卵の殻と観峰先生 ②
床の無い教室から、やっとのことで廊下に上がりました。こうしてみると学校の基礎も深いものです。
ようやく上がった廊下は学校の大きさからしても幅が狭いですね。これでは床の中央に白線を引くのは無意味。しかも教材の棚などは置けなかったようです。複式学級(児童数の少ない学校によくある授業の仕方。異なる学年をひとつのクラスにして、担任は交互に教える)だったようなので特別教室は充実しており問題はなかったことでしょう。
上を見上げると懐かしい大音楽家の肖像が並んでいます。
夜になると目が動くんですよね。これ。でも、音楽室ではなく廊下というところは、器楽に実力のある学校だったといえ、手狭な不便さは、あったのでしょう。でも、天井の近くに張り過ぎているようです。首が疲れる…
この学校は器楽に定評があったそうですが、習字にも力を入れていたようで原田観峰(はらだ かんぽう 昭和28年、西日本書道通信学会【日本習字教育財団の前身】創立を機に「正しい文字 美しい文字」の普及に半生を尽くして国内・国外で自らも指導に回る。通信制の書道教室で、月々送られてくる手本とアドバイスを参照に書き、地域でまとめて本部に送付。ちゃんとした朱墨で指導、アドバイスが書き入れられて、通信制とはいえ人の温かみがありました。ねこんも入っていたし。)せんせいからの賞状が掲示されて残されています。
ここでは、学校単位で加入していたようで、観峰先生からの表彰も学校名です。作品自体の張り出しは残っていませんでしたが…
ねこんは嫌々書いていたので半紙を手本の上に重ねて細筆で文字の輪郭をトレース、中を通常筆で塗りつぶすという荒業で誤魔化していましたが、戻ってきた半紙に『あなたの文字をぜひ見せてくださいね。』と朱文字で書かれていたのを見て、ホロホロと泣いてしまった覚えがあります。結果的にちゃーんと出来なかったので未だに字が汚いですが…
一緒に送られてくる機関紙に観峰先生のプロフィールというのがあって、『若い頃は声が女性のように高くて、よく間違われました』という下りがあり、そこだけが頭の中に残っています。実際には会った事はありませんでしたが身近な『おじいちゃん』のひとりでした。
先生は既にお亡くなりですが会は受け継がれて財団として続いているようで何よりです。
思いがけず「思い出」に浸ってしまいましたが、先へ進みます。
生徒自らの目標が天井から吊るされています。でも妙にリアルですね。『体をきたえましょう』
小学生の頃、夏休み前に配られた生活目標のチェック表に『生水を飲まない』というものがありました。うちの水とは違うんだろうけれど、どんな水?と思っていましたが誰にも聞かないまま大人になりました。ようするに沢水の類ですね。北海道では特に『エキノコックス』の媒体になることもあるようですから…ずいぶん昔に挙行的には失敗でしたがエキノコックスに蝕まれて余命短い少女の青春と葛藤と恋を描いた映画で『きつね』というのがありました。少しシュールな感もある映画でしたが探しだすことができたらまた、みてみたいものです。
また、脱線してしまいました。それというのもこの学校、妙にねこんの思い出をくすぐるのですね。先々で思い出にふけってしまいます。
なにやら近くに獣の気配がしました。『?』 どこだ? 野生の息遣いを感じたその先には…
着色した卵の殻の貼り絵で描かれた野性のバンビ。背景は面倒すぎてバンビ本体だけのようです。山下清の『清の夢』のように細かい欠片でモザイク状に作られたそれは、また記憶の糸を引っ張ってきます。
『お家から卵の殻を持ってくるように』 朝、思い出しましたが殻が見当たらず、冷蔵庫にあった小ぶりの薄赤いものをひとつランドセルに忍ばせて学校へ行きました。
学校についてランドセルを開けてみると…
結果は、あなたの思っていた結果を3倍越えています。とてもここには出せませんので、どうしても知りたい方は、メールで…
(脱線転覆したので明日に続きます)
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