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2007年9月15日 (土)

祈りと救いの小路 ③

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 あまり小難しいお話もなんですが、もうひとつ巡礼行のなかでも最も知られる『四国八十八箇所』についても簡単に触れてみましょう。

Dscf7383  多くの仏教宗派の開祖の中でも弘法大師として親しまれる空海は、四国・香川県の善通寺市で生まれました。大日如来(だいにちにょらい ※インドではビルシャナーと呼ばれる)が現世に姿を現したとまで言われた空海は仏道修行のため唐に渡り、帰国後は真言宗を興し、各地に寺山を開いたほか、水田振興など庶民の福利厚生のためにも多大な貢献をしました。
 四国各地にはこうした空海ゆかりの寺山がたくさんありますがこの遺跡が四国八十八箇所霊場になります。
 巡礼の始まりは、弘法大師の姿をもとめて四国を21回も回ったという衛門三郎と言う人につながります。彼はやがて病に倒れ、死の淵に来たときに大師が現われて生前の罪を許しました。「なお願いはあるか」の問いに三郎は「河野一族の世継ぎに生まれ変わりたい」と答えると大師は三郎の手に【衛門三郎再来】と書いた小石を握らせました。
 数十年後河野家に生まれた男の子の手には、遍路の功徳の証明である再生悲願成就の例の小石が握られていたそうです。この石は現在も八十八箇所第五十一番目の愛媛県・石手寺に寺宝として存在しているそうです。

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Dscf7399  江戸時代頃から庶民の間に巡礼が流行し始めました。
「西国三十三箇所」「熊野詣」「善光寺参り」そして『四国八十八箇所』です。
小豆島には、この八十八箇所を模した『小豆島八十八箇所霊場』、江戸には『御府内八十八箇所霊場』が作られ【写し】とか【移し】と呼ばれ、全国各地にも大小さまざまな霊場が作られていきます。

Dscf7377  他の巡礼と異なり『四国八十八箇所』を巡ることを特に【遍路】と言い、巡礼者は【お遍路さん】と呼ばれます。八十八箇所全てを回るとその総距離は1200~1400㎞程。
 遍路で各札所を回ることを【打つ】と呼び、1度の旅で全て回ることを【通し打ち】、数回に分けるのを【区切り打ち】と言います。順路通りに回ると【順打ち】、逆に回ることを【逆打ち】。特にうるう年に逆打ちを行うと倍のご利益があるそうで例年よりも人出があるそうです。これは、うるう年の逆回りは【お大師さん(弘法大師)】とすれ違うと言う言い伝えによるものだそうです。
 現在は車やバスで巡るのも一般的ですが、それでも10日前後。通常の徒歩で巡れば40日前後の巡礼になります。現在も多くの巡礼者が大勢いますがその性質は信仰だけに留まらず、「自分探し」「癒し」の目的で回るものも増えています。そのため、一時は減少傾向であった本来の「歩き遍路」も増加してきたそうです。
大師さまの功徳もポピュラーになってきたようですね。

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Dscf7436  この地の石仏たちもこれらの巡礼地の「写し」なわけですが、更にその地域ならではの雰囲気があって決して「写し」ではないのかもしれません。

 誤解の発生源として、テレビの心霊特集番組などで、こういった場所を不安定なアングルで撮り、上に読経をBGMで被せたりして見せるやり方があり、こういった場所の真意が曲解しているように感じます。

 御仏は「救う」者であり、「祟る」ものではないのです。「祟り」に係わるお地蔵さまなどの怪談も聞きますが、どうも眉唾な気がしませんか。

 早朝から子安地蔵をお参りに来た若夫婦。その背景を察することもできます…。
彼らの幸福と光を見ることの無かった子に安らぎがあらんことを遠巻きに祈りました。

ここは300の祈りと300の救いの小路

 

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