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2007年7月20日 (金)

1年生の科学

Zenkei_1

Dscf0261 皮のついたままのジャガイモをおろし金で一生懸命すりおろす。要領がわからないのでむやみに力を入れるのでおろし金の縁が器からそれて机の上はビショビショになってしまった。
 みんなが同じことをしていて教室の中はゴリゴリという音と土臭い香りが充満している。
 すりおろしたジャガイモをガーゼに包んで透明なコップに汁を絞る。そこに水を加えてしばらくするとコップの底に白い粉みたいなものが溜まりだした。
『これがジャガイモから取り出したでんぷんです』 でも何だ?でんぷんって…
 良く分からなかったけど学校に通いだして初めての科学っぽい実験でした。

Kouba  かつて北海道内には2000を越える澱粉抽出工場があったそうです。ジャガイモを通年使える食材(保存食)にするため、農村部の河川や湧水の豊かなところに澱粉工場というのがたくさん作られました。出荷用のほかに近隣の農家が自家用のイモを持ち込んで生成してもらうということもよくあり、冬場の貴重なエネルギー源どころか年中食べられたようです。

 おじいちゃんがお椀に盛った澱粉に熱湯をかけてグミ状のフニャフニャになったところに醤油をかけて食べていたのを思い出します。いわゆる「でんぷんかき」というものです(でんぷんをかき込んで食べるから?)。あまりにも美味しそうなので少しもらって食べるとすごくまずい…
 「なぁねこん(とは言わなかった)。じいちゃんの若い頃は、これがご馳走だったんだぞ」
意味も分からず「じいちゃんの舌はおかしい!」と思いました。
 片栗粉というのは元々カタクリの根からとったそうですが現在はジャガイモでんぷんであることがほとんどです。小さい頃の経験で一生食べないぞと誓いましたが今では中華系のとろみをつけるのに欠かせません。

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Dscf0266  ねこん在住町の隣町にこの工場跡が残っています。同町では明治42年に最初の「澱粉工場」が創立されて1万200斤を生産、707円の収益ありました。大正6年(1917)にはこの工場が営業を始めています。昭和35年(1960)に三倉産業直営で当地を含めた3工場のほかに、別地の3工場と共同作業場がありました。しかし、原料を地元農協の合理化澱粉工場(昭和30年)へ出荷するようになってからは、相次いで廃業することになっていったようです。 また、処理工場の衰退した一因に河川の汚染もありました。
 当時生成後の搾りかすは、現在のように家畜用の配合飼料が流通していない頃、家畜の餌として養豚場などにも出荷されたようです。

Dscf0264Dscf0271   同工場は、でんぷんの生成のほかに雑穀の流通業も担っていたそうです。
現在は近隣農家の土地の一角に長年栄華の跡を見せています。所有地の農家にお話を伺うと「あれは、うちとは関係ないんだよね。危ないから壊してくれって町にいっているんだけどさ…」確かに幹線道に近いところにレンガ積みの煙突があるので倒れた場合は通行車直撃でしたが…

 近くには、原料搬入に使われたと言うホッパー状の遺構があります。高台沿いにあるので上から原料を搬入したようです。中に入ると屋根を失った家のようです。これらの工場が次々に閉鎖された頃、あまりにも多かったためか特に史跡としては保存されなかったようです。時折、釜跡だけが荒地に残るのを見ることがありますが、建物自体が残っているのは知る限りここだけでした。

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Dscf7360  当初、ここは旧火葬場と思っていました。(建物が現存しているのは見たことが無かったので)近所で聞いて澱粉工場と知りました。でもこういうものが寛容に残されている環境っていいなーと思っていたらある日、見慣れた風景に変化が…

『あれ?無い無い!』 レンガ積みの煙突は根元からすっかり消えてしまいました。
 あ~近くの家の要望が通ってしまったんだな…もったいない。ある意味仕方が無いにしてもね…。

今でも小学校で澱粉の抽出実験って続いているのかな?

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コメント

奇遇ですね~、私も旧火葬場だと思っていました。
近くに今の火葬場もありますしね、煉瓦の煙突もソレっぽい。
後に父親から澱粉工場だと聞いてほっとしたようながっかりしたような(←失礼!)

煙突撤去、本日確認いたしました。もったいない・・・かっこよかったのに。
建物もそのうちなくなってしまうんでしょうかね。

投稿: haru | 2007年7月20日 (金) 21時38分

haru様
ねこんは隣家に聞くまで火葬場と思っていました。煙突近くの建物の角に火入れしたような跡まであり、新しい火葬場も近かったので…
この物件も地権者の所在不明でしたが煙突は地震などで倒壊の危険もあるということで壊してしまったようです。
近所の承諾は得ましたが目張りを外してまで入ろうとはしなかったので、脚立で窓から撮りました。
でも、煙突がなくなるとかっこ悪くなっちゃった。近くのホッパーは健在ですが。(ただし、不法投棄あり)
S町の赤レンガ牛舎も町から再三壊せと言われているそうです。サイロや内部の壁、給餌槽まで贅沢に赤レンガを使った一品。所有は「牛の学校」の校長先生です。

投稿: ねこん | 2007年7月20日 (金) 22時08分

写真を見た瞬間、私も「牛の火葬場」かと思いました。
これが噂の煙突ですか!美しい煙突ですね!う〜ん撮りたかったなぁ。
まさに本物の郷土資料館、解体とは残念すぎます、こうしてルイドロで見れただけでもありがたいです。

高い煙突が壊される理由の一つに、コンコルドの飛行場が出来る噂があるそうですが、本当でしょうか?

投稿: カナブン | 2007年7月21日 (土) 00時16分

北海道では常に北極圏から降りる超低温の層と地上で温められた温暖な空気の層の境目が不安定な気圧配置を作り出します。そのため、一気に上空へ上がり、その層を越えて航行する道外線と下を低空飛行する道内線のふたつがあります。
 低空航路の基準は送電線の高さ以下というのが条件で障害物の危険性がある地域では新航路の開設が計画されると「風読師」と言われる人たちが障害物撤去の交渉にあたります。そのため、この煙突も撤去されたのでしょう。
(大嘘:本気にしないように)

投稿: ねこん | 2007年7月21日 (土) 00時32分

画像見て「ここ行きたい!」と思ったのに撤去されてしまったとは…(ノ_・、)
煉瓦製のものって惹かれます。

投稿: のん | 2007年7月25日 (水) 15時02分

のん様
ずーっとほかしてあるので自然崩壊までは残るのかな?と思いましたが、あまりにも道の際にあったので危険とされたようです。近くを通って見慣れたものが無くなって愕然としました。ホッパーなどは残っていますが。

投稿: ねこん | 2007年7月25日 (水) 21時11分

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