青春の抜け殻
廃屋や廃校を見て回るようになる前から『廃校』へはよく行きました。
それと言うのも自分の通っていた学校も在学中に適正化配置で街の学校へ統合されましたから…
それでも、廃校後も地域会館として機能していて、普通にグランドで遊びもしたし夏・冬休みは習字教室とかゲーム会などがあり、元学び舎との関係はけっこう続いていた。
その校舎は、廃校後も10年くらいは元の姿のまま現在位置にあって、鯨の髭の標本やベルマーク箱、開いて見たことも無い長くて巻物みたいな大きな地図などそのまま残っていました。現在は体育館を残して解体されましたが、もとより同地に僻地保育所を併設していたことから今でも地域ぐるみの運動会も行われ 冬も相変わらずスケートリンクが造成されています。そんな経緯からグランドも荒れることなく大きな柏の学校樹もいまだに、どっしりと立っています。
だから学校の歴史は閉じられても学校は、いつもそこにあるものだと、おぼろげながら感じていました。
実際、学校が他の施設に転用されることは多く、地域館・福祉施設・幼稚園・民間会社の施設など、畑違いであっても学校の姿は保っています。
この中学校は、昭和27年創立、昭和49年には閉校した22年間の短い校史。閉校時の児童数は35名。決して少ない生徒数ではないのですが、適正化のためこの中学校は他校へ統合されました。
その後、再利用の歴史も確認できないまま現在は農機具庫に利用されています。そういう成れの果てもそれから数多く見ることになり、今では『あーまた車庫だ…』と淡々とうけとめています。ただ、始めてここで見た寂れた校舎のそのむごいとも言えるなれの果ては学校はすでに特別な場所では無くなってしまったような気がしました。
閉校記念の碑も無く、壁には農機を入れるため開けられた大穴。床は剥がされて土の露出した教室。風に吹かれてボロボロに風化しかかったカーテン。
形は残っていますが校舎の魂みたいなものがすっかり抜けきって抜け殻だけがここに残されているような…そんな気がしました。
御愛好様各位:自宅のネット環境に不具合があり、若干更新が滞っています。見放さないでね。
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