開拓の窓から ②
戦後開拓で北海道へ渡ってきた人たちは、戦後の荒廃や身内の離散で行所がなくなり、土地と住居をもらえることを魅力に感じてきたそうです。
しかし、実際は土地と言っても戦前戦中でさえあまりにも奥地であったり、交通手段が未着手など、当地に行くことすらままならないようなところで家も掘っ立て小屋やバラック同然のものがほとんどでした。開拓の進んでいた地域は既に満杯状態だったため戦後の食糧増産と人口の分散化を目的とした開拓事業だとしても樹海のごとき辺境地をあてがわれたのではたまったものではありません。戦災で助かっても熊にやられたのでは合わないので数年以内に転出していった方も少なくはなかったでしょう。
この家の住人は開拓の進んでいたところなのでまだ、幸運だったのかもしれません。
それでも関東出身でこの地に始めてきて、冬季マイナス20~30℃をこのトタン小屋で過ごしたのは過酷な暮らしには違いなかったことでしょう。
電話帳はあっても電話など無く、風呂もトイレも水道も無いこの家で川の水を使い、ストーブで煮炊きをして真っ白に窓ガラスを曇らせながら春を待つ。結果的にこの地を去ったのですが、その数年間は彼にとって戦後の動乱期、少なからずや希望を与えるものであったのでしょうか…
針葉樹林に残るこの家が戦後をさほど朽ちることもなく残っていたのは、松葉の殺菌作用と防風によるものかもしれません。壁に貼られたカレンダーか何かの『がんばれ』の文字。これが、まさに彼の座右の銘だったのです。
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