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2007年7月12日 (木)

香る校庭

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Dscf6705 この学舎に至る道は校地と隣接する農家と通路が共有されているため私有地かとも思える場所です。
とりあえず、近くの農家にお断りを入れます。
当家のご主人は「私は、前の木造校舎時代に通っていたんですよ。」学校のことを少し聞いて、目的の旨を伝えると「鍵は開いているから見ていってください」とこころよく応じていただけました。

 お言葉に甘えて、敷地内に車を置いて林道のような本当に先に校舎があるの?というような道を登ります。程なく開けた場所に出ました。野花が咲き見される先にこじんまりとした校舎が見えました。校門や校章は見えず、事前に知っていなければ学校とは思えない。そんな感じの造りですね。今、立っているところはグランドのようです。

 この辺りの集落は長野県人数名が当地に共同牧場を経営するため、大正元年11月に入地。大正4年12月に100町歩分の特定地貸付が許可となり、大正5年3月、特定地開拓団が渡道、近隣にて小作をしながら準備。大正6年3月、後続団体員渡道。同年12月、一同入地して開墾開始。大正7年3月、3人が来住して団体入殖を完了しました。団体のほかに、九戸の入地があり、全体中、長野県人が多数のため、いつしか長野が部落名になりました。

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Dscf6710 学舎の主な概要は
大正15年5月─長野特別教授所開設
大正12年3月─校舎落成
昭和10年8月─旧校舎を敷地西側より東側に移設
昭和14年12月─大雪のため校舎大破、改修す
昭和15年12月─木造校舎(先代校舎)落成。
昭和38年12月─現在残るブロック校舎落成
昭和45年4月─近隣校に統合
          校舎は部落会館として転用

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 現校舎落成も子ども達の減少からとても小さく、教室はひとつ。全学年複合式の授業だったようです。閉校時の児童数は9名。新校舎の使用は実に7年間でした。入学から卒業をここで迎えられた子は幾人いたことでしょう。集会室になった教室には黒板だけが往年の記憶であり、そのほかはストーブ、テーブルなど寄り合い場としての備品が入れられ脇には大きな神棚が祀られています。

 隣の小さな体育館(普通の4分の1程度)は存校時からのものか万国旗が飾られ、学校の歴史、学校と地域の功績が壁一面に張り出されて在りし日の思い出がしのばれました。
 現在は地域に残る戸数も減り、部落会館としてもあまり機能していないように思われます。それでも、まめに雑草が刈られて荒れずに済んでいるようです。
 時の経過は奥の物置部屋の床を蝕み始めていました。その部屋の壁に児童達の楽しかった日々が焼き付けられるかの様に書き綴られています。

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Dscf6715 野花に覆われたグランド。森林と湿地に囲まれてここだけが特別な場所であるようにです。近くに建立された開拓の碑を見てからここを後にすることにしました。

 どこからともなく白檀(ビャクダン)に似た香りがかすかにしました。元を辿ろうとするも分かりません。ここはそんな悪戯をする精霊の舞う学舎かもしれません。

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コメント

あぁ、いいですねぇ!かわいらしい校舎と花畑。
私が行ったときは桜が満開でした。
絶えず花が咲いている場所なんですね。
ほんと、これはもうおとぎ話の世界ですよ。

ちなみに、白檀の香り大好きです。

投稿: haru | 2007年7月12日 (木) 00時49分

時折、フッと香るのですが、意識すると気配を鎮めてしまうそんな感じでした。
気配というのは、不気味なものばかりではないのだと思いました

投稿: ねこん | 2007年7月12日 (木) 01時01分

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