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2007年9月10日 (月)

苔の記憶 ②

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Dscf5444 この一帯の人口動向は、
昭和40年頃─60世帯、昭和50年頃─33世帯、昭和60年頃─6世帯

Photo_2  学校は昭和56年、小学校が先に閉校。翌年には残る中学校も閉校し、それに伴い過疎化にも拍車がかかったようで郵便局も閉鎖されました。今は空き家に混じって数軒が残っています。長い間、放置されて朽ちるばかりの教室。白い壁や天井の塗装もポロポロ剥がれています。その姿はユトリロの絵画の様でもありますが、これが朽ち行くものの美しさのよう…

学び舎はずっと放置されていたのでしょうか?

いや、

どうやら、そうではなかったようです…

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 閉校後、施設として転用されることも無かったここに約11年後の平成5年8月8日、ひとつの大きな動きがありました。卒業生、教員有志の実行委員会によって『廃校の登校日』が催されることになりました。

 世界的ピアニスト、エルンスト&カズコ・ザイラーを迎えて「なつかしい笑顔があつまった ●●小中学校廃校コンサート」が一夜の登校日を迎えたのです。当日、小さな体育館は約200人の生徒で埋め尽くされて、始業の鐘を合図に開始。

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Dscf5462  満天の星空の下、廃校はピアノの調べで再び光を放つかのように輝いているのが当時の写真から伺うことができます。

 このコンサートのクライマックスは演者ザイラー夫妻が何度もリハーサルを繰り返して完成した「町立●●小中学校校歌」です。
 このコンサートの下りは平成5年10月発行の「北海道の暮らし 3号」の『甦る廃校』で触れられています。学び舎の憂愁の夜が見事に現されています。
※Web版は上記リンクからご覧ください

 その十数年後、校舎は現在のように朽ちていきました。でも、ねこんには、あの夜で学び舎は思い残すことなく使命を全うした…そんな気がします。今見えるのは、全てを出し切った屍なのかもしれません。その姿には、ひとつの心残りも無い…そんな風にも見えます。

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Dscf5437  かつての主要道は、林道同然で通行止めになることも度重なるこの地に主要国道がすぐ脇を通っているのも皮肉な話ですが、その雄姿を心にとどめることができたのは幸運と考えるべきでしょう。

 雨漏りと湿気で力なく崩れ落ちる廊下。反面、乾ききって風化する体育館。そこを取り囲む緑達。学舎にとってここが生まれた地なら眠りに着くのもこの地。御歳およそ80歳。
 我が身をもって子ども達を見守ってきた、もう一人の校長先生は、その使命を終えて静かに余生を終えようとしています。
 願わくばこのまま静かに終の日を迎えられんことを祈ります。

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あの日と同じ満天の星空の下で…

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コメント

「ねこんと行く廃校ツアー」に私も連れてってください(笑)。
この廃校は別のサイトで見たことあるような気がする、そこでも感動ここでも感動。

投稿: カナブン | 2007年9月10日 (月) 23時43分

to師匠:学校の後日談を見つけたときは、やったーと思いました。正に憂愁の美があったわけです。

haru様:すごく分かりやすいところです。ただ目に入らなかっただけで…
ここへ入るには滑らない靴が必需です。

投稿: ねこん | 2007年9月10日 (月) 23時50分

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