焼き場にて ②
ごみ分別にも種類があります。燃やすごみ、燃やさないごみ、資源ごみ(缶・ビン・ペットボトル・容器包装にかかわるプラスチック、紙類)、新聞類・雑誌類・ダンボール類・紙パック・大型ごみ・危険ごみ(電池〔ボタン電池は含まず〕・蛍光管など)
行政地区によっては、生ごみも分別対象にしているようです。まめに分別すれば燃やさないごみの場合、3ヶ月は45ℓ袋1枚で充分なまで減らすことが出来ますが、排出基準が行政により若干の異なりがあって混乱があるようです。
例えばフライパンは、ある町は燃やさないごみの袋に入るのでOK。他方の町は大型ごみ扱いになります。このような手間とわずらわしさから思い込みや曖昧さが目立つ分別になってしまいます。
覚えることも問題ですが、家に分別用のごみ箱が増える結果となり、収集日が細分化された上、祭日が重なるとごみステーションに置かれても収集されず、ほかの分別物収集日に『収集不可』シールを貼られ置き去りされているのも見られます。だからといって回収する様子もありませんが。
今やそれ自体が巨大な廃棄物となったごみ処理場。でもその閉鎖は「惜しまれる」ということとは別のようです。最も過酷な労働を担う施設でありながら式典もあるわけではなく、ただ回路から取り外されたかのように時を止め、存在意義を凍結させました。
勇退とか退官という言葉に縁のない施設。温まることの無い煙突の指差す青空を雲が悠々と流れていきました。その青空も紫外線云々で歓迎されない面もあります。
人の暮らしに密接しながらその面影は少ない無機質な終末砦。
事務的でドライな印象がありますが、実は最も心を感じる碑が建立されていました。
人形供養、針供養、刷毛供養など生活や業種によって人ではないものの労をねぎらう行事があります。神仏とは違う精霊信仰的な印象がありますが日本独自の考えかたではないでしょうか。
さすれば、ごみとて同じこと。この『大魂碑』が建立されたのもしごく当然なのでしょう。
その当然があったことがどこかホッとする気がします。
ごみは捨てられても心までは捨てていない。 ということですか…
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