« さよなら枝肉空母 その6  | トップページ | ドドメ~ン! »

2007年7月29日 (日)

学びの駅舎

Dscf6741

Dscf6738  かつてこの地区の辺りには4戸のアイヌ・コタンがあったそうです。
明治38年宮城県から4戸の入植があり、地域に農業の礎が築かれました。
それから移住者が増えて耕作地帯が形成されます。

 今回の学舎跡のある辺りは、一帯からさらに7㎞奥地に向かったところにあります。
戦後、昭和20年ころに東京方面から疎開帰農者7戸が入植して開墾を始めました。
ついで昭和22年から23年にかけて、樺太引揚者、復員者、縁故者など7戸が入植。
しかし、奥地に入る程山肌が迫ってくるような立地条件で、農作物にエゾシカの食害も多く、昭和47年以降1戸のみを残す過疎地帯になりました。

Dscf6742  ひと口に7㎞といっても現地を走ってみると資料の記述に誤りがあるのでは?というほど校舎とは縁遠そうなところへ向かっていきます。だんだんと山が迫ってきて谷間の感が強くなります。わき道には「林道入口」の表示があり、シカ除けのフェンスが山際に並びはじめて、酪農家が数件続いた後は、ことごとく廃屋が風景に目立ってきます。(内心ときめいている)
 不安になってきて「これ以上行っても学校は無いな…」と思った頃に防風林とも雑木林とも付かない不節操な林の切れ目に突如、校舎が見えてきて意外に鮮やかなカラーの校舎に驚きます。

 外観の形といい、色といい、とても30年以上を経過している校舎とは思えない感じがしますね。どこかで見たローカル駅と外観が酷似しているので、戦中・戦後にこの辺りを走っていた森林鉄道の駅舎と思ったほどです。(この付近までは敷設されていませんでした)
 実際には、駅舎ではなく当時、7㎞の通学を余儀なくされた子たちのため部落が村当局(当時)と交渉を重ね、昭和23年念願の竣工に至ります。

Dscf6745

Dscf6749  職員室と教室がふたつのこじんまりとしたブロック校舎。入口の上部に校章が入っていなければ「違うよね」と思うほど『学校』とはかけ離れたイメージがあります。
 回りは節度の無い雑草に覆われてグランドの形が確認できないほどでした。
 なかの様子を伺ってみると…40年弱の経過を感じさせないほど痛みが少なく、適度に清掃すれば再利用も充分可能なほどしっかりと形が残っています。一部トイレの手洗い場の床が落ちていましたが、その気になれば修繕可能の状態で、この後も崩壊していくという感じはまだしていません。

Dscf6750  職員室の中は、校史最後の月のスケジュールが黒板に書き込まれ、そのままのこっていました。
 事前に見た資料では、昭和45年に23年間の校史を閉じたとき児童数は14名とされているところ、この黒板では男女合計が10名。現場の資料のほうが正確でしょう。
28日『お別れ遠足』 30日『お別れパーテー』の記述もあります。机や備品棚の類はありませんが、この黒板は意図的に学舎と共に残されたのでしょう。

Dscf6751  回りが緑に囲まれているため、学舎内は全体に緑がかっています。黒板や窓枠も緑系なのでなおさらそう感じますね。
 教室は掲示物が残されて学習の様子が垣間見えます。今見るとイラストの顔がモンタージュ写真っぽくてちょっと気味が悪い。
 黒板には児童の書いた絵が時を越えて外を見つめています。書いたのは、たぶん一番左の絵の子でしょう。黒板自体も小さめですが見慣れたものよりデザインが幾分変わっているようです。

Dscf6752
Dscf6757
Dscf6755 

Dscf6753

 奥地で、木々に囲まれガラスなども割れることなく残っているため、荒らされる事も無く、これほど完全な形で残っています。体育館は元から無かったようです。要望されていたことでしょうが成就することなく校史は閉じられました。周囲には廃屋が数件。わき道を遡ったところに別な集落も存在していたようですが、シカ除けのフェンスの向こうになるため、1軒しか確認できませんでした。

Dscf6764  この学舎は、子ども達の入学と卒業を結ぶ駅舎。利用者が減ってしまったとき、駅の歴史も終わりました。記念碑などは残されていませんが、その想いは学舎の中に残されていたようです。ある意味、校舎自体がタイムカプセルなのかもしれません.

|

« さよなら枝肉空母 その6  | トップページ | ドドメ~ン! »

コメント

先輩殿、これは素晴らしい廃校ですね!「香る校庭」同様緑が実に似合います。
撮影をわすれて、ただボケーとしながら空気を感じてみたいです、泊まってみたい気もします。

投稿: カナブン | 2007年7月29日 (日) 01時05分

おおおう…いいですねぇ!椅子がタマラン。
ここはほんとにきれいに残ってますよね。
「学舎の墓標」と同じ日に廃校になってるのにエライ違いです。
夏はこんなに草ボーボーなんですね。

先日「鳥居の中の廃校」見てきました。

投稿: haru | 2007年7月29日 (日) 02時32分

おはようございます
カナブン師匠様 古い学校は、とかく階段話がつき物ですが、ここはそういった感じも無いですね。ノームとかニングルのほうがあっているようです。寝袋とラジオひとつ持ち込んで、月明りの差し込む窓辺で『ラジオ深夜便』など聞いているといい雰囲気でしょう。(地理的にラジオは無理ですが夜なら聞けるかな?)

haru様 時が停止しているとは、こんなところのことをいうのでしょう。カビ臭も無く、忽然と現われた緑の中の幻という感じがしました。へたな二次利用の痕跡のないことが幸いしているのでしょう。
緑に覆われながらも荒廃感が無いのは、この色とデザイン。もったいないというよりこのままにしておきたい…と思いました。

投稿: ねこん | 2007年7月29日 (日) 08時58分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 学びの駅舎:

« さよなら枝肉空母 その6  | トップページ | ドドメ~ン! »