夢見る頃を過ぎても ①
『大人になってお金ができたら、お腹いっぱいバナナを食べるんだ』
自分で覚えている限りの素直な将来の夢。
まだそのころは『円』の弱い時代。その頃の雑誌で通過レートを見てみると「1$=350円」となっていました。当時は簡単に手の出ないバナナでも今ではすっかり安価な果物で6本位の房を買っても最後の1本は熟が進みすぎて真っ黒になってしまいます。
値段は高かったらしいのですが、実際いくらだったかは地域差もあり、よくわかりません。ただ、病気の時くらいしか食べられなかったのでよほどの値段だったのでしょう。当時でも黒くなったところをそぎ落として見切りパック売りでもそこそこしたそうです。
風邪で喉を腫らせているときはわからないんですよねバナナの味。それが悲しくてバナナを握ってウェウェ泣いていました。
特に家が貧しいということではなく、物の値段や流通が現在とはまるっきり違っていた気がします。
育ちが酪農家ということで旅行とはあまり縁の無い幼少期でしたが、不自由だというよりこれが自分の世界だという感覚で、なにやら工夫していたような覚えもあります。
自分の描いた絵を廊下にたくさん貼って「美術館」だとか二段ベッドの上でそこをコクピットと見立てて飛行したりなどと…
そして、わりあい身近で華やかな感じのする『漫画家』。誰もが一度はそれを夢見たのではないでしょうか。今でも小学生レベルの将来の夢は『漫画家』なのです。
活字と違ってメッセージがダイレクトな上、世代の共通観をとらえるテーマで職業観としても身近に考えるのでしょう。
ただ、ある程度自分の目が肥えてくると自分のレベルを痛感して『下手=絵は描けない』という孤立的な観念に囚われるのも無理も無いことです。10人に絵を描いてと頼むと大半は『絵が描けない』という答えが返ってきます。
それは描けないんじゃなくて 自分の絵を描かないんだよ
自分の今の技量で将来を判断するのは 寂しい…
この家にも私達と同じ、普通の子がいました。今では廃屋ばかりのごくわずかな戸数しか残っていない山林の集落です。
すぐ側の学校は全学年で2クラスですが存校当時はそこそこの戸数は、あった様子。
その中でも唯一、2階建てだったのがこの家で時代的にも異彩を放つところから本家筋か現役時はそれなりに力のある農家だったのでしょう。所々ほころびながらも威厳を感じさせる勇壮感がありました。
このレベルになると台所は実に広いです。数人が一度に動ける。お父さんが突いたもちを広げてみんなで丸めるような、そんなことが容易な広さです。
ねこんにはそういう現場を目の当たりにした経験はないのですが、こういう場に来るとそういった光景が見えてくる。そんな気がします。
押入れに写真の引き伸ばし機がありました。高校の写真部レベルのものですが本格的ですね。床に落ちていた学生帽の主は写真が趣味だったのでしょうか。押入れが暗室の変わりだとちょっと大変ですね。彼のとった写真には、この辺りの一番華やかだった頃の光が焼き付けてあるのでしょうね。
(つづく)
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コメント
せっ、せんぱ〜い。
ここモーレツにいいっす!理想的な廃屋です、もう天国みたい!
暗室もあったのかな?昔は個人で現像してる人が多かったようです。
ここ、コースに入れてください。
投稿: カナブン | 2007年8月15日 (水) 09時28分
ここはもしや、あの山奥の廃校の隣の廃屋ですか?
この角度から見てないのでわかりません(汗
カナブンさんが興奮気味です。
投稿: haru | 2007年8月15日 (水) 19時25分
師匠様
ここは結構山奥ですね。しかし、時代の交錯がかなり深いのも事実で家自体は古いものです。近くの廃校に残る地域図によると戸数は20分の1以下にまで落ち込んでいるようです。
廃線(林鉄)跡もあることから要チェックポイントですね。
はる様
そうです。ズバリ!そこです。土盛りした上に建っているので近くまで寄ると凄く背の高い家でしたね。
投稿: ねこん | 2007年8月17日 (金) 00時16分