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2007年8月26日 (日)

モジリアーニの家 ②

【前回までのあらすじ】
試される大地北海道のどこかに存在する『理想郷の廃墟』を求めて旅するルイン・ドロッパーのねこんが今回到達したのは、かつて炭鉱で栄えた町の跡であった。

しかし、悲しい性のなせる業で寄り道心が首をもたげてつい、一軒の廃屋を探索することになる。
そこには、はたして捜し求める『廃財宝』が眠る屋敷なのか?
そして、すっかり怖気づいてネット拒否してしまったTA(ターミナル・アダプタ)の忠誠心は蘇るのか?

しかし、ここで大きな壁にぶち当たることになる。それは、階段の存在しない幻の2階。
場所に不釣合いな厳重な装備とはいえ、梯子までは用意していないのであった…

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Dscf7057 やる気のないTAは、本日病院送りにするとしてハシゴとは言ったもののどう見ても窓枠にしか見えないモノを試してみました。 弱冠心持たないものの体重は支えてくれそう。
 もし、段が抜けてドッシーン!とかなるとそのはずみで家全体が牛乳パックのようにつぶれてしまうでしょう。
 とりあえず、回りの斜めになった柱を押してみて変に動かないことを確認して2階を目指します。なんとかハシゴ替わりは応えてくれそうです。

Dscf7064 2階に到達して目の前をよぎったのは、一抱えほどの大きさのスズメバチの巣。
『ギャーッ!』 とは言わないまでも破格の大きさにかなり尻込み。でもどうやら現役ではなく、これも廃墟のようです。
 2階全体が部屋になっているわけではなく、自分の今いるところは柱の剥きだした未施行部分。2階は1階に比べて未完成というか中途半端な造りで終わっている家は、ずいぶんな数を見てきました。下に比べて壁が仮設のような中途半端な造りです。もともと2階建てではない家を自分で改築した名残とも思えますが…。

 天井を抜かないように柱を伝って奥に広がる部屋へ入ります。小学生の頃に探検と称して家の天井裏で遊んでいたことを思い出します。廃屋系の方は機会があったら押入れに開口部があると意外と天井裏が物置にされていて古い雑誌や日記の山があったりしますので探してみてください。(そんな人はいないか…)

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Dscf7059  入ってみた部屋は下から見たように窓は無くなっていますが階段が見当たらなかったことから入る人もいなかったようで、家主がいた当時のものがたくさん散乱しています。古い雑誌の山、それもモード系のものが多く、家人はお洒落に敏感なタイプであったようです。

 ほかに衣類、ニッカウヰスキーの瓶、アルマイト製の水筒、茶箱など。荒らされたわけではなく、適当に荷物をまとめて去っていったのでしょう。 子どもがいたという痕跡が見つからないので、後継者問題、それが離農の原因と思われます。

Dscf7061  かつて、この家の前の通りは奥地に炭鉱があったことから最盛時はかなりの交通量もあったことでしょう。炭鉱史などによると近場の学校までトラックをスクールバス代わりに子どもを満載して往復したこともあったそうです。当然この家はそのときの子どもたちの脳裏にも残っていることでしょう。既に五十代くらいにはなっていることでしょうが…

 物や家が見た回りの物の記憶を読み取る装置があったらいいなーって思いました。
今は記憶の残照を見るに過ぎませんが…
 モジリアーニの絵みたいに平然と傾いた家。その壁や床には、たしかに古の何かがへばりついています。『木のぬくもり』とかいうのはそんな何かの心がしみこむような風合いに人の心(本能)が何かを感じているからなのかもしれません。

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2007年8月25日 (土)

モジリアーニの家 ①

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Dscf7049 炭鉱跡へ向う途中で見かけた廃屋。
こんなに傾きながらも平然としている。まるでモジリアーニの人物画のように… 以前『ゴッホの家』というのを紹介しましたが、こちらの傾きは更に進んでいます。

 もしかすると入った途端にベシャン!とつぶれてしまうのではないだろうかと思うほどの傾き。上方は水平を保っているので1階の柱が全体にツイストしているようです。

ヘビのうろこを思わせる風合いになった屋根は赤錆で覆われていますが縁から見ると元は緑色だったようです。台所以外の建具は取り払われているので、それが傾きを助長させてしまったのかもしれません。
 炭鉱に向う途中とはいえ、さほど果てしなく奥地ではないと感じますが、町の中心街からは、遠く位置しています。
 過疎による離農か、後継者問題での離農かは定かではありませんが、昭和中期から後期にかけて離農が相次いだころに同様にここから主は去っていったようです。

Dscf7065  一見、平屋ですが上部に窓の後らしきものも見えるため2階もあるようです。
屋根もところどころほころびが進んで見るからに危なげにも見えるその姿からは開拓と就農の労苦よりも形振り気にせずのんびり余生を送ってきたように見えました。

Dscf7050  家の隅に基礎に使った石がまとめておいてありました。これが珍しいことに天然石を切り出したもの。普通はコンクリート製が多いのですがこれは珍しい。炭鉱が近いことから副産物としてこういった石材も流通していたのかもしれません。

 家の中には─ いきなりオーディオステレオ。この家にしては超モダンな…というよりも不法投棄ですね。しかしずいぶんと奥地までもってきたものです。

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 中に入ると傾きは一層進んでいるように見えます。おそらく今度の冬は乗り切れないのではないかな…。 建具は、はずしたというよりも傾きに負けて抜け落ちてしまったかのように外でグチャグチャに散乱しています。床板もはじけとんだように外れていました。
 近くには麦畑の広がりもあることから農具や肥料の格納庫に転用しているようですが、この傾きなので必要なものは既に出してあります。それでもところどころには、つっかい棒をかけてあるのでもつ物なら何とかしようとしているようです。

Dscf7056  それにしても無いですね『階段』。 旧家の階段は意外と隠されるような存在です。トイレかと思ったら階段部屋とか縁側の端の暗い所とか、まるで2階の存在を悟られないようにしているかのごとく探すのに苦労します。 もしかすると床面積をごまかすことによる固定資産税対策か?とも思いますが、あくまでも推測の域です。
 床の間の天井付近に開口部を発見。でも、とても上がれそうも無いですね。

『!』 ハシゴとも建具ともつかないものを発見。これでなんとかなるかな?    

(つづく)

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2007年8月24日 (金)

青春の抜け殻

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廃屋や廃校を見て回るようになる前から『廃校』へはよく行きました。
それと言うのも自分の通っていた学校も在学中に適正化配置で街の学校へ統合されましたから…
それでも、廃校後も地域会館として機能していて、普通にグランドで遊びもしたし夏・冬休みは習字教室とかゲーム会などがあり、元学び舎との関係はけっこう続いていた。

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Dscf0722_2  その校舎は、廃校後も10年くらいは元の姿のまま現在位置にあって、鯨の髭の標本やベルマーク箱、開いて見たことも無い長くて巻物みたいな大きな地図などそのまま残っていました。現在は体育館を残して解体されましたが、もとより同地に僻地保育所を併設していたことから今でも地域ぐるみの運動会も行われ 冬も相変わらずスケートリンクが造成されています。そんな経緯からグランドも荒れることなく大きな柏の学校樹もいまだに、どっしりと立っています。
 だから学校の歴史は閉じられても学校は、いつもそこにあるものだと、おぼろげながら感じていました。

 実際、学校が他の施設に転用されることは多く、地域館・福祉施設・幼稚園・民間会社の施設など、畑違いであっても学校の姿は保っています。

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Dscf0727  この中学校は、昭和27年創立、昭和49年には閉校した22年間の短い校史。閉校時の児童数は35名。決して少ない生徒数ではないのですが、適正化のためこの中学校は他校へ統合されました。
 その後、再利用の歴史も確認できないまま現在は農機具庫に利用されています。そういう成れの果てもそれから数多く見ることになり、今では『あーまた車庫だ…』と淡々とうけとめています。ただ、始めてここで見た寂れた校舎のそのむごいとも言えるなれの果ては学校はすでに特別な場所では無くなってしまったような気がしました。

 閉校記念の碑も無く、壁には農機を入れるため開けられた大穴。床は剥がされて土の露出した教室。風に吹かれてボロボロに風化しかかったカーテン。
 形は残っていますが校舎の魂みたいなものがすっかり抜けきって抜け殻だけがここに残されているような…そんな気がしました。

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御愛好様各位:自宅のネット環境に不具合があり、若干更新が滞っています。見放さないでね。

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2007年8月21日 (火)

カモミールの家

 稜線がすぐ間近にせまる農村地帯
 周辺農家のほとんどは人生の切替線に乗ってこの地を離れました
 残った人が昔と変わらぬ実りのためにこの地でがんばっています

 道沿いの家々だけではなく わき道を奥に入ると当時はいくつかの集落もあり
 そこそこの人々が住んでいたようですが大半は朽ち落ちてしまったようです

 現在残る最奥地(この先は林道になる)に爽やかな芳香に包まれた家があります

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 車の窓を開けて新しい風を感じながら走っていると覚えのある香りを感じました。
『何の香り?』 車を止めて香りの先を探してみると、どうやらこの一帯全体が香りに包まれているようでした。

Dscf6801  『カモミール!?』 どうやらそのようですが近くにはカモミールは見当たりません。
川が近いため石がゴロゴロ転がる畑とは思えない荒地に雑草がたくさん生えています。少し歩いてみると足元にはびっしりと黄色くて小さな花が… 香りの主はどうやらこの花たちのようです。

 正式な名は、コシカギク(またはオロシャギク)。キク科の野花です。 荒地や道端に多く、人のあまり入らないここでは群生していました。資料によるとレモンに似た香りと解説されていますが、むしろカモミールの香りですね。同じようにハーブティーにも使えるそうです。 カモミールティーは鎮静効果があり、寝る前に飲んだり、枕元におくと熟睡できるそうです。 
 向こうにある家は、荒地の小花が象徴するように廃屋です。 ちょっと寄ってみましょう。

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 雑草やら山菜が密生して庭の痕跡もありません。防風林のほかの庭木は一緒に持って引っ越したのか所々穴がある以外は、なにもありません。

 周りの小屋にはさほど物は残っていませんでした。
塗装が剥がれて錆が浮いてきた屋根。そして土壁。
 玄関から入り、中を伺うと…

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 わりあい片付いていますね。というか、食器棚には食器が並び、流しの荒い桶にもたくさんの食器が伏せられ埃をかぶっています。他にもそこそこのものが残っています。
テレビも大きめのものが置いてありますが表にアンテナは無かったのでほとんどのチャンネルは見ることはできないでしょう。もともと電波状況もよくないのでBSとかCSならいけると思いますが地上波で最初っから画質が悪いと結構普通に見てしまうものです。

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外観は土壁でしたが、内装は化粧ベニヤが使われて近代的です。めくったカレンダーを丁寧に貼っているところは着物の女性がけっこう好きだったのでしょう。

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 農村地帯でありながらなぜかその香りというか雰囲気に欠けるような気もします。
物が残っている反面、生業的なものが見えないと言うか、人が住んでいたというより貸し別荘のような雰囲気がします。

 もしかすると営林関係者の休憩所に転用されているのかもしれませんね。それにしても放置期間は長いでしょう。

 表に芯まで錆びたような波トタン屋根の小屋があり、覗いて見ました。

Dscf6810 『おっ五右衛門風呂』

 ちゃんと据えられた形を見るのはひさしぶりです。隙間だらけの壁と節穴からこぼれる光が美しい。

 屋内で釜戸を焚いていたため、隙間が多くしたのでしょうか。壁の上部や天井はススで黒くなり、焼けた香りが強く残っています。

 今でも水さえ張れば使えそうです。
でも、ちょっと匂いはきついので外のコシカギクの香りが恋しくなりました。

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2007年8月20日 (月)

偉大なる崖っぷち!

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アイヌ語で『偉大なる崖っぷち』の名をもつ『ピラ・リ』
町のスキー場背面に位置するその姿は形の定まらない巨大な生物のようである。
1本の素焼きの蟻塚のような塔を持ち、無数の足が山にがっちりと食い込み、山を吸収しようとしているかに見えます。もしかすると山自身がその本来の姿を現出させて山というサナギから抜け出そうとする姿にも伺えます。

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 単なる公園の遊具と言い捨てるには得意な存在感。中は胎内感を彷彿とさせて誕生前の回廊という感じもします。そこそこ離れた国道からでもその異様とも言える姿を確認できるほど巨大です。

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 こういったものを作るにいたった経緯よりも作った過程そのものが興味の尽きないところです。規則性を思わせながらもそれに囚われない自由なカーブ。そしてやわらかなイメージのカラーが雰囲気をやさしものにしているようです。

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 縦横無尽にうねる内面と散りばめられたタイルのアクセント。そして胎内体験のあと隙間から見える現実世界は、果たして愛しき理想郷なのか?
 なんてことは一切考えず、子ども達はキャーキャー走り回りすぐに見えなくなる。
その作りゆえに子どもを見失うのも容易であるかもしれません。時折見え隠れする子どもの影がダリとキリコの融合をイメージさせます。

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 アイヌの言葉で名乗られていますがアイヌの伝説が起源と言うわけではないようです。
妙な懐かしさを感じるのはやはり、胎内感覚と言うものかもしれませんね。

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お弁当持参でこの不思議な感覚を体験してみてください。

幕別町明野ヶ丘公園内『ピラ・リ』

※上の画像は90°回転させています。

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2007年8月19日 (日)

新・恐竜公園

あらかじめ、おことわりいたします。ここは『廃墟』ではありません。
こちらは、町と地域に管理された現役の公園です。

ですが、公園は変わりました。子どもの姿を見かけることも極端に少なくなっています。
 少子化・地方でまで聞かれる不審者情報・子ども自身の心…
子どもの声のない公園は、いくら維持整備されていても『廃墟』と等しくなってしまうのではないでしょうか?

それともこの『廃墟』は人の心の中から来るのでしょうか…

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Dscf7817 『新』と名付けています。
それというのも本家がありまして、師匠カナブンのサイト北海道廃墟椿にて『恐竜公園』が紹介されていますのでご覧ください。今回はその続編ということになりますが場所も状況も異なります。映画でも『続』とか『新』とか『2』などと付いても設定以外は別なものということもあるのでそんな感じで軽くご覧ください。

いきなりトップから強烈さんです。
 これは、草食恐竜のステゴサウルスか、肉食恐竜のスピノサウルスか、もしかするともっと古生代のディメトロドンか。判断につまるところです。
 小さい子にはインパクトが強くて泣いてしまいそうですね。造形的にこれが最も自然な形ですがやってみると意外に怖かったという好例です。
 逆登りを戒めるには最適かもしれません。へこたれない子もいるのでしょうが…

続いて、この公園の主役のイグアノドンの仲間、カモノハシ竜のマイヤサウラと思われます。

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Dscf7814Dscf7812  1978年、アメリカのモンタナ州で集団の営巣跡が発見されたことでも有名で、恐竜の集団生活や子育てが確認された例でもあります。体長は9m。ここのものはちょっと小ぶりで3.5m程です。
 近くからでは顔が確認できないので側の遊具に大人気なくよじ登ってみました。と思ったらすごく揺れる…付根のコンクリートがちょっとゆるいようです。

顔は…ちょっと怖い!この顔で全白眼はキツイ表情です。かわゆくというよりリアル追求です。それにしてもどうしてこんな恐竜がここに?
 十数年前に隣の市で『恐竜博』というイベントがあったので、その関連の払い下げかもしれないですが未確認です。

 上から下を見ると、足跡だ!途中で蜘蛛を餌食にしたようです。草食恐竜なのに…意外に歩幅が小さく内股ぎみでマリリン・モンローしているように小幅な感じ。

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 こんな、今の小学生のハートをわしづかみにする公園なのに小学生の姿を見ないのはなぜなのでしょう。滅亡したわけでもないのにね。
それとも公園種の小学生は、すでに滅亡してしまったのでしょうか。
むしろ、出没するのはもっと進化した夜行性の年代か?

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2007年8月18日 (土)

夢見る頃を過ぎても ③

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Dscf6779 写真は不思議だ。
万物の色となるものはそれぞれが反射する光の波長の違いで色ととして目視できるらしい。その一瞬を切り出してフイルム、印画紙、メディアに固定する。
科学的理屈は分かっていても、それが不思議でたまらない。
カメラの無機質な瞳と自分の付加機能が多いわりに不安定な目とでは全然見ているものが違うような気がします。

カメラはその目玉で捕らえたものを逃さない。
かたや、人の目玉は涙を流すことができる。
カメラのレンズが涙を覚えたらどんな一瞬を切り取ることができるのだろうか…

Dscf6776  そんなわけで家の中には、ねこんとルイン君(デジカメ)。
 家の周りは刈り入れの季節が近づく小麦畑。その色が黄金色に変わる頃には、この家の表情もまた変わっているのでしょう。
 2階の窓が開いているのか新しい風が時の停止した空間を時間を超越したかのように吹き込んできます。ここにいると自分も時を超越した者になったような感覚がします。

 だから、頭の上にあるスズメバチの巣も目に入りませんでした。これも廃屋だったようです。あー良かった…デジカメにスズメバチの巣検出機能なんて付きませんかね。

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Dscf6789  それにしても外観にたがわないほどの室内です。
 木造で、それなりの築年数と厳しい季節変動のこの地域で、さほどゆがみもなく立っているのですから大工の仕事も優れたものと言えます。基礎が地杭の独立基礎(柱を設置する場所ごとに地杭を埋める、または打ち込む方式で旧家に多い。現在の一般住宅は主に箱形の布基礎という工法を取ります。)だから尚更です。

 この家の子等は(ねこんより年上)暮らしの場を他所へ移してからどう過ごしたのでしょうか。この地で育んだ夢は花開き、何らかの夢を掴み取れたのかもしれません。
 あるいは彼の地で新たな夢が芽生えたのでしょうか… いずれにしても夢を考えることの始まりがここであったことは揺るぎありません。
 ここでの思い出が全て多感な年頃の彼らに好感を持って受け入れられないこともあったでしょう。不遇なことも不自由なことも不幸なことも時がそれを小麦の色が変わっていくように金色の光を放っていることを願います。

その刹那を少しだけ垣間見ました。

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とりあえず、人里まで出てバナナを買ってきたいところです。 今日は弁当を忘れました。

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2007年8月17日 (金)

夢見る頃を過ぎても ②

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Dscf6792Dscf6782   この家には、ふたりの子(中学─高校生)がいたようです。男の子とは言え、70年代前期の色濃いこの家において引き伸ばし機を使った写真の加工は、中学生にはまだ早い趣味であると思います。  
 まだモノクロ写真が主流の頃、現像温度の管理も難しくないのですが、子どもよりもお父さんの趣味の感があります。そして、この家の引き伸ばし機のあった押入れは居間にあり、ちょっと不自然な造り。でも、ここが現像焼付けの暗室であることには変わらないでしょう。

 でも、子どもは親のすることを見ているもので親の何だか秘密めいた暗室作業に心動かされるものもあったでしょうし、まれに見せてもらう現像の光景に魔法のような不思議な感覚も芽生えたことでしょう。
 もう一人の子は、女の子でむしろ夢想の世界(漫画)へ向いていたようです。Dscf6783

7882  漫画が即ち夢想の世界ともいいきれませんが、壁に描かれた落書きのサインが「78年8月2日 夏休み」とリアルな痕跡として残されていました。隣接する小学校は遡ること1970年に閉校になっており、この家の兄ともども数少ない卒業生でしょう。

 この1978年から数年ののち、家族はこの地を離れることになりました。それは、家庭的な事情か、利便性が悪くシカの食害の多い耕作地域であったことから見切りをつけたのでしょう。いずれにしても物が多く残るところから、遠くへ行ったのではないようです。戻ってきたかどうかは別として…

 故郷に自衛隊の駐屯地があって、クラスにも親が自衛隊勤務の子が多く、転校の出入りが多かったように記憶します。ずーと同じところの土地の子でしたから転校に憧れを持ったこともありましたね。親の職業を考えると、転校=離農みたいなマイナス構図になってしまいますから縁起でもないですけど。

 こうしてみると絵のタッチがバラけているのは、模写から来るところのようですが、時代辺りから考察すると『なかよし』系でしょうか。たしか似たタッチの作家のコミックスを読んだ記憶があります。『りぼん』系ではないので判断材料になりません。
 家の壁に描いてサインを入れているところは大胆です。それとなく書かれた「I Love You」も…
 トップとはなりませんが今も昔も将来は漫画家という夢は変わらずあるものです。本当になった人は数人しか知りませんが、生き残りとなると厳しそうですね。まあ、夢見る頃にリアルな現実は無意味なものだと思いますから現実の厳しさを説いても夢を見る力にはかないません。
 女の子の夢には「漫画家」があるように男の子の将来の夢には「お笑いタレント」というのが同じくらいの位置にあります。これはちょっと妙なものを感じます。

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「夢は見るものではなく 叶えるもの」だと聞きますが
夢を見る土壌あっての夢であるのでしょう。
不遇であるが故、不自由であるが故に見られる夢があるのです。
 土がなければ収穫もできないように夢を育てられる環境があるから夢を叶える努力もできるのでしょう。

 ここで育った彼らの夢がどんなもので、どの方向へ向かったかは見えません。
この家が当時のあらゆるものをはらんだまま、ここに立っているのは、「夢に立ち返る」ための使命をまだ担っているのかもしれません。
夢が最も輝いていた頃のことに思い返らせるために…彼らが再び訪れることがあれば…

『バナナをお腹いっぱい食べたい』
いまだに叶えていないですね この夢…

(つづく)

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2007年8月14日 (火)

夢見る頃を過ぎても ①

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『大人になってお金ができたら、お腹いっぱいバナナを食べるんだ』
自分で覚えている限りの素直な将来の夢。

Dscf6796  まだそのころは『円』の弱い時代。その頃の雑誌で通過レートを見てみると「1$=350円」となっていました。当時は簡単に手の出ないバナナでも今ではすっかり安価な果物で6本位の房を買っても最後の1本は熟が進みすぎて真っ黒になってしまいます。
 値段は高かったらしいのですが、実際いくらだったかは地域差もあり、よくわかりません。ただ、病気の時くらいしか食べられなかったのでよほどの値段だったのでしょう。当時でも黒くなったところをそぎ落として見切りパック売りでもそこそこしたそうです。
 風邪で喉を腫らせているときはわからないんですよねバナナの味。それが悲しくてバナナを握ってウェウェ泣いていました。

Dscf6770  特に家が貧しいということではなく、物の値段や流通が現在とはまるっきり違っていた気がします。
 育ちが酪農家ということで旅行とはあまり縁の無い幼少期でしたが、不自由だというよりこれが自分の世界だという感覚で、なにやら工夫していたような覚えもあります。
自分の描いた絵を廊下にたくさん貼って「美術館」だとか二段ベッドの上でそこをコクピットと見立てて飛行したりなどと…

 そして、わりあい身近で華やかな感じのする『漫画家』。誰もが一度はそれを夢見たのではないでしょうか。今でも小学生レベルの将来の夢は『漫画家』なのです。
活字と違ってメッセージがダイレクトな上、世代の共通観をとらえるテーマで職業観としても身近に考えるのでしょう。
 ただ、ある程度自分の目が肥えてくると自分のレベルを痛感して『下手=絵は描けない』という孤立的な観念に囚われるのも無理も無いことです。10人に絵を描いてと頼むと大半は『絵が描けない』という答えが返ってきます。

それは描けないんじゃなくて 自分の絵を描かないんだよ
自分の今の技量で将来を判断するのは 寂しい…

 この家にも私達と同じ、普通の子がいました。今では廃屋ばかりのごくわずかな戸数しか残っていない山林の集落です。
 すぐ側の学校は全学年で2クラスですが存校当時はそこそこの戸数は、あった様子。
その中でも唯一、2階建てだったのがこの家で時代的にも異彩を放つところから本家筋か現役時はそれなりに力のある農家だったのでしょう。所々ほころびながらも威厳を感じさせる勇壮感がありました。

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Dscf6794 このレベルになると台所は実に広いです。数人が一度に動ける。お父さんが突いたもちを広げてみんなで丸めるような、そんなことが容易な広さです。
 ねこんにはそういう現場を目の当たりにした経験はないのですが、こういう場に来るとそういった光景が見えてくる。そんな気がします。
 押入れに写真の引き伸ばし機がありました。高校の写真部レベルのものですが本格的ですね。床に落ちていた学生帽の主は写真が趣味だったのでしょうか。押入れが暗室の変わりだとちょっと大変ですね。彼のとった写真には、この辺りの一番華やかだった頃の光が焼き付けてあるのでしょうね。
(つづく)

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2007年8月10日 (金)

からくり太夫と徒然草 ②

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 2階に上がってきました。建物の高さに無理があるようで少し天井が低くなっています。
かがむほどではありませんが無意識に上を気にしてしまうようです。

 半分、通常の天井裏にあたるところに食い込んでいるので天井が微妙にカーブを描きます。窓もちょっと低くなって旅籠屋の二階部屋のようですね。
 『一本刀土俵入』という有名なお芝居がありました。関取を目指すも巡業先をお払い箱になったふんどし担ぎの茂兵衛が空腹で我孫子屋にあらわれ、二階で酒をたしなんでいたお蔦とのかけ引きのシーン。そういう場を連想する窓です。目張りされていますが窓を開けると古の世界が広がっているような気がしました。

 『徒然草』じゃなくて『一本刀土俵入』かいっ! と、つっこまれそうですが、あるんですよ。この文学の部屋に…天井に紙が1枚見えますね。

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 これが『徒然草』第92段『或人 弓射ることを習ふに…』の後半部分です。

よく受験生の指南に用いられる下りです。
全文は

Dscf6409 或人、弓射る事を習ふに、諸矢(もろや)をたばさみて的に向う
師の云はく、「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ。

後の矢を頼みて、始めの矢に等閑(なおざり)の心あり。
毎度、ただ、得失なく、この一矢に定むべしと思へ」と云ふ。
わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。
懈怠(けだい)の心、みづから知らずといへども、師これを知る。
この戒め、万事にわたるべし。

道を学する人、夕には朝あらん事を思ひ、朝には夕あらん事を思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。
いわんや、一刹那の中において、懈怠の心ある事を知らんや。何ぞ、ただ今の一念において、直ちにする事の甚(はなは)だ難き。

Dscf6415 噛み砕いて解説すると 
 カルチャースクールでアーチェリーを習っている受講生が的を前に2本の矢を持つと心のどこかで「もう1本あるから…」という雑念が生じ、本人は心にも無いと思っていてもスクールの先生には見透かされてしまうものです。
 廃墟物件探索も同じように「明日行こう」「来週こそ行こう」と心に誓っていてもそれを即実行に移すのは、ものぐさしてしまったりして、やっと行ったら物件は取り壊しで無くなっていましたとさ。ということもあるんですよ。
 
といったような類のことだったと思います。(噛み砕いたというより再構成)
まるで、ねこんとカナブン師匠の関係のようですね。

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この結びの段落が受験生の志望校合格に向けてモチベーションを高めるために使われるようです。ここでも受験に向けて自己啓発していたようです。日本は「欧米化?」と言われていても、どこなかしなに日本人の血が残っているものです。

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廃屋の闇の中で腕を組んで「うーん」と考えるねこん。
誰かに見られていたら、引かれそうです。 

まぁいいじゃないですか…

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2007年8月 9日 (木)

からくり太夫と徒然草 ①

なにやら『一休さん』のアニメの副題みたいなタイトルです。
今回は、一休さんではなく『吉田兼好』のお話です。えらい北海道らしくないですね。

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こちらが今回登場の廃屋『からくり太夫』一本眉がりりしいナイスガイです。
特に仕掛けがあるわけではありませんが、古風な民家のつくりなのに珍妙な
化粧が施されていて思い付いたのが『からくり太夫』。

その全景がこちら

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一応廃屋です。
 遠巻きに見るとメッシュが入っているようにもみえますが下の状態が分からないほど巧みにデコレートしています。とても廃屋には見えませんね。見ようによってはレンガ建てと見まごうかも。重厚な要塞のような姿は、強いて言えばトロイの木馬のイメージ。というのは言いすぎでしょうか?
 反対側に回ると、あらら?飾りつけは道路側だけのようです。ちょっと拍子抜け…

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 家がこの姿になった経緯は、離れていたところの道道が幹線付け替えでこの家の脇を通るようになり、向かいに新しい霊園が造成されたことからマイナスイメージの廃屋は景観が悪いということでしたが、地権者所在が不明なのか取り壊しができず、苦し紛れの飾り付けをしたようです。
 ここまでやったのなら寄せ植えのハンギングプランターで飾付けして欲しいですね。

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 ここの両側には近郊の石材店の墓石展示場になっています。
見えるのもお墓というより記念碑かモニュメントのようです。
墓石というのも今は機械類が充実していて球体や複雑な透かし掘りなど緻密なものが容易にできるようです。値段は相変わらず張りますが。

では中を伺ってみましょう。

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 全ての窓が目張りされているため中は真っ暗です。1階は2間で台所があります。バストイレは別棟のようですね。必要のないものは置いていったようですが比較的片付いています。スーパーマンのくず入れがあることから80年代まで暮らしは普通に続いていたようです。天井から下がる裸電球照明のつまみをひねってみましたが当然点灯しません。

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 奥の台所には脇に階段がありました。シンクのすぐ脇に階段というのも妙ですが、この頃の家にはキッチンに階段という構造がけっこうありました。

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それでは2階へ…
(つづく)
 

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2007年8月 8日 (水)

夢破れて山●荘 千秋楽

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Fushin こうして長きに渡り紹介してきました『山●荘』。
事実と虚実。夢と挫折。光と影…いろいろなことが錯綜しているこの地でした。
霊的なものは、所詮『信じる・信じない』にしか行き着かないと思います。
事実もこの地に暮らす人たちにとってすでに曖昧な記憶となっているようです。
でも確かにここに「山●荘」は存在していました。

 地域の厄介者・心霊スポット・廃墟の聖地・サバイバルゲームゾーン・廃棄物捨て場、そして不審者情報多発地域…
 これらの肩書きはすべて廃墟化後に付けられたものです。
 静かに終の日を待ち続ける館に心があるならば、何を思うでしょう。

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「祝福に包まれた誕生の日」 「人々の喜びに満ちた笑顔」 「駐車場いっぱいの車に取り囲まれた日々」 「事故」 「衰退」 「再出発」 「閉店後のテーブルに静かに座るオーナー」 「そしてみんないなくなった」 「珍客の来訪」 「荒っぽい連中」 「大きな傷」 「終の予感」「共に暮らした子ども達」

Note

そう、ここには子どもの暮らしがありました。従業員の子と思われる二人姉妹がいたようです。今でもここでのことは覚えているのかな…

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『夢のテーマパーク』と『殺人ドライブイン』
その両極端な名の中から見えるのは、潮のようにうねり、激しく引いていった人の心。

 学習ノートの『花の観察』に使われた花々は山●荘の庭に咲き乱れていた花なのでしょう。
この『山●荘』をバックに少女が目を丸くして花を覗き込んでいる光景が浮かびます。
大きな100点花マルは、この子が目をキラキラさせた光に満ちた日々を想像させます。

夢の跡 ここには確かに夢があったんです。

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2007年8月 7日 (火)

夢破れて山●荘 ⑥

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さて、2階に登ってみようと試みます。上まで『コ』の字形に据えられた階段ですが、裏手崩壊の影響をまともに受けているため、目の間にするとかなり怯みます。
 最初の踊り場までの横板は全て無くなっています。下に落ちている様でもなく、側板は原形のまま残っていることから崩壊とは別に侵入防止のため意図的に外されていたのかもしれません。その上の踊り場の床もずれて傾いています。

Dscf5601このシーンを始めて見たのであればたぶん、登るのはあきらめていたでしょうが、我が師匠から『バランス感覚を鍛えて高みを目指せ!』とのお言葉もありました。
 壁際から行くと次の段が遠くなるので敢えて向かって左の側板から…
 板厚およそ60㎜。よろけたらアウト。装備の緩み等チェックをしてゆっくり登りだす。

 こんなに傾いているのが嘘のように揺れもきしみもありません。これはスムーズに行ける…と、思ったら上の1段は『虫食い』。なんとか床の無い踊り場を抜けると次の段は大きく傾いています。ここは手すりもあり、意外と頑丈なので2階まで到達できました。

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Dscf5590  上は、客室になっていて外観や1階から想像できなかったほど全体が斜めになっています。ちょうど正面から見た三角部分の奥辺りです。置人不明の花束が供えられていた場所もこの辺らしい。この辺りの床からちょうど宴会場の上部に当たる奥へは雨漏りにより床板の腐食が進み、明らかに抜けそうです。梁の位置を確認できないためこの奥は断念します。この奥がおそらく客室らしいのですが。
 正面の三画部分の部屋は特等室のようで広さと窓から見える田園風景が素晴らしい。現役時もこの風景が見られたことでしょう。これはいい季節に来ました。夜中に来るにはもったいない。
 隣の部屋は客室ではなく遊戯室のようです。中央の掘りごたつ状の部分にあるのは自動麻雀卓の成れの果て。外はテラスに通じて浴場の屋根が見えます。意外に屋根板が飛んでいました。続く客室は畳部屋です。ここからも田んぼが一望できます。山を背にして緩やかに低くなる地形で視界が遠くまで広がります。

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 ここの経営が思わしくなくなった原因は前を走る道が接合する国道の整備により交通の多くが流れたこと、利用者のニーズに付帯施設が合わなくなってきたこと、地元シェアの伸び悩みがありました。取材では実際行ったことは無いという方もいたので…
 こういったところが衰退に向かう原因は第3セクターにしても一般施設にしても地元シェアやリピーターが付かなければほとんどだめになります。さもなければニーズとリニューアルのいたちごっこなのでしょうが。

 現役時は知りえませんが『山●荘』後の『香●館』はがんばったのではないでしょうか。
ただ施設が巨大であるが故、経営縮小にも限界があり、呼び物であるべき温泉も維持費の莫大なお荷物となってしまった…

『夢のテーマパーク』はこの地に生まれてからおよそ20年で『夢の跡』になりました。
それでも皮肉なことは没してなお訪れる人の耐えないことです。少なくとも客ではない人達の…

(次回、完結)
 

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2007年8月 6日 (月)

夢破れて山●荘 ⑤

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 それではDVDでは紹介されなかった危険地帯へ入ってみましょう。
ここに撮影時深入りしなかったのは、物理的に危険があったからでしょう。
さすがのストーリーテラーも物理的恐怖は苦手と見えますが…

 それにしても床の没落が多い建物です。おそらく鉱泉の漏水が床下に入り込んでいたのでしょう。浴場付近が最もひどくてロビーへ向かう回廊の途中まで及んでいます。
 両側の部屋はさほど影響していないので基礎の枠組みの形に浸水していったのでしょう。

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Dscf5585  しかし、ここでまた奇妙な感があるのは、建物の基礎に感じたことです 
 山沿いのこの地でしかも回りは水田地帯。
地中に浸透する雨水の排水が決して良いと言える地域ではないのではと思いました。簡単に水が抜けてしまう地盤であれば稲作には向かない。ましてや暗渠排水など入ってはいないでしょう。(対して水はけが良すぎる地盤はザルと呼ばれ、稲作は向かない)
 当然地中に含まれる水の量が多くなりがちで、地盤は緩みやすい。
 その地盤に対し、この『山●荘』は基礎に違和感があります。これだけの建物なのに基礎が低く、布基礎(主に一般住宅に取られる工法。難しいので興味のある方は調べてみてください。)らしい。奥の大広間に外から入るのに簡単にひとまたぎというのは、明らかに基礎も低く、床下換気も悪く、厚さも建物に合わない気がしました。それは地盤に対して有効な基礎工法ではなかったように感じます。地盤の強度などにより工法は変わりますが、ある部分から建物全体が大きく傾いているのは、基礎の沈み込みと思われ、ここには適切な工法ではなかったのでは? しかし、70年代初頭の建築常識と現在は必ずしも一致はできません。少なくともいまだに立っていられるのですから

 別棟の半焼していた棟は別としてもロビー奥の崩壊は単に積雪による倒壊ではなく、基礎の沈み込みによって剥がれるように倒壊したのではないでしょうか。築年数がそれなりとはいえ、壊れ方は尋常ではありません。 近年になって欠陥住宅ということが聞かれるようになりましたが手抜き工事とは別に技術の伴わない工事があります。例えば、2階建ての住宅しか建てたことの無い業者は技術的に3階建ては可能(1階増やすだけという考えから)ですが強度計算からすると各階の柱や基礎の構造は変わって然るべきなのです。そのようにここが最適な方法による建築だったとは言い切れません。ここより古い建物が壊れず立っている現実からすると。

 いずれにしても既に時効でしょう。(そこまで追求するほどプロでもないし…)

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 大広間に至っては、大地震の跡のような状況です。ここまでは漏水の影響は無いのでフロントの崩壊時に柱の根太(ねた)がひっぱられた結果ではないかと思われます。奥のステージ部分は無傷ですし…
 壊れ方の割にいまだにこの形を保っていられるのは構造的に無理のかかった部分が剥がれたというのが妥当ではないでしょうか。いずれにしても雨風が容赦なく吹き込む形になってしまった以上、崩壊が早まるのは間違いありませんが…

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 さて、噂の階段より上ですね。どうやって登ろうか思いましたが…

(つづく)

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2007年8月 5日 (日)

夢破れて山●荘 ④

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 近頃、レンタル屋さんで1本のDVDを見かけました。
稲川淳二氏出演の『真相 恐怖の現場 5』。この中で『殺人ドライブイン』という名で紹介されているのがこの物件です。殺人があったところという意味ではなく、数人の死がここであったとされることからつけられたようです。

 内容は正面(三角屋根の下)を見て、「建物の建て方がおかしい、墓地の作り方のようだ」「入口に十字架が見える」と評価。
 建物背面の回廊から物置、従業員住宅部分を数箇所調査。「全ての部屋に何かいる」
 疑惑の浴室。「ここが一番きている」

 浴場で怪談話をひとつ紹介した後、動向の女性タレントを浴場に残して稲川氏は脱衣所の外付近からモニターで観察しながら心霊現象をリサーチしていくという内容です。(2階と宴会場は別の危険があるため取材していないようです)

 真相と評価は特に触れませんが、この「ルイドロ」を脇に鑑賞していただきますと面白さが倍になるかもしれませんね。
 小物の場所がほとんど一致しているので、同時期に取材していると思われます。
今回は、登場するシーンと同じPHをアップしているので暗がりで見えずらかったものがよく見られると思います。

TOPの画像は、死んだ子の靴ではないかとされたもの。従業員の子どもで二人姉妹がいたことを確認しています。小学生だったので、この靴は昔のものかもしれません。

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雑草と苔に覆われた部屋。箱庭のようです。小上がりになっているので入浴者の休憩室だったのでは?
ここに裸の男の霊(自殺した初代オーナーとされるが未確認)がいたとされています。

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 子どもがいた部屋。左側は大きな棚を据えてあり、備品・帳簿類などがあることから物置のようです。

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 最初に浴場を仰ぎ見た脱衣所(男)。床が完全に没しているため、女湯側より入ります。ここに至る回廊もかなり床がゆがんでいるため、誰かが戸板や壁板を剥がして壁代わりに敷いてあるので歩くことはできました。水場が近く、床下も送湯パイプが走っているため、漏水で腐食したのでしょう。凹んだ床を板がどんどん続いていくのは不思議な光景です。

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 ネット上でもかなりの頻度で出てくるこの物件。
悪意に満ちた霊の巣窟  鬼の住処 自殺の発展場 崩れかかった栄華の跡 サバイバルゲームゾーン 倒産物件 土地の厄介もの 不審者多発地帯 不法投棄 そして夢のテーマパーク…

 様々な罵詈雑言の仮面を付けられながらも、かろうじて佇む『山●荘』。
誰かのアルバムの中では、ここでの楽しかった思い出が生きていることでしょう。
 本当はそれだけで良かったのでしょうが…     
(つづく)

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2007年8月 4日 (土)

夢破れて山●荘 ③

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Dscf5562  建物・浴槽・柱など八角形の構成によって作られた浴室。ここが建てられたときは風水学を知っていたのかは定かではありません。
 八角形は、風水学で言う陰と陽、すなわち宇宙観をあらわします。陽を円形とするならば陰は四角。八角形はその中間にあるとされています。
 八卦では八方位を東、北東、北、北西、南東、南、南西、西で吉凶を説明しますが、八角形はその8つの方向に広がる形だといえます。つまり八角形は宇宙の形なのです。

Dscf5557  古来、風呂とトイレは不浄とされ、住居とは別に設けられていましたが現在は、全て同じ屋根の下にあります。家の中心線に水場やトイレを作らなければならない場合、家相的には特別な配慮(鬼門札など)が必要だそうです。
 もし、八角形の住宅を作った場合、家は鬼門に対し柔軟に対処できるそうです。実用的かどうかは別として…

Dscf5558 八角形は風水では運を安定し、かつ、上げることができるとされて風水鏡など八角形を形どったものを身近に置くと良いそうです。
 この温泉には、『日中薬膳研究所』という側面があり、風水のルールを浴場に持ち込むのは当然であったことでしょう。

 でも、この運気の高い浴室で不幸な事故があったそうです。入浴客が持病の発作を起こしたとか子どもが溺れたとか話は錯綜しますが何らかの事故はあったのは間違いないようです。その後も人の生き死にに関する事件が続いたそうですが、その信憑性よりも現地に残る痕跡から推察していきたいと思います。

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Dscf5621  この薬膳研究所としての側面は、冷鉱泉であるため、維持に費用がかさむことから付加価値として導入されたのかもしれません。しかし、世間で取りざたされるほどこの『山●荘』は半壊しているとはいえ、悪意に満ちた、あるいは彷徨える霊たちが寄り集まる禁断の建造物なのでしょうか。

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Kaiyaku  埋められた浴槽は、謎のひとつに数えられています。維持費の関係で閉鎖して植え込みにされたというお話です。災いとは縁遠い場所であったはずなのに廃墟化したことが噂を助長させてしまったのかもしれません。

 経営の悪化が限界に来たとき、経営者は身の回りを簡単に整理すると、ここを捨ててどこかへ行ってしまったようです。
 今や生きている者の気配は全く無いこの旅館にまだ人のいる気配がありました。

Syokan

 郵便配達の悲しい性。幽霊屋敷と名高い旅館の厨房には今も郵便物が届いています。

(つづく)

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2007年8月 3日 (金)

夢破れて山●荘 ②

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 この一帯は稲作が中心で回りは、ほとんどが水田です。『ルイン・ドロップ』エリアにはほとんど見られない風景です。
 まだ、植え付けからさほど経っていないようで車を走らせていると水田がキラキラ光って海沿いを走っているような錯覚がします。
 夜はカエルがたくさん鳴く中、空と地にふたつの月が見えたりしていい感じなんでしょうね。

Dscf5528  『山●荘』がオープンした当時のことは、資料として見つかりませんでしたが町で最初の本格的温泉リゾートで最初の数年間は町内外から多くの人が訪れました。
 施設にも釣り堀、ボート、クレー射撃場を備えて『夢のレジャーランド』が形成されていきます。その頃は駐車場も足りないほどで、かといって周囲は山と水田のため路上駐車もかなり連なったそうです。何よりも建物の外観がおとぎの国風であることから誘われるように人が集まりました。
 泉質は「含酸塩化土類食塩泉」 リウマチ・神経痛に効能が深いそうです。

 当時の宿泊関連を図書館で調べてみると初期の記述は出ませんでしたが、1981年の宿泊は1泊2食 4,500円 12室50名の規模でした。(北海道じてん1981年版/山と旅社)
 同じガイドブックの1984年版では、1泊2食 5,800円 13室80名と規模と料金がアップします。

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 ここで奇妙な記述が出てきます。『源泉温度10℃ 浴用加熱』 これは…?冷鉱泉?

Dscf5530  施設内背面に大きなボイラー室が存在します。これは浴用ボイラーであったようですが、最初から源泉温度が低いのであれば湯治場として栄えなかったと思います。さらに開業後数年でオイルショックを経験しているので、維持費のかかる経営はできなかったはずです。

 そこで考えられるのオイルショック後の『温泉の枯渇』『代替の鉱泉』です。「ぬるかった」という話もあったので慣れないうえ、季節によって変動する温度管理がうまくいかなかったようです。
 この頃、北海道内の各町においても町の活性化としてあちこちで温泉目当ての試験ボーリングが行われ、温度の低い鉱泉であっても財政の豊かな時代にあり、加熱利用の温泉施設が作られ初めました。現在のように「源泉かけながし」が重宝がられる時代には考えられないことかもしれません。
 ともかく、裕福な時代、豊かなところは大きなものを。そうではないところも、それなりに安易な泡球を作り出していきました。いくつかは成功して、いくつかは大きすぎたり細かすぎたりして消えてしまいました。かりそめの異国、偏った理想…

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 「山●荘」も経営内容の方向を見直す時がきたようです。

(つづく)

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2007年8月 2日 (木)

夢破れて山●荘 ①

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仕事の帰り、久しぶりにレンタルビデオ屋さんに寄ってみた。
季節がら、ホラーや怪談物が企画コーナーとして並んでいます。
こういうものには種類があってフィクション・実話再現・ドキュメントなど…人気シリーズもあって、つかの間の異世界が目の前に再現されます。
 気になるものが1本●川●二氏の新刊DVDが目に付きました。
全国の最恐心霊スポットを自ら現地に赴き紹介するというシリーズ。
場所は、●●町。

『あれ?ここは、この前行ってきたよ』 現地を具体的に紹介しているようです。
何やら、ここは非公式に最恐心霊スポットの指定をうけているようですね。

KouhouKusatsu 『ルイン・ドロップ』アクセス1万記念夏企画で今回は、建設当時、観光の目玉の無い町に決定打として誕生することになる『山●荘』を紹介します。
 またの名を『●名館』。一帯の温泉を称して『二●温泉』と呼ばれます。
 地域の期待を受けながらその地域の厄介者とされてしまった背景には何があったのでしょうか?

 心霊解釈は本家に任せるとして、ここでは『ルイドロ』的におこなった調査、そして後日の資料収集に基づいて検証してみます。何分、現地調査も話の片寄りがあるため100%の真実ではないのかもしれません。

 1971年3月20日発行の町開拓史によると炭鉱の近いこの地区は、夕張炭鉱への登り口でもあり、炭山への野菜の供給源として農業が栄えました。
 明治38年(1898)この近くにも炭鉱が開坑されて、馬車軌道が整備されます。温泉は早くから発見され、数件の宿が開かれました。怪我に絶妙の効能があるとのことから湯治場として栄えます。しかし、当初は10名程の宿泊しか受けられない規模の地味な経営であったようです。それでも効果の評判から当時客は絶えなかったそうです。
 炭鉱の近くにあった温泉はその後、経営者が変わったり、施設の改修を経て地域にそして工夫に愛されました。

 時代は昭和になり43年(1968)、二●温泉観光㈱が設立。源泉が幹線道路から離れていることからパイプ輸送によりこの鉱泉を現地区に通して巨大な温泉施設が誕生することになります。町史にも『夢のテーマパーク』の記述が残っています。
 ただし、その編纂時点では、まだ建築途中であったため、まだその全容は町民の知るところではありませんでした。

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最恐伝説の真意はどうなのでしょうか? 

なぜ、急速に寂れていったのか?

それは、温泉にヒントがあったようです。

(つづく)
 

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