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2007年7月 7日 (土)

モノリス橋脚

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 郊外を走っていると時折、奇妙な建造物を見かけることがあります。
これもそんな中のひとつ。何度かこの道を通って見かけていたのに特に疑問も持たずに通り過ぎていました。今はその下まで降りていくのですから、人間変われば変わるものです。でも、この橋脚跡が何のものであるかは地元の人やその筋の識者には既に知られていることであるでしょう。無知であるゆえ、旧道の橋脚跡程度に思っていましたから…

 故郷の町は十勝管内で唯一、国道の入らなかったところで、それに変わって「北海道拓殖鉄道」と「河西鉄道」が旅客・流通を担っていました。
 その一方の「北海道拓殖鉄道」沿線から十勝川源流部へ56㎞遡る森林鉄道『十勝川上森林鉄道』があった…

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 『鉄道廃線跡を歩く Ⅸ(宮脇俊三編著/JTBキャンブックス刊)』でそれを見つけたときは感動でした。大雪の奥深くに数本の支線・分線を敷設したこの区間、隣接の秘湯温泉へ至るみちすがら無数の橋脚跡、軌道跡が目に入ります。その全てを見届けるには至っていませんが、その途中の廃校からさほど離れていない端の脇にこの橋脚が今もたたずんでいます。

 同書によると
大雪山トムラウシ山の南斜面には、あまりの奥深さゆえに戦時中も手付かずに残された原始林がありました。十勝川源流部から岩松ダムまでの流域の広いところでは幅3㎞にもおよぶ広葉樹林帯であったそうです。
 大正8年ころから馬車鉄道が敷設され針葉樹林が伐採されますが伐採地からその軌道までは十勝川に木材を流す『流送』という方法がとられ、他の伐採地においても同様の輸送法がとられて、「流送人夫」なる人も多く原木の上を鉤棒1本で原木と共に流れを下る様は圧巻であったことでしょう。写真でしか見ることはありませんが「川の羊飼い」といった趣です。
 ただし、広葉樹は流送では商品価値が下がるため手付かずの樹木が多かったようです。

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 戦後この地域が戦後引揚者を受け入れ、食糧増産目的の北海道緊急開拓事業入植地に指定されたことから北海道拓殖鉄道・屈足(くったり)駅を起点とする森林鉄道が昭和25年に着工、同27年に48.2㎞が完成。国有林経営区の名称から「十勝川上」と名づけられました。その後、昭和33年には69.9㎞まで支線を延ばしましたがトラック輸送に分を奪われ昭和41年に全面撤去されてしまいました。

 ここの橋脚は川の流れにさらわれ崩壊したものもありますが橋台・擁壁とともに30年強の経過を感じさせないほどガッチリしています。
 その懐から見上げた感じは『2001年宇宙の旅』で旧人類に文明をもたらしたモノリスのような威厳に溢れています。行き着くところまで行き着いた感のある我々は、この時代の遺跡から何をもたらされるのでしょうか…

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コメント

雪の時季にずいぶん活動してたんですね、廃に雪は実に似合います。
ご存じと思いますが私もこのような橋脚は大好きです、高い場所にある石を積んだ壁も実にいい、シンプルで素敵な場所ですね。
橋の跡がある場所には必ず何かがありますからね、私の探索時の隠しキーワードは“橋”です。

投稿: カナブン | 2007年7月 7日 (土) 08時11分

お師匠様 おはようございます
この橋脚は風化がほとんどないので大雨で倒壊した橋と思っていましたが後に林鉄跡と知って、その越年に驚きました。この先にはトンネル(塞いである)最奥地には橋梁も残っているらしいです。
この橋脚付近は集落も点在していますが、完全な空き家でもなく山菜採りの方々が敷地に侵入、庭木を拝借等の行為が頻発したため元住民(定年後、暮しを街へ移して夏場のみ戻って菜園に勤しむ生活)がかなりシビアになっています。
 情報収集時、たっぷり聴かされましたから…

投稿: ねこん | 2007年7月 7日 (土) 08時49分

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