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2007年6月26日 (火)

憧れのティータイム

Front_1

Iriguchi  見渡す限りに雪で覆われた畑作地帯。
この冬は雪が少なかったとはいえ、自然は豊かなところ、そうではないところの分け隔てなく純白の絨毯を敷き詰めていく。区画を仕切る防風林は単調になりがちな大地にビビットなコントラストを加え、景色は寒色の絵画のような山際から始幾何学模様のようです。

 郊外を車で走るとどこまでも続く耕作地帯。小さい頃から見てきた光景だから、それは当たり前のようですが、数百年までは樹海のごとき大原生林。
 それをここまで開拓してきた先人の労苦は、当然一人の業ではなかったとはいえ、我々の想像の及ぶものではありません。

Buck  農業機械が現在ほど普及しておらず、人馬作業の時代、多くの開拓従事者は馬など所有できず手作業が普通でした。彼らがその大原生林を眼前にしたときにまず『夢』が第一であり、故郷を遠く離れて最果ての地で生きるのは強靭な精神力は全て『夢』が突き動かしていたのでしょう。

 明治、大正、昭和の各入植期に多くの人たちが訪れ、去っていきました。『夢』を見失ったのか…自分の見た『夢』の大きさに臆したか…いずれにせよ、現在この北の大地を守り、暮らす人々は過酷な自然を戦い抜いたエリートの末裔であるのかもしれません。
 しかし、かの地の『夢』に見切りを付けて去っていった人々の鍬の一振りは、この蝦夷地開拓には、無駄なものは決してなかったのです。

Ima

 こちらの廃屋は戦後、比較的新しい時期に農業に従事した方の家です。住宅以外は残されていません。周りは植樹林と化して、畑であったか庭であったかの区別もつきません。段丘の比較的平らな部分を選び、切り開いた場所のようです。
 旧家とは趣が異なって、暮らしの最低限としたようなコンパクトな家屋。風呂はともかく台所の痕跡すら屋内には見当たらないので、炊事自体別棟か水場以外を居間の中で全て行っていたかのどちらかでしょう。

TateguHatsudenki  簡易発電機が残されています。発動機(エンジン式動力機)とモーターをベルトで結び発電していたようです。戦後でも古い時代は電力の普及が及ばない地域も少なくなく、このようなもので電力を得ていたようですね。しかし、発動機の音は尋常ではないので常時使っていたわけではなく、電力の普及より機械化の波の方が早かったのでしょう。ですから、主に作業に関わるもののためとして発電機が必要だったと思われます。発動機は音のわりには、さほどパワー(回転速度)は無かったと記憶します。ベルトをもって力を伝達するのであまり高速だとベルトの脱落ということもあり、効率的な電力が得られたかは定かでありません。
 今では、郷土資料館などでしか見られないものと思っていましたが五右衛門風呂の釜と同様によく見かけることがあります。

Zikanwari  赤錆だらけながら電気釜らしきものがあって、最終的には電化生活も訪れていたようです。ただ、照明器具は無用と考えてか痕跡もありません。
 壁に時間割表が残っています。当然、ゆとり教育前なので土曜日もしっかり4時間あります。科目は読み取れませんがギリシャ数字を使っているあたりは中学生ではなかったかと思います。これが貼られているのが南側の居間でも一番明るいところ。子ども部屋が用意できないまでも、勉強できる場所として明るい場所を与えた親心でしょうかね。

Kaidan  奥は建具が立てかけられて、暮らしの痕跡はあまり残っていません。
上方からの明かりを感じて見上げると吹き抜け風になっていて角に目立たないほどちいさな階段があります。

「まだ登れるのかな…?」肩幅ほどもないような階段をつま先で寒色を確かめるようにして上ります。途中の壁に竹製のネズミ捕りと思しきものがかけられたまま…
 あがった2階は中腰でなければ進めないほど天井が低く、壁は断熱のため、新聞紙で目張りされていました。『昭和32年』の新聞や商店の包装紙などが重ね貼りされて時代を写した壁紙のようです。
Mouse_catchi  さらに壁と天井の隙間は藁をたばねたもので隙間を埋めて、きびしい冬を凌いでいたようです。それでもこんな家族の暮らしは当時、ごく自然だったのかもしれません。
 分家をした当初は、家を持てず本家の鶏小屋の使っていない部屋を改造して住んでいたというような話は、経験者が多く今でも聞かれる話です。

2kai 

 のこぎりが2本、板製のカバーに収められたまま放置されていました。振りが大きいので製材用(板を作るため)の手鋸でしょうか。この家もこれで作られたのかな…

Wall

Tea_family  帰り際、目に入ったのがお茶屋さんの広告。カレンダーか注文先の覚えとして残していたかもしれませんが、家族3人が居間の小さな、しかし小奇麗なテーブルでお茶をいただく。向こうには細い4脚の箱みたいなテレビ。その上には部屋に異質なランプシェード。右には障子も見えます。コーディネーターなどいたとは思えない時代の広告ですが、これが時代における憧れ(夢)のティータイムだったのかもしれません。

 

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コメント

おはようございます。
実にいい、廃屋を求めて車を走らせたい気分になります、
これだけ古かったらシアン化アイドルは出てこないと思いました、でもマゼンタが残るシアン化ファミリーが待っていたとは、しびれますね!

投稿: カナブン | 2007年6月26日 (火) 08時00分

雑誌の類を入手するには不便そうな地域です。雑貨店のある集落(キラーカーン廃墟)からもかなり離れています。
それでも新聞はあるのですから郵便局の配達力は昔から優れたものがありました。(※郡部では新聞の配達を郵便局に委託することが多かったので。但し1日遅れが普通)

投稿: ねこん | 2007年6月26日 (火) 12時12分

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