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2007年6月14日 (木)

拓殖鉄道・河西鉄道交差橋

Dscf5845

Dscf5846  haru様より情報と詳細の提供により行ってみました。現在は緑に覆われて見つけるのに少々手間取りましたが、元よりねこんがこの町の出身でありながらその存在は知りませんでした。
 そもそも、北海道拓殖鉄道(新得─上士幌間53.4㎞)は存在は知っていましたが河西鉄道(下清水─上幌内ほか40.2㎞)の存在は全く知りませんでした。
 その2路線が交差していた地点が現存していると言うことで興味をひいて、ここに来たわけです。

 事前に調べてみたところ河西鉄道は、十勝鉄道と同じく甜菜の輸送目的で敷設され、当初は日本甜菜製糖株式会社運営の専用軽便鉄道であったものが分離し、大正14年から貨物・一般乗客を扱う河西鉄道になったとのことです。後に十勝鉄道に吸収されますが自動車時代の到来で採算性が悪くなり昭和26年廃線。

Dscf5850  一方、北海道拓殖鉄道は、鉄道の開通によって沿線に入植者が集まるだろうという予測で、道内商工業者が出資し、発足しました。1924年(大正13年)に新得側から工事を始め、足寄町の池北線接続を見込んでいましたが、石北本線の開通で意味がなくなり、さらに凶作続きで入植者が増えなかったこと、そして、昭和の恐慌で資金不足に陥り途中の士幌で工事は中断しました。
Dscf5844  木材輸送で賑わいもありましたが、トラック輸送の増加、そして沿線の人口が伸びなかったため、経営は苦境続き。そのため、中古の機関車(国鉄払い下げ。廃業時、雄別炭鉱鉄道に譲渡)や気動車を導入して経費削減を図ったり、利用の少ない区間を廃止。しかし、設備の老朽化に資金を回すことができず、熊牛トンネルは変状が進んで危険な状態となりました。会社は改修に必要な資金を捻出できなかったため、札幌陸運局から行政指導を受け、運行の継続を断念し、1968年(昭和43年)に廃線になりました。同社は現在バス会社として存続しています。

 この2路線の汽車が出会うのが、この交差橋だったわけです。上を拓殖鉄道が走り、下を河西鉄道が走っていました。現在軌道跡はほとんどが熊笹や雑木に埋め尽くされ当時の様子は計かれません。河西鉄道の走っていた橋下は、キタキツネなどのアニマルロードとしては存続しているようです。

Kousa

往年の写真を見つけましたが、汽車が小さいのか本当に通っていたのかな…。なーんか現状と全然違うような気もします。
重さでつぶれちゃったのかな?

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コメント

とてもいいなぁ、一番上の写真は鉄筋が露出してますね。
このようなトンネルは好きです、穴の高さは2mもないようにみえますが、下を走る汽車の橋でしょうかね。

投稿: カナブン | 2007年6月14日 (木) 08時15分

確かに2mもない高さで長さは10メートルほどでしょうか。
軽便鉄道ということで車両が小さかったのかもしれません。
もう、虫除けが必需の季節です。

投稿: ねこん | 2007年6月14日 (木) 08時45分

んむむ?違うかもです。
たぶん、たぶんですが、これは拓鉄跡だと思いますが
川を渡ってたものだと思います。
詳細はメールしますね。

投稿: | 2007年6月14日 (木) 21時36分

あれ?ちがってました?
報道関係(どこが)に携わるものとしてあるまじきでしたか。
まいったなぁ。やっぱり案内頼もうかな…

投稿: ねこん | 2007年6月14日 (木) 22時20分

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