さよなら枝肉空母 その3
昭和32年創立のこの会社は、当初別の名前でした。起業してから35年後に本社を札幌に移転。当地は工場事業本部として主に枝肉の分別、同業界の流通を持つ会社によって全校へ素材を卸していました。
そして社名を変更。まさに業務の視野を世界に向けたような名前でした。
しかし、その12年後には、その歴史に終止符を打つことになります。平成16年会社更生法の申請をしたとき、負債総額47億円。この年、北海道内の大口倒産は大手ゴルフ場が3社。中には負債146億のところもありました。ほかに広告代理店、建築関係など。
食品関連ではこの会社が唯一です。関連会社に食肉加工、外食関連があります。従業員35名。パートが22名。
先に触れたBSE問題化の折、全国の関係工場調査でもここは危険部位(脳や脊髄など)を的確に処理しており問題はありませんでした。
処理は適切であったとしてもBSEに関する風評により肉どころか牛乳までも槍玉にあがり、食用肉(特に牛肉)から消費者は遠ざかっていました。
後に今度は鶏インフルエンザにより鶏肉から鶏卵までもが影響を受けます。万が一発症の場合、廃業に等しいことから家畜の死を隠すという事件も記憶に新しいことです。
現在は、やはり食肉加工業者が原料不足から魔が差し、別の肉を混ぜたものを純牛肉として出荷、大問題になり、多くの食品加工業者に影響が出ます。
食品の漠然とした安全神話が揺らぐ世の中になってしまいました。
さらに、ここでは大手取引先の流通の変化があり、業績の悪化が加速したようです。
信用以前に業界を取り巻く大きな動きが工場の未来に影を落としたのです。
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