オルガンの調べは遠く ①
もうすぐ立夏というところで季節はずれですが、今の時期に涼しげな雰囲気の物件を…。
訪問時は例年になく暖冬。雪も少ない冬でしたが数十キロ走っただけで雪質が変わります。暖気と寒気に交互にさらされた雪は上に乗れるほどカチカチになりますが、この地に来ると寒気の方が強いのか新雪のようにフカフカでグランドを横切るのも一苦労。
大正3年創立、昭和47年3月に59年の校史を終えて近郊の学校(昭和52年廃校)へ統合されました。閉校時の児童はわずか4名。
創立後の大正6年に山麓一帯を焼き尽くした山火事のために校舎が全焼。11年には暴風雨のために校舎が倒壊。当直の教員が殉職するという事件もあり、後年の昭和29年にも暴風のため桁上・屋根全て飛散という災害被害に見舞われました。
その後、大正14年地帯・住民の寄付により移転新築。ただしこのときに隣の地区の学校も移設・新築され、当時より児童数の少ないこの学校を編入し、この学校を廃校するという案が出されましたが地域住民の反対で再建にこぎつけた経緯もあります。
現校舎は、さらにその後昭和9年に現在地に新築移転。その時、学校の位置を巡って部落住民が対立し、部落が分断される事件がありました。
昭和47年までの41回の卒業生(卒業生のいない年も有り)は、のべ170名に及ぶ。
当時は、部落会館というものがなく地域の集会などは主に学校が使用され、教育の場であると共に集落の中心施設としての役割も担っていました。
昭和38年には開校50周年式典を挙行。同年ようやく学校と職員住宅に水道が完備されました。しかし、その9年後には、足踏みオルガンの音と子ども達の歌声が聞こえてきそうなこの学び舎は、その歴史を閉じることになります。
ただ、この学校にはその後がありました。
(つづく)
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コメント
なんとまぁ、遠いところまで行きましたね。
除雪されていましたか?
この学校のまわりはなんにもなくって
「えー!こんなところに学校があったのー!?」
って思った覚えがあります。
投稿: haru | 2007年6月 4日 (月) 22時13分
haru様
トーチカは無事に行き着けましたでしょうか?
それにしてもこの学校にも既に行っていたんですね(びっくり)
この廃校が町中心部より15㎞ほど。更に8㎞奥にも廃校があったのはご存知ですか?(現役校ではなく)
でもこの学校は本当に小さい。郷土史では当初、右側のモルタル部分もありませんでしたから…
投稿: ねこん | 2007年6月 4日 (月) 23時56分