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2007年9月 3日 (月)

案山子 ②

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 緑の中に埋もれた家は、世紀末的な…異世界のような感じがしました。それは生活の跡が克明に残りながら人の存在が全く無いことがその雰囲気を作り出しているのでしょうか。でも、人は存在を消しても気配は残ってしまうようです。
 その反面「気配」を察知する力が本能的に残って、人のいなくなったところにも何かの存在を意識してしまうようです。それが、すなわち「もののけ」や「妖怪」という捉え方で伝えられているのかもしれません。
 ある人は、その感覚の掴んだものに恐れ慄き、あるいは感銘し、そして一笑にふす。秋の虫の音に行く季節の移ろいを感じる和の心。そんな些細なものを感じることができるのが我々です。

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 家の中は荒れています。それは賊によるものではなく、あまりにも急を要したことによるもののようです。飲みかけの急須と湯飲み、洗い桶の中の茶碗、封も切らずに置かれたままの手紙など暮しの跡があります。ふたりではなく、一人きりの暮しが…

 子は家を継ぐことなく他所へ行き、母は家に残り、父はすでに…そんな状況が感じられました。既に離農していたようですが母は、思うことがあり家に留まったのでしょう。
 家を離れるのを拒んだか─
 子の暮しに割り込みたくなかったのか─

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 お孫さんが時折、訪れたらしくプレゼントの折り紙の絵がすぐ見えるところに貼られています。これがこのままになっていることは、母のこの暮しを続けられなくなったことを物語っているようです。

Dscf6696  気になる引出しがひとつありました。「かよこのしきだし(引き出し)」
女の子。やはり、家継ぎには恵まれなかったようです。
 この“かよこさん”が大きくなり、「おばあちゃんありがとう」の絵の“はるちゃん”になのですね。
 かよこさん自身はもう、この家に出向くことはなくなってしまったようです。

 空も大地も変わらない 変えるのは季節だけ
 人も家も消えて無くならない 目に見えなくなるだけ
 人の心も変わらない 過剰包装なだけ

Dscf6700  それでも何だか淋しい気持ちになるのは、釈迦説くところの「生きることの苦しみ」から生じる心の動き。 大人になるにつれて心の弱い部分が傷つかないように包帯でグルグル巻きにしていくので泣く事も少なくなりましたが…
膝も曲がらないほどに固く巻きつけた心ですが動こうとするうちに緩んでくるものです。

 相変らず青い空の下、ノイズ交じりのラジオから「案山子」の歌。

Dscf6701  元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか
 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る…

 ほんの数年前までは、何とも思わなかったのに切ない気持ちになる。
 案山子は立っていないけれど例のモニュメントは、緑に埋もれる故郷の家を示し続けている。
 母がこの家を最後まで去らなかったのは、ここが母としての待つべき家だったのだから…?

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Dscf6693 それを思うと無性に母に会いたくなった。帰りしな家に寄ると…
「あらぁ!なしたのさ?」
「いや…近くに寄ったから」

少なくともうちの母子は、ずっと素直になれないような気がします。
その代わり、帰りには抱えるほどの野菜を持たされました。抱えるほどの愛情の…

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「…今度、いつ帰る…」

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コメント

おはようございます。
先輩が見つけるのが上手いのか、このような廃屋がつぎつぎと。
私も早く復活したい気持ちでいっぱいです、まずはフォトショップからですね・・・
先輩は完全復活でしょうか?

投稿: カナブン | 2007年9月 4日 (火) 07時51分

ネット状態、まだ不安定ですー。
廃屋系好物件が多いということは、いかにも過疎地帯に住んでいるようなものですね。心境は複雑です。

投稿: ねこん | 2007年9月 4日 (火) 12時58分

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