去る者、残る者、互いに断腸の思いであったことは、今なら良く分かります。なぜならば、離農者と家の付き合いが今でも深くあるからです。
 これは何も田舎の馴れ合いなどではなく、街の近所付き合いにも同じようにあったものですが、核家族化や近所付き合いの希薄化から町内会の加入は何処も激減しているようです。
日本の発展は、何も勤勉さだけではなく、横のつながりの深さも大いにあったと思います。

 さて、この小学校はこれまでの経緯のように人口の激減と少子化から他校へ統合となり、学び舎は、廃れて行きました。
 現在、様変わりしてしまった校舎には、かつての通学生が趣味の集まりの場として利用しています。

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そう、彼らは今でも通学を続けているのです。

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2007年10月27日 (土)

煉瓦長者 ②

牛舎建設の煉瓦が余ったようです。住宅のほんの一部分、台所のあたりだけがプロヴァンスしています。
もしかするとこの部分だけをセルフリフォームしたのか?
でも、量が中途半端だったので、なりきれない感も否めません。

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Dscf1101  中のシンク台まで赤レンガのゴージャスな造り。キッチン回りだけで終わってしまったのは残念です。
赤レンガ製の建築は、そこそこ見かけられますが、外壁のみで内装にまで使用している例は、あまり見かけられません。

 住宅のレンガ積みの仕方を見ているとあることに気が付きます。
牛舎及びサイロと住宅の積み方が異なりますね。前回のサイロの画像を見ると一定間隔置きにレンガの巾が変わります。
 これは、普通に1段積み、次の段をレンガ巾半分づつずらして積んでいく「ランニングボンド式」が基本ですが、この積み方だと目地が直線にそろってしまい、強度を損なうことから一定間隔置きにレンガの向きを変えて積み上げることでその弱点をカバーすることが必要になります。壁に当然厚みが出ますが建物を屈強に造るには変則的な積み方の「フランス式」や「ドイツ式」が主流のようです。
 この牛舎とサイロは、それをわかっている玄人仕事なわけですね。

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Dscf1089  それに比べて牛舎内部の倒れた塀や給餌槽、住宅、ともに「ランニングボンド式」で積まれているのがわかります。これが玄人と素人の分かれ目なのです。見た目の重厚感も素人目に顕著。
 レンガはコンクリートに比べて酸の影響を受けにくいので、ずーっと新しい時代のものより長持ちします。もちろん目地は、セメントですが。
 施工中のレンガの水漬け(予めレンガに水を吸わせておく)が甘いとセメントの水分をレンガが吸ってしまい、接着が弱くなるそうです。狼対策には、覚えておくと良いですね。

 現在の住宅などは、レンガモドキの新建材があり、風合いもかなりのものですが、本物のレンガにはかないません。レンガのシンク台はその点、高級に見えます。(さすがにシンクそのものまではできなかったようです)
 奥のお風呂場にもレンガが使われているようです。

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 …ん? 違うぞ… 中を真っ赤に塗っただけですね。お風呂場を赤くするのは、ちょっと不気味です。ボイラーが不燃を起して中が煤で真っ黒に汚れたので塗り直したのかな?隣の部屋がレンガだからということで…ちょっと落ち着ける雰囲気ではありませんね。

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Dscf1092  レンガから離れて住宅内を見てみましょう。このお宅は離農ではなく、数百メートル離れた向かい側へ営農基盤を移したので現役の酪農家です。経営規模拡大のため、レンガ牛舎が手狭になったそうです。
 現在、農機具庫などに転用されていますが、大部分は当時のままです。田園景観と崩壊の危険もあり、町から遠巻きに取り壊しを要求されているそうですが、この家の牛舎もサイロも今の町役場よりはずっと長持ちしそうです。
 幹線道に面している都合、住宅の全体外観公開は控えておきます。

 平屋ですが、とても広い家。数十年前で時が止まったかのように飾られた絵や家具調ステレオの上に散らばったドーナツ盤のレコードがあります。昔から豊かな家だったようです。(自前レンガ積みはともかく)
 部活や授業で書かれた絵や習字も張り出されたまま、過ぎ去りし過去を飾る博物館のようです。

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 古はどんどん遠ざかって行きます。
遠ざかっているのは、置いてきたものたちか自分のほうなのかは、それぞれ事情があります。
 まだ、こうして思い出に浸れる場所が静かに残っているのは、良いものですね。

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Dscf1100  デジタルメディアは、ちょっとしたことで中身が予告無く失われてしまうことがありますが、アナログの代表であるレコードは、針を落とせば今でも古の記憶を呼び起こしてくれるのでしょう。ノイズも回転ムラもそのひとつとして…

しかし、新旧がそっくり入れ替えられる現在、レコード店がレコードを置かなくなった様に古の居場所も少なくなっています。 それは、人も違わぬようです。

過去は遠ざかったのではなく、現在が遠ざかったのです。

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2007年10月26日 (金)

煉瓦長者 ①

『朱に交われば赤くなる』 赤い染料に触れるとたちどころに赤く染まるところから影響力の強いものに感化されることと例えられます。

『赤は命の色』 お稲荷さまの赤は自然の生命力、五穀豊穣を指します。

『スーパー戦隊』のリーダー格も『赤』 行動力と熱意と正義感の強さを示します。

『レンガは、なぜ赤いのでしょうか?』内容物の鉄分の量が多いと焼いたときに発色して赤くなります。要するに赤錆の色ですね。近頃は、淡い色のレンガもありますが、レンガはやはり『赤』が良い。

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Dscf1085  文明開化のときに建物に使われたレンガは、まさに文明開化の象徴として、また西洋文化を感じさせる色として当時の人々に印象付けられました。レンガが赤くなかったらこれほどまでに浪漫を感じさせる建築はできなかったでしょう。

 レンガの赤が持つ浪漫は、どちらかと言えばアバンゲール(戦前派)に属するような印象があります。
 アプレゲール(戦後派)側の我々は、コンクリートが象徴のようですが、レンガの赤に心の何かが共鳴するのは、血の『赤』が過ぎ去りし文明開化の浪漫を彷彿させるのかもしれません。それとも自らの魂が前世の記憶を失っても刺激的な赤の印象だけは覚えていたのかもしれません。

 空の『青』と大地に降り積もった雪の『白』の中にあって、レンガの建物は、フレンチな印象を受けます。こちらは牛舎ですが、サイロも同一のレンガ製で、強度をあげるために途中まで二重構造になっています。(内包物が圧縮され下のほうに寄るので)

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 この地域は、レンガ工場が近くにあったのか同じような赤レンガ製の牛舎が点在します。以前はもっとたくさん作られていたのかもしれません。
 一見頑丈なレンガも鉄筋などの骨材が入っていないことが多く、2×4建築のように壁自体が強度を持つように組み上げねばならず、1列づつずらして組み上げて壁の角同士を噛み込ませるランニングボンドという基本的ですが、組み方があります。倉庫によく使われていたことから柱をあまり設けられない建物には有効な工法のようです。

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 牛舎の屋根も赤錆がまわり同系色になって良い感じです。右側のコンクリートブロック製のものは、少々興をそがれますが添え物ということで大目に見ましょう。
 内部にも赤レンガがふんだんに使われています。給餌槽、仕切りの壁(倒れてしまっている)まで贅沢に使われているのが印象的です。他所は建物外壁のみが多いのに対し、よほど大量に仕入れたのか、注文が大雑把だったのか、仕切りの壁にしたものの強度が出せず、無駄っぽかったようです。Dscf1105

 給餌槽の上部が所々、面取りしたようになっているのは、牛がやったのでしょう。
酪農では、牛も塩っけを欲しがるので届くところにレンガ状の塩の塊『鉱塩』を置きます。
それと色が似ているらしく、ベーロベロ舐めていたようです。

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 この物件の魅力は、これだけではありません。まだ、画像には出ていないところがありますが、そちらは明日ということで…

(つづく)

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2007年10月24日 (水)

山の竜宮殿

 北海道の東西を結ぶ国道。その途中に位置する峠の入口付近(道東から行くと反対側)民家やドライブインが点在しだしたところにここがあります。

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Dscf0356  この峠は何度も越えて、この辺りも何度も往復したものですが、この物件に気が付いたのはつい、この間のことです。
 流通トラックや観光バスも行きかう、この道です。峠から続く渋滞の緩和のため、追い越し用の「ゆずり車線」もあることから皆、先を競る地域になってしまったようです。そんな自分も今まで見落としていた位なので、よほど回りを見なくなるところなのでしょうか。

 それが、こんな建物を見つけたからにはジッとしていられません!
数週間後、いつもは素通りしている町に立ちました。まるで始めて来た町のように新鮮です。

 事前の情報収集でも建物の画像以外は、謎に包まれていたので情報収集です。左側に位置する観音像は「全国安全祈願」ということで交通安全の意図の下に建立されたらしいです。建物前に立つ簡易宿泊所のようなところへお伺いしました。

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 いやぁー私らはさぁー 工事の関係で今月いっぱいまでしかここにいないからねー。
この辺の地主の人が昔にやってたみたいなんだよねぇ。
 そこの(すぐ脇に現役のドライブイン)食堂さんも経営したらしいけど、今は貸しているらしいよ。でも、トイレを改装しないと(団体が利用できるように)営業許可が出なくなるらしくて1500万工事にかかるんだってさ。
 だから今借りてる人は今年いっぱいで、その後は地主さんも自分は厨房に立つには足が悪いし、1500万かける価値はないってやめちゃうみたいなのさ。あんた。 
(話が井戸端化)

で、その方は足が悪くて自分では商売をやめたのですね…

そりゃそうさ。90過ぎてるくらいだから、足なんか悪くなるさね。

90! 90歳でまだ厨房に立とうと考えていたんですか?

昔かたぎの人だからねぇ…裏の山らへんもその人のもんさ。

へぇ… ところでその地主さんはどちらの方にお住まいですか?

わたしら土地のもんじゃないからこの辺のこと全然わかんないんだわ。 (うっそー)

Dscf0349  この日の天気と同じで話に光明が射さないまま、写真を撮ることに…
塗装の色もあせかけたかまぼこ型の建物(大きさの異なるものを繋いでいるところから旧国鉄保線の風除けのドームにも似ている。払い下げなのかも)。正面のチープな飾り看板には鯱が1対。何となく竜宮殿を思わせますが…
 何となく違うぞ『珍・宝・堂?!』これは妖悦ゾーンではないか!
インドの3大神の一人、シバの象徴「リンガ」に端を発するのか? 稲作国家の豊作祈願の象徴か? いずれにしても神聖な館かどうかは眉唾です。

Dscf0355  このような見世物小屋的施設は、全国にあるようですが『秘宝』・『宝』などのイメージで入ってみると実は、エロスのテーマパークだったということでしょう。
 温泉街に位置していれば良かったのですが山岳地に囲まれた細長い地域、過去にはドライブイン・旅館・銘石店なども多く、大半は農家が占めるのどかな土地です。

Dscf0353  ここになぜこんな施設がと思いましたが、道外観光連とも提携していたようです。アイディア軽率だとしても、そこそこやっていけたほど庶民が娯楽に飢え始めた時代が背景にあると考えられなくもないです。

Dscf0352Dscf0351  正面入口は、シャッターが大きく破損して入ることはできません。
脇に通用口らしいところがあり、ボロボロのカーテンがヒラヒラしているのを見つけて行ってみると…
 あー…時既に遅し。中はすっかり牧草ロールの倉庫になっていました。
全部は使われていないだろうと他の入口を探しても人が入れないほどびっしりロールが詰め込まれています。
「遅かったかぁ…」
想像以上の露骨な異世界を不安と期待に揺れながらの探訪でしたが詳細は分からず仕舞いでした。
 この辺りは鉱石の産出もあるところらしく庭石用の巨大な岩石や収集家用の銘石を扱う業者も見かけたことから、名前の印象とは異なり、珍しい鉱石を見られる銘石博物館だったのかもしれません。 

そう、見た目で判断してはいけません。
思い立って反対側も捜索してみることにしました。

右方には入口はないようです。ずーっと進んで行くと傍らに祠が…

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調査完了。名前に偽りなしです。公開が危ぶまれて封印しかけるほどでした。

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2007年10月22日 (月)

ためさせぬ大地

思い入れたっぷりの前回までの「廃ホテル」でしたが、添削に継ぐ添削で時間ばかりかけている間にアクセス1,500達成いたしました。
遅まきながら、ご愛好ありがとうございます。何となくの自分の世界観でやってきましたが、常連様もかなりついてきていますようで感謝のかぎりです。

今回は、以前予告の物件のこちら

Top

『ピリ辛』 『ねぎ』 『みそ』 うーん欲しい条件がそろってるぞ。
でも、時は遅し。街に通じる峠道の頂上付近の道に面したこのドライブインは、大きいタイプで北海道旅行ツアーバスの昼食所にも利用されておおいに繁盛。1階の土産物店も内包する形としてはかなり大口で、峠のドライブイン特有の規模は、通常幹線道とは比較になりません。

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Dscf6606  特に温泉・景観の集中する道東観光の入口にもなる地点で空港からだと、ちょうど昼食タイムになるところでしょうか。十勝特有の平坦な風景に飽きてきた頃に北の幸を楽しみ、ここから先は起伏にとんだ北海道の深部が垣間見えてきます。
観光ツアーとも提携してシーズン中は常に大型バスが数台停車しているところで、すぐ隣にはコンビニエンス・ストアもあるので、常に停車も多かったのですが、カーブの途中ともいえる位置のためにちょっとした事故も良く起こったところです。

Dscf6607  数年ぶりにここを通ると雰囲気は様変わり。全てのシャッターは下ろされて、隣のコンビにも既に閉店しています。
 「あ~手前のコンビニに入っておけばよかった…」 時既に遅し。今さら市街に戻る気にもなりません。この峠を上りきると次のコンビにまではかなりの時間を要します。

Dscf6599  車から降りてドライブインとコンビニの間を行くと展望台の看板が見えて、最寄の市街地を含む、この先に続く緑の豊かな起伏が目に入り、今でもちょっとした休憩には最適な景勝地です。でもここは、既に抜け殻。ここに何が起こったのでしょうか。

Dscf6619  後継者云々の内的要因は別として、ここに大きな要因が絡んできます。ここからもっと市街地に寄ったところに高速道路が延長され、突端の降り口もそこに設けられたのが直接的な原因ということでしょう。
 高速道路の完成によって旅行時間は短縮。当然ツアーバスも高速を利用して目的地との距離を短時間で結ぼうとします。しかし、それによってより濃い内容の旅行日程になったのでしょうか? むしろ日程の短縮の傾向が多いように思います。3泊4日が2泊3日に、2泊3日が1泊2日にと主要ポイントを抑えつつ、時間と資金の節約。ひいては格安ツアーに反映できると言う思惑の元、組まれた日程の中で、旧路線や旧中継所は、当然切り落とされていきました。

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Dscf6616  北海道観光自体も沖縄ブームの煽りを受けてツアー集客が減少し、団体パック旅行よりも個人的なオプショナル旅行が人気の昨今、大型バスが連なって走る光景を見ることも少なくなってきたように感じます。(そういうルートを自分が走っていないからかな?)
 主要景勝地、主要温泉地、世界遺産、ラムサール条約関係の観光地が目的のツアーが現在の目玉ということでしょうが、全てがそこへ向けて向けられて中間がバッサリというのは、どこか今の行政に似ている気もしないではありません。

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Dscf6629  北海道の魅力を道外に発信した功労者、いわゆるバイカー(またはミツバチ族)たちもその生息数はめっきり減ってしまったようです。
 これは、少子化とか人口減少などとは全く別な合理化の上にある。そんな気がします。
このドライブインは、高速道路の完成によって早々と先を見切っていたのか早々と閉められたようです。コンビにもたぶん同じオーナーによるものなのでしょう。

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 少なくともその原因になった高速道路。この反対側では新たな延長ルートが開通。札幌圏とドッキングするのも既に将来の話ではなくなっているようです。その沿線にある憩いの場はどうなって行くのでしょうか? 合理化の元「試される大地」に横たわる大蛇は、もしかしたら「滅びの大蛇」なのかもしれません。

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その旅は、急いでいるのですか?
どれだけ見ることができましたか?
それがあなたの『旅』なのですか?

とりあえず思うこと…『ピリ辛ねぎみそラーメン』 
北海道らしくないですね。

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2007年10月21日 (日)

窓を飛び出して ③

ここに住み始めて長くなりました。
 晴れの日、曇りの日、風の日、… 相棒は雨の日以外の昼間は一生懸命ガラクタにしか見えないものを集めて働いています。 私は、そんな相棒の仕事を眺めているだけですが、彼は、そんな私を見て笑ったり、集めたものが何か私に教えてくれたりします。

「人は色々な物が欲しくなって手に入れて使うけど、壊れたり邪魔になったら捨ててしまうんだよな…。 最後のひと働きができるものでもさ。俺がぁ、その最後のひと働きをさせるんだよ。このホテルもそうだ…いじめられるために立っているんじゃぁ無い…」

Cat052  この家はいじめられているのか…。
あちこちが壊れたり、穴が開いたり、黒くなったり…
私も他の猫や犬や人に追い掛け回されたり、何かをぶつけられたりして、逃げ回ったことがありましたが、この家は逃げることができなかったんだね。一生懸命働いたのに、捨てられて寂しいんだね…
 それを思うとこの家がとてもかわいそうです。
今は、私と相棒が「かぞく」と思っていてくれるのでしょうか…

 その日も相棒は、朝早くから家の中や回りに落ちているものを集めて大きな箱に積み込んでいました。(数日前にすっかり片付いたところにもいつのまにかまた、増えている)
 ひと通り、仕事を終えると私を抱いて部屋へ戻り、いつもどおり私のミルクとご飯を用意すると『じゃぁ行って来るよ』とわたしの頭を愛おしく撫でて出かけていきました。
 足音が聞こえなくなってややして、窓際に「ぴょん」と飛び乗ると窓の外を見ました。ものすごい勢いで走り回る奇妙な生き物の脇を相棒が箱(リヤカーと教えられた)を引っ張りながら歩いて行きます。できるだけ長く見送ろうと割れたガラスの間から「ひょい」と顔を出していましたが、やがて大きい建物の影に隠れました。

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 陽が真っ赤になって落ちていきます。この家の大きな影が相変わらず走り回る生き物の上に大きな影を落としています。いつものこの位の時間には相棒は帰ってきているのですが今日は、遠くまで行ったのかまだ帰ってきません。
 下へ降りてしばらく待ってみましたが、いつも相棒の入ってくる塀の隙間をジッと見つめていても彼は戻ってきそうもありません。
 そうしているうちの陽がとっぷりと暮れてしまいました。暗くなると相棒は目が悪くなるので今日は帰ってこられなくなったのかもしれません。
 私は部屋に戻ると、いつも相棒の横たわるベッドで眠りに付きました。

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『ウォーっ 怖ぇーぞ!』 『何ぃー?何んかいたぁー?!』

私は飛び上がって驚きました。声はすぐそこです。『アラシ?』 まだ、相棒は戻っていないようで、私はあわてて壁とベッドの隙間に飛び込んで小さくなりました。

『おぉーっ?誰かここに住んでるみたいだぞ!』 部屋にアラシが入ってきました。

『なんか臭ぇなー!ゴミだらけじゃん。』 部屋の中が灯りで照らされます。

『汚ったない! 早く出よう!』 アラシが何かを蹴飛ばしてガラガラと激しい音が部屋に響きました

『そういうなよ。 凄っごい部屋があるんだよ。そっち行こ!』 扉を乱暴に『バタン!』と閉じるとアラシの叫び声は遠ざかって行きました。相棒のいないときにこんなことになるなんて…私は小さくなったまま、隙間で震えていました。

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Dscf9099 もう、どのくらいたったのでしょうか…
何度か昼と夜を繰り返したようですが、相棒は帰ってきません。
迎えに行こうにも相棒が私のためにいつも少し開いておいてくれる扉は「アラシ」に閉められてしまい、私には開けられません…
もうお腹もすっかり空いて、喉もカラカラです…

次の日、強い風と雨が降りました。窓から吹き込む雨を舐めて少し元気になりました。
相棒は何処へ行ってしまったのでしょうか?窓から外を見ると空が怒り狂っています。

 私はすっかり疲れてしまいました。お腹はもう空いていません。ただ、凄く疲れてしまって起きることができません。相棒が帰ってきても飛んで迎えに行くことが今の私にはできそうもありません。それだけが心残りですが、今はもう少し眠ろうと思います。

目が覚めると良いことがある…いつもそう…そのはずですから…

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Cat056 なにやら暖かい感じがして、目が覚めました…
窓の外が明るく輝いて、でも不思議とまぶしくない心地の良い暖かさです。

一眠りしたので体もすっかり元気になったようです。窓の外が気になって窓際に飛び乗ります。窓の外は、いつもの生き物が走り回る風景ではなく、遠くまで広がる草原でした。
無性にあそこへ行ってみたい。あそこでなにかが私を待っている…そんな気がして私は、窓の外へ飛び出してみることにしました。振り返ると薄暗い部屋。私と相棒の楽しい日々が詰まった部屋です。ここにいても相棒にはもう合えないのかも知れません。

ネズミを捕るときみたいに体に力を溜めると一気に窓の外へ飛び出しました。
まるで鳥になったみたいに体が軽くスイーっと飛んで行きます。一瞬、後を振り返るとあの思い出の大きな家がどんどん小さくなっていきます。

『ありがとう…』 

向こう側の丘にトンと降りて、もう一度振り返ると家は消えていました。
走り回る生き物もアラシももう会うことはないのでしょう。

『帰られなくてごめんな…』 待ち焦がれた声に振り向くと相棒がいました。
見違えるようにすっきりした姿の相棒が…

私は答える代わりに差し出した彼の手に愛おしく頬ずりしました。

(おわり)

Photo これは、かなりできすぎた話なのかもしれません。
落書き、破壊、放火(?)にさらされて執拗に荒らされたビジネスホテルは、『心霊スポット』の名を記せられて元の姿も分からぬほどになってしまいました。
 この物件の歴史と真実と虚実は調べることが可能なのでしょうが、私は、あるひと部屋が気になりました。荒らされて、汚されまくり憎念と失意の巣窟のような建物の中で大量の生活感のあるゴミの袋の山と比較的きれいに保たれている室内。苦悶の表情の無い猫の亡骸。それらを観察して、このネガティヴな空間に小さなドラマを感じました。
 ですから、このお話は100%脚色によるもので、真実とは異なるのかもしれません。たぶん、そうなのでしょう。

 都市の比較的郊外とはいえ、近代化に包み込まれた空間の中にこの廃ホテルがいまだ存在し続けるのは、地権者の所在が不明という単純なことだけではないのかもしれません。私にはここが世の中の罪のようなものを一身に受け入れている想念の墓場にもみえてきます。 噂や真実は、この前で、もはや必要は無いことと私は考えます。

 火災の跡は、ホテル営業中のものか廃墟後のものかは、はっきりしません。ただ、ある階が猛烈な炎に包まれたことは事実です。よって、鉄骨およびコンクリートの強度は非常に脆くなっています。事実、取材中壁の裏で崩落音があり、壁の一部がビスケットのように簡単に割ることができました。無事に戻ってこられたのはあるいは幸いだったのかもしれません。あなた自身ここに行くことがあったなら『心霊話』の根拠にだけは、なりませんように…

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2007年10月19日 (金)

窓を飛び出して ②

ここは、奇妙な家。 どこまで行っても同じ部屋ばかりです。でも、どんどん上まで上がってガラスの割れた窓から外を覗くと今まで行ったことのない遠くが見えて、心地よく潮の香りもしてきます。

とりあえず行くあてもない私ですから、犬や縄張りにうるさい奴らのいないここは気に入りました。『相棒』が私に色々食べ物をくれるのが、一番の魅力でしたが…

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Dscf9091 『相棒』は、よく私を相手に話をしました。
「しごと」 「かぞく」 「ゆめ」 「わかれ」…その意味は良くわからないのですが話しながらも嬉しそうだったり、悲しそうだったり、人間は話すと気持が大きく変わるようです。

 『相棒』はこの家の中や回りに転がった古いものをたくさん集めていました。私が食べるものを探しているときに見た袋の山にも同じものがたくさんあったのを思い出します。食べられそうも無いので無視しましたけど…
 彼は集めたものを袋にまとめたり、ひもで結わえたりすると大きな箱に積み込んで『行ってくるよ』と言ってその箱を引っ張って何処かへ運んで行きました。そんな時、私は相棒が少し開けておいてくれるドアから出て、家の中を探検したり、居心地のいい場所で日向ぼっこをしたり、部屋で眠っていました。すると『相棒』は食べ物を抱えて帰ってきます。

目が覚めるといい事が起こる、そんな毎日が楽しみです。

 私もたまには、スズメを捕まえて『相棒』のところへ持っていきましたが、彼は笑っているだけで食べることはありません。どうやら口に合わなかったのでしょう。

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Dscf9114  相棒がいうところでは、この大きい家は、人間が遠くまで出かけたときに休んだり、眠ったりするところらしいです。縄張りを離れた所に来ると私も不安なので、こういうところがあるのは便利です。
 でも、相棒以外の人間が来ることは無かったので人間はみんな自分の縄張りへ帰ってしまったようです。 相棒もいつか帰ってしまうのでしょうか… それを考えると少し淋しくなります。

 夜になると窓から見える景色は色とりどりの光が遠くまで広がって見えました。はるか下には足の速いネズミのようなものが細い線の上を行ったり来たりして唸ってる。
 相棒は夜は目が見えないようで、暗くなるとすぐ眠ってしまいます。時折、何かを呟いているようですが私には難し過ぎてわかりません。泣いている様に見えることもあります。
 そんな時、私が首筋のあたりに寄り添っていると安心して静かに眠れるようです。思えば、それが相棒に私ができる唯一のことだったのかもしれません。

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Dscf9132  ある日の夜のこと、窓の外に見えていた月がどこかへ隠れてしまったころに大きな物音がしました。
家の中に何かが入ってきたようです。
 しばらく、音が近づいてくるのに聞き耳を立てていましたが、相棒が突然目を覚まして『アラシだ!』と言うと飛び起きて、手馴れたようにドアの前に次々と物を積み上げていきました。
 外からは、何か恐ろしい獣の奇声や笑い声が聞こえて、何かが壊れる音がひっきりなしに聞こえて私は思わず小さくなっていました。

 相棒はドアの前でやっていた仕事を終えると『大丈夫だからな…』と言って私を懐に入れるとベッドの角で私を抱えるように座ってジッとしていました。この部屋のドアが叩かれたときには、さすがに私も震えましたが、相棒は黙って私の頭を撫でています。 やがて音が遠ざかる頃には私は相棒の懐の温もりで眠ってしまいました。その夜は、母の夢をみました─

 次の日に部屋の外を見ると昨日までと打って変わって物が散らばったり、壁に穴があいていたりしました。そんな光景を見ても相棒はさほど驚かず、「いつものことだよ」とでも言うようにまた、缶やビンを集めだしました。

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 その後も『アラシ』というものは何度かありました。でもドアの外を通る恐ろしい獣の姿を見たことは、ただの一度もありません。

(つづく)

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2007年10月17日 (水)

窓を飛び出して ①

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私は猫です。名前は分かりません。
ただ、彼には『相棒』とよばれていたので、それが自分の名前なのでしょう。
母親の顔、生まれた場所、そのどちらも覚えていないのですが、物心付いた頃に数匹の仲間(兄弟なのか?)がいました。いつしかその仲間もどこかへ行ってしまい、孤独になりました。
かすかに記憶に残るのは、母らしき猫に首の辺りを咥えられて何処かの家に入って行ったことと、私に手を差し出してきた大きな黒い影。それだけです。

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Dscf9145  相棒は私とは違う生き物で、私よりもいろいろなことができました。
でも彼は私に対して、体等のものであるかのように接してくるので悪い気もしませんでした。何よりもそのときの私は、毎日水ばかりの食事でほとほと疲れ果てていましたから彼は救いの神だったのです。

Dscf9088  その日、強い雨が降り始めて私は雨を凌げるところを探していました。空腹で足取りもおぼつかないのでとりあえず静かな場所で休みたいと壁の隙間をくぐって1軒の大きな家を見つけて飛び込むと、大きな椅子の上でとりあえずホッとしました。食べるものを探していたので、ついいつもより遠くへ来てしまい、不安と空腹の体は疲れきってすぐに眠りについてしまいました。

いい香りに気が付いてふっと目が覚めると少し離れた椅子に彼が座って食事をしていました。
大きい体で長い手を器用に使って、彼は四角い箱から自分の口の中に何かをかき込んでいます。
それが何ともいい香りで、私は彼の気配を感じ取れなかったことも恥じることなく、彼を凝視します。

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Dscf9084 『おぅ!猫! 目が覚めたか?』 と彼が話しかけてきましたが、匂いに気が入っていて私は喉を『グゥ』と鳴らすだけでした。
『お前も腹が空いているのか? 口には合わんだろうが、半分やろう』
そう言うと彼は手に持っていた箱を自分の足元において、建物の奥へ消えて行った。それを見届けて私はそろそろとその箱へ近づいて香りを確かめると一心不乱に食を満たすことに集中。このとき、さっきの彼が近づいてきても全く気がつかなかったことでしょう。
 箱の中身がすっかり空になると体が温まったようで安全な場所を探すと、また深い眠りに堕ちました。  

 翌朝、騒がしくも聞きなれた大きな虫の音で目が覚めて、外へ出ると夕べの雨水溜まりで喉を潤して日向ぼっこをしていました。ここには、縄張りを誇示する連中もいないようで気が休まります。
『ガシャン!』という音に驚いて身構えると夕べの彼が奥から出てきました。両手に赤やら青やらの細長い物をいっぱいに詰めた袋をいくつも持っています。

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Dscf9090  彼は回りを見回して私を見つけると、
『猫! まだいたか! よっぽど腹が減っていたんだな…』
そう言うと、ネズミ色の体の彼は壁の隙間から出て、何処かへ行ってしまいました。
『ここで、一体何をしているんだろう…?』私は彼に興味を持って、この家を探検してみることにしました。

Dscf9119  上からは色々なものがぶら下がっていたり、奇妙なものが沢山散らばっていて私の好奇心を充分満たしてきます。山道のようなところを上へ上へと向かって行くとさっきの彼のいたらしいところが感じられました。
 その場所を突き止めることは容易にできましたが、大きな鉄の扉に阻まれて向こうを伺うことができません。それで、他の扉の開いた部屋を見たり、日当たりのいい場所で体を温めたりしているうちに1日経っってしまったようです。

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 陽が傾きかけた頃に彼が戻ってきました。隣のドアから様子を伺うと

 『こんなところにいたのか…もう、行っちまったと思ったよ』

 その日は、再び彼からのおすそ分けをもらい、ご満悦。
いつしか、彼と相棒同士の暮らしになるにはそう時間はかかりませんでした。

(つづく)

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2007年10月15日 (月)

ケミストリーが出る学校 ②

『祥栄(しょうえい)の里』。この学校の今の名前です(看板は祥栄館となっていますが)
絵画・木工・絵手紙・紙細工・版画・写真・メタルアートなど日曜芸術家たちの集う公開式の工房が学び舎の現在の第二の人生です。

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Dscf2655  人生? そう、学び舎は人ではありませんが、その姿は人と例えても良いくらいイキイキしています。閉校の悲しみも何処へやら…と言えるほどに。
滑稽なくらい飾り立てた教室の入口。でもここにランプが下がっているのも悪くないな…そんな気がしませんか。
 閉校後、しばらく閉ざされていた扉は、名も無き作家たちの呼びかけで再び門を開くことになります。初期は数名の作家達に教室が割り当てられ、ここでたくさんの夢の結晶が現出しました。びっくり箱ともいえるくらいに…

 体育館を利用した管内作家とのコラボで、「ルイドロ」既出の「マザーグースの教室」との学校交流と言うべき合同展も開かれました。

 現在の校舎落成は昭和32年ですが、内装や床の修復は存校中に成されていたため、古い感じがありませんが、その分明るく感じますね。

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 授業は自習時間ばかりの学校。それも図工と昼休みとクラブ活動ですが、図画工作好きな元小学生に運営される学び舎は活気に満ちています。
 この「祥栄の里」、光熱費の関係で長い冬休みがあります。 そして登校日は土日のみになっています。ただし、一日留学はおおいに歓迎されるので近場に来たときは寄ってみてください。(今年はそろそろ冬休みに入ります)

道東自動車道芽室インター下車。南に向かって右を少し入ったところにあります。
ケミストリーの面々は学校のその後は知る由もないのでしょうが…

きっと永遠なんて言葉は 勝手気ままに書きなぐった
未来を語るためにあるんじゃないね
通り過ぎてしまった過去たち
もう戻れない瞬間に ひそかに感じていたもの…

【CHEMISTRY/Point of No Return】

 いま側にあるものは『なんとなく永遠』を感じてしまいます。頭の中ではそう思ってはいなくても。
いく世紀も前のものも存在しますが、大半の身近なものは、いくら古くとも数十年。
 通り過ぎてしまった過去の語らないものたちは、寡黙なのではなく、我々がいかにその語りを感じ取れるかということなのでしょう。

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廃材から作られたクリーチャーたち(販売もしています。)

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喫茶兼ギャラリー 素敵な廃屋の絵もありました

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正面入口 とても廃校とは思えないくらいに塗装などのリフォームされています

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元音楽室へ通じる渡り廊下 実用的な木工作品が並びます

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体育館に残る生徒の協同作品 プール授業の風景

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校庭の流木アート 自然もまた有能な彫刻家です

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悲しいかな、学校がその後形を変えても『廃校』の名は変わりません。
それは、学び舎が地域の悲願と尽力によって誕生したもので、地域の宝であったからです…

いいえ、宝は中に入れる子ども達のほうで、学舎はその宝箱なのでしょう。

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2007年10月13日 (土)

ケミストリーが出る学校 ①

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出たんです…ここに。 なにが? ケミストリーが…

 もう随分前のことになりますが、この学び舎(当時存校中)がユニクロのCFの舞台になりました。更に当時から人気急上昇中のケミストリーが出演したとあって、放映前から話題で持ちきりになりました。
 CM中で、平成15年閉校とのテロップも流れて、少なくとも地元では一層の悲壮感を持って心に突き刺さってくる切ないCMでした。

Dscf2663  その後予定通り、この学校は平成15年3月に残った19名の子ども達を送り出して91年の校史に幕を下ろしました。
 決して風格のある木造校舎ではない、昭和32年完成のブロック造りの平屋建て校舎。
裏にある中学校校舎の名残(体育館)のほうが風格もあります。この地区(ブロック)には他に4つの小学校がありましたが、現在すべてが閉校。市街地西の小学校へ編入されました。
 現在、その学校廊下には、この学校を含めた全ての編入校の校旗が飾られています。
 それでも、全校生300人に満たない規模です。これも少子化のためでしょうか。

Dscf2685  明治44年、ここから南西に位置する小学校の出張教授所として基礎が築かれたこの学校は、昭和7年に近郊の尋常小学校と合併して、尋常高等小学校として創立しました。
 現在の校舎になってから、ブロック地区合同行事、集合学習の会場としても利用され、複式学習研究会会場としても使われました。
 教育に関しては昭和39年よりリンクを造成してスピードスケート学習を取り入れ、土井選手など傑出した人材も排出しました。

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Dscf2689  昭和17年には在校生192人にも上りましたが、相次ぐ離農の影響もあって減り続け、新入学生のない年もありました。周辺校と同じように歴史に幕を閉じなければならなかった学び舎の憂愁の美を飾ったのが先のコマーシャルでの起用だったのでしょう。

 閉校になって数年の校舎も校庭では、錆付くことも知らなかった校庭の遊具たちが今では、子ども達の遺跡のように雑草に取り囲まれています。グランドもいつしかトラックの跡すらわからなく消えていくのでしょう。 高速道路インターが近くにある地区ですが、JA以外には商店も無く農業従事者を除くと近郊へ通勤する会社員と思われます。

Dscf2687  閉校してから3年後にここへ訪れました。子ども達のいなくなった学び舎は生きがいをなくしたように閉校の日から老けだします。でも、違う様子がありました。「ケミストリーがいるのか?」まさか… 車がたくさん止まっていて妙に活気があります。
 「二次利用かな…?」と思いましたが来た手前、断って見せてもらおうと正面へ行くと…

 『祥栄の里』とあります。地域交流館(いわゆるコミセン)のようですね。玄関を入ると奥から人が出てきて『ようこそ、どうぞあがってください!』妙に元気な方がお出迎え。
 【えっ?ユースホステルか民宿だったかな…まいったな、泊まる気は無いぞ…】と思いましたが、勢いに乗せられて上がってしまいました…

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【おや?ここは何?!】
そこは、ホテルでも民宿でも地域館でもないところでした。

(つづく)

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2007年10月12日 (金)

雛が翔ぶ ②

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Dscf6645  小さい頃街にあったパチンコ屋さんは、こんな感じでした。
もっとも、そのお店は手打の台が30程で椅子も無く、時間つぶしに小銭で打つと言う程度のところだったようです。

 現在のようにデジタルの電動式が出てからは、 玉もお金も大量に動くようになりました。
お金を借りてまで行ったりで、『パチンコ依存症』なんて言葉も聞かれます。
光と音と絵が豪華絢爛。今のパチンコ世代には、たまらない懐かしのマンガネタの台など、有名どころは出尽くしたかのようです。
行く先は『CR私は慎吾』とか『デジハネアンパンマン』とか『デジパチ王家の紋章』なんてものも出てくるのでしょうかね… (出たら200円くらいなら試してみたい)

 店自体も全面禁煙店や託児ルーム付きなんてところも増えてきて、どんどん快適になっています。いずれ、自分の台以外の音は聞こえないとかいうことにもなりかねませんね。それだけ技術も発達しているのになぜか玉は無くならない。玉もデジタル化してカード登録すればいいのにと思いますが、あの重量感(達成感)を外すわけにはいかないそうです。ギャンブル趣味のないねこんには、理解しずらい世界です。

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Dscf6651  さて、この廃墟ですが店内中央の目立たないところに階段を発見。建物外観でも2階があることは確認していましたが、店内が暗いため手間取りました。
 手すりの無い階段を慎重に上がるとそこは昭和の雰囲気が色濃い空間です。部屋数は少ないのですが、横綱大鵬の絵皿(手作り?)もありました。当時は『巨人・大鵬・玉子焼き』という子どもに人気の三種の神器を表すような言葉もありました。

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Dscf6654  ふと気がつくと2階のあちらこちらに文庫本やガラクタに混じって雛人形が転がっていました。ということは、ここには女の子がいたことになります。
 初節句から毎年見てきたであろう、この人形たちは、置いていかれたのが誰かに荒らされた様子です。市街地中心部にあるのですから、小学生の遊び場になっていたのかもしれません。奥の部屋の中央には、さほど年期の入っていないベッドが置かれ、敷布団が獣に荒らされたかのように中の綿が散らばっていました。

 ベッドの中途半端な位置、障子をはずしてある様子から引越しの状況が垣間見えます。
 リズムをこよなく愛するドラマー従業員。町勢の陰りと同業者の狭間で迷走した両親。そして、ここを去る年まで桃の節句を祝ってもらっていた女の子。彼女の耳にはパチンコの騒音も子守歌だったのかもしれないですね。

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Dscf6644  静かに老いていく街。事情は複雑に絡み合い、さして得策も無いまま音も無く消えていくのでしょうか。
町のHPなどを見ると町政、その他にストレスが向けられているようですが、1本の大木のごとき共同体であった街は、変わり行く過程で、こぼれ種のように自由に芽をふくものや幸に恵まれず干からびるもの、鳥についばまれたり、風に飛ばされたりするものなど、その礎は同じでも分散して小さくなっていくようです…。

雛人形があちこちに散らばっているのは、無人の闇の中、翔ぶがごとく舞い踊った跡なのかもしれません。

その舞いは、街が好景気で栄えた過去か、それとも不透明な未来なのか? 人形(ひとがた)には愛玩具の他に人の身代わりになるという側面があります。
多くのものを背負わされ過ぎた彼らには、全て見えているのかもしれないですね。

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2007年10月11日 (木)

雛が翔ぶ ①

『枯れ木も山の賑わい』といいますが『廃屋も街の賑わい』とは、いかないようです。
廃屋やシャッターが下りたままの店舗が並ぶ街並みは、どうもいただけません。
そうは思っていても一般家庭の自動車保有率の高い現在、離れた町へ「良いもの」「安いもの」を探しに行くのは容易なことです。

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Dscf6637  いくら見苦しいとはいえ廃墟なるものは存在します。見渡す限りの草原の真ん中にポカンとサイロや古びた家畜舎が立っていて、遠方に海が見えるような絵葉書も『廃』がアクセントになっているようです。
 街並みの中の『廃』はどうでしょう。残念ながらアクセントとはいえず、単に幽霊屋敷的な印象が出てきてしまいます。なぜならば人が寄り集まる場所で人のいない家は本来の存在意義を失い、異空間化してしまうからではないでしょうか。

Dscf6642 ひとつの通りで1~2軒なら空き物件があるという程度ですが、5~6軒になるとゴーストタウンと思われても仕方がないです。その位、通りの活気はなくなります。
 この家は並びに数軒の空き物件(と言うより放置物件)と新建材のアパートに挟まれた格好で、すでに街に普通らしからぬムードを漂わせます。

Dscf6643   この家は店舗兼住宅なのでもうひとつの顔があります。「パチンコ屋」いわゆる風俗業です。それも現在のような電動式ではなく、手打ちの頃から営業していたような店です。後年は電動式を導入したようですが、狭い店内に無理やり台を並べていた規模と構造は、遊技場とはいえど、決して客にとって快適な空間とは言いがたい感があります。もちろん住んでいる人にとっても快適ではありませんが、それは商売なので、いたしかたないですね。

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Dscf6638Dscf6657   既にほとんどの台は撤去され、数台が残っている以外、配線が垂れ下がる穴だらけの店内です。破れた天井から雨がしたたるらしく、箱に残った玉も錆付いてきています。
 暗がりの奥、従業員が通る狭い通路の一角に社会の教科書で見たことがある脱穀機のような機械がありました。これはおそらく「玉磨き機」。

 パチンコ店というのは電動式が主流になって店内が眩いからなのか、陽射しが台のガラスに射すと見ずらくなるためか窓と言うのは、ほとんど無く廃墟となると今も昔もすっかり暗いところになってしまいます。ちょっと気も重くなるのでコントラストを求めて陽射しの射す方へ行ってみます。

Dscf6646  『おやーっ?』ここはドラマーハウスですか?スネアドラムが1台とシンバルスタンドが1基あります。ここで店内の音をカモフラージュにして練習していたのでしょうか?
 店に続きの住空間にしては、あまり生活感がありません。従業員の住み込み部屋のような感じです。薄暗い店内と違い明るい部屋に置かれた中途半端なドラムセット。特に川が破れているとか、古いとかではないようです。忘れるようなものでもないのに…
 壁の天井に近いところにジェームス・ディーンの写真などが貼ってありますね。どうやらジーンズに付いていたラベルのようです。
 こうして見るとジェームス・ディーンは、LeVI'Sを履いていたようですが実際映画で見られるのはLeeだそうです。LeVI'Sといえばジミーのイメージですが、ねこんは、映画評論家の小森和子さん、むしろ小森のおばちゃまといったほうがモアベターですね。

Dscf6647  この部屋で本当にドラムが使われたかどうかは計りかねますが、中・高校の学校祭といえば、にわかバンド。力関係で一番したの人が任されるのはベースだったそうですが、今でもそうなのでしょうか?

 朝日が差し込む部屋の中で黒光りするスネア。街の中で取り残されたこの建物のように賑やかな頃とは、うって変わってただ沈黙しています。

(つづく)

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2007年10月10日 (水)

八月の濡れた砂

私の海を真っ赤に染めて 夕日が血潮を流しているの…

と唄う石川セリの『八月の濡れた砂』。故藤田敏八監督の同名の映画主題歌です。
青春の葛藤がリアルながらも不条理に描かれた日活の秀作。

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Dscf4823  夏の海は、楽しい(紫外線が気にならなければ)。その賑やかさは祭と似ていて、シーズンを過ぎた海は、ひときわ寂しさをかもし出します。その頃の海は、沖へ流された喧騒が潮にもまれてツルツルの本音があらわになって浜に戻ってきます。
 そんな海では堤防の上で波をじっと見つめる猫も人(猫)生を見つめなおしているように思えてきます。

 そんな季節でもないのにこの海水浴場に人はいません。
以前は、消波壁を設置して静かな内海を実現した近代的かつ、地域初の海水浴場(浜はありますが遊泳禁止)として賑わいましたが、数年前に老朽化のためか閉鎖。
 具体的に閉鎖の措置はなかったのですが、『遊泳禁止』ただし『水遊びは可』という真意が不明の扱いです。
Dscf4811  現在、施設の老朽化も相まって海水浴場に通じる階段は降りることは禁止。しかし、ゲートは全開で降りたら最後、下にも通行禁止の柵があり、「上に戻れないじゃん」ということになります。ここで、存続に係わる事故があったようには聞いていないので、不況に伴う維持管理の問題から閉鎖になったのでしょう。
Dscf4812  高台の上には、遊園地もあり、ファミリーやカップルで賑わっていましたが数年前にここも閉められました。かつて、現在ほど気軽に海外旅行など行けなかった頃は、町が経営するこのような施設があちこちにあり、見所はチャチでも多くの人が訪れていたようです。
 当時の本などを見ると1$=350円なんて時代もあって、格安ツアーもない頃には海外旅行は高嶺の花でしたから…。

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Dscf4817  そんなジレンマが具象化したのか、道内にも異国を模した施設が作られて人が流れていきます。しかし、入場料が高価すぎたり、コンセプトが中途半端、全ての世代に共通の価値感が形成されない等の諸々の事情からリピーター層が育たなかったといったことが衰退の大きな一因であるようです。近場の国なら普通の家庭でも経済的に渡航が可能になった現在では、レプリカは存在意義が無くなってしまったということです。

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Dscf4820 Dscf4824  海水浴場がその例に当てはまるとも思えませんが南国とは違う北の海、夏とはいえ安定した海水浴日和に恵まれない日も多かったことでしょう。それでも体の中に海水と同じ塩分濃度の海(血液)を持つ人間ですから海を目指すのも自然です。
 ただし、施設のほうは海水による侵食や変質、波に運ばれた漂流木による破損、季節の寒暖差による自然崩壊などが虚実に見えます。巨大なテトラポッドや護岸ブロックでさえ、カスカスのウエファース状になってしまいます。この程度の破損もやむなしとするところですが、地方譲与税交付金が年々激減する昨今では、存続価値に疑問が出る施設は、惜しまれつつも消えていく運命なのでしょう。

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 ヒーリングミュージックにも効果音として吹き込まれる音。出生前に母の胎内で聞いた命の流れに似た音。そんな潮騒の音ですが、時には寂しさで心の砂浜を濡らしていきます。

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打ち上げられたヨットのように いつかは愛も朽ちるものなのね
あの夏の光と影は 何処へいってしまったの
思い出さえも残しはしない 私の夏は明日も続く…

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2007年10月 9日 (火)

切り取られた往来

『歩く前に道はない 歩いた後ろに道はできる』 
こう言ったのは誰だったかな…

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Photo でも、道の無いところは危険。北海道においては毎年、山菜採りで山に入り遭難も毎年のようで後を絶ちません。山菜のベストポイントを秘密にしていたことによる発見の遅れもあり、山菜に夢中になっての深入りや獣道を人の道と見誤るなど慣れた山を過信したことから遭難が分かるとパニックに陥り無駄に体力を浪費して、幹線道から数100mほど入った程度の場所で発見されることも珍しくありません。
 道は、人生のたとえにもあるように外れることは少なかれ、リスクを伴います。

Dscf9931  今回外れたのは、人ではなく道のほうです。正確には「外された」とするべきですね。
この辺りを車で普通に走っていると土地の人でもない限り気がつくことはないでしょう。こちらも一人でトボトボ歩いていたから見つけたのですが…
 普通の舗装路面でラインも残った100数十m。
 現在の道は朝夕、温泉街を行き来する車両がひっきりなしで、信号待ちで大型バスも連なって停車していますが、切替によってルートからはじき出されたこの道に立つと何か不思議な感じがします。数年前の地図には信号機の表記がないので、近年改修したのでしょう。元の道道との接続部分には一時停止のラインが残っているので、温泉街から下がってくる車両が渋滞を起こし気味になっていたことから改修に至ったのでしょうか。

Dscf9933  ここに限った事ではありませんが改修によってはじき出された道は、郊外だとそのまま残されてしまうことは意外に多いようです。
 一昔前、赤瀬川源平氏の参加する路上観察学会により、世に出ると突出したサブカルチャーブームを巻き起こした『超芸術トマソン』を思い出しました。

大型バスがひっきりなしに行きかう道とそこに向かいながら雑草の帯に切断された旧道。
向かう先は同じながらも対照的な二つの道は、時代の波にうまく乗った者と堅実ながらも乗り損ねた者の違いのようで人間臭さを感じてしまいます。

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この道はいつか来た道… あ?そうだっけ?
ほんの数年で風景は様変わりしていきます。気にも止めなかった1本の木が消えただけでも違和感が出るように心の風景も現在との照合に戸惑ってしまいます。

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2007年10月 8日 (月)

宇宙小学校

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Dscf0787  体育館に残る卒業記念絵画。でもこれが描かれた年も、いつの卒業生によるものかも今はわかりません。
 背景としては、アポロ月面着陸のニュースがあると思われます。当時の児童誌には宇宙に関する特集や漫画が多かった頃でもあるので、こういったスペースイラストも日常からごく普通に出てきたものでしょう。
 まだ、宇宙に脅威など感じることは無く、むしろロマンあふれる夢の世界にしか感じられなかった世代の傑作です。

Dscf0784  天理教入植団によって開拓されたこの地域に正式に小学校が創立されたのが大正7年。昭和49年3月に55年の校史に幕を下ろしました。開拓・開校50年記念碑建立から5年後の寂しい閉校です。少人数であるため2学年1クラスの複式学習を取り入れ、学習時間の不便さから1時限55分間とっていました。少人数のため、班活動は無く、生徒各自が何らかの係を専門的に持たせるという子どもの責任感を育む指導もありました。
Dscf0769  学校は、その後、地域集会所や合宿場として利用されましたが、やがて老朽化から校舎は体育館を残して解体。新たに公民館を新築して地域により管理されています。
 教宅は、倉庫に利用されている校長住宅のほか、入居者のいる人棟が現存。
Dscf0762焼物製の子どもらしからぬ面立ちの二宮金次郎像が特徴的ですね。(えなり かずき似)

 存校時より僻地保育所を併設していたところから、体育館はそのまま残されて幼児の運動場や雨天時の運動会会場、地域サークルによる屋内パークゴルフなどに現在も活躍しています。
 その体育館の中にある先のスペースイラストも今までずーっと時を越えてきました。

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『然別湖の 水青く
映る山脈(やまなみ) ヌプカウシ
ともにみがかん この心
正しく 仲良く 美しく』
 (同校校歌より 1番)

 校歌は子どもと学校を称えますが、閉校されると寂しさだけが漂います。校歌すら制定されなかった学び舎も多く存在しますが…。

Kousya

Dscf0798  まだ学校設備・備品も決して充実していたとは言いづらく、学校図書も職員室の書棚の一部を使う程度で、担任が自宅の児童文学全集を無償提供するほどでした。後年徐々に充実し、空き教室の片面程度の書棚が埋まるほど充実し、児童は大変喜びました。

Dscf0799  地域で離農が相次いだことから、学習発表会も児童が少数であることから、保育所児童、住民総出の地域芸能発表会にまで拡大し、おおいに盛り上がりました。
 その流れは、現在残る保育所の行事にも引き継がれています。

Dscf0800  体育館の壁に残る絵は、『地域の昔と今』『校舎大版画版木(左右が反転している)』『未来(宇宙)世界』 計5点。 下方にある1点は、保育所の記念製作なので別になります。
 再利用のあても無く学び舎と共に朽ちていくものと比べれば、ここの作品は救われているほうですね。この絵を見上げて保育所の子たちは何を思い、何を感じているのか?

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時も世界も宇宙も超越しているのは、子ども達の可能性なのでしょう。
がんばれ! 絵のロマンとは異なり、現世は脅威に満ちている。けど一番強いのは夢を見る力なんだ。

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2007年10月 7日 (日)

閉ざされた聖地

今年の夏はキャンプへ行きましたか?
今年も暑い日が続き、いくら天気が良いとはいえ、カンカン照りの下では、かなりグッタリです。それでも通りがかった海沿いのキャンプ場は、大勢でごった返していました。
キャンプとなるとみんな別なんですね…

 キャンプ用品も充実して、専門店やホームセンター、スポーツ用品店では、シーズン近くになると特設コーナーを設けて、同じものでも毎年モデルチェンジ。『こんなのまであるんだ。』というものまで多種多様に取り揃えられています。
 ランタンとかストーブとかコッフェルなんて専門用語ばかりで素人にはよくわかりません。

 テントも昔学校の海キャンプで使った三角のものは無く、ドーム型の中で屈まなくても悠々立っていられるような大きなものや側面全体が網になったスクリーンテント、屋根だけのタープなど1軒でも2~3設営して、キャンプ場は難民キャンプのようにごった返しています。

 そうなると当然、マナー違反や酒の上でのトラブルが付いて回り、ねこんもキャンプへ行くとよほど厳しいところではない限り、身内や他人同士で小さなもめ事は必ずと言って良いほどあります。管理人が充実していれば大きくならないうちに沈静しますが、そうでもない場合は大喧嘩に発展することも無理からずあるようです。

そう、小競り合いは、あるものです…

Dscf4396  北海道のヘソと呼ばれる街の郊外にこのキャンプ場がありました。現在もそこはそのまま残っていますが、キャンプ場としての名は平成16年で消えてしまいました。
 一人旅の好きなキャンパーやバイカーには『南の石垣 北の●●』と呼ばれるほどで、『仲間と連絡を取り合わなくともここへ来れば誰かいる』というほど聖地と化したところです。さしてロケーションが良いわけでも設備が良いわけでもないのに仲間が集う場として確立したようです。
 常連利用者の大半が長期滞在で、キャンプと言うよりも夏季の滞在場で、昼間はバイトで誰もおらず、夜は伸び放題の髭と髪の男達が焚き火を囲んで酒盛り…
 それゆえ、一般やファミリーには近寄りがたい雰囲気があったようです。
彼らに悪意は無かったのでしょうが、やはり雰囲気として【仲間でないものへの無意識の威嚇】も否定できない事実だったようです。
 また、利用は無料で予約も必要ないとはいえ、長期滞在物の中で羽目をはずして個人用ポストを据えたり、洗濯機をこっそりテントに隠して使っていたりなどのこともあったようです。
 キャンプ場情報誌にも「近寄りづらい」などの記述が必ずと言っていいほどありました。

Dscf4386  閉鎖に至る理由をネットその他で探すと「恐喝事件」というのが出てきました。
実際に現地へ行った折に一帯の公園整備に携わる人に話を聞いてみました。

「事件?事件と言えるかどうかは何とも言えないけど、もめ事はあったさ。でも、それは後から付けたことだよ」

 このキャンプ場がキャンパーのメッカになったのは、けっこう古い話で、ここを縁に定住したものやここで知り合ってここを会場に結婚式を挙げたカップルも2組あったそうです。
そうした事実や仲間内の口コミで集いの場になったものの、キャンパー達は世情や長期滞在者の風貌から水面下では「不審者」的なレッテルを知らぬ間に張られていたようです。

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Dscf4390  場内には当時、滞在者向けに企業や農家から『バイト募集』の求人が張られたボードも据えられ、比較的うまくいっていたようです。
 見かけは悪いものの特に問題は起こしたわけではなく、過ごせていましたが当地議会で『一部の者が占拠している』『不審者では?ということなど近郊住民の不安がある(そのような誤解もあったらしい)』『現在の財政状況で無料開放とはいえ維持費のかかるキャンプ場がふたつあるのはいかがか?』といった質疑があり、住民を含めた閉鎖反対運動も盛り上がらず、当世の成り行きでは閉鎖やむなしとなってしまったのが真相らしい。

Dscf4393  常連者は、所詮、部外者で地域行政の決定事項に素直にしたがった形で幕切れとなりました。
背面では、ネット上で論議もありましたが、もはや手遅れだったようです。

 今や単なる野原になったキャンプサイトは、設備は残るもののキャンパー達は跡も残さず消えてしまいました。
 北海道の表には出ない魅力を道外に伝えたのは、これら目の敵にされたキャンパーやバイカーの無償の協力であったのもまた事実です。
 かつては地区行政や地域商工会、民営ドライブイン、商店、個人が管理していた素泊まり宿さえも閉鎖、老朽化、行政指導などにより激減しました。
 それが先なのか、旅人が激減したからなのか彼らの姿を見ることも少なくなったように感じます。

街の衰退の一端は、こんな小さな出来事が絡んでいるのかもしれません…

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インタビューに応じて思い入れたっぷりの話を聞かせてくれた作業員さん。もしかして貴方もここが縁で定住した方ではないですか?

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2007年10月 4日 (木)

メルシィ

 人は火とそして、酒に集う生き物です。飲まない方からすれば語弊のある言い方ですが
オリンピックの聖火、花火、大晦日の神社に灯る松明など、集いのある場所には火があり、感動と歓喜を呼び起こします。

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Dscf4878  今は電気に替わるところも増えましたが、囲炉裏や食卓の鍋料理とか焼肉など、団らんの場にも火の役割は単に暖を取り、熱を加えるものだけでは、ありません。

 同じように生活に身近なところにあって突出しているのが『酒』。
神事にも酒は供えられ、本来は禁酒の戒めのあったお坊様も『般若湯』と称して飲んでいた時代もあったそうです。水が身を磨き清めるように『酒』は心を磨く水と例えられます。
 もちろん過ぎたるは、及ばざるが如し…

Dscf4881  酒の集いは火と同じであるかのように感じるのは『内なる火』だからなのでしょうか。
心の棘を落とし、無垢に戻す妙薬。文明無縁の種族にさえ『酒』はあるようです。
 心を無垢にするがゆえ晒すべきではない、か弱きところまでが露出してしまい、悲しみ・憎しみ・後悔などがカウンターに散らばります。そんな心の彷徨いを語るのが、とかく酒と係わる演歌の心なのかもしれません。

Dscf4883 どんな小さな町へ行っても酒場の1軒2軒は見かけられます。居酒屋・炉辺・バー・スナックなど、またはそれらの小さな店が寄り集まってアーケードを形成した『●●小路』といった所も多々あるようです。
 昔見た西部劇の中にも砂漠の中にあるような場末の町でも酒場だけはあったようです(演出上のことで実際にはあったかどうかはわかりません)。

 このスナックは中心市街地から離れた集落に座した店です。現在も他の酒場はありますが、ここは過疎により集客が落ち込んだのか店側の都合か閉められて久しいようです。
 店の名は『メルシー』。フレンチな感じは何処やら…入口の形が凱旋門チックだからなのでしょうか。いやいやそれだと強引すぎますね。

 中は、既に備品などは出されているようで酒場の面影は、残っていません。小さなミラーボールが古ぼけてフロアーの角にぶら下がっています。下がひな壇状になっているのでカラオケスタンドがあったのでしょう。寂れた室内はロートレックの絵のようでその意味ではフレンチなのかもしれないです。
職場の飲み会でこんなひな壇でカラオケをしたことがありますが、その途中フォーマルな一団がやってきて何を唄っても踊りだす(社交ダンス)という機会に恵まれ、いたたまれなかったことがありました。

 室内が寂しすぎるので建物周辺を見て回ると裏に備品らしかったものが無残に放置されているのを発見。場末は、唯一のオアシスであったことでしょうが今は静かに風に吹かれるだけ…

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Dscf4875 灯された火はやがて燃え盛り、やがて消えゆく…
そしてまた、どこかに小さな火が灯されて…
その小さな灯火のようなドラマが静かに揺らめく

人間様が生きている 夢か現か幻か…
生まれて死んでまた生まれ 回り灯篭の絵のように…

そんな歌が昔あった

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2007年10月 3日 (水)

サッちゃんの屋根裏部屋 ②

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 ここが人の住処としての『廃』になった時期は、当初の検分で間違ってはいないと思いますが少し、妙な箇所が…

Dscf4563 2階は、平屋の家に半ば強引に作ったようで、屋根裏部屋という感じがします。室内の造作も1階に比べて中途半端なことが、なおさらその気にさせるのでしょう。
 部屋の中に見える円筒形のものは、ガス式の火鉢。ずっと後の時代に作られたものでこの家には、そぐいません。後年に持ち込まれたものでしょう。すると、ここは廃墟後に何らかの形で利用されていたのかもしれませんね。
 年季も入り、ライフラインも止まっているので暮らしには、不向きですが…

 最も不似合いなものが『少年アシベ』の下敷きを見つけたことです。おおよそですが、ゴマちゃんは、アニメでも1991年ですから70年代中期頃から現状の廃屋には不適合な遺物ですね。
 たぶん、ここは秘密基地といったもので機能していたのかもしれません。

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Dscf4570  子どもの秘密基地に使われていたのなら、その頃からも20年弱。それっぽく置いてある暖房(ガス火鉢)も物置代わりの下から持ってきたものの使えなかったのでしょう。
 掃除をした様子もありませんし…でも、学習机らしき台の上は埃も薄く、本の下はきれいなので拭いて使っていたことが分かります。

Dscf4564  これほど古い家ではありませんでしたが、ねこんも小学校低学年の頃、近所の空き家を秘密基地というか秘密の場所的な感覚で、見つかって死ぬほど怒られるまでは、その家で古い漫画やアルバムをパラパラ読んでいました。
 なにか、数年から数十年過去に来たような、時の止まった世界にいたような気がしていました。
 この記憶が最も古い『廃墟』体験だったかもしれません。こういう場所を自分にとって特殊(あるいは聖なる)な場所にしていた感覚は何となく理解できますね。当時はひとりでそこにいても不思議と怖いなんて気持はなかったように記憶します。

Dscf4565  古ぼけたノートの裏表紙には『●●●●さちこ』の名前。梁にぶら下げたキツネのマスコット… できる限りの空間演出もしていたようです。この屋根裏部屋でひとり、絵を描いたり本を読んでいたようで、秘密基地というより別荘的な気持があったのかもしれないですね。

 サッちゃんは大きくなって 、ここへは来なくなってしまったのですね。それは、成長に伴う心の変化で、ごく普通のことなのでしょう。

Dscf4567サッちゃんがね 遠くへ行っちゃうって ほんとかな
だけど ちっちゃいから ぼくのこと わすれてしまうだろ
さびしいな サッちゃん 』

『僕』はこの家 『遠くへ行っちゃう』は成長していくこと…
そう考えると少し寂しくなってきました。

大好きな『バナナ』の本もここに…

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2007年10月 2日 (火)

サッちゃんの屋根裏部屋 ①

サッちゃんはね バナナが 大好き ホントだよ
だけど ちっちゃいから
バナナを 半分しか 食べられないの
可愛そうね サッちゃん」

サッちゃんは、幾つだったんだろう。
こういった童謡の裏を探るみたいな趣旨の本がブームだった頃に「サッちゃんは病気のためバナナを全部食べられなかった」とか「呪い的」解釈がまことしやかに論じられたこともありました。

 後にガオレンジャーのイエローであった堀江慶氏のメガホンにより撮られた『渋谷怪談』に出てくる亡霊少女もサッちゃん。
 現在は、サッちゃんの名を都市伝説の一部にしてしまったのかもしれません。
実際のサッちゃんの唄には、そんな背景は一切無いそうですが…

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Dscf4554  かなり古そうな民家。70年代には、人は離れていったであろうこの家は近郊農家の資材庫や搬機車庫になっています。
 それでも住宅としての面影が錆付いたポストに見かけられるので、除いて見る事にしました。

 ポストが無ければ単なる物置小屋かと見まごうほどですが、これ以上朽ち様がないというばかりに時に磨かれた板壁の中に入って見えるのは広い窓辺に据えられた流し。手押しポンプが脇に据えてあるのでやはり、住居としても古いようです。ここに水道を引いた様子はないので、戦後の集団離農期に離れたものと思います。表の普及タイプのポストから見ても、せいぜい昭和40年代中頃まででしょうか。

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 居間とか床の間になるところは、ブルーシートや収穫用のプラコンテナ(サンテナとも呼ばれる。なぜか)が積み上げられて情緒に欠けますので、回避。
 仏壇前に置いてあるような台とか日本人形がいれてあったようなガラスケースもつまれてあります。これは、後から置かれたものでしょう。不法投棄の感じではないので物置化した故の様です。

Sanren

 あちこち痛んでいるので、もう倉庫くらいにしか使えない感じもあります。でも、今は古民家再生業者もいますし、DIYを趣味とした人がリタイヤ後に買った(売ってる?)こんな家に手をかけて、物件取材にいったら見事に再生していたということもあります。柱がまだ真っ直ぐなうちは、家は生きているようです。

 気がつくと階段が… 外観は平屋建てのようでしたが、控えめな場所に2階へいざなうように据えられていました。

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 上からは、窓が開いているのか爽やかな風が吹き降ろされてきます。
上で待つのは、一時代前の記憶なのか?丸っこいバームクーヘンみたいな柄の蜂の巣なのか?

(つづく)

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