« 三賢者の虚ろな目 ③ | トップページ | 幽霊ホテルと呼ばれて… ② »

2007年9月22日 (土)

幽霊ホテルと呼ばれて… ①

Gosthotel
 そのホテルの窓から外は、いかにも北海道らしく地平線まで田園風景が広がっている。
そのロケーションとホテルの間には、大きな川が横たわり、西から東へ流れる流れの途中に堰堤があり川面の高さに段差をつけている。
 この一帯は、かつて稲作の盛んなところで、田に川の水を誘引するために築かれたものです。現在、稲作はほとんどなくなり、当時の面影を知るのは、畑の端に見える水門やこの堰堤だけです。

Dscf0735  この川にアキアジ(秋鮭)が遡上し、堰堤を必至に飛び越えていく光景が見られるということで、まだ娯楽の少ない時代には近郊の人達でごったがえし、川の中も外も大変混雑していたようです。地元の建築会社により建設・経営された当ホテルは、近隣の大きな温泉街からは離れながらも堰堤効果で集客力には恵まれました。

Dscf0737  大きな川では何かしら事件・事故があるものですが、この川も同様、過去に堰堤付近で女性の水死体があがったことがあったそうです。それが事の始まりなのか夜間、男性がひとりでこの辺りを車で通ると幽霊を乗せるという話が伝わり、心霊書で紹介されたこともありました。
 決定的なのは、当時一世を風靡した『恐怖の心霊写真集』の続巻において、アキアジの遡上の風景の上に青白い顔の女性が死装束のような白い着物の姿で重なっているという驚愕の写真です。

Dscf0734  噂はありましたがホテル自体がその影響があったわけではなく(噂は出たとしても)、一般人の生活向上による娯楽の変化や交通事情の変化で、あらゆる観光地が何かしらの影響を受けました。当ホテルも集客力の落ち込みで廃業を余儀なくされて、残った建物は町に寄付という形にして、現状のまま託されました。
 町も『道の駅構想』や近隣の自然公園の『サブコア施設』としての思惑もあり、受託しましたが、町自体の第3セクター事業の売り上げ落ち込みや全道的な地方譲与税給付金の落ち込みで、ホテルの再建には消極的になり消防訓練に使用したほかは、特に具体的な利用はありませんでした。実際通行人にとっては、廃ホテルとしてしか写らなかったことでしょう。

Ch

 堰堤・水死体・幽霊の出る道・心霊写真…それらの出来事と荒んだホテルを繋げるのは、ごく自然な話なのかもしれません。
 やがて、「どうしても幽霊と戦わないと生きている意味を見出せない」人たちがここを戦場にしてしまいました。彼らにはここが町の管理下にあるのは知らなかったのでしょう。
 町側もバリケードの強化、警告板、夜間照明、防犯装置、定期巡回などの対策を講じましたが、いたちごっこの様相です。

Dscf0749  その間、町はホテルの再利用を外部へアプローチしますが、既に荒廃した有様と度を越えた老朽化で視察の団体から良い返事を得ることはできなかったようです。取り壊すにしても解体見積もりで2千万の出費は、現在の町財政事情では、出せないものらしいのです。
 期を誤ったのか、悪戯の度が過ぎたのか、ホテルは再利用の道も無いまま、無残な姿で、この場所に残っています。

 投石で割られたガラスや薄汚れた壁をさらしているホテルの近くでは町営のパークゴルフ場がおおいに繁盛して、ホテルの前は利用者の車でいっぱいという光景は、とても皮肉に見えます。

 友人とホテル脇の幹線を通ると「ここ、幽霊が出るんだよね」と言った話を良く聞きました。それ以上のことは誰も知らないようですが、噂は本当なのでしょうか?

(つづく)

|

« 三賢者の虚ろな目 ③ | トップページ | 幽霊ホテルと呼ばれて… ② »

コメント

懐かしい物件です。
私がまだ廃より心霊に興味があったころ、ここに行きましたね。
一緒に行った友人が2階に人影を発見し、びびって逃げました。
あーこわいこわい。

投稿: haru | 2007年9月22日 (土) 03時45分

あらら…いろんなことしていますねー。
2階というと団体食堂や厨房や広間のあるあたりのことですね。
全盛期(心霊スポットとしての)の夏場に内部バッティングでうろたえて、そこそこ大きい怪我をした人もいたそうです。厳重になったのはそのためでは…。

投稿: ねこん | 2007年9月22日 (土) 09時05分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/210516/8050102

この記事へのトラックバック一覧です: 幽霊ホテルと呼ばれて… ①:

« 三賢者の虚ろな目 ③ | トップページ | 幽霊ホテルと呼ばれて… ② »